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旧ウォール邸が売却されたのはおよそ2カ月後の事だった。
買い手はフィンチ子爵で、下位貴族ではあるが現当主が商才を発揮して手広く商いをしていて羽振りが良いと噂がある。現に僅か5年で各地に雑貨と菓子の店を展開しており何処も大盛況、その数は20店舗を超える勢いだ。
「近頃は隣国へ進出するらしいよ、いやはや見事だね」
次期エイジャー伯爵となる兄ブレンドンが経済新聞を読みながらそう呟く、出資してみる価値があると踏んだようだ。傍らで食後の紅茶を飲んでいた妹のミラベルは興味薄そうに「はぁ」と生返事を返す。
「なんだい、ぜんぜん食いついてくれないな。”にいちゃま”と追いかけてくれた可愛い妹はどこへ行った?」
「……いつの話ですか。近年そのように呼んだことはありませんわブレン兄様」
ミラベルは少し温い紅茶を一気に流し込むとハンカチで口元を隠してケフリと小さく曖気(ゲップ)をした。すっかりレディに育ってしまった妹に、兄は寂しい視線を送るが相手にされない。
「彼の方の生家が売れたからと、感想を述べよというのでしょう?酷い人……なんて意地悪なの」
臍を曲げたらしいミラベルは兄の為に供されたクッキーを一枚取り上げて噛み砕いた。
「悪かった、そんなつもりではない。これを全部あげるから、ね?」
「……たかがクッキー3枚で機嫌は直りませんわ。わたくしは安くありませんの」今度はミラベルが意地悪を言って困らせてきた。妹に甘い彼は逆に上機嫌になって午後の茶の時間にカフェへ誘う事を約束した。
「はぁ……兄様が血縁でなければ良かったわ、すべての殿方にこの優しさが備わっていれば」
「おや、最高の誉め言葉だ」
***
その日の午後、曇天ではあったが陽の柔らかな秋空にアキアカネをみつけたミラベルは穏やかな気分になっていた。
相変わらず夫レイフの行方は知れないままだったが、胃を痛め、苛立つ日はだいぶ減っていた。それなのに朝食後の席で兄がした不用意な発言でぶり返し、臍を曲げたのである。
「えーっと、なにを驕っていただこうかしら?このロイヤルティーセットと……それから本日の特製デザートディッシュを大盛で、それからお母様のお土産にシャルドネと梨のホールケーキを!父様には林檎のブランデーケーキ!」
皮張りのメニューを開いてはしゃぐミラベルは容赦のない注文をしまくった。貴族御用達の高級カフェはとても値段が良いのである。
「え、遠慮がないな……。私はブレンドハーブティーと渋皮栗のモンブランをいただこう」
それぞれ注文を聞き終えた給仕が”かしこまりました”と言って美しい所作でキッチンへと消えて行った。
それからすぐに届いたデザートをミラベルは頬ばりながら今朝でのことを問う。生クリームと酸味の利いたベリーソースを堪能している間ならばどんな話でも聞けると思うのだった。
「あの屋敷を買った方に何かございますのね?聞く体制はできましたわ何なりと」
「うむ、さすが察しが良くて助かる。……実はあの家を買った子爵の娘の我儘が購入の経緯のようなんだ。ミラには辛い話になるが聞いてくれ」
ワンクッション置いた言いように、ミラベルは胸の奥にチクリとした痛みが走ったがわかりましたと返答する。
前置きの後に兄は咳ばらいをして話を続ける。
「子爵令嬢ローナ・フィンチは……レイフと男女関係にあったようだ。その、大丈夫かい?」
箱入りである妹を気遣って言葉を掛けたが、ミラベルは何かを覚悟していた様子で大きく動じる様子はなかった。だが、苦い思いを必死に抑え込んでいるのは伝わるので兄は心配気に眉間に皺を作った。
「兄様、気遣いは有難いのですけど話が進みませんし、美味しい紅茶も冷めます。どうぞ続けて」
「あ、あぁ済まなかった」
兄ブレンドンは茶で喉を湿らすと先を話す。ローナとレイフの良からぬ関係は婚約以前からのこと、逢瀬が頻繁だったこと、そして付き合う切っ掛けが不埒千万なことを報告した。
「兄様、ありがとう。真実を話してくださって感謝いたしますわ、情報を集めるのにはご足労されたことと思いますわ」彼女は自分のことよりも兄へ労い、結婚から数カ月の間に心配をかけた事を詫びた。ブレンドンは妹が予想より強い女だと知って大層驚いた。
「いや、ミラがこんなに強い子だったなんて。私は見縊っていたようだ」
「ふふ、兄様の中では泣き虫のミラのままでしたのね。この先なにがあっても強くありたいですわ、でも挫けた時はどうかこの手を取ってくださいまし」
買い手はフィンチ子爵で、下位貴族ではあるが現当主が商才を発揮して手広く商いをしていて羽振りが良いと噂がある。現に僅か5年で各地に雑貨と菓子の店を展開しており何処も大盛況、その数は20店舗を超える勢いだ。
「近頃は隣国へ進出するらしいよ、いやはや見事だね」
次期エイジャー伯爵となる兄ブレンドンが経済新聞を読みながらそう呟く、出資してみる価値があると踏んだようだ。傍らで食後の紅茶を飲んでいた妹のミラベルは興味薄そうに「はぁ」と生返事を返す。
「なんだい、ぜんぜん食いついてくれないな。”にいちゃま”と追いかけてくれた可愛い妹はどこへ行った?」
「……いつの話ですか。近年そのように呼んだことはありませんわブレン兄様」
ミラベルは少し温い紅茶を一気に流し込むとハンカチで口元を隠してケフリと小さく曖気(ゲップ)をした。すっかりレディに育ってしまった妹に、兄は寂しい視線を送るが相手にされない。
「彼の方の生家が売れたからと、感想を述べよというのでしょう?酷い人……なんて意地悪なの」
臍を曲げたらしいミラベルは兄の為に供されたクッキーを一枚取り上げて噛み砕いた。
「悪かった、そんなつもりではない。これを全部あげるから、ね?」
「……たかがクッキー3枚で機嫌は直りませんわ。わたくしは安くありませんの」今度はミラベルが意地悪を言って困らせてきた。妹に甘い彼は逆に上機嫌になって午後の茶の時間にカフェへ誘う事を約束した。
「はぁ……兄様が血縁でなければ良かったわ、すべての殿方にこの優しさが備わっていれば」
「おや、最高の誉め言葉だ」
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その日の午後、曇天ではあったが陽の柔らかな秋空にアキアカネをみつけたミラベルは穏やかな気分になっていた。
相変わらず夫レイフの行方は知れないままだったが、胃を痛め、苛立つ日はだいぶ減っていた。それなのに朝食後の席で兄がした不用意な発言でぶり返し、臍を曲げたのである。
「えーっと、なにを驕っていただこうかしら?このロイヤルティーセットと……それから本日の特製デザートディッシュを大盛で、それからお母様のお土産にシャルドネと梨のホールケーキを!父様には林檎のブランデーケーキ!」
皮張りのメニューを開いてはしゃぐミラベルは容赦のない注文をしまくった。貴族御用達の高級カフェはとても値段が良いのである。
「え、遠慮がないな……。私はブレンドハーブティーと渋皮栗のモンブランをいただこう」
それぞれ注文を聞き終えた給仕が”かしこまりました”と言って美しい所作でキッチンへと消えて行った。
それからすぐに届いたデザートをミラベルは頬ばりながら今朝でのことを問う。生クリームと酸味の利いたベリーソースを堪能している間ならばどんな話でも聞けると思うのだった。
「あの屋敷を買った方に何かございますのね?聞く体制はできましたわ何なりと」
「うむ、さすが察しが良くて助かる。……実はあの家を買った子爵の娘の我儘が購入の経緯のようなんだ。ミラには辛い話になるが聞いてくれ」
ワンクッション置いた言いように、ミラベルは胸の奥にチクリとした痛みが走ったがわかりましたと返答する。
前置きの後に兄は咳ばらいをして話を続ける。
「子爵令嬢ローナ・フィンチは……レイフと男女関係にあったようだ。その、大丈夫かい?」
箱入りである妹を気遣って言葉を掛けたが、ミラベルは何かを覚悟していた様子で大きく動じる様子はなかった。だが、苦い思いを必死に抑え込んでいるのは伝わるので兄は心配気に眉間に皺を作った。
「兄様、気遣いは有難いのですけど話が進みませんし、美味しい紅茶も冷めます。どうぞ続けて」
「あ、あぁ済まなかった」
兄ブレンドンは茶で喉を湿らすと先を話す。ローナとレイフの良からぬ関係は婚約以前からのこと、逢瀬が頻繁だったこと、そして付き合う切っ掛けが不埒千万なことを報告した。
「兄様、ありがとう。真実を話してくださって感謝いたしますわ、情報を集めるのにはご足労されたことと思いますわ」彼女は自分のことよりも兄へ労い、結婚から数カ月の間に心配をかけた事を詫びた。ブレンドンは妹が予想より強い女だと知って大層驚いた。
「いや、ミラがこんなに強い子だったなんて。私は見縊っていたようだ」
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