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エピローグ
エピローグー2
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夢見ヶ丘高校の、教室棟の端っこには、各教科の準備室がある。古文担当教師・芝里タイチは、国語科準備室――という、古典の資料が山積みの小さな部屋で、昼休みを過ごしていた。
「……ふふ。そろそろ、ですかねえ……?」
ぼそりとタイチが呟いたのと、ほとんど同時に。ノックの音がしたかと思えば、準備室のドアが開かれる。
「おい、タイチ! おまえ、昼飯忘れてったろ!?」
「おや……ユウゴ。わざわざ探しに来てくれたんですか? ありがとうございます」
現れたのは、この学校の用務員でありタイチの恋人でもある男――蒼井ユウゴだ。彼の手には、二人分の弁当箱がぶら下がっている。
あの沼地での決戦のあと、タイチとユウゴは、新しく部屋を借りて同棲を始めていた。食事を作るのはもっぱらユウゴの担当で、今朝も、二人分の弁当をこしらえていたところなのだが――どうやらタイチは持っていくのを忘れていたらしい。
食事もせず、準備室にこもっていたらしいタイチを見て、ユウゴは呆れた顔をする。
「おまえ、いい歳して飯抜きで仕事は笑えねえぞ……? ちゃんと食えっての」
「ふふ。……あなたが持ってきてくれるのを待っていた、と言ったらどうします?」
にこりと微笑みながら、タイチは恋人に一歩近づき、その首筋を優しく撫でた。
妖艶な動きは、昨夜の情事を思い起こさせる。ユウゴの顔が真っ赤に染まった。
「は? ……お、おまっ!! 馬鹿! まだ学校だぞ!?」
「大丈夫ですよ。貴方は、ルームシェア相手に忘れ物を届けに来ただけ。……ついでに、ここで食事をしていっても、それに時間がかかっても……なにもおかしくは思われませんよ」
「おまっ! わかってて弁当忘れてったな!? せっかく頑張って作ったのに!! 俺も忘れたらどうするつもりだったんだよ!」
「それはありえません。……貴方が、私に関することを見逃すわけがありませんから♡」
「……くそ、信頼は嬉しいはずなんだがよぉ!?」
なまめかしい手付きで、タイチの指がユウゴの体をなぞっていく。
その身がゆっくりと、資料が山積みになった机に押し倒されかけた――そのとき。
「……ふふっ。冗談です。本当はこのまま貴方を食べてしまいたいですが……昼休みが終わってしまいますから」
ぱっ、と身を離したタイチは、からからと愉快げに笑っていた。
「だぁあっ!! おまえのジョークはわかりにくいんだよっ!?」
「ジョークだなんて……、今言った気持ちは本当ですよ? ……ええ、本当に残念です。こうして貴方と共にいるのに、所有の証を刻むことも許されない、なんて……」
寂しげに呟き、頭を擦り寄せてくるタイチを、仕方がないとばかりにユウゴは抱きしめる。
「……ったく、キスマークなら昨夜散々つけてくれたじゃねえか。まだ足りねえか?」
「ええ。いくら刻んでも、安心できません。貴方はとても魅力的ですから……」
「ったく、欲しがりやめ。……ま、そんなとこも可愛いんだけどよ♡」
からかうように笑った彼は、タイチの顎を指先でくい、と持ち上げて、そのまま当然のように唇を重ねた。
ちゅっ♡ という軽いリップ音が、静かな部屋に響き渡る。
「っ~~!? い、いけません、誰かに見られたら……!」
「おやおやあ? さっきと言ってることが違うぜぇ、タイチさんよ♡ ……おまえ、口じゃあ散々煽るくせに、ホントに学校でどうこうする気はねえんだろ? シンチョー派だもんな」
「ッ……! ど、どうせ私は臆病者ですよっ」
「はは、悪い悪い♡ 拗ねんなって」
タイチに煽られ、妙なスイッチが入ってしまったらしいユウゴは、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
突然のことに驚きながらも、タイチも、まんざらではなさそうだ。
「さすがに学校でセックスはマズイが……ま、こんくらいなら許されるだろ。相思相愛、ラブラブの恋人同士なんだ。人知れず逢引するくらい……なあ?」
「貴方はまた、そういう、あけすけな言い方ばかりして……」
「おまえがゲイバレしたくねえっつーなら、もちろん、その意志は尊重するけどよ。もう少し大胆になったって、誰にもバレやしねえって。……だから、安心して俺に甘えてりゃいいんだよ♡」
ニヤリと笑って胸を張るユウゴの姿に、タイチも、自然と笑みを漏らしてしまう。
ユウゴといるといつもこうだ。肩の力が抜けていくような、のびのびと羽を伸ばせるような心地がした。
「っつーか、会いてえならこんなまどろっこしいことしねえで、素直に言えよぉ。飯、食いっぱぐれるのは良くねえぞ?」
「はぁ……、それも……そうですね。次からは貴方の言うとおりにしましょう」
「あ、こんな小細工しねえでも、学食で食うなら堂々と隣合わせで座れるんじゃねえか? 他の先生方の目はあるが……」
「それが嫌だから、ここに引きこもっていたんです。貴方なら、私の居場所くらい見つけられると思って……」
以前ならば――闇の魔法使いになる前ならば隠していた独占欲を、他の誰にもユウゴを見られたくないという感情を、ぼそりと、タイチが口にすれば。
ユウゴは嬉しげな笑みを浮かべて、くしゃくしゃと、タイチの頭を撫でたのだった。
「ははっ、嬉しいこと言ってくれるじゃねえの! ったく、ホント可愛いなあ、おまえはよう!」
「ち、ちょっと! 髪型が崩れるじゃあないですか……!」
子供にするようにぐりぐりと頭を撫で回されるたび、タイチの心から、不安や嫉妬が消えていく。こんなにも強く愛されているならば、醜い独占欲さえ受け入れてくれるならば、と、今まで自制してきたようなワガママさえ、口をついて出てしまうのだ。
「……ユウゴ。今日はこのまま、二人きりのランチにしませんか? 狭い部屋ですが、二人分の食事スペースくらいは確保できるでしょう」
「え!? いや、ここ、ほとんど資料部屋みたいなもんだろ? 良いのか? 教師でもない俺が飯食ってて……」
「まあ……いいんじゃないでしょうか。どうせほとんど使われていませんし……私が責任を持ちますよ。あ、資料を汚さないようにだけ気をつけて……」
勇気を出して共にランチを、と誘えば、返ってきたのは嬉しそうな驚愕の顔だ。そもそも、同棲を始める以前の二人は、学校ではわざと他人行儀に振る舞っていたのだから、それを考えれば当然のリアクションかもしれない。
恋人同士、二人きりの密やかなランチタイムの逢瀬は、穏やかに過ぎていくのだった……。
*
沼地での決戦を終え、闇の神が姿を消してから。ヤンデリオのボスであった青年・逆城サイは――いたって普通の学生生活へと戻っていた。
洗脳で操られていたチアキたち、その恋人は皆、一度は彼への報復を考えたのだが、なにせ諸悪の根源である闇の神が雲隠れし、お咎めなしとなっている。
そこで、ある意味闇の神の被害者でもあるサイだけを追い詰めるのはどうなのだと、ノブユキたちは躊躇した。洗脳されて闇の神に加担した、という意味では、ヤンデリオの全員が同じだったからだ。
結局、妖精たちから『もう二度とこんなことはするなよ』と釘を刺され、軽い監視がつくだけで、サイの身柄は開放されてしまった。
世界を滅ぼそうとしている神の復活に加担し、無関係の人々を手駒として巻き込み、挙げ句に愛する人を殺しかけた自分に対する処罰としては、あまりに軽いのではないかとサイは考えている。
(……あんなお人好し連中に、僕と神様の計画がめちゃくちゃにされるなんて。……いや、でも……案外、神様はこれで良かったのかな。好きだった人と、和解できた……みたいだし……)
ぼんやりと考え事をしながらも、彼の足は保健室に向かっている。体調はいたって良好で、あくまで、部屋の主であるハルヒコに会うための訪問であった。
あのあと、ハルヒコは色々と立て込んでしまい、ここ一週間は学校を休んでいた。ようやく復職したのだと聞いて、昼休みになるや否や、食事の暇すら惜しんですっ飛んできたのである。
保健室にたどり着いた彼は、いつものように軽くノックをしてからドアを開けた――のだが。
「失礼しま……先生っ!? その怪我、どうしたんだい!? ……誰がやったんだ!?」
目の前に飛び込んできたハルヒコの姿に、思わず、驚愕の声を上げていた。
彼の頬には、怪我を隠すように大判のガーゼが貼られており、他にも軽くアザになっている部分も見受けられる。
それらは、どう見ても喧嘩の痕跡であり――温厚な彼らしくもない負傷に、彼を未だに思い続けるサイが大声を上げてしまったのも、当然の反応と言えるだろう。
幸いなことに、保健室には彼ら以外の姿は無く、サイの大声を咎める者はいなかった。
ハルヒコは気まずそうに苦笑して、とりあえず、とサイに椅子をすすめる。
「あ、ああ……逆城か。こんにちは」
「こんにちは……、じゃなくて! ……誰にやられたの? どこの誰だよ、僕の先生を傷つけるなんて……! い、今の僕に魔法はないけど。絶対見つけ出してボコボコにやり返してやらないと……」
「お、落ち着けっ、逆城!! これは……俺の自業自得なんだ!」
ブツブツと呟き、今にも闇の魔法使いだった頃に戻りそうな様子のサイを、ハルヒコは必死に静止する。
「あー……その、な。神様が消えてしまってから、俺の失踪が明るみになって、結構な騒ぎになっただろう?」
「……うん」
なだめすかすような調子の声に、サイの勢いがほんの少しだけ鎮火する。
――闇の神が沼の底に消えて、ヤンデリオの面々に与えられていた魔法の力は、跡形もなく失われてしまった。
それにより、魔法で周囲の記憶から存在を消されていたハルヒコのことも、当然、元通りになってしまい――半年以上も失踪しており、ひょっこり帰ってきた彼について、ちょっとした騒ぎになってしまったのである。
「その関係で、妻もこっちに呼び出されててな。……俺、彼女と離婚することに決めたんだ」
「…………え?」
淡々と、それが当然だといった調子で告げられたハルヒコの言葉。
サイは、己の耳を疑った。
「理由はどうあれ、俺は不貞を働いたわけだし。……もう、今までどおりにはいられない。もちろん悪いのは俺だから、慰謝料も払うし、娘の養育費も払う。魔法のことやおまえのことは隠して説明して、別れてほしい、って言ったら……うん、このザマだ」
へにょりと眉を下げて苦笑するハルヒコ。
彼は本気で、自分が悪いのだと思っていた。そのうえで、妻と別れるのは当然のことだと、そうするべきなのだと考えていたのだ。
「待っ……て、先生……。なんで……っ、そ、そんなこと、先生がしなくても、良かったのに……!」
「……サイ。あの日、あの沼地で、おまえに告げた気持ちは全部真実だ。魔法の力がなくなっても、俺の気持ちは変わらなかった。……どんなに正しくないとしても、俺は、この道を選ぶよ」
暗にサイが、どうして自分のせいにしなかったのだと責め立てるも、ハルヒコの意志は揺らがない。
あの日、彼を庇って闇の神に貫かれたときと同じ眼差しで、まっすぐにサイを見つめている。
「……なあ、あの約束、覚えてるか?」
「……約束?」
「おまえが卒業しても俺のことを好きだったら、……ってやつだ」
「ッ……!!」
己がハルヒコにしてきたことを思えば、あの約束も、とっくに無効になると思っていた。ハルヒコがそれを覚えていただけで、喜びで、目眩を起こしそうなほどだった。
「逆城。今はまだ、おまえは学生だし、俺は先生だ。俺はこれからバツイチになって、妻子に償いをしながら生きていく、不良債権のおっさんだ。……時間が経って、おまえが少しでも冷静になって、それでも……こんな俺を選んでくれるというのなら。そのときは、もう一度、おまえの言葉で愛を聞かせてくれ」
以前のやり直しのように――ハルヒコは、本気で、サイが大人になるのを待つと告げる。それがどんなに茨の道であろうとも、望んでいるのだと、そう告げる。
そのとき、サイに湧き上がっていたのは罪悪感だった。いくら闇の神の影響を受けていたとはいえ、サイは、ヤンデリオの面々の中ではもっとも正気に近い状態にあった。
ハルヒコを無理やり手籠めにしたのも、彼の記憶を消して洗脳して『ハル』にしたのも、すべて、サイ自身の意思で行ったことだ。到底許されることではないと、彼本人もよく理解している。
それなのに――ハルヒコは、全てを許すと言うのだ。幸福な家庭を捨ててまで、サイが己を選ぶのを待つと、サイの犯した過ちに最後まで付き合う覚悟があると、そう態度で示しているのだ。
「…………あなたが、そんな思いをしなくてもいいはずなのに。悪いのは全部僕なのに。なんで……そこまで、してくれるんだよ……」
「おかしい、と思うか? 間違ってると思うか? ……俺も、大人として正しい行いではないと思う。けど……こういうのは、理屈じゃ止められないもんだろう。おまえが、俺を求めてくれたように」
そう語るハルヒコの眼差しに宿るのは――サイが、闇の魔法使いへと変貌したときに抱いていたような、仄暗い狂気と執着の色だ。
サイの異質な愛情を受け入れ、受け止めたハルヒコもまた、彼と同じ性質に寄りつつあった。
まともな人間は、この愛を否定するだろう。彼らの愛を、恋を、過ちだと指摘するだろう。
そんなものは愛ではない、依存だ、執着だ、正しくないと言うのだろう。
けれど――世界中の全てに否定されても、互いだけは、互いの愛を信じて慈しみたい。それが、翠野ハルヒコと逆城サイのたどり着いた、歪な愛の形だった。
「……先生、僕……立派な大人になるよ。先生にふさわしい人になる。……だから、それまで、待っててくれる?」
「ああ……。待つよ、いつまでも待つ。今度こそ俺は、おまえを、裏切らない」
迷子の子供のような顔をして、サイは、ハルヒコにすり寄った。
歪だが真っ直ぐな将来の誓いは、二人の胸に強く刻まれたのだった。
「……ふふ。そろそろ、ですかねえ……?」
ぼそりとタイチが呟いたのと、ほとんど同時に。ノックの音がしたかと思えば、準備室のドアが開かれる。
「おい、タイチ! おまえ、昼飯忘れてったろ!?」
「おや……ユウゴ。わざわざ探しに来てくれたんですか? ありがとうございます」
現れたのは、この学校の用務員でありタイチの恋人でもある男――蒼井ユウゴだ。彼の手には、二人分の弁当箱がぶら下がっている。
あの沼地での決戦のあと、タイチとユウゴは、新しく部屋を借りて同棲を始めていた。食事を作るのはもっぱらユウゴの担当で、今朝も、二人分の弁当をこしらえていたところなのだが――どうやらタイチは持っていくのを忘れていたらしい。
食事もせず、準備室にこもっていたらしいタイチを見て、ユウゴは呆れた顔をする。
「おまえ、いい歳して飯抜きで仕事は笑えねえぞ……? ちゃんと食えっての」
「ふふ。……あなたが持ってきてくれるのを待っていた、と言ったらどうします?」
にこりと微笑みながら、タイチは恋人に一歩近づき、その首筋を優しく撫でた。
妖艶な動きは、昨夜の情事を思い起こさせる。ユウゴの顔が真っ赤に染まった。
「は? ……お、おまっ!! 馬鹿! まだ学校だぞ!?」
「大丈夫ですよ。貴方は、ルームシェア相手に忘れ物を届けに来ただけ。……ついでに、ここで食事をしていっても、それに時間がかかっても……なにもおかしくは思われませんよ」
「おまっ! わかってて弁当忘れてったな!? せっかく頑張って作ったのに!! 俺も忘れたらどうするつもりだったんだよ!」
「それはありえません。……貴方が、私に関することを見逃すわけがありませんから♡」
「……くそ、信頼は嬉しいはずなんだがよぉ!?」
なまめかしい手付きで、タイチの指がユウゴの体をなぞっていく。
その身がゆっくりと、資料が山積みになった机に押し倒されかけた――そのとき。
「……ふふっ。冗談です。本当はこのまま貴方を食べてしまいたいですが……昼休みが終わってしまいますから」
ぱっ、と身を離したタイチは、からからと愉快げに笑っていた。
「だぁあっ!! おまえのジョークはわかりにくいんだよっ!?」
「ジョークだなんて……、今言った気持ちは本当ですよ? ……ええ、本当に残念です。こうして貴方と共にいるのに、所有の証を刻むことも許されない、なんて……」
寂しげに呟き、頭を擦り寄せてくるタイチを、仕方がないとばかりにユウゴは抱きしめる。
「……ったく、キスマークなら昨夜散々つけてくれたじゃねえか。まだ足りねえか?」
「ええ。いくら刻んでも、安心できません。貴方はとても魅力的ですから……」
「ったく、欲しがりやめ。……ま、そんなとこも可愛いんだけどよ♡」
からかうように笑った彼は、タイチの顎を指先でくい、と持ち上げて、そのまま当然のように唇を重ねた。
ちゅっ♡ という軽いリップ音が、静かな部屋に響き渡る。
「っ~~!? い、いけません、誰かに見られたら……!」
「おやおやあ? さっきと言ってることが違うぜぇ、タイチさんよ♡ ……おまえ、口じゃあ散々煽るくせに、ホントに学校でどうこうする気はねえんだろ? シンチョー派だもんな」
「ッ……! ど、どうせ私は臆病者ですよっ」
「はは、悪い悪い♡ 拗ねんなって」
タイチに煽られ、妙なスイッチが入ってしまったらしいユウゴは、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
突然のことに驚きながらも、タイチも、まんざらではなさそうだ。
「さすがに学校でセックスはマズイが……ま、こんくらいなら許されるだろ。相思相愛、ラブラブの恋人同士なんだ。人知れず逢引するくらい……なあ?」
「貴方はまた、そういう、あけすけな言い方ばかりして……」
「おまえがゲイバレしたくねえっつーなら、もちろん、その意志は尊重するけどよ。もう少し大胆になったって、誰にもバレやしねえって。……だから、安心して俺に甘えてりゃいいんだよ♡」
ニヤリと笑って胸を張るユウゴの姿に、タイチも、自然と笑みを漏らしてしまう。
ユウゴといるといつもこうだ。肩の力が抜けていくような、のびのびと羽を伸ばせるような心地がした。
「っつーか、会いてえならこんなまどろっこしいことしねえで、素直に言えよぉ。飯、食いっぱぐれるのは良くねえぞ?」
「はぁ……、それも……そうですね。次からは貴方の言うとおりにしましょう」
「あ、こんな小細工しねえでも、学食で食うなら堂々と隣合わせで座れるんじゃねえか? 他の先生方の目はあるが……」
「それが嫌だから、ここに引きこもっていたんです。貴方なら、私の居場所くらい見つけられると思って……」
以前ならば――闇の魔法使いになる前ならば隠していた独占欲を、他の誰にもユウゴを見られたくないという感情を、ぼそりと、タイチが口にすれば。
ユウゴは嬉しげな笑みを浮かべて、くしゃくしゃと、タイチの頭を撫でたのだった。
「ははっ、嬉しいこと言ってくれるじゃねえの! ったく、ホント可愛いなあ、おまえはよう!」
「ち、ちょっと! 髪型が崩れるじゃあないですか……!」
子供にするようにぐりぐりと頭を撫で回されるたび、タイチの心から、不安や嫉妬が消えていく。こんなにも強く愛されているならば、醜い独占欲さえ受け入れてくれるならば、と、今まで自制してきたようなワガママさえ、口をついて出てしまうのだ。
「……ユウゴ。今日はこのまま、二人きりのランチにしませんか? 狭い部屋ですが、二人分の食事スペースくらいは確保できるでしょう」
「え!? いや、ここ、ほとんど資料部屋みたいなもんだろ? 良いのか? 教師でもない俺が飯食ってて……」
「まあ……いいんじゃないでしょうか。どうせほとんど使われていませんし……私が責任を持ちますよ。あ、資料を汚さないようにだけ気をつけて……」
勇気を出して共にランチを、と誘えば、返ってきたのは嬉しそうな驚愕の顔だ。そもそも、同棲を始める以前の二人は、学校ではわざと他人行儀に振る舞っていたのだから、それを考えれば当然のリアクションかもしれない。
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そこで、ある意味闇の神の被害者でもあるサイだけを追い詰めるのはどうなのだと、ノブユキたちは躊躇した。洗脳されて闇の神に加担した、という意味では、ヤンデリオの全員が同じだったからだ。
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世界を滅ぼそうとしている神の復活に加担し、無関係の人々を手駒として巻き込み、挙げ句に愛する人を殺しかけた自分に対する処罰としては、あまりに軽いのではないかとサイは考えている。
(……あんなお人好し連中に、僕と神様の計画がめちゃくちゃにされるなんて。……いや、でも……案外、神様はこれで良かったのかな。好きだった人と、和解できた……みたいだし……)
ぼんやりと考え事をしながらも、彼の足は保健室に向かっている。体調はいたって良好で、あくまで、部屋の主であるハルヒコに会うための訪問であった。
あのあと、ハルヒコは色々と立て込んでしまい、ここ一週間は学校を休んでいた。ようやく復職したのだと聞いて、昼休みになるや否や、食事の暇すら惜しんですっ飛んできたのである。
保健室にたどり着いた彼は、いつものように軽くノックをしてからドアを開けた――のだが。
「失礼しま……先生っ!? その怪我、どうしたんだい!? ……誰がやったんだ!?」
目の前に飛び込んできたハルヒコの姿に、思わず、驚愕の声を上げていた。
彼の頬には、怪我を隠すように大判のガーゼが貼られており、他にも軽くアザになっている部分も見受けられる。
それらは、どう見ても喧嘩の痕跡であり――温厚な彼らしくもない負傷に、彼を未だに思い続けるサイが大声を上げてしまったのも、当然の反応と言えるだろう。
幸いなことに、保健室には彼ら以外の姿は無く、サイの大声を咎める者はいなかった。
ハルヒコは気まずそうに苦笑して、とりあえず、とサイに椅子をすすめる。
「あ、ああ……逆城か。こんにちは」
「こんにちは……、じゃなくて! ……誰にやられたの? どこの誰だよ、僕の先生を傷つけるなんて……! い、今の僕に魔法はないけど。絶対見つけ出してボコボコにやり返してやらないと……」
「お、落ち着けっ、逆城!! これは……俺の自業自得なんだ!」
ブツブツと呟き、今にも闇の魔法使いだった頃に戻りそうな様子のサイを、ハルヒコは必死に静止する。
「あー……その、な。神様が消えてしまってから、俺の失踪が明るみになって、結構な騒ぎになっただろう?」
「……うん」
なだめすかすような調子の声に、サイの勢いがほんの少しだけ鎮火する。
――闇の神が沼の底に消えて、ヤンデリオの面々に与えられていた魔法の力は、跡形もなく失われてしまった。
それにより、魔法で周囲の記憶から存在を消されていたハルヒコのことも、当然、元通りになってしまい――半年以上も失踪しており、ひょっこり帰ってきた彼について、ちょっとした騒ぎになってしまったのである。
「その関係で、妻もこっちに呼び出されててな。……俺、彼女と離婚することに決めたんだ」
「…………え?」
淡々と、それが当然だといった調子で告げられたハルヒコの言葉。
サイは、己の耳を疑った。
「理由はどうあれ、俺は不貞を働いたわけだし。……もう、今までどおりにはいられない。もちろん悪いのは俺だから、慰謝料も払うし、娘の養育費も払う。魔法のことやおまえのことは隠して説明して、別れてほしい、って言ったら……うん、このザマだ」
へにょりと眉を下げて苦笑するハルヒコ。
彼は本気で、自分が悪いのだと思っていた。そのうえで、妻と別れるのは当然のことだと、そうするべきなのだと考えていたのだ。
「待っ……て、先生……。なんで……っ、そ、そんなこと、先生がしなくても、良かったのに……!」
「……サイ。あの日、あの沼地で、おまえに告げた気持ちは全部真実だ。魔法の力がなくなっても、俺の気持ちは変わらなかった。……どんなに正しくないとしても、俺は、この道を選ぶよ」
暗にサイが、どうして自分のせいにしなかったのだと責め立てるも、ハルヒコの意志は揺らがない。
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「……なあ、あの約束、覚えてるか?」
「……約束?」
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「ッ……!!」
己がハルヒコにしてきたことを思えば、あの約束も、とっくに無効になると思っていた。ハルヒコがそれを覚えていただけで、喜びで、目眩を起こしそうなほどだった。
「逆城。今はまだ、おまえは学生だし、俺は先生だ。俺はこれからバツイチになって、妻子に償いをしながら生きていく、不良債権のおっさんだ。……時間が経って、おまえが少しでも冷静になって、それでも……こんな俺を選んでくれるというのなら。そのときは、もう一度、おまえの言葉で愛を聞かせてくれ」
以前のやり直しのように――ハルヒコは、本気で、サイが大人になるのを待つと告げる。それがどんなに茨の道であろうとも、望んでいるのだと、そう告げる。
そのとき、サイに湧き上がっていたのは罪悪感だった。いくら闇の神の影響を受けていたとはいえ、サイは、ヤンデリオの面々の中ではもっとも正気に近い状態にあった。
ハルヒコを無理やり手籠めにしたのも、彼の記憶を消して洗脳して『ハル』にしたのも、すべて、サイ自身の意思で行ったことだ。到底許されることではないと、彼本人もよく理解している。
それなのに――ハルヒコは、全てを許すと言うのだ。幸福な家庭を捨ててまで、サイが己を選ぶのを待つと、サイの犯した過ちに最後まで付き合う覚悟があると、そう態度で示しているのだ。
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「おかしい、と思うか? 間違ってると思うか? ……俺も、大人として正しい行いではないと思う。けど……こういうのは、理屈じゃ止められないもんだろう。おまえが、俺を求めてくれたように」
そう語るハルヒコの眼差しに宿るのは――サイが、闇の魔法使いへと変貌したときに抱いていたような、仄暗い狂気と執着の色だ。
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まともな人間は、この愛を否定するだろう。彼らの愛を、恋を、過ちだと指摘するだろう。
そんなものは愛ではない、依存だ、執着だ、正しくないと言うのだろう。
けれど――世界中の全てに否定されても、互いだけは、互いの愛を信じて慈しみたい。それが、翠野ハルヒコと逆城サイのたどり着いた、歪な愛の形だった。
「……先生、僕……立派な大人になるよ。先生にふさわしい人になる。……だから、それまで、待っててくれる?」
「ああ……。待つよ、いつまでも待つ。今度こそ俺は、おまえを、裏切らない」
迷子の子供のような顔をして、サイは、ハルヒコにすり寄った。
歪だが真っ直ぐな将来の誓いは、二人の胸に強く刻まれたのだった。
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地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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