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第一章 契約

復讐者はかく生まれり

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 ある日を境に人生が大きく変わる、そんな体験をした人は多くいるかもしれない。
 彼女もそんな一人であった。彼女が生まれ育った町は工場がいくつも並び、正規、非正規の外国人労働者が多数働いている、そんな街であった、大手の工場は発覚した時のリスクを恐れ不法滞在の外国人労働者を雇おうとしなかったが、経営の厳しい孫請け工場になると、背に腹は代えられずしかも正規の料金よりかなり安く雇える不法滞在者は非常に助かる存在であった。
 周りにも似た境遇の子供は大勢いたが出身はみなバラバラであった、南米、東南アジア、中央アジア、アフリカ、そんな学校にも通えない子供達を助けたのは人権団体等の公益法人やボランティアであった、そういった団体に提供された教材で学ぶうちに、自然と日本語でのコミュニケーションを皆がとるようになっていった。親の国籍は皆バラバラであったし、見た目も明らかに違う人種であったが、しゃべる言語は日本語であり、その日本語の発音はネイティブの日本人と遜色ないものであった、何故なら彼ら彼女らもまたネイティブであったのだから。

 何が影響したのかは、実際のところ説明できなかった、理由を上げて行けばいくらでも上げる事はできたであろう、政治家の二重国籍問題、テロ対策問題、特別残留外国人の生活保護問題、世論に反応するような形で不法滞在への取り締まりは厳しさを増した、強制退去という法の執行を以って日本に生まれ、日本に育ち、日本語しか喋れない、彼ら彼女らはみな一度も行った事のない故国へと追いやられた。

 他の者がどうなったかは分からないが、Fatma・桜子・Aydinの送り返された故国は日本とは何もかもが違う環境であった、日本語しか喋れない彼女は学校に行ってもまるでついていけなかったが、社会福祉の充実とは程遠いその国で彼女を助けるような行政の動きはなかった、近隣の国でテロが多発し、軍事クーデターによって軍事独裁政権が樹立している国で多くを求めるのは、酷であったかもしれないが。

 彼女が12歳の時に強制的に送り返されたが、両親にも生活のあてはなかった、生活のあてを求めてやっとの思いで日本まで行って、強制的に送り返されても、住む場所もなければ働く場所もなかった。それでも家族を養うために父親は頑張ったが、次第に疲弊して行った。

 一年が過ぎた時伝手を頼って間借りしていた家に押し入って来た者達によって彼女は拉致された。学校にも通わず、社会との接点を無くしたような彼女を格好の標的として狙ったのかもしれない、それとも疲弊した親に売られたのかもしれない、もう確かめる術はどこにも残っていないのだから。

 拉致したのは現政権の中枢にいる宗教的主流派との対立から反政府勢力としてテロ活動を行う団体であり、拉致した目的は兵士達への性欲処理のためであった。言葉も碌にしゃべれない娘にはその程度の使い道しか見出す事は出来なかったのであろう、彼女への仕打ちは最低限の食事と毎晩のように繰り返される性的暴行の繰り返しだけの毎日であった。

 日本で友達達と遊んでいた時は楽しかった、近所の日本人の子供達も普通に遊びの輪に加わり、民族の壁などというものは全く感じられるものではなかった。しかし偉い人間によってこんな地獄のような環境に追いやられた、彼女の憎しみはいつしか目の前で自分を道具のように扱う男達から日本そのものに向くようになっていった。もしかしたら、そうする事でしか生きられなかったのかもしれない、目の前の男達に憎しみの目を向ければより酷い仕打ちとなって返ってくる、だからこそ目の前にない遠い抽象的な対象を憎しみの対象にする事によって辛うじて精神を維持していたのかもしれない、狂ってしまえた方が幸せだったかもしれないが。

 ある日彼女はむせ返るような血の臭いを感じた、テロリストのアジトである、政府軍によって発見され自分も一味と思われてどうせ殺されるのだろう、仮に助けられたとしてこの先どうやって生きて行けというのであろうか?そんな事を考えていたが、まったく銃声がしなかった事に気付いた、あのけたたましい音がすれば眠っていても起きたであろうに、しかしそれさえもどうでもいいように感じ身体を起こすのも面倒で横になっていると、鍵を掛けられていた彼女の部屋の扉が静かに開き二つの影が入って来た。
 彼女の立場であったなら、もし目の前にメフィストフェレスが現れたなら魂を売っただろうか?もし魂を売ったなら売った彼女を否定できる者がいるのであろうか?

 彼女の復讐者としての旅が始まった瞬間であった。
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