波間の天秤

六楼

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波間の天秤

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第一章
 一見、いつもの波が漂う機渦海(ききかい)だった。
 しかし深海のざわめきを隠すことはできない。
 眼光鋭く水平線を眺めている青年は虚無的に白銀のリヴォルバーを腰から抜き、弾の込めていないシリンダーを撃鉄で撃つと、いきなり辺りは完全に静寂に包まれた。
 彼の狙うディオビ海商の輸送船団が、もうすぐここから一キロ前後にある航路を通る。
「そんなに言うならリーリカムには、ディビオを襲ってもらおうか」
 港の会議室で、ティリイグに言われた。
 迷いはない。自己の主張を通すために、機渦海諸島と大陸間での交易大手の輸送船団を襲う。
 海面からわずかに空中に浮いている突撃艦の上に、片膝をついて時間を待った。
 リーリカは強化繊維でできた曲線の絡まった刺繍の目立つ旧コーカル帝国風衣装を着ていた。黒系統で袖と裾は広めで大きい。シャツもズボンも。その上から襟のないコートを着ている。
 やや長身で均衡がとれた痩せぎすなしなやかな雰囲気の体形をしている。髪は灰色で前髪が長く、後ろは借り上げていた。
 統制下にある戦力は、突撃艦六百隻丁度。
 艦と言っても、全長二十メートルほどのものだ。
 ディビオの大規模輸送船団は、数か月に一度の一大イベントと言って良い。
 護衛の戦艦十二隻、巡洋艦三十五隻、駆逐艦五十隻、そして本体の輸送船百隻。
 戦艦クラスの全長は百五十メートル、砲百二十門。
 相手の総砲門数は約大小四千門。
 リーリカム艦隊の砲は一艦に七門。四千門とほぼ同数だが、これは全て小型砲だ。駆逐艦ならまだマシも、巡洋艦の装甲すら破壊できる威力ではない。しかも、商船といっても武装船である。それぞれ砲六十門に装甲は巡洋艦並みだ。
 加えるとリーリカムには補給物資が存在しない。
 五回、砲を撃てば弾切れである。
 操縦は間接神経網で共鳴させた無人、稼働も本人の体力の限界まで。
 共鳴を使った小型艦は、機渦では独立海商の代表的操縦方法だった。
 当然、大陸側の艦は海面に浮いているし、操縦に二十人から百人を数えるものもある。
 彼らに海賊と言われている独立海商の艦は海面から三十センチほど浮いている。空気と海の中にある機渦海独自の機片泡(あわ)を利用しているのだ。結果として、大陸艦隊が最大四十ノットの壁を越えられないところ、機渦商の艦は二百ノットまで軽く上げることができる。
「……楽しいねぇ、こういうの」
 いつもの口癖がでた。ぼんやりと海面を眺めるリーリカムはつい、ヘラリと口元をゆるめる。
『何考えてんの? 死ぬ気?』
 突然に頭の中で声がした。
 艦の索敵網を探ると、後方南南東方面に小型艦の群れが確認できた。
 声の主だ。
 トーポリー。ティリングの部下で、主に砲艦の指揮を担当している。
『何しに来た?』
 呑気としか取れない口調で応じる。
『まさか本当にやるとはね。というか、あんたらしい。だから止めに来たに決まってんじゃん』
『いつでも張る命無くて海賊やってられるか。で、艦隊引き連れてか?』
『この海域はコリィドットの支配下だし』
 確かにティリング統下ではない海域では、間接神経系の繋がりがやや低下している。
『大体、急すぎるんだよ、提案が』
『そうかねぇ?』
 ワザとらしくとぼける。
『話がいつもの言葉足らずだ。詳しく聞くから、一旦ここは母港に戻ろう?」
 リーリカムはその気もないのに敢えて黙った。
 彼はティリングに、大陸の三つの港に建設中の間接神経塔について詰問されたのだ。
 間接神経塔は、機渦海を統制下に置くための基本システム設置建築物だった。
 三つの塔はそれぞれ誰も聞いたことがない管理者の名前になっており、工事資金そのものがティリング艦隊から支払われるようになっていた。
 この勝手な行動に、ティリングは激怒したのだ。だが、リーリカムは弁明を避け、今ここにいる。
 トーポリー艦隊が水平線に合われるのを視認した。
 索敵ブイが砲艦五百隻、工築艦百隻、突撃艦百という数を報告する。
 リーリカムは一瞥して、無風状態だったはずなのに前髪が軽くなびいたことに気付いた。
『……俺の横流し疑惑は? 不正資金は?』
 ティリングは直接指摘してこなかったが、会計のカアゥが身元の金の流れを調査しているはずだ。
『出てきてない。あんたは一切、自分のところにウチの艦隊から抜いているモノがない。他の連中は多かれ少なかれやってるというのにね』
『……あいつに文句言われないとは不満だな。俺の潔白は一応証明された訳だが、何か一言ほしいもんだ』
 リーリカムは鼻を鳴らす。
 基本、リーリカムはティリング艦隊で嫌われていた。
 仕事も何もかも、独断専行すぎるのだ。
 だがティリングと長い彼は、痴話喧嘩と言われる衝突を繰り返しながら重用されていた。
 艦隊が近づいてきて、彼と合流した。
 艦橋の上に立っているのは、赤毛の右側を長く垂らし耳にピアスを多数開けた、細身で小柄な少女だった。
 リーリカムと同じく、旧機渦海の帝国風の青い服を着ていた。
 彼女の乗った旗艦が近づいてくる。
「ようこそ」
 笑みを浮かべた彼は、北北東を力の抜いた片腕を上げて指さした。それは船体群というより、一個の要塞だった。
「……来やがったか」
 トーポリーが忌々し気に呟いた。
「期待しているからな」
 ここぞと楽し気な声を出し、リーリカムは麾下の艦たちを三角型に配置してエンジンに点火する。
「はぁ? ちょ、待て待て!」
 トーポリー慌てたようにコックピットに入った。
 リーリカムの艦隊が整然として前進を始めた。
「馬鹿野郎!」
 トーポリーは砲艦を展開させた。
 背後での彼女の動きを気にもしていないかのように、リーリカムは速度を一気に上げた。
 工築艦が続く。
「マジかよ……一気に突っ込む気なの?」
 トーポリーは呆れ気味な溜め息まじりの声をもらす。
 ティビオ輸送船団から警告の旗が昇った。
 それを、無視して六十七ノットを出す。
 壁のように巡洋艦が並び、その後ろに戦艦が輸送船を護るために動いた。
 鐵鋼の城塞だ。
「もう、やってられない!」
 半ば自棄な声が伝わった。
 トーポリーの砲艦は彼女の持つ方位盤からの指示通り射撃を始め、リーリカム指揮下の突撃艦を援護をする。
 ティビオ輸送船団の護衛艦隊から一斉の砲撃が始まった。
 リーリカム艦隊周囲に水柱が回廊のように上がる。
 トーポリーは気分とは別に、敵艦の砲塔に正確な集中砲火を行う。。
 爆発が巡洋艦隊のあちらこちらで起こった。
 次にトーポリーはリーリカムの援護のための弾幕を張る。
 一直線に突撃を敢行したリーリカムは一キロ圏内に入ったところで天井に向けてリヴォルバーの引き金を引いた。
 麾下の百隻を巡洋艦が造っている壁の手前で、重力を捻じ曲げるかのように強引に水中に潜らせた。
 機渦海の水は重くなっていた。
 リヴォルバーの効果だ。
 水面が一気に海の斜面を造る。
 巡洋艦の壁の一部が傾き、崩壊した。
 トーポリーもここぞと射撃式装置の方位盤を使って、斜面から逃げ行く艦に集中砲撃を始めて一艦ずつ確実に沈めてゆく。
 現れた隙間に向かってリーリカムの突撃艦がさらに速度を上げる。
 戦艦の艦首と艦尾の間を横切ると輸送船団が見えた。
 トーポリーの砲撃が相手護衛艦の意識を集めている。
 商船団の旗艦に、合成金属でできたリーリカム艦隊の衝角が幾隻も船体に突き刺さった。
 正面ハッチが開き、リーリカムを先頭にバイオ生成された白兵戦特化型レプリカントたちが船内に侵入した。
 商船は警戒音をたてて、陸戦兵たちを防衛に動かす。
 リーリカムは腰に拳銃を二丁ぶら下げて第二甲板らしい通路にでると。同じく
 射撃の弾が乱反射的に飛び交う中、悠々とのんびりした歩調で真っすぐ操縦室に向かう。
 途中、陸戦兵から何度も銃口を向けられるが、間接神経網を使って彼が統べるレプリカントで先に撃たせる。
 彼は場違いなまでにぼんやりと歩きつつ、同時にレプリカントを指揮していた。
 操縦室のドアを空けた時、目が細くなる。
 席に座った四人の男たちは、それぞれ床に倒れたり椅子にもたれかかっていた。
「待ってた」
 計器類と正面ガラスを背に、夕刻の光りが漏れていた。
 ショートカットにした髪には青いメッシュを入れ、二回りは大きなロングシャツにハーフパンツ。脚が伸び瑠先端には軍靴。
「……遅い」
 氷のような視線。
 小柄で細い十代半ばの少女が、だらりと腕を落として計器類の上に座っていたのだった。
 冷めきった眼で。
 リーリカムはふと見覚えがある気がした。そんなはずはあり得ないというのに。
「……おやまぁ。楽しいねぇ、こういうの」
 口調とは逆の鋭い表情でリーリカムは銃で彼女に狙いをつける。
「これはおまえがやったのか?」
 少女は、やや自虐を含んだ笑みとともに頷いた。
「四人も殺しちゃって、これからどうなるやら」
 虚無と言っていい口調だった。
「本当だったら、こいつらに操縦をまかせたかったんだけどなぁ。大事な人質にして」
「人質ならここにいるでしょ?」
「だから誰だよ、おまえ」
「名前ならシーウでいい。この船の操縦任せた。ああ、あとその拳銃、弾入ってないのモロバレだよ」
 しばらく黙っていたが何も変わらないと思ったリーリカムは通信機のマイクを手にした。
『……全戦闘を中断せよ。こちらはシーウの身柄を確保した。我に従え』
 全艦に声が響き渡る。もちろん商船団にもターポリーにも聞こえるように。
 両軍は突然に大人しく砲火を消し、海は静寂を取り戻した。
 リーリカムは醒めた頭の片隅で感心していた。
 何者だ、このガキは?
「ああ、あとあんたに聞きたいことがあったんだ」
「あ? 何だよ?」
「あんた、リーリカム?」
「そうだけどね」
 彼は操作パネルが埋め込まれたところにある座席に座った。
「ティリング艦隊で最も知的で凶悪な海賊の一人……」
「失礼な。噂は噂だ。真に受けない方が良いな。大体、カッコ悪いだろ、その代名詞」
「俺をティリングの元に連れて行ってくれ」
「話聞いてるのか? 大体、何も事情も知らないでハイというと思ってるのかよ?」
「なら、しばらく手伝って貰うという形で」
「金がでるんなら」
「誰が渡した艦隊を走行中だと思ってる?」
「知ったことじゃない。これは俺の指揮する艦隊が奪い取ったものだ」
 冷淡に応じつつ、艦隊のデータを確認する。
「……知ったことじゃない? 貴様なにを勘違いしてる? 俺を誰だと思っている?」
「どこの不良少女だ? どうせどっかの良いとこのが甘やかされて下手な遊びでもしてせいでここにいるんじゃねぇ?」
 少女はニヤリとした。
『当たらからずも遠からず。この子はそうだろうな。だが、今はシーウと呼べ。真名はタラント候だ』
 いきなりの自己紹介だった。
 それも間接神経網を使った。
 だが、リーリカムには効いた。。
「……タラントート……機渦海域に同名の奉られた神がいたが……」
『……そうだな。分かったなら、言う事を聞け』
 素早く頭を回転させたリーリカムは、一度鼻で笑う。自虐的に。
「楽しいねぇ」
 ニヤニヤした顔の彼は、航路を変えた。





 旧コーカル帝国が海に沈んだ隣の大陸は、イルファン朝王国が支配している。
 首都の近くにある港街ヴァーリィには旧コーカル帝国人たちが集まっている。正確には押し込められている。街並みも、狭い空間に違法建築物が塔のように乱立して道路もまるで路地の迷路と言って良く、治安も悪い。
 そんな一画に王国が認めたルグイン研究所が建っていた。旧名ルグイン総統府。
 ルグイン研究所はそれ自体が一つの街そのものである。
 旧コーカル帝国が大陸への出先機関として一個の都市そのものを支配していたのだが、その旧大陸が沈没した今や、イルファン朝の顧問機関として生き残っていた。
 その地理・戦史課主任には、新たにイブハーブ准将が就任している。
 二十八歳。長身でやや垂れ目。フロッグ・コートに灰色のスーツという制服姿。研究所の地理・戦史課は軍事顧問としての役割もあるために軍籍である。
 史料が机の上に乱雑といっていい散らかし方で放っておいている。
 椅子にだらりと座り、ぼんやりと天井のシーリングファンを眺めていた。
 ティムサ提督の輸送機関が襲われたと報告を受けた時、ただ単にやっぱりと言っただいけでもうティムサ提督もイルファン朝などもどうでも良かった。
 彼は別の男を提督として推していたのだが、主張が認められなかった為に完全にやる気を無くしていたのだ。
 自分の栄誉などには関心はないが、主張は認められたいという欲求だけは大きい。
 ルグイン研究所そのものには愛着はある。名前だけでも研究所、そして顧問機関である。
 ただ、存在を否定するようなやり方をされるのならば、向かう先への興味・関心というものの意味すら問いたくなるのだ。
『その態度には問題がある』
 頭の中に女性の声が響く。
『そうですかね?』
 どうでもよさそうに、研究所所長に返事をする。
『実はおまえ、悔しいのだろう?』
『ウチにはやることが多いのでねぇ。要機軸(ようきじく)の研究もありますし』
 要機軸とは、先代の地理・戦史課課長が残した機渦海の様々な記録である。それをまとめれば、旧コーカル帝国そのものの研究になる。
 旧コーカル帝国は五港という主な港を残して沈んだ。
 その五港も今はどこにあるかわからない。
『好奇心が強いのがおまえの実力を発揮できる元だろうがね。負けず嫌いにもほどがあるなぁ、相変らず。ところでお客が来ているぞ、コーヒーか紅茶でも準備しておけ』
 面倒くさいと思い、無視して椅子に座ったそのままで相手を待った。
 十分もしないでドアがノックされる。
 課員が開けると、スーツにリボンタイという二十前後の女性が立っていた。
「……ああ、おまえか。まぁ入って好きな椅子をどうぞ」
 イブハーブは呑気な声を放り投げてやった。
「イブ、すまなかった」
 第一声で、彼女は頭を下げてきた。
 一瞥をよこして、つい失笑する。
「おいおい、一国の宰相が簡単に卑屈になるな」
 イルファン朝廷の宰相ウークアーイーである。
 同時に、小さい頃は近所に住んでいた少女であり、暇があれば様々な遊びをしていた仲だった。
 ウークアーイーはイブハーブの近くに椅子を持ってきた。
「今回の人事上の事故は私の責任だ。それで……進退を決めて会いに来た」
 聞いたイブハーブは、溜め息をついた。
「一回や二回のミスで政治やめられたら、こっちもたまったもんじゃないんだわー。ミスも合理化して次の手を打つのが政治ってもんだろう?」
「だが、私はあんたの助言もきかずに事件の原因を作った」
「なら、結果良くなるようにしなよ?」
「わからないんだ。もう、どうしたらいいのか」
 ウークアーイーは椅子の上で小さくなっている。
「……今回の件で、おまえの責任を問う声がある。巻き込んでしまった」
 イブハーブは「あぁ」とだけ、納得した声を出す。
 何事かと思えば。巻き込んでしまったから職を辞めるという、二重の脅しで解決策を求めてきたのだ。
 ひねくれたもんだなぁと、嗤いを押さえて軽く考える。
 悪戯心がもたげた。
 ぼんやりと思考を巡らしてゆくと、個と個の複雑に絡んだモノがわいてきた。
「……機渦海の海賊たちへの組織的な討伐軍を動かすんだ。今の王には退いてもらう。戴冠式を行って新王の名で討伐するんだ。ただな、討伐軍は何度失敗してもそれを認めないで続けろ。途中撤退は認めるな。金はあんたのバックにいる会社から出させろ。そして借金という呪縛で大企業をまとめて朝廷の為に動かせて、自分たちの朝廷という認識を持たせろ」
「ま、まて……それはいくら何でも過激すぎないか? 上手く行くとも保障はない」
「これ以外におまえが権威を取り戻す方法はないね。やるか、死ぬかだ」
「死ぬ!?」
「おまえみたいに地盤のない成り上がりが、権力を手放したらどうなると思う?」
 困惑気に一瞬、黙る。
「現王には恩が……」
「政治屋さん相手には恩も仇もないよ。奴らは利害で動いてるだけの生き物だ。それにこの案なら、地盤を企業群に持つことができる」
 ウークアーイーは眉間に小さな皺を寄せた。小さく肩が震えている。
「……手伝って、くれないか?」
「あー、 ああ。任せな」
 思案気に窓の外を眺めながら、適当な口調でイブハーブは言った。
 なるほどなぁという気分である。
 ウークアーイーは、万が一の時の犠牲の羊を用意したかったらしい。
 どこまでも人を巻き込む。
 昔はこんなな性格だっただろうか?
 何にしろ元は自分の悪戯心が原因だ。
 こうして人は自分の首を絞めるのだと、イブハーブは自嘲する。。
 ただ、そんな場合なら場合で、考えがあるというものだ。
 この本当に案を実行に移すとき事実上、ルグインを巨大化させて朝廷から弾かれないようにする。
 彼にとってこの事実上のクーデターはルグイン研究所の権威を上げて、旧コーカル帝国民の地位向上にも繋がる積年の願いと言って良い。
 協力は十分にするつもりだ。
 狭い地域に押し込められた彼らは、このままではまるで将来の見えない状態にあった。
 イブハーブは正規の教育と訓練を受けて研究所に入ったものとは違い、先代の所長であるファガンという人物に拾われ、抜擢されて地理・戦史担当の第九、課の職員になったのだった。
 ファガンはある日突然、消息をくらませた。
 諜報部門の研究所第三課に捜索依頼をしているが、未だに足取りは掴めない。
 五港候という存在と何か関係があるという噂だが、五港候に関しての情報も乏しい。
 何しろルグイン研究所は長いこと冷や飯を食わされて資金的に常に赤字状態なのだ。
 おかげで大陸の闇組織と関係があると噂され、スキャンダル好きな民衆と官僚・閣僚が真に受けているために、さらに公の活動は縮小されつつある。
 ただイブハーブはここでの呑気で悠々自適な生活も悪くないとも思っていた。
 だが、近いうちに変わるざるを得ないだろう。
 自らの軽率な思い付きで幼馴染を弄ってしまったツケだ。
いまさら冗談だとも言えないなら、なるようになるだろう。
 こういう無責任なところが彼にはあった。
 そしていつも結果を鬱陶しがるのだ。
「俺も貿易商になろうかなぁ……」
 呑気に呟いたが、目の端に要機軸の断片の紙切れが入って来た。
 誰も己から逃れることはできない、と頭のどこからか言葉がわいてイブハーブ鼻を鳴らした。

 



 ウークアーイーが帰ると、イブハーブは一人の回線をつないで一人の人物を呼んだ。
 今度は大陸の慣例通り、課の扉を使用人のメイドが開けた。
 立っていたのは、どこかイブハーブと通じるものをもっていたのは、小柄で悪戯っぽい雰囲気をしたシーイナという少女だった。
 王国海軍の少将で、彼より階級が上だがお互いの態度は完全に真逆だった。
 旧帝国の参謀本部と言って良かった機関と、現職の軍の人間という複雑な関係のためだ。
 彼女は軍服を完全に自分用に改造していた。ミニスカートの下にハーフパンツを履き、スーツっぽさを出したジャケットは青を基調としている。
 礼をしてお茶を用意していたメイドに、結構ですと丁寧に断りの声を掛けてさがらせる。
「ちょっと急でしたねぇ。どうかしましたか?」
 どこかセリフを読むかのような言い方。
 目からは表情が見えず、その分、声質に感情が乗っている。
「ああ、今度機渦海の海賊討伐をするんだが、総指揮は君に執って貰いたい」
「またも急ですねぇ」
「以前、君を推薦したことがあるんだが、却下されててね。私は君を買っている。フリーハンドだ。全て任せるぞ」
「とか言って、自分は自分で動くんでしょ? ファガンの件もありますし」
「ああ、バレた?」
「見え見えです」
 シーイナはケラケラと笑った。
「まぁあれだ、討伐軍だけじゃファガンは排除できないからなぁ」
「昔の上司を追い込もうなんて酷い人ですね、あなたは」
「ことの話は全て彼から始まってるからね。要機軸なんてモンを造らなきゃ良かったんだ、あの人」
「戦略面のことはお好きに居どうぞ。私は戦術面でのフリーハンドがあればそれでいいので」
「お見通しだねぇ」
 イブハーブも釣られて笑う。
 さてとと言って、彼は椅子から立ち上がった。
「どこ行くんです?」
「飲みにね。たまにはやけ酒じゃない酒を一人で飲みたいんだ」
「どうぞ、ご自由に」
「ああ」





 ウークアーイーのおかげで考えを変えていた。
 外に出ると研究所付きの使用人と護衛が車で待っている。
 皆に閑をやり、自分の運転で寄り港に近いビルに入った。
 外観は薄汚れている古いレンガとコンクリートを使った、六階建のものだった。
 最上階までエレベーターで昇ると、十九号と書かれた部屋に入る。
 ここには、大陸風の使用人が一切いない。
 中は窓にサッシが降り、机が三つとぎっしりと詰め込まれた本棚が一つあるだけだった。
 大型封筒が置かれている机につき、中身を取り出す。
 イーベア提督艦隊襲撃報告と、一枚目に書かれていた。
 ページをめくって、戦闘経過を読み込む。
「ふうーん、なるほどねぇ」
 要は、艦列で作った防壁を砲撃の援護の元崩し、一点突破されたのだ。
 相手は小型艦とは言え、恐るべき速度と集中により大陸海軍が護衛をしていた輸送船を奪取したのだ。
 他の事例からも推測するに、彼らは敵戦力の撃滅という戦略を常に持っている。対して、イルファルン朝の海軍は、武装したシーレーンを確保するという方針を貫いてきた。
 海軍戦略的には、海賊たちは陸軍のものを使用して成功してきている。
 何しろ、彼らが根拠地としている五港は常に移動したり存在を消したりするという、厄介なものだ。
 加え、間接神経網と呼ばれるものと、彼らの白兵戦で主役になっているレプリカントである。
 大陸ではいずれもロスト・テクノロジーだ。
 しかし、要機軸にはそれらしき記述がある。未だ未研究のものだが。
 そもそも機渦海の旧コーカル帝国の資料が大陸には圧倒的に足りない。
 イブハーブは正規の教育を受けて研究所に入った者ではなかった。
 先代の課長であるファガンがいきなり課に配属したのだ。
 腐臭のする路地裏生活は身に染みるほどに記憶にある。
 彼は事実上のクーデターと機渦海討伐を成功させるつもりになっていた。
 狭い地域に押し込められた旧コーカル帝国人をイルファン朝の同じ人間として、いや、より権力と能力があると認めさせるのだ。



 

 思案しつつ、ビルを出て再び車を出す。
 港そばにあるの建物だ。
 十二階建てだが、吹き抜け状になっており、室内は草木で一杯だった。
 ビルそのものが山を覆った建物なのだ。
 ここは要機軸にも書かれた主機(しゆき)という「神のように状況を造る状システム」を内蔵させた、間接神経網の中心の一つだった。エンジンと言って良い。
 これと同じものが、機渦海には五基ある。
 五港との関連性を疑わせていた。
 あそこには巨大な主機がそびえていたという。
 イブハーブは主機をチェックした。
 やはり、稼働力が跳ねあがっている。
 間接神経網があらゆるところに侵入して、人間を取り込もうとしている。
「これは……懐かしい人が来たものです」
 主機司という、管理人が現れた。
 イブハーブは断片の集まりである要機軸のページをめくる。
 アーランリと記された項にチェックを入れる。
 旧コーカル帝国で信仰されていた神の一柱である。
 間接神経網に巣食う、情報塊だ。
「この主機の稼働は何時頃から?」
「んー、去年の終わりぐらいでしょうか」
 主機司が答えた。
「今は主にどのような記録が多いでしょうか?」
「機渦海の主機と頻繁に情報を交換しています。まるで、独立した知能の一つのようです」「成長と言って良いでしょうか、これは」
「いえ、目覚め、ですね。あまり良い兆候とは思えませんが」
「例えば?」
「信仰する者たちの帝国が無くなった以上、そこで奉られていた神は手枷足枷を外して野放しにされた状態です。異形が勝手に動き出すかもしれません」
 異形とは情報塊が人の意識の中に現れる通常とは違う現象を言う。
「動くとして、どのようになるか予想はつきますか?」
「流石にそこまでは」
「そうですか」
 イブハーブは建物から出て、空気を思い切り吸った。
 わずかに潮の香りがする。
 とにかく、要機軸に書かれている神である。
 何かの影響は起こすはずだった。
「ファガンさんよー、あんたどこにいるんだよ……」
 イブハーブは呟きでぼやいた。
 計画の不確定要素が、唯一ファガンという人物だったのだから。













第二章
 機渦海上にぽつりと存在する岩礁を基盤にした木造とカーボンの港街であるエトリーク。
 艦隊を引きつれて入港したとき、人々はその陣容に黙ってはいられなかった。
 捕虜は二千人近く。補給船は百隻。
 何年に一度かの圧倒的略奪量だった。
「ティリングのところには行かないの?」
 シーウは艦長室から出てこないリーリカムに尋ねた。
「行くさ。ここで荷をさばいて、艦隊を間接神経網に取り込めば」
「警戒しているだなぁ」
「というか、この護衛艦隊は個人的に頂く」
 淡々とリーリカムは言う。
「リーリカム、ちょっと」
 トーポリーが顔を覗きこむようにして、外に誘う。
 垂れ目に感情を込めないようにしつつ、彼はトーポリーについて行った。
 戦艦の後甲板に出た二人は、潮風に当たった。
「ティリングのことだけどさ。最近変というか、様子がいつもと違う」
「ああ、そうだな。いつものことだと思っているけども」
 リーリカムは否定しなかった。少し考えてからトーポリーは続けた。
「原因はよくわからない。この艦隊をどうするつもりか知らないけど、今回は全てそのままティリングのところに持っていくのが賢明じゃないかな? 」
 不敵な垂れ目が向けられた。
「それで何が解決する?」
 静かだが確固たる芯のある言葉に、トーポリーは思わず一瞬黙ったが、今度は別の糸口から食いこもうとする。
「間接神経塔を造ろうという理由は?」
「ティリングが変なのわかってんだろう。何時も変だが、今回はちょっと違う」
「何か関係があるのか?」
「ティリングをハッキングする」
「……正気か?」
「正気だとも。それであいつが変になった理由を突き止めて、打開策を練る」
 トーポリーは深い息を吐いた。
「……そういう事は、幹部会で決めようぜ?」
「そんなことをしてみろ。誰かがティリングを廃人になるまで弄りまわして、自分が代わりになろうとしかねない。まぁ、それは極端な話だがティリング艦隊の結束が緩む」
「まぁ、可能性はある」
 ティリイグ艦隊は機渦海の三大勢力の一つだった。今、ティリイグに何かがあったら、その部下たちが崩れたバランスの犠牲者になるだろう。
 やれやれと息を吐いた彼女は、改めてリーリカムを見つめた。
「なんか今日はあんたらしくないな、いい意味で」
 鼻を鳴らし、リーリカムは視線を街の遠くにやった。
「リーリカムといえば、鬼神も恐れる破壊の帝王じゃなかったっけか? 港破壊や都市住民虐殺とか平気でやってたろ?」
「あー、そうだっけか?」
「で、あの子はどうする?」
「しばらくこっちで預かっておくよ」
「やっぱり変わったねぇ」
 クスクスと笑う。
 リーリカムはそれに軽い舌打ちで答えただけだった。





 リーリカムはシーウを後部座席に乗せ、ともに高速艇でエトリークを出る。。
 翼をもつ機体は流線形をして、最大五百ノットで海上を飛ぶものだった。
 シーウは明らかに発する言葉がなくなっている。
「どうした?」
 聞いておきながら、リーリカムには優しさの欠片もない雰囲気だった。
 反応がないので、間接神経網を使おうとする。
「あー……何を覗き見みたいなことしようとしてんだよ、スケベ」
 鬱陶しそうにやっと不機嫌に応じる。
「ガキがほざくな。で、言ってみろ?」
 シーウは唸り声を一つ上げた。
「……ルレン港にいくんだろ? あそこの鎮護神、あまり仲良くないんだわ」
「……なるほど」
 そう頷くと、以降リーリカムは口を閉じた。
 つまりはこれでシーウが主張する自身が神であるという誇大妄想じみた言葉を証明する機会にもなりそうである。
「ちょっと待てよ、それだけ!? 聞いておいてそれだけなの!?」
 後部から初めての怒鳴り声が返ってきた。
「あー、はいはい」
 リーリカムは間接神経網にアクセスした。
 意識が一瞬塵のようになり、再構築されると自分という境界を持つ一個の球体となっていた。   
 光球が無数に浮かび、それぞれが幾本ものラインで繋がっている。
 リーリカムはラインを継いで移動した。
 一つの光球を飲み込み、そのまま手繰ってゆく。
 やがて、ひときわ巨大な発光が意識の境界面にとどいた。
 通常よりも十倍はある光球だった。
 ラインを伸ばし、接触する。
『ルレン……』
 相手の名前を呼ぶ。
 ラインが震え、一気に重力じみた圧力と言って良い波の衝撃が放たれてきた。
 リーリカムは素早く受け流すようにライン上を舞い、周りから離れないでいた。
 この衝撃はルレンの意図したものではないことを知っているので、もう一度名前を呼び、反応を待った。
『おや、これは珍しいな。おまえがわざわざ私を尋ねるとは』
 声は轟音のようだった。
 それも意図外のものだろう。
 出力が凄まじい量なのだ。
『見ない間に随分な姿になったもんだな。ついでに余計なもん、持ってきてるぞ?』
『それはいいんだけどよー、ちょっとあんたんとこに別の神格が入るから勘弁してやってくれないか? ルレン候閣下』
『……ほう、脅す気か?』
 ルレンは、リーリカムが抱えた「よけいなもの」を察していた。
 彼の力を現実で使わせるためにいる祭司の光球だ。
『別に。何も考えちゃいないよ。人間ごときが神格相手になにかしようなんて、おこがましいものなぁ』  
『……相手の真名は?』
『タラントート』
 一瞬の間があり、重圧がきつくなる。
『……珍しいことは重なるな。本物か。まぁいいだろう、わかった』
 ルレンはリーリカムにかけていた圧力をすべて解除した。
 本物と認められた。
『素直で良い子だなぁ、ルレン候は』
 リーリカムがにやけると再び重圧が掛かり、光球を造っている粒子が砕けそうになる。
『喰われたいか? 人間ごときが』
 低いが轟くような呟きだ。
『喰ってみろよ、発条仕掛けもどきが』
『随分とタラントート候を可愛がっているようだな? あいつはおまえが思ってるようなものと違うぞ?』
『黙れ』
 言い捨て、リーリカムはそこから離れた。
 操縦はマルチタスクでやっていたのだが、集中度は現実の操縦に戻っていた。
「……楽しいねぇ、こういうの」
 ちらりとシーウを一瞥した。
 五歳ぐらい年下の少女は、真剣な表情で彼の反応を待っていた。
 内心で笑ってしまった。
「処理したよ」
 誇るように鼻を鳴らしつつ、口元を偽悪的に歪めた。
 瞬間だけ、少女は輝くような喜びの表情を見せたが、すぐにまた醒めた顔に戻り、頷いた。
「さすが」
「だろ?」
 今度は二人で笑いあった。





 凪の洋上に浮かんだルレン港は比較対象が無いせいか遠くからでも、巨大な城塞としてそびえて見える。
 近づくと、それが勘違いと気付くだろう。
 ルレン港は、あらゆる大陸風艦船が合体した集合体の都市だった。
 港に入るといかにも乱雑な雰囲気が伝わってくる。
 管制塔の誘導を受けて、底部の構造によって浅い桟橋に接舷する。
「汚ったねぇ」
 ブーツで鉄筋の港を歩きつつ、シーウは軽く顔をしかめた。
 確かに、潮風から漂ってくる空気は若干生臭い。
 リーリカムは無言でゆったりと進み、街の一画を横通る。
 もはや何をしているのかという、昼間から狂乱の繁華街だった。
 酒を飲むもの、踊るもの、パフォーマーのなかに、ガラクタを売る露天商に混じって高級貴金属の専門店や服屋、食堂などが混在している。活気に満ちているというには、無秩序すぎた。
 裏通りにはいると、ガラリと一気に落ち着く。
 屋根なのか何かよくわからない構造の建物が密集しているのは変わらないが、静かな通行人がチラホラするだけでたまに小奇麗なショップが建っていた。
 さらに入り組んだ中に折れると、雑多な人々が集まっている建物がある。
 小さなルレン交易会社という半ば錆びついた看板が張られていた。
 リーリカムに気が付くと、彼らは一礼する。
「……あいつはいるか?」
「ティリング提督なら奥に……」
 返事が困惑気で、何かあるというのがわかった。
 ロクに電灯もついていない廊下を目的の部屋に向かう。
 その光景を目の前で見ても、リーリカムは無言だった。
 一人の男が椅子に鎖で手足を縛られて、交易会社を名乗るティリイグの部下の幹部たちが集まっていた。
 トーポリーもいる
「…遅いぞ、リーリカム……」
 やや釣り眼がちの勝気そうな少女が陽気な雰囲気で椅子のそばに立っていた。
 髪はコーンローにして細いドレッドを腰近くまで垂らしている。タンクトップに、切れ目が何本も鈴のついた太いベルトまでいれられたフレアスカート。覗いた細い脚の下はサンダルである。
 機渦海の海賊の司令官のティリングでだった。
「トロイビーをどうするつもり?」
 皆が静まっている中、敢えてリーリカムは聞いた。
「決まってる。こいつは我々を裏切った。敵勢力に情報を売ったんだよ。あたしの脳を覗いてな!」
 一瞬、リーリカムは冷や汗がでるところだった。
「証拠は?」
 ティリングにニヤリと口だけ笑んで、自分の頭を指先で突いた。
「この中さ」
「……リーリカム」
 男は怒りを振り絞るように彼を見て、声を出した。
 トロイビー。第七番艦隊の提督だ。
 リーリカムは改めてティリングに向き直った。
「……忙しそうだが、俺の話はどうなった?」
「……ああ、約束通りディビオの輸送船を襲ったそうだな」
 どこから得たのか、もう情報は伝わっているようだった。  
「あんたの言ったとおりにね」
「どうして?」
「あ?」
「おまえの小艦隊がどうしてディビオみたいな大型輸送船団の襲撃に成功するんだ?」
 睨んでくる。
 平然と受け止めたリーリカムは鼻で笑った。
「それをやったんだだから、組織上げての歓迎会でもしてもらおうか、ティリング?」
「そのガキはなんだ?」
「ああ、てめぇには関係ないね」
「……おめーも、そのガキも座って貰おうか?」
 シーウは何とも思ってないかのように、ティリングをぼんやり眺めていた。
「説明願おうか?」
 リーリカムは露骨に殺気を放つ。
「それはこっちのセリフだ。おめーの行動に何一つ説明してもらってない」
「自明の理だ。わからないてめぇが相変らず頭悪いんだよ」
 トーポリーは絶望しかけて歪んだ笑いを見せた。
 最悪だ。
「貴様がティリングか?」
 シーウがロクに空気も読まずに声を出した。
 ティリングは、青い髪にメッシュを入れた小柄な少女を上から下まで眺めた。
「あ?」
「俺ははシーウ。貴様に依頼すべく来た」
「言葉が色々とめちゃくちゃだな、嬢ちゃん。で、どのような?」
 ティリングは苛立っているのを隠しもしない。
「貴様に五港を鎮めて貰いたい」
「あー、誰だこんな時に、訳わからねぇガキ連れてきたのは?」
「リーリカム提督だ。提督にはすでに了承ずみだ」
 聞いてない。
 リーリカムが抗議の声を上げようとした時、ティリングの怒鳴り声が響いた。
「なら、リーリカムに頼め! コイツはたった今から暇になったんだからなぁ!」
 その時に警報が鳴った。と、同時に足元が軽く揺れる。
「何事だ!?」
 ティリングが叫び、真っ先に建物を出た。   
 
 

 

「あははははは! 楽しい! さあ、次々ー!」
 艦上で嬌声を上げたのは、十代後半の少年に見えた。
 ルレンにある三か所の港のうち、一つは火の海だった。
 六十門艦が、港都市に突如現れて砲撃したのだ。
 それも、通常弾とは思えない威力の。
 艦は別の港口前まで来ていた。
「……うるさいぞ、ケム。はしゃいでないで、さっさと攻撃させろ」
 静かに言ったのは、二十代の女性だった。
 大陸風のコートの下に、旧コーカル帝国特有の柄が浮かんだロングシャツを着て、七丈のふわりとしたズボン。
 髪は一見ショートカット風だが、後ろだけ一本結んで腰まで垂らしている。
「はいよー! 全員攻撃用意、出来次第、撃て!」
 言われたケムは、勢いよく命令を下した。コートそのものを上着にしたような大きな上衣を着ている。手足は細く、背丈も小柄だ。
 正直、性別がよくわからない。
 艦に響く砲撃が始まり、港の各所で爆発が起こった。
 港内の艦船が脱出を試みる。
 艦橋でケムはテビリカの反応を待つ。
「放っておけ。目標のうちに入っていない」
「万が一が……」
「知らないね」
 言い放ったテビリカは、満足するように港の状態を眺めている。
 榴弾砲は思った以上の威力を発揮していた。
 港の建築物が次々と爆発で崩壊してゆく。
「……何だ? 哨戒線を突破してきただと?」
 港まで来たティリングは、あまりの急な攻撃でさらに怒りをわかせていた。
「へへへ、楽しいねえ……」
 流石に小声で、リーリカムは呟いた。
 鉄筋が曲がり、木造りの構造物が吹き飛び燃えている。
 人々は混乱して、騒ぐばかりだ。
 ティリングの艦隊で出る者は一人もいなかった。
「コーリオ、第一番艦隊と第二番艦隊で奴を迎撃しろ!」
 ティリイグは怒りを不敵な笑いに変換させて命令した。
 早速、提督たちが間接神経網を使い、艦に指令を与える。
 格納庫が地響きといっていい揺れを見せ、やがて、組み上げられた武骨なまでの巨大な砲身がそそり立った。指令を受けた工築艦によって改造された砲艦の塊である砲身だった。
 ゆっくりと旋回して標準を港外の軍艦に向ける。
 鉄の筒は震えて、地響きにもにた轟音とともに巨大な砲弾を放った。
「三時半の方角から砲撃!」
 ケムは叫んだ。
 と、同時に艦の右舷のそばで三十メートル以上ある水柱が上がった。
「第二派くるよ!」
 テビリカは無表情で頷いた。
「これは無理だな。撤収するぞ」 
 感情のない声で宣言した。
 今度は左舷で水柱が上がる。
 黙ってこのまま進めば三発目は確実に当たる。
 テビリカは艦首を旋回させて、一気にルレン港から脱出した。
 水上都市は大いに混乱していた。
 ティリングの元に、港主と思われる男が眉間に皺を寄せて現れる。
「どういう事ですかな、ティリングさん?」
 静かだがその分、迫力があった。
 ティリングは鼻を鳴らした。
「裏切りですよ」
「そうですか。何にしても、余計な騒ぎは困るのですがね?」
「今処理します」
 言った彼女は、リーリカムの方を向いた。
「おめーが奴を誘導した。今の艦は明らかにおめーを追って来たんだ。大陸に通じてるだろう? 殺さないでやる。その代わり、永久に機渦海からは追放だ。そのガキもな」
 司令官の命令は絶対だった。
 リーリカムは何も言わず、その場から背を向けた。
 シーウも黙ってついて来る。
 一片の感傷もなく、ただただ淡々と。





 大陸のイルファン王国では、騒ぎが起こっていた。。
 宰相ウークアーイーが衛兵を連れて宮廷に突入し、現王シタリを拘束したのだ。
「貴様……どういうつもり!?」
 四十四歳だが、細身のシタリは衛兵に取り押さえられつつ、ウークアーイーを睨んだ。
「陛下、あなたが機渦海に対して無策なのが悪いのですよ」
 ウークアーイーは努めて冷たく言い放ってみせた。
 そして、宰相服に身を包んだ彼女は凛としては新王として十四歳のロシタを戴冠させ、文武百官を宮廷庭に集めた。
 ウークアーイーの隣には、一見無表情なルグイン研究所のイブハーブとディビオ交易商会の幹部ルジアルが控えていた。
「……いやぁ、これで我らの天下ですなぁ」
 ルジアルは小声だが、陽気に隣のイブハーブに言った。
 二十四歳のこのイルファルン付き支社長は顔つきも若く、雰囲気に影がない。
 所長から全権を委託されたイブハーブは不愛想に小さくうなづく。
 正直、この男を好きになれないのだ。
「良いか、これより新王ロシタ陛下の名の元、我がイルファン王国は機渦海を領土に加え、新しく機渦県となずける。総督はシーイナ提督である」
 立ち上がった白い肌の少女は、この事態に涼し気な様子だった。
「この身の全知全能を掛けまして、任のために命を投げ打つ覚悟です」
 シーイナはそよ風のような声で言った。
 頷いたウークアーイーは、新しい人事を迷うことなく次々と発表してゆき、百官を下がらせた。





「あー、嫌だ嫌だ」
 ぼやいたのは、イブハーブだった。
 言い出しっぺのくせに、今回の政変の中心に居ることに嫌悪を感じているのだ。
 そんな彼を見て、シーイナは笑った。
「いやぁ、王国に名を残す事件でしたよ」
 敢えて煽る。
「止めてくれよ、俺は要機軸だけに関わっていれば満足なんだ。ルグイン全権なんて柄じゃない。大体、これが失敗したら首が飛ぶなんて話じゃすまないじゃないか」
 イブハーブは現実を前にして、本音がでたのだった。
 そのくせ、期待に胸をわかせているという矛盾ぶりだった。
「それなら、私に任せてください」
 宮廷の外宮にある部屋である。
 テーブルには、ウーロン茶が置かれていた。
 今頃、ウークアーイーは事務処理に殺忙されているだろう。
 本来ならシーイナも忙しいはずなのに、呑気にイブハーブと一緒にお茶を飲んでいる。
「……聞きたいのですがね?」
「どうぞ?」
「どうして私を対海賊のトップに据えたのですか?」
 シーイナは名門ではあるが、先代の不祥事により中央から遠ざけられた存在だった。
 礼儀正しさが自然に身についた、少女ながらの武人とは思えない爽やかさな印象を与える。
 イブハーブはお茶を一口飲んだ。
「君の先代のキジカ氏はウチのルグイン研究所の理解者でね。機渦海のことを色々教えてくれた。その娘は密貿易を一度も見つからずに生業としているということじゃないか。これ以上の人材はいるかい?」
 シーイナは快活に笑った。
「あれれ。これはこれは……把握しておりましたか」
「まぁねぇ。ただ警戒すべきは、海賊どもの背後にいる旧コーカル帝国の旧神どもだ。その中でも、間接神経網を使った現象には気をつけてほしい。わかっていると思けど」
「ええ、存じて上げます。で、私はどちらを主に?」
「海賊メインで。旧神たちはこちらで調べ、処理する。その指示はするよ」
「わかりました」
 さてとと言って、イブハーブは立ち上がった。
「色々忙しくなるなぁ」
 ぼやきにもたのしさにも取れる言葉だった。





 レアル港を出たリーリカムは、艦隊をゆっくりと移動させて艦の上に片膝を立てていた。
「いやぁ、楽しいもんだ。さて、どうすっかねぇ……」
 ぽつりとつぶやく。
「何だよ、考え無しかよ?」
 そばで寝ころんでいたシーウが半ば呆れたような声を出す。
 明らかに不機嫌だ。
「ちげーよ。大体は決まってるんだよ。おまえだって、ティリング相手にあのザマじゃねぇか。連れて行ってやったのに」
「ああ、あれはもうダメだとおもったからな。これからはあんたを頼むわ」
 考えの見通せない目でシーウは言った。
 リーリカムは何か考えた風だったが、はシーウに顔を向け指を顔にさした。
「あんたなぁ?」
「……俺?」
「そう、あんただ。何者だ、おまえ?」
 細かい疑問の言葉を抜き、単純に聞いた。
 シーウは小さく、意味ありげに笑った。
「……十分察しはついてるだろう?」
「おまえの口から聞きたいね」
 あんたからおまえに変わっていたが、本人は気付いてないらしい。
 シーウはゆっくりと小柄な上身を起こし、リーリカムに向き直った。
「……重要かい?」
「ああ」
「なら、言わなーい」
 再び、ゴロリと寝ころんだ。
 ガキが……
「どっちにしろ、俺はおまえを利用させてもらうけどな」
「いいよ? 利用できるもんなら」
 シーウは意味ありげに笑む。
「艦隊の制御と人の殺し方を教えてもらいたい」
 リーリカムは鼻を鳴らし、艦隊の速度を上げた。
 半日もたたず、夕日に赤く照らされた海上に目的の港が見えてくる。
 港と言っても、城が一つ浮かんでいるだけだ。
 それを見たシーウは、不機嫌になったようだが何も言わない。
 見知らぬ艦が一隻、桟橋に付けられていた。旗がない。
 小型の巡洋艦らしいが、装備が簡易で漆黒に塗られていた。見覚えがある。
 ルレンを襲った艦だ。
「……ならなぁ、早速レッスンしようかね」
 リーリカムは艦隊を艦の西側の三十キロ地点に置き、旗艦だけで城に近づく。
 城壁のない、星型の城に旗艦を付け、シーウとともに降り立つ。
「いるかーい?」
 静かな、樹々が植えられた中で、リーリカムは無警戒に声を上げた。
「……これはこれはリーリカム様、よくぞお越しで」
 執事風の服を着た老人が、彼らを迎えた。
「閣下は今、お客様と面会中です」
「あれか?」
 リーリカムは巡洋艦をちらりと見た。
「はい……」
 聞くと、リーリカムは相手を無視して進み始めた。シーウもついてゆく。
 執事風の老人は敢えて止めなかった。
 複雑な通路を真っすぐ歩き、明かりのついている客間まで来た。
 そこには、少女が二人、椅子に座って談笑していた。
 いや、談笑というには、冷ややかだが。
 一方は見慣れている。細い眼で脇の髪を伸ばし、裾の長い黒を基調とした服を着た、余裕のある態度。
 椅子に肩肘を掛けて、すっかりリラックスしている風だ。
 もう一人は、コートに旧コーカル帝国風の大き目のシャツ、七丈のズボン姿で堂々と座っていた。
「誰か知らんが、密談かい?」
 リーリカムは迷うことなく、正面から部屋に入っていった。
 二人が彼の方に顔を向ける。
「おや、除け者がどこ行ったと思ったら、私のところに来たか」
 ロイープは笑った。
「は? あんたを助けてやろうと思って来ただけだよ?」
「よく言う。まぁ、それならそれでも構わんが」
 彼女の笑い方は快活だ。裏表がない。
「……失礼ですが、どちら様で?」
 残された少女の声は低く、どこか殺気を押し殺している雰囲気があった。
「彼は、リーリカム提督だよ。ティリング司令官の部下だったことで有名な」
「……こと? まぁいいでしょう。はじめまして、私はテビリカ。ルグイン研究所第六課の者です」
「六課……だと?」
 神祇専門の部署だ。本来、ディビオ交易商会の人間だが、ルグイン研究所のところに出向している部門である。
「五港候代理、この場をお借りしてもよろしいですか?」
「構わんよ」
 いたって能天気な返事だった。
「リーリカム提督にちょうど用があったのですよ。一仕事させてもらいます」
 席をゆっくりと立つかと思うと瞬時に速度が上がり、リーリカムの眼前まで来ていた。
 袖の長い腕から鉄の太い針を二本握り、下からからえぐるように突き上げてくる。
 間一髪、後ろに引いたリーリカムは、懐から黒いリヴォルバーをだして狙いを定める。
 引き金を引く時にはすでにテビリカは射線からずれていた。
 だがそれを目くらまし代わりにして、接近してきた彼女の顎を下から蹴った。
 一瞬のけぞったが、まるでダメージがないかのようにそのまま鉄棒を顔面に突きつけてきた。
 リーリカムは拳銃を持たない腕で払うが蹴り弾かれて、逆の拳で左の頬を思い切り殴られた。
 よろけた彼に再び鉄針が狙ってくる。
 素早く態勢を整えたリーリカムは彼女の手首を取り、捩じ上げた。
 テビリカは、大きく腿を上げてリーリカムの顔面に蹴りを入れて、手を離させた。
 距離を取り、だらりとと両腕を垂れて不敵な笑みとともに彼を睨む。
 リーリカムは肌がざわつくを感じた。
 来た。
 水滴が天井からぽたりぽたりと、垂れてくる。
 室内に水蒸気が溢れる。
 途端に、リーリカムの喉が水にあふれ呼吸が出来なくなった。
 間接神経網による、環境操作だ。
 もがくことなくリーリカムは停まった呼吸と激しい動悸に耐えて、振るえる手で白銀のリヴォルバーを腰の裏から新たに握った。
 飛び込んできたテビリカの太い鉄針が左肩口に浅く入った時、乱暴にその細い身体ごと払い、引き金を引く。
 カチリと、撃鉄が降りた。
 迷わず、テビリカに馬乗りになる。
 途端、室内の水分が一気に消えた。
 間接神経網を現実と切り離したのだ。
 彼の新しいリヴォルバーは機渦海の技術による発生・切断機だった。
 彼女の脇腹にえぐるように銃口を突きつける。
「殺すぞ?」
 耳元で囁く。
 テビリカは思わず、抵抗をやめた。
「……お手並みは堪能させていただきましたよ」
 彼女は、低く嗤った。
 ここで終わりかと思うと、彼女は急に現実とは思えない不気味で邪悪めいた身震いするような雰囲気をまとった。
「……あなたには、ここで滅してもらいます」
 リーリカムに乗られ、力なく床に寝そべったままの彼女は言った。
「……ふぅーん、楽しいねぇ。おまえをとっ捕まえりゃこの騒動が何かわかるってもんだな?」
「……余裕ですな」
「ちょっと待て……」
 二人が振り向くと、眼の座ったショートカットで大き目のシャツを着た少女が殺気もあらわに立っていた。
「こちらは?」
 テビリカは、リーリカムもシーウも無視して、丁寧にロイーブに尋ねた。
「……知りませんなぁ」
 彼女はとぼける。
「おまえ、人のもんに手を出してタダで済むと思ってるのか?」
 シーウは言うと、テビリカの周りで爆発が起こった。
 明らかに間接神経網からの攻撃だ。
 リーリカムは飛びのいていた。
 テビリカは防壁を張り、射撃位置を探る。
 動きは速かった。もう彼女ははシーウの背後に回っており、鉄針が彼女の背を襲う。
 シーウは何とか回避したところで距離を取り、再びテビリカの周囲で爆発を起こした。
 空間ごと破裂し、テビリカの身体は四方に引きちぎられそうになる。
「これはこれは……」
 苦し気に息を回復させつつ、ロイーブは関心した声を上げる。
 リーリカムも呆れてかけたような笑みをみせていた。
 六課と言えば、対間接神経網網のプロである。シーウという少女はそれと同等の戦いを見せているのだ。     
 身体を回転させて、爆発の壁から脱したテビリカは、一息入れて少女を睨んだ。
 一見、どこにでもいるような、反抗的な無表情な相手だ。
 間接神経網での光球にも変わったところはない。
 再び、部屋に水滴が垂れた時時、ロイーブの片手が軽く上がった。
「そこまでです」
 二人の少女は顔を向けた。
 リーリカムはいつの間にか椅子に座って観戦していた。。
「邪魔しないでいただきたい」
「ケムと言いましたか、出てきてください」
 手をふる少年が窓の縁に腰かけていて、やっとリーリカムたちは気づく。
 間接神経網の攻撃は、彼が主犯なのだ。
「ここでの争いじみた遊戯はもう終わりです。これ以上やりたいのなら、外でお願いしますよ」
 柔らかな口調だが、断固とした雰囲気があった。
 テビリカは表情も変えず、座り直す。
「やってくれんじゃねぇかよ。てめぇの手の内は見せねぇのか。忘れねぇからなぁ……」
 ヘラヘラとした笑みでリーリカムが言うが、無視される。
「で、リーリカムは突然、何の御用向きですか?」
 肩口の傷を無視して、フンと笑う。
「……提案が二つある。一つは今思いついた」
「ほう……」
 ロイーブは紅茶を口にしつつ、話を聞いていた。
「一つは公代理、あんた絡みだ。この際、俺は五港候を復活させる。お墨付きをもらいたい」
 シーウからの冷たい視線が刺さるが知ったことではなかった。
「ほほぅ……」    
 テビリカは細い目をさらに細くした。
「今、そのような行為に出て何か利でも?」
「守銭奴みたいなこと言ってるんじゃねぇよ。聞いた話じゃ、大陸は本格的に機渦海の討伐に動くそうじゃねぇか。なら、いっそこちらも圧倒して眼にもの見せてやるのも面白れんじゃねぇの?」
「相変らず、情報が早い」
 テビリカは苦笑した。
 ロイープは無作法に頭を掻いた。
「だがね、保障はやれない。その代わり、できるものならやってみろ、というところかな?」
-リーリカムはぼんやりと聞きつつ、鼻で笑った。
「……十分だ」
「で、もう一つは?」
「ロイーブさんよ、あんたに関わることだ。紹介しよう、トロイビー。ティリングの元部下だ」
 ここでリーリカムは、悪い笑みを浮かべた。





 シーイナの出港は予定より一か月早かった。
 これはイブハーブが用意していた賜物である。
 ウークアーイーは日々、悪夢にうなされていた。
 ヴァリエーションは幾つもあるが、最終的には八つ裂きにあうという生々しいもので、眠るときは睡眠導入剤を使うほどになっていた。
 耐え切れず彼は宮廷の祭司を呼び、原因を訪ねた。
 祭司はクートロアという、代々イルファンの神に仕えているものだった。
 顔色が悪いが長身痩躯。コートに軍服というおよそ神祇関係者とは思えない様相をしている。事実、彼は軍籍にあり、大佐の階級を持つ。
「アーランリの怒りかと存じ上げます」
 低い響くような声で、短く答えた。 -
  アーランリとはイルファルン代々の主神である。
 ただ、元々旧コーカル帝国の主機で、その制御の方法は定かではない。
 唯一、間接的に扱えるのが、クートロア祭司である。
「怒りだと? 私が何をしたというのか?」
「元々、アーランリは旧コーカル帝国の主神。閣下が軍を起こしたことに対して、不満を持っているのかと」
 ウークアーイーは舌打ちした。
 そ時に彼は呼ばれた。
 何でも、ディビオ商会の軍事部門関係者が用だという。
 宮廷の客間に通し、直ちに面会した。
 相手はショートカットに後頭部の下に一本だけ三つ編みをした、二十前後の女性だった。
 異様に威圧的な雰囲気で、堂々としている。
 脇に、髪をなでつけたどこか表情の暗い男が立っている。
「用とは?」
 ウークアーイーは単刀直入に聞いた。
 余計な言葉を扱う雰囲気ではなかったのだ。
「……私に私掠免状を与えてもらいたい。今、機渦海の海賊どもは統制を失っています。私がそれらをまとめ上げて、旧コーカル帝国をまとめ上げましょう。ちょうど、ティリイグの部下を篭絡しました」
 ウークアーイーは彼女の背後にいる男にちらりと視線をやって、素早く頭を巡らした。
 イブハーブのいう通りにシーイナを使っているが、彼が失態を犯した場合、責任は自分に来る。
 何度失敗してもとイブハーブは言うが限度を超えた場合、どうにもならない。
 なによりも体調に加え、権力者となった彼は猜疑深くなっていた。
 保険は必要か……
「良いだろう。その代わり、ディビオを通すとは言え、貴様は私の直轄の指揮にはいりたまえ」
「御意」
 女性の眼光は怪しく光った。





 シーイナは戦艦十隻、巡洋艦四十五隻、駆逐艦百隻で兵員一万五千人の先発隊を派遣していた。
 これに、左右、後衛艦隊が続く。
 目的地はレアルだった。
 イブバーブによって位置は確認してあった。
 ここを制圧すれば、移動する港都市の航路が手に入る。
 機渦海は真っ青で艦隊の煙が濛々と空の微風に流れてゆく。
 相変らず、なにもないところでは凪の海だ。
 指揮は、シーイナ自ら行っていた。
 レアルでは、ティリイグがイルファンの動向を把握していた。
 冷ややかな港主を無視して、彼女は迎撃を決めた。
「景気付けだ、皆一杯の酒を飲んで置け! 海の神は飲んべぇだぜ?」
 艦隊諸提督に向かって、彼女は酒場でグラスにウィスキーをなみなみと注ぎ、掲げて一気に飲み干した。
 レアルに駐留していた、第一番艦隊、第二番艦隊、第六番艦隊、第十二番艦隊の四艦隊が、提督の指揮の元出航した。
 第一番艦隊は突撃艦百、砲艦七百、工築艦百、第二番艦隊は突撃艦五百、砲艦七百、工築艦五百、第六番艦隊は突撃艦五百、砲艦二千、工築艦五百。第十二番艦隊は突撃艦五百、砲艦五百、工築艦七百である。
 トーポリーは第十二艦隊を率いつつ、ティリングの様子を心配していた。
 最近、彼女はぼんやりするかと思いきや、急に癇癪を起すなど情緒が不安定だった。
 指揮に影響がでなければいいが。
 一方のティリイグはビージリーという第二艦隊の提督をそばに、突撃艦上に立っていた。
 ビージリーは武闘派である。突撃艦の指揮には定評がある。
 しかもまだ歳はティリングより二個ほど年上の十八歳だった。
 ぼんやりとした顔で、まるで緊張感がない。
 腰には二尺三寸の刀を履き、反対側には長い鎖を巻いて垂らしていた。
 当面の作戦は出航前に決まっていた。あとはその場その場という定例通りだ。
 どっちにしろ、機渦海の艦艇の戦いは一撃離脱であるが。
 シーイナは北東の方面に機渦海の艦艇、五百ほどを先行巡洋戦隊によって確認した。
「駆逐艦五百でもって警戒、進路このまま」
 彼は、囮である可能性を考えて手堅く指示した。
 機渦海の艦艇と大陸の艦では、大きさが五倍は違う。
 駆逐艦でも数があれば十分対処できるはずだ。
「砲撃、来ます!」
「回避運動! 砲撃地点を特定しろ!」
「北東、東、東東南、距離千です!」
 いつもの砲艦による半方位という機渦海艦艇の戦術だ。
 距離が千ならまだ精密砲撃とは言えない。それをこの距離で手の内を晒してくるというのは、何かあるのだ。 
「東に全速前進」
 シーイナは敢えて砲撃線のなかに飛び込もうとした。
 ここで、砲艦を拘束でもできれば、他艦隊が迂回して捕縛できる。
 さらに言えば、彼の艦は今までの通常艦艇とは違う。
 ルグイン研究所で、イブハーブが長年建造に努めていた特殊艦艇である。
「陣形、W型。煙幕を張れ」
 シーイナは移動させつつ、陣形を変えるという高等技術を見せた。
 これには、ティリイグも驚いた。
 鈍重な大陸艦が整然と海の上を滑るようにしてその位置を変換したのだ。
 同時に自艦隊を煙の中に入れて、攻撃の標準を攪乱している。
 だが、それだけのことだった。
 シーイナ艦隊は、罠に陥っている。
 東側にいる艦は、前衛で、その後ろに全艦隊がまとめた砲艦が半円を描いて待機しているのだ。
 前衛は、観測部隊の役割も果たしていた。
 そうとは知らない、シーイナは、網に突入してくる。
 ティリイグは艦の上で、哄笑を立てた。
「さあ、テルラの出番はないぞ。海はわれらのものだ! 陸の連中に酒入りの機渦海の高波を浴びせてやれ!」
 トーポリーは思った。
 やはり違う。
 ティリイグは以前、このように口数の多い少女ではなかった。 
 シーイナ艦隊は散発的な砲撃網を突破してきた。
「ひきつけろ、距離三百まで待て!」
 ティリングはじっとシーイナの横に開いた艦艇を見つめつつ、指示を下した。
 六百、五百、四百。
「撃て!」
 砲艦一隻十門の計二万二千門が一斉に砲火を吹いた。
「至近距離、敵弾多数来ます!」
 シーイナは単純な罠に嵌ったのを知った。
「全艦、沈降!」
 圧倒的な砲撃で殲滅するはずだったティリング艦隊の砲撃は、ことごとく空を切った。
「目標、視界から消えました!」
 司令部のオペレーターが、ティリイグに驚きの声とともに報告する。
 艦艇が突如、据えていた標準から消えたのだ。
 ターポリーは、密かに自艦隊をゆっくりと後退させた。
「海中から射撃音、敵団と思われるもの、来ます」
 ティリングの旗艦制御装置が報告する。
「海中?」
 水面を走る渦が多数、砲艦の塊に向かって猛スピードで走ってきた。
 それらは艦の下部まで来ると、一斉に爆発して水柱ととともに砲艦群の一画を吹きとばした。
 魚雷式榴弾砲だった。
 ルグインのイブハーブは徹底して艦艇を改めていた。
 彼が研究所の主任になったころから密かに改造、開発に努めていたのだ。
「工築艦、壁を造れ!」
 ティリングは言いつつ、哨戒艦を多数だしてシーイナ艦隊の様子を探った。
 結果、艦隊は看板を浮かせただけで、あとは海中に沈んでいる状態にあることが分かった。
 ティリングは自砲艦とシーイナ艦隊がいた方向に工築艦で即興の鋼鉄製の壁を造り、敷き詰めた。
「突撃艦隊一戦隊で時間を稼げるか? 工築艦、砲艦を改造しろ!」
 北に集まっていた突撃艦のうち、七百がゆっくりと前進し、ゆっくりとスピードを上げていく。
「ここは退くべきですな」       
 ティリングの隣にいたビージリーがぽつりと言った。
 彼女はしばらく考え、唇を嚙んだ。
「……相手の艦は想像を超えていました。これからどうなるかわからない。このまま攻撃を続けても尻貧でしょう」
「わかっている! だが、まだだ。ビージリー、頼む」
 一瞬、以前のティリイグに戻ったかのような言い方に、ビージリーはニヤリとした。
「面白いでしょう。我が水上鉄騎隊の意地を見せて差し上げますか」
 司令部を造っている後方から、突撃艦の一隻で指揮下の艦隊の元に移動する。
 その間、工築艦が素早く砲艦を誘導式魚雷発射艦に造り変え、指令部に指揮所yを設けていた。
「敵、突撃艦の集団、北から来ます! 数、約二千!」
 シーイナのいる艦橋で、管制官が声を上げた。
「陸戦隊を右舷、第二番甲板に集めろ」
 W字の左二本目の甲板に、強化繊維を身に着け、銃剣を付けたライフルに携帯対艦砲とナイフを装備した陸戦兵たちが一万、凹型に中央二列、左右三列とあらかじめ決められていた形に並ぶ。
「水底まで海を切り裂く鉄騎の威力、見せてやる」
 まるで人が変わったようなビージリーの迫力だった。元々が闘志をうちに秘めて普段は押し込めている性格だ。いざとなった時の彼の直情さは尋常を超えている。先頭を切り、二千の突撃艦を率いて七十ノットで北からシーイナの艦隊側面に砲火の中での突撃を敢行する。
 集団のところどころで砲の直撃弾が当たり突撃艦が破壊されるが、ビージリーはものともしなかった。
 陸戦隊は十分に相手をひきつけて、距離、百まで着た瞬間に一斉に携帯対艦砲を放った。
 ビージリーの周りで炎の渦のような、爆発が起こる
 その猛火の中を突っ切り、彼は突撃艦を側面に並んだ戦艦二隻に五十隻ほど突き抜けさせ、ゆっくりと水没させる。残りで、凹部分の中心に乗り込み、それぞれ左右に分かれて突撃艦をミサイル代わりにし、中からさらにレプリカントの乗った小型の機動艇を発進させた。
 陸戦隊の第一列は多数の突撃艦の突入に崩れ、その隙に機動艇が中に侵入する。
 第三列だけが形を取り、あとは乱戦だった。
 ティリングは動きのかたまったシーイナ艦隊の右側面へ回り込ませるように、誘導魚雷を全弾発射した。
 艦橋は状況に緊張したが、シーイナだけは冷静だった。
「右舷、一番甲板乗員脱出、そのまま右に方向に本体から離れさせろ」
 W字の右舷を作っていた艦艇を切り離して本体の壁にすると、誘導魚雷がそこに殺到した。
 右舷艦艇は水柱を何本も上げて、沈没する。
「全艦全速、空になった敵司令部に集中砲火を浴びせろ!」
 シーイナは思わず力んで命令を下した。 
 ティリイグは、辺りに砲火が集まり、水柱が上がる中で舌打ちした。
「ここまでか。しんがりはビージリーとトーポリーだ。他の艦は撤退するぞ!」
 彼女の艦艇群の本体は、半ば陣形も何もなく海域から離脱していった。





 ルレン港に入港したシーイナを無言で待っていたのは、テビリカだった。
 そばに少年のケムを率連れて。
 彼女らは、ルレン港占領後の港主捕縛と港神ルレンの従属を任務としていた。
「仕上げと行くか」
 シーイナは流石に疲れた様子だった。
 勝ったとはいえ、戦艦一隻、巡洋艦三隻、駆逐艦十二隻、陸戦隊と乗員含めて千八百人の死傷者という損害を受けていた。
 相手の損害はレプリカントとその亜種である機渦海艦のみである。流石に、完勝を狙っていたわけではないが、思った以上の痛手に忸怩たる思いだった。
 テビリカは頷いただけでケムと一緒にシーイナの司令部六人を連れ、潮と鉄の腐ったような微風の吹くレアルの小路を行った。
 中央付近から地下に入る鉄筋むき出しの階段がある。
 辺りには、旧コーカル帝国神官の正装をした者たちがいた。
「どけ」
 テビリカは短く彼らを制するようにいうが、神官たちは段々と集まってくるだけだった。
「港主はどこだ?」
 シーイナは言った、
「……案内いたしましょう」
 一人の神官が感情のない声をだし、身をひるがえした。
「港主は自ら身まかりました……」
「そうか……」
 シーイナはそれだけ口にして、皆とともに歩を進めた。
 地下の海中部はドーム状になっており、配線やパイプが壁や天井にむき出しになっていた。床のタイルはヒビ割れ、ところどころが陥没して浸水していた。
「……これは?」
 疑問の言葉を履いたのは、テビリカだった。
 彼女が聞く、ルレンの神殿とはとても思えないのだ。
 神官たちは離れた場所に一同に集まっていた。 
 シーイナ一団は緊張する。
「ルレン神はどこにいる?」
 再び、テビリカが聞いた。
 神官たちは、暗い顔で彼らに対していた。
「……我らが主は、ここを脱しました。あなた方の道具になされる訳にはいかない」
「ほう」
 テビリカは、ケムに意識をやった。
 次の瞬間、神官たちは懐の短刀をぬくと、次々と自らの胸に突き立てた。
「馬鹿な!?」
 シーイナは思わず叫んだ。
「あとは、我が主がどうにかしてくれる……」
 最後に短刀で身をえぐった神官の一人はそう言うと、息絶えた。
 その壮絶な様に、イルファンの一団は言葉が無かった。
 同時に、レアルの港が地響きに似た震えに襲われた。
 ゆっくりと解体されて海に沈んで言ってるのだ。
「ダ・プリスを港代わりにする。全員、待避」
 シーイナは時間帯の中の弩弓戦艦を指して言った。
「……終わっな。あとはレアルの残骸をすべて放逐するんだ」
 テビリカはケムに向かって作業を開始した。。
 このルレンを、完全消滅させるのだ。。
 力そのものを持つ神はここにはいないが、調べ上げて工程過程を作成したイブハーブの指示が彼らにはあった。





 リーリカムは間接神経網の中にいた。
 設置した三つの塔が、彼の光球の輝きを増幅させて、他の光を圧倒していた。
 複雑に絡み合ったラインがはっきりとわかる。
 迷路を漂う必要はなかった。
 照らし出されたラインの先に、目的の光球を見つけることができたのだ。
 暗いラインと混ざり合い、渦となっている中心に混濁したような塊がある。
 あたりの闇を自ら吸収し、膨張していっているように。
 リーリカムは鼻を鳴らす。
 アンカーを一つそばに打ち込んだだけで、彼は現実に戻っていった。











第三章
 港都市、ラーダ。
 ルレンと同じく、五港の一つである。
 三年ぶりの浮上で半月が立ったが、たったそれだけの期間でもう、商業港としての形が整っていた。いやむしろ、古くからあるかのような栄えっぷりである。
 旧コーカル帝国の港は皆、似たようなものだ。
 彼らは地上を捨てた。
 残っているのは残骸のガラクタだ。
 壊れかけ、荒れたままの小さな教会の一室で、リーリカムは黙って本を読んでいた。
「ティリングがやられた」
 紙袋いっぱいに食べ物を抱えてきたシーウが、その後ろ姿に声を掛けた。
 リーリカムは無言のままである。
「……なぁ、前言ったこと覚えてるか?」
「ジャガイモが大嫌いなことか? 刀は片手じゃ振れないって話か?」
「ちげーよ。復讐を手伝えって言ったじゃねぇか!」
「あー、な」
 リーリカムは軽く笑った。どうやらからかったらしい。
「おまえ、元々俺を知ってたっけか?」
「・・・・・・おまえなんかに関心わかす程、こっちゃ暇じゃなかったよ」
 意味ありげにシーウはニヘラと口を歪ませて断言した。
 だが、あとに続ける。
「ただな、俺たちは帝国を捨てた後、機渦海を跋扈する連中を観てきた。あんた、十二の頃、従妹だったコを海賊に殺されてるだろう?」
「嗤えよ。俺は海賊になって五年余り。アコーデの仇一つ討ってない」
 声は淡々とした静かなものだった。
「どう思う?」
 シーウは紙袋を置いて、着ている服をリーリカムに見せた。
 青いレースの縁取りのついた、灰色と白のワンピースの縁を広げてる。
「……憎々しくて堪らんねぇ」
 その反応にシーウは意気地の悪い笑みを浮かべ、青い両の瞳で彼を真っ向から見つめた。
「だろ?」
「……復讐、するか」
 ぽつりと呟く。   
「ああ、あと客だ」
 シーウの後ろに、少女が一人立っていた。
 赤髪の右側を垂らした、ピアスを多く開けた少女だった。
「こんなところで、様になってないな、リーリカム」
「おまえのほうこそティリングと連中はどうしたよ、トーポリー?」
 彼女は、リーリカムの前の長椅子に腰かけた。
「事実上の四散だ。ティリングのところに付いてくる海賊はいないと言っても良いんじゃないかな? あと、リーリカム」
「派手に負けたしなぁ。で、おまえが来たってわけかい」
 トーポリーは軽く肩をすくめた。
 リーリカムは小さく舌打ちする。
「余計なことを」
「余計かね?」
「ああ。これであいつに売る恩が安くなる」
 リーリカムは音を立てて本を閉じた。
 そのまま放り投げるとともに立ち上がる。
「行くぞ」





 てっきり港に向かっているのかと思った二人は小汚い入り組んだ小路に入ったリーリカムを怪訝に思いつつ、ついて行った。    
 丁度、先までいた教会の下の階の部分だ。
 ここまでくるとすっかり腐臭が鼻腔を覆い、ほとんど陽のささない暗い空気が不気味に漂う。
 パイプとチェーンで防疫服を縫い合わせ、外部と接触を立っている人物たちが、辺りにうろつき回りだしているのが分かった。
 彼らは三人を見つけて、手招きしてきた。
 何の迷いもなく、リーリカムはその方向にむかう。
「大丈夫なの?」
 さすがにトーポリーは不安げだ。
 その様を、シーウはあざ笑うかのようにして楽しんでいた。
 建物のドアを開け、長い廊下を行くと、壁にいくつものパイプや配管が繋げられた椅子が並んだ部屋に出た。
 その一つに、座っている人物がいた。
 コーンローのドレッドヘアに、タンクトップ。切り目が入ったフレアスカート。
 ティリングだった。
「・・・・・・ディ・スロ、ローキュ・バーラ、スタービ・カーズ・・・・・・。イルファンの弩弓戦艦だ。放っておけば、どんどん増えやがるぞ」
 彼女は苛立たしげに、だが目を爛々と輝かせて口元を歪め、呟いた。
「かまわんよ。でかい鉄塊が海底に沈んでく羽目になるだけだろ? こっちにはまだ四港あるし」
 リーリカムは鼻で笑いつつ答えた。
「で、まだ錯乱してるのか? それとも同期はできたのか?」
「ああ、完璧だ。ルインは私のものだ」
「立派なもんだ。神を自分に降ろそうなんてな」
「・・・・・・へぇ。おまえよりマシだとおもうぜ?」
 チラリとシーウを見る。
「さぁ、どうかね?」
 言って、リーリカムは身を翻す。ティリイグが配線を体から引き抜き、後に続いた。
 トーポリーとシーウは何かよくわからないが、後を追うと、リーリカムに耳打ちされた内容に一瞬だけ驚いた。
「それ、最高だね」
 トーポリーは、悪い期待に胸を躍らせた。
 この港には主機が奥底に存在している。
 シーウはといえば、表面は無表情だが明らかに楽しんでいるのがわかった。
 四人は、ラーダの港口近くをしばらくうろつき、第三層の建設施設に上がってきた。
 看板には『ティビオ交易商会』の文字。
 しかも、ティリイグは交易商の社長が訪れていることをレアル方面から知っていた。
 ヲルルキ・ディビオは、副社長のルビリオの提案でいち早く機渦海の交易権を独占するため、自らこのラーダまでやって来ていたのだ。
 室内に異変が起きる田のに気づいたのは、会計課職員たちである。
 出力機が、手から弾かれるのだ。何度追っていっても、一定の場所から先に勝手に進んでいき、止まる。
 その現象は、やがて店内全域で起きた。
 ペンや紙、椅子と机、ディスプレイに記憶装置、配線。皆、人間を拒絶するように勝手に動いて、一定距離を取り始めた。
 四人が店内に入った時、客席のそばから一人がゆっくりと寄ってくる。
「もう、遅いっすよ」
 コリングだった。
「ティリングさん、俺の椅子まで持ってかれた」
「ああ、すまんな。社長は?」
「ああ、確保してます」
 彼は指を指して、二階への階段を指した。
 その前には、コーリオが立っていた。
 ティリングにその場を支配させたまま、リーリカムとシーウは二階の社長室に入った。
 そこでは、部屋の中央で呆然としている中有年のヲルルキ・ディビオが戸惑った顔をしていた。
「ついてきてもらおうか、社長?」
「誰だ貴様!? なんだこれは!? さっさと元にももどせ馬鹿もんが!!」
 やっと相手してもらえる相手が与えられた社長は、遠慮なく怒りをぶつけた。
 だが、ありったけの感情をぶちまけたというのに、歯牙にもかけた様子がない。
「誰って? リーリカム様だよ! 言うとおり何とかしてやるからおとなしくついてきな。今の罵声は、命十個分には値するんだよ?」
 言ったのはシーウだった。
 彼女は楽しげな様子で、次に社長に手錠をかけた。
 事態を知った社員たちが、子飼いのストリート・ギャングを向かわせるが、通路が至るところで巨大なゴミや乗り物で遮断されて追い切れなかった。
 ディビオの護衛艦が警戒をはじめたのは、ヲルルキ・ディビオを海賊たちが洋上に連れ去った後であった。





 前衛の一部隊、戦艦一隻、巡洋艦十隻、駆逐艦三十隻は、ディビオ輸送船団の護衛も兼ねていた。
 だが行きは行ったが、彼らを沖合で遊弋させたまま、いつまでたっても帰ってこない。
「南南西、敵影多数!」
 哨戒所から伝声管で艦橋に伝わる。
 巡洋艦一隻と駆逐艦五隻の戦隊を二個作り、前後に横陣を作らせ、本体は真ん中で単縦陣である。円陣といってもいい。
 艦長は、各艦が距離を取って行くのを見て、副官に確認した。
「・・・・・・それが、近づこうとしているのですが、艦が言うことを聞かないと」
 通信士からの報告を読む。
「言うことを聞かない?」
 そのとき、旗艦である戦艦の床が突き上げられ、途端に激しい揺れが起こった。
「ぎぃじゅつしかーーーーーん!?」
 艦長は倒れつつ、叫んだ。
「艦長、電報です」
 混乱の中、通信士は別の理由で血相を変えていた。
「どうした?」
「敵はティリングを名乗っています! ディビオの社長を人質にしたと!」
「なんだと!?」
「突撃艦、五百来ます!」
 哨戒所から声が上がった。
「迎撃しろ!」
 だが、艦が自由にならない前衛は標準どころではない。
 周りから包むように、高速で身体ごと外円の駆逐艦舷側に突撃してきた相手に、為す術もなかった。
 レプリカントが突入し、駆逐艦を乗っ取る。
 すると、自由を得た駆逐艦全艦は巡洋艦と戦艦を囲み混み、自爆した。
 衝撃波とともに爆発と煙が洋上に上がり、戦艦は一個の孤立した島にも見えた。
 それでも、装甲が削られただけの戦艦は沈まずにいたが、視界と航行能力を全くなくしていた。
「ほれ見ろや、トーポリー。撃ち放題だ。なんなら俺たちも加わって当たった場所に得点つけて勝負しようか?」
 リーリカムは艦上で少女にヘラヘラしながら提案した。
「却下。目標撃沈を最優先とする」
「なんだよ、つまんねぇな」
「ふざけすぎなんだよ、リーリカムは!」
 シーウは仕方がないといった風で首を振る。
 戦艦はトーポリーの砲艦の砲撃の元、役二千三百四十四発を喰らい、やっと轟沈した。
 駆逐艦を制圧したレプリカントは駆逐艦から脱したかわりに巡洋艦を奪取し、二隻を鹵獲していた。
「任務とはいえ、辛いもんっすねぇ」
 ビージリーが突撃艦で戻ってくる。
「レプリカントとはいえ、艦でしてねぇ。自爆はさすがにきつっすわー」
 先の一戦で突撃屋の異名を戴いたビージリーは、名の割に情けない声を出してきた。
「今度からの戦いは犠牲が多い。そんなことを言っていては、身が持たないぞ」
 ティリングが言う。
 彼らが作る指令部ではリーリカムが立案した作戦の成功を確認すると、すぐに散会した。
 見つからないためと見つけるためである。





 情報は早速イブハーブのところに入った。
 ディビオの社長誘拐に関しては、心引かれなかった。
 興味がわいたのは、リーリカムたちの使った間接神経網である。
 ルインの神が関係していることは要機軸でわかった。
 方位、五港の方面には、それぞれ力がある。 
 彼は、自艦隊の犠牲で要機軸の一端がわかったと発表した。
 要機軸間接神経網の専門書だったのだ。
 だだ、それだけではない。ならばなぜ人体の解釈にまでページを多く占めているのか。そこまでは口にしなかった。
 とりあえずは機渦海の海賊を相手するのに間接神経網は外すに外されない重要点らしい。
 まずは彼らからそれを無力化することだ。
 主機は装置もあるという。
 今イブハーブがやっていることに加え、対する手段は一つしかない。
  テビリカたちに託すのだ。主機さえあれば、彼らの能力は思う存分に使える。
 ただ、この情報は伏せていた。
 なにしろ、ウークアーイーの六課嫌悪は有名なのだ。
 だからこそ、成功で見返してやって立場を強化させなくてはと思っていた。
 協力を頼んだ本来の監督機関であるディビオ交易会社は沈黙を守っていた。
 上手く行けば、それぐらい何とでもなると、イブハーブは楽観していた。
 




「おもしれーぞ、リーリカム。大陸人どもは、新しい陸地を機渦海で造りたいようだ」
 酒場に居ながら、港から辺りに哨戒艇を巡らし、移動距離からほぼ四倍まで把握しているティリングはせせら笑った。
「……軍隊は基本マニュアル通りにしか動かない。だがなぁ……」
 リーリカムははっきりしない。
「どうした?」
「コリィドットとベルティどもは無視していい。ただルグインという連中がいる。うちらの残党よ。あいつら、徹底して、旧コーカル帝国に抵抗する気だわ」
「だろうなぁ。ルグインの元参謀本部は、旧コーカル帝国を大陸に支配権を確立しようとした元凶だ。あいつらが存在を是認するためには、イルファン王国に取り入るしかないだろう」
「だから厄介なんだよ。あいつら、へたすりゃこっちの手を見据えてるぜ?」
「へぇ。錆びついて水没した帝国の参謀が一緒に水没してるんじゃなきゃいいけどな」
「水没どころか、今は復旧・改革進路だよ」
 リーリカムは吐き捨てた。
 機渦海の自由のために根絶すべき大元は、ルグイン研究所だ。
 現在、暫定でイブハーブという男が現職だが、ティリング経由でもかなりの食わせ者らしい。
 移動浮遊港、ヒディムだ。五港の一つで、ラーダから北に行ったところにある。
 コーリオはディビオの社長を捕縛して、大陸寄りの海を遊弋しているはずである。
 事実上、ディビオの輸送船団は警告とともにとまっていた。。
 イブーハブとか言うべきか、ルグイン研究所とシーイナは補給基地を必要としている。
 事実、艦隊の三分の一の兵力を使い、大陸と元ルイン海域に要塞を造っている。
「我々の行動は三つだ。敵分艦隊をことごとく潰して丸裸にするか、ルイン
域要塞を潰すか、元ルインと大陸を遮断するか」
 歌うようにティリングが続ける。     
「コーリオには最後の話を担当してもらう。俺たちは、要塞そのものを潰す」
 リーリカムは乾いた笑いを上げ、ウィスキーのグラスを手にする。
「馬鹿正直に要塞正面から突っ込むバカもいまい。敵分艦隊も要塞を造りつつある。俺が提案した三か所の隔離神経網に入る。見てるかティリング。奴らは要塞ごと、残った四港に囲まれ、もっと大きく俺が造った間接網塔に入っている」
「裸にする必要もないと?」
「一個だけ処理してからな。ちょっと面倒くさいぞ」
 リーリカムが溢れるほどのウィスキーをグラスに注いだ。
 艦の三隻のうち、一隻がヒィズムに白旗を掲げつつ接近しつつあった。
 大きさはポケット戦艦ぐらいで、炭鉱石を燃やし、煙突から煙をなびかせている。
 タグボートで横づけすると、彼らの動きは速かった。
 すぐに艦のいたるところから爆発が起き、港湾部を半ば混乱の為に事実上封鎖した。
 降りて来た約二十人の男女は迎えに来たバスに乗って港都市中央部に向かった。
 乱立しているビル群の中の一棟、二十二階立てのビルに入ると、ライフルを頭上に乱射してテナントの職員と客たちを蹴散らす。
 彼らはビルの十階フロアに陣取り、窓にガムテープを張って中を除けないようにした。
『我々はティリング艦隊だ。港主は人質に取った。要求を伝える。今から二十四時間後までにディビオ交易会社の社長をビル入口まで送り届けてもらう』
 隔離神経網を使い、彼らは声明を発表したのだった。
「楽しそうだねぇ。何かおまえ、派手なことしてるな?」
 リーリカムはティリングに間接神経網を使って言ってきた。
「覚えがないとおまえらに言っても意味ないだろうね」
 彼らは、下町の雑居ホテルの一室にいた。他のメンバーも一緒だ。
「面倒だし興味もわかないから、どっか違う港に向かうか」
 続けた彼は、もう荷造りをしてた。
 念のためにトロイビーに連絡を取ったリーリカムは、洋上航路占拠中でヲルルキ・ディビオも無事に生かしているという返事をもらった。
 奥の部屋でゴロゴロしていたシーウはしばらく経って、広間の彼らのところに来た。
「ヒディムが最高にご機嫌斜めだよ。このままどっか行ったら、彼は犯人側につくんじゃないかなぁ」
 トーポリーは二人に言った。
「光栄だねぇ。うちらは事件を解決しなきゃならなくなったぞ」
 リーリカムは口元を嘲笑に似た形に歪ませた。
「やれやれ。マジかよ」
 リーリカムは大きくため息をつく。
「主機が占領されたビルの地下深くに設置されてるんだよ。そりゃキレ散らかしてもおかしくないよ?」
 ついでにとばかりにトーポリーは補足する。
「しょうがないねぇ、やったるか。ビルのように縦にしたのが、転覆中の軍艦だと思って」
 強引すぎる見立てだと誰もツッコミを入れないところでリーリカムはビージリーとトーポリーを呼んだ。
「コーリオは別の出口から沖に行って艦隊を展開させろ。港入り口前にいる二隻の背後を取れ」
 彼はトーポリーの背中を軽く叩いて促した。
「ちょっと試したいことがある。実験させろ」
「あー、わかってるよ」
 面倒くささを隠しもしないトーポリーだった。
「シーウはここに残れ」
 リーリカムが言うと、少女は目を座らせた以外無表情だった。
「いやだ」
「うっせー、邪魔になるんだよ」
「俺が行かないで、誰が奴との回線を開けるんだよ。今、主機の真上に犯人たちがいるんだ。下手すると、間接神経網が使用不可能になるよ?」
「……わかったよ」
 察っせられていたと思ったリーリカムは、しぶしぶ彼女の言葉を受け取る。
 五人は港都市中央のビル街の外まで来た。
「連絡を入れたら、すぐに実行してくれ」
 ビージリーとトーポリーをそこに残し、二人はビルの正面から警備員を殴り倒しつつ、中に入っていった。
 シーウは重い鎖のついた 手斧を片手にぶら下げ、リーリカムは白銀のリヴォルバーを握っている。
 外の喧騒が嘘のように静寂に満たされたビル内だ。
 逃げ遅れて倒れた社員や客たちがチラホラと見えるが、皆、口から泡を吹いて絶命していた。
 リーリカムにはすぐにテビリカの仕業だとわかった。
 六課だ。
 彼らは、リーリカムと、そしてシーウを待っていたのだ。
 笑い声が階段の上の方から起こった。
 楽し気で喜びに満ちたものだ。
 一人ではない。明らかに十人以上は居そうだ。笑いの合唱は続きつつ、ゆっくり階段を下ってくる。
 リーリカムたちは二階に登り、フロアで上の階の様子をさぐる。
 嬌声がとうとう二階で鳴った。
 ケムを先頭に、十人ばかりの少年少女が恍惚と酩酊でもしてるかのように、現れた。
 シーウは腕にできた発疹に目をやる。
 体内の水分が沸騰するかのように、ぶつぶつと出ては消える。
 フロアの湿気が上がった。
 ケムの額に、分銅付きの分厚い鎖が叩きつけられた。
 彼はのけぞるように倒れた。
 テビリカの発疹がおさまる。
 だが部屋の湿度は変わらず、天井から水滴が落ちてきた。
「やるぞ!」
 シーウは手斧を振るって一団の中に斬りこんだ。
 通常弾の入れているリヴォルバーを向けたリーリカムが引き金を引く。
 爆発するかのように血をぶちまけて、一人が絶命した。手斧をかたっぱしから腹部や首に叩きつけたシーウは、最後の頭を一人を遠慮なく勝ち割った。 
 湿気は変わらなかった。
 少年少女は倒れた場所からゆっくりと立ち上がり、ニコニコとしている。
「リーリカム、ダメだ! こいつらは依り代で本体じゃない!?」
 辺りを囲まれて戸惑っている彼に、シーウが叫んだ。
 黙っていたリーリカムはシリンダーの中の弾丸を入れ直した。
 天井に向けて、一発発射する。
 すると、そこから人の形をした青白い塊が二十人ばかり降りて来た。
 レプリカントだ。
 リーリカムは間接神経網で、ケムたちとテビリカのラインを遮断して、レプリカントと繋げた。
 もう一度、シーウとリーリカムは少年少女を手斧とリヴォルバーでなぎ倒していった。
 レプリカントたちがお互いを見ながら何か言おうとしているが、口が着いていないのでわからない。
 残った弾でリーリカムは一弾で一人を倒していた。
 シーウも手斧を振るう。
 彼らが床に這いつくばると、室内の湿度が元に戻った。
「……ガキの能力は相変わらずか」
 リーリカムは興味もなさそうに呟いて、階段を登りだした。
 九階まで来ると彼らは一旦、止まった。
 上の階にテビリカがいる。
 リーリカムの合図からシーウが指示を出すと、ビル群は轟音に包まれて床が激しく揺れた。
 トーポリーが射線がある建物を、砲艦でことごとく破壊し始めたのだ。
 煙と塵が辺りに充満して、人々は逃げ回った。
 ビージリーは工築艦が己の姿を滑空砲台の形に変えたのを使い、中から十隻の突撃艦を撃ちだす。
 突撃艦はミサイルよろしく目的のビルの十階に壁や窓を突き破って侵入した。
 そこにはテビレカと、戦闘員たちが占めていた。
 突撃艦内のレプリカントは、鉄の棒を容赦なく相手に振るった。
 骨が折れる音が連続して、テビリカの部下たちが打ち伏せられる。
「よぉ、久しぶり」
 リーリカムとシーウが同じ階に現れた。
 囲まれていながら冷静に辺りを見回していたテビリカが振り向く。
「懐かしいな。まぁ、やっとシーウに会えたわけだが」
 彼女は不敵そのものといった表情である。
『貴様がテビリカか!』
 大音響が、シーウから発せられた。
 彼女の持つ声ではない。
「おや、ティズム御大。やっと出てきてくれましたね」
 あまりにも何気ない動きでシーウに近づいたたため、レプリカントたちは包囲をしたままついてきた。
「私もあなたに用があったのですよ」
 テビリカの手が腕の途中までシーウの左胸に埋没する。
 浸透圧化させるのが、テビリカの本来の能力だったようだ。
「ここでこの子の心臓を握り潰したらどうなりますかね、ティズム候」
 すでにテビリカの額に銃口を向けているリーリカムがいた。
 そして、彼はやっと気づいた。
 テビリカはこの港の主機であるティズムを引きずりだすために、この狂言をしていたことに。
 五港のうちルインが水没してここが破壊されると、配置がらリンター港がぽつりと孤立する。
 自分たちも、恐らくすでに配置してあるだろう艦隊の中に閉じ込められるだろう。
 シーウが力を入れる寸前、テビリカが軽く舌打ちした。
 途端に、テビリカとシーウの身体が反発するかのように真反対の後ろ側にお互いが吹き飛ばされた。
 ティリングの限定圧縮した能力だ。
「テビリカ、おまえどうしてそんな能力を持っていると思う? おまえだけじゃない、六課の連中もだ」
 リーリカムは今まで何もなかったかのような、呑気な言葉を吐いた。
「本来、六課は機渦海の旧コーカル帝国で祭司をしていた部署だろう。その後、ディビオに保護を求めたが」
「だからどうした?」
「やってることが、大陸に迎合しすぎと言いたいんだよ。これで機渦海がイルファンのモノになったら、真っ先に処分されるぞ?」
「二年前に聞きたい言葉だったな」
「それより、私に何か用があったのか?」
 シーウの身を借りて、ラーダが聞いた。
「ああ、そうだ。忘れていた」
 テビリカは場違な自嘲の声を上げた。
「……ティズムをやる。その代わり、今回の事件はおまえらがやったことにしてもらう」
『どういうことだ?』
 シーウは怪訝な様子だった。
「六課は終わった……。そこのリーリカムの言う通りだよ。私たちは五港候のところに行く。全てを捨ててな。だからどけ」
『死にたくなかったら』という決意に満ちた言葉を省いたテビリカは、壁から立ち上がった。
 レプリカントたちが割れた。
 リーリカムは舌打ちしたい気分だった。
 すでにレプリカントの支配権を彼女が奪っていた。
 間接神経網の操作は、テビリカのほうが上なのだった。
「ああ……そういえば、大陸派の連中は私と来ることを拒んでいる。せいぜい可愛がってやってくれ」
 頭の中で様々な思惑が交錯したため、振り返りもしないテビリカの背後を、リーリカムは黙って見守るだけになっていた。
「私たちがやったと言われてもなぁ」
 やっと落ち着いたフロアで、シーウは軽く腕を広げる。
「……ティズム、いるかい?」
『何者だ、今のは。アレで本当に心臓握りつぶされたら、下手にリンクしている分、主機が破壊されるところだったぞ』
 シーウの口を借りて、ティズムは不服そうに答えた。
 五港を護る内の一柱として、そんなあっけない最後は御免だと言いたげである。
「おまえに手柄やるよ」
 リーリカムはシーウに言った。
 全国放送だった。
 映っていたのは、ティズムの主機に片膝を立てて祈っているシーウの場面だった。
 声明文が出された。
『我らティリング一党は五港の主の一柱ティズムの言葉により忠誠を誓うとともに、要求は撤回し事件の謝罪を表明する。即刻ビルを放棄し、港主を開放することとする』
 港街は沸いた。
 少女のおかげで、悪名高い海賊のティリング一党が港都市の傘下に入ったのだ。
 あっという間に、ティリングたちは港を防衛する対大陸の象徴とまで持ち上げられた。
「……こういうの、たのしいねぇ」
 歓喜の人々の中を宿まで移動しつつ、リーリカムは鬱陶し気に呟いた。 









第四章
「神の意、ねぇ……」
 要機軸には序文と終わりに、『神の意は我が意と同一と思え』と書かれている。
 イブハーブは、六課課長とその部下の大部分が行方をくらませたと聞いても、上の空だった。
 不服そうなウークアーイーは窓辺の壁に背を垂れさせたまま、報告に来た者が地理・戦史課室から出ていくのを待った。
「……負けたぞ?」
 昼食休憩中にやっと部屋で二人っきりになった時、不機嫌そのものの顔を隠しもしなかった。
「シーイナは生きてるだろう? それに最後まで戦場に残ったのは、ウチらの艦隊の方だよ? 派手な損害に目を奪われてるんじゃないのかい?」
 ウークアーイーは聞こえるように舌打ちした。
「おまえの要求通りにしたら、国庫が幾つあっても足りん」
「御用商人から絞りとれよ? 丁度ディビオの社長が捕まったところだし。助けるための資金だって言って会社が潰れるまで吸い上げな。他の奴らなら航路の名前に爵位を付けて与えて、機嫌よく吐き出させなよ。ちょうどコリィドットとベルティの勢力が様子見している。奴らも自分の航路持てば、手放したくなんかならなくなるだろう」
「昔から思ってたが、とんでもないことを普通に口にするよね、おまえ」
 イブハーブは苦笑してしまった。
 つい、聞く奴も聞く奴だと言ってしまうところだった。
「とにかく、今は補給と次の準備のための物資が必要なんだよ。艦隊ってのは大食いの金食い虫だってことぐらいわかっているだろ?」
「わかってはいる。で、次の準備ってなんだ? 聞いてないぞ」
 ウークアーイーは無表情になっていた。
 怒りも限界に達し、余計なところまでのエネルギーは使い果たしているのだろう。
「今回の会戦で相手の戦術の特徴の確信を得たよ。やっぱり海賊連中は序盤で全力を叩きつけてくる。誰が指揮官になっても、一撃離脱は習慣というかもうそういうものという認識なんだろうね。もう一つチャンネルでの無力化作戦と、同時に行う対海賊用兵器を大量使用するのが、言っている次ってやつだよ」
「対疫課が張り切ってるのは、そのせいか」
「それもあるけどね。とにかくルインは無力化したけど、おかげで補給拠点が無くなった。このままじゃ艦隊を動かすことができない」
「わかっている!」
 ウークアーイーは堪らず怒鳴っていた。
 しばらく沈黙が続き、やっとウークアーイーが仕方がない、と呟いた。
「シーイナを召還できるか?」
「止めた方が良い。ああ、あと以前篭絡したって陛下に言っていた奴、本格的にこっち側に来た」
 静かな空気は一分ほども続いた。
 コイツ、いつの間に自分の手駒をどれだけ増やしている……?
「……わかった、良いだろう。電報を送るよ。彼は今度の会戦で勝利した英雄だ。国を挙げて記念日にし、中将から大将に昇らせる」
「ほう……」
 面白いものを見たかのように、イブハーブは口角を上げた。
「で、おまえは何時前線に出て行くんだ?」
 ウークアーイーは、当然のように聞いた。
 イブハーブが理解できないとでも言うかのように、一瞬、目を丸くした。
「何言ってんだ?」
「貴様は今回のプランナーだろう。いつまでこの部屋で文字とだけ格闘してるつもりだ?」
「前線になんて出るわけがないに決まってる」
 イブハーブは当然といった調子で断言した。 
 ウークアーイーは何周目かの怒りを通り越して、呆れかえった。
「なにしろ、私はおまえに人質をやってやってるのだから」
 ようやく、ウークアーイーは理解した。
 この一見、口先だけのうっすらボケーとしている男は、全作戦に責任をもってここにいるのだ。
 ウークアーイーは、理解して大きく息を吐いた。
 クートロア祭司の策までお見通しか。
「……対疫課がおまえを呼んでいたよ」
 やっと落ち着きを取り戻したか、今朝から「研究だけならまだましも、実戦に投入するのは自分たちだけの判断ははばかられる」とウークアーイーも同席することを求めてきていたことを思い出した。
「ああ。じゃあ部屋を覗くか」
 イブハーブはようやく席から立ち上がった。





 艦の数が不足していた。
 四人分の艦隊があるだけで、中でもビージリーの突撃艦の消耗が酷い。コーリオは海上を遊弋中である。
 ラーダでの生活をテビリカは満喫しているらしい。
 昼間まで寝て、明け方にベロンベロンに酔って宿に戻ってくる生活が続いていた。
 寄ってくるのはラーダの権力者や上流階級ばかりで、今や海賊や一般市民すらテビリカを一度の成功で図に乗った上にへつらうだけのお調子者扱いをしていた。
 ティリングも毎夜飲みに出かけている。
 大人しくしているのは、ラーダ中を探検気分でいつも散歩しているトーポリーと、崩れかけた教会で本を読んでいるリーリカムぐらいだ。
 シーウはと言えば、トーポリーについて行く日もあれば、リーリカムの横で暇そうにしているかで、友達ができる様子もない。
 最も危機感を募らせているのは。トーポリーだった。
 ある日、ベンチに寝ころんだシーウの傍で分厚い本のページを広げているリーリカムのところまできて、不安を口にした。
「このままじゃ、でかくなり過ぎた艦隊に大陸が傾くより早く、うち等が煙になって消えてなくなりそうだよ」
「あー、そのうちティリングが動く」
「そのうちって何時だよ?」
「知らんねぇ。艦が回復したらじゃね?」
 深くため息をつき、疲れたようにリーリカムの隣に座る。
「噂だよ。ティリングは頭がおかしくなった挙句に遊びほうけて、大陸艦隊のことなんかもう忘れてるって。ティリングは二年間、無傷で機渦海の海賊総司令官だったのに。相変わらずだよ」
「自分で噂だって言ってるなぁ」
「事実と一緒だよ、あのザマじゃ」
 吐き捨てた。
「……やかましいな」
 シーウが頭をもたげる。
「大陸の連中、ルインがあったところに浮島造って補給とかの拠点にしようとしてるよ。黙ってたら、機渦海もあいつらのもんだわ。あんたが行かないなら、私一人でも奇襲かけて基地建設を頓挫させてやる」
「……やかましいって言ったのに」
 不満顔でシーウが伸びをしながら身を起こした。
 本のページから目を離さないまま、リーリカムは口を開く。
「あんな、もうすぐ五港候から使者が来る。それまで待ってろ」
「来るって、どこから聞いたのさ? 大体、トロイビーが裏切って大陸側についたの知ってる?」
「酔っ払いから聞いた話だ。トロイビーはまぁ、当然っちゃ当然だわな」
「……あんた適当言ってるんじゃないだろうね? 大体何の本読んでるんの?」
「カクテル大全。世界中のカクテルがレシピと一緒に載ってる」
「なるほど、頭の中は酔ってるわけね」
 トーポリーは疲れたという風に上身と腿をぴったりとくっ付けて、かがむようにした。
「……知らないよ。もう、私知らない」
「使者の話はガチだ。それまで寝てろよ」
 トーポリーは無言だった。
「……静かになったなぁ」
 シーウは再びベンチに全身をゆだねる。
「まぁいいや。私はまたちょっと行ってくるから」
「はいよ」
 酒の本に夢中になっているかのようなリーリカムの様子。
 トーポリーは何故か知らないが苛立を覚える。
「……何か変だわ、この光景」
 思わず小声で言い捨てて、そそくさと教会を出て行った。





 トロイビーはまるでそれがいつもの様子だと言わんばかりに厳しい顔つきで、舗装された道路を公用車の後部座席に座っていた。
 精悍そうに陽に肌を焼いた、丸刈りにラインを入れている男だ。
 彼は海賊を親に持ち、艦の中で生まれて艦の中で二十二年間生活してきた。五港のハイカーリから祝福も受けている。
 それが今、イルファン王国の海軍少将だった。
「どうですか、この国の印象は?」
「陸は気に食わないですね」
 イブハーブは苦笑する。
 トロイビーも、あのティリングを破った提督の抜擢者で今回の海賊討伐の計画者が、このようなぼんやりとして危機感のまったくない青年とは思っていなく、態度に不遜さと不愛想が現れがちだった。
 イブハーブはこの海賊の性格を事前に分析しているので、気にもしなかった。もっとも、 そんなことをしなくても、相手が無礼さ丸出しでも不快さを感じるようなことはないのだが。
「元ルイン港、今はイルルインに改名してますが、急ピッチで建設してます。完成すれば、縦横五百メートルの巨大港都市となる予定です。あなたの家も用意してますよ」
「せっかくですが、艦がありますので」
「まぁ、あることはあるので好きなときに使っても使わなくとも結構ですよ。ちょっとついてきてください。見せたいものがあります」 
 ルグイン研究所の一階にある喫茶店での面談から、イブハーブは状況説明に移すために彼を伴い、地下室に向かった。
 恐らく、五階分は掘られた底だろうと、エレベーターに一緒にのったトインビーは思った。
 廊下にでて扉を開くと、蛍光灯がついた一個の書斎のような空間が現れた。
 机で本を読みながらノートに何かを書いていた十代半ばの少女は、二人に気付いて顔を向けた。
「……ああ、これは課長代理。いらっしゃいませ」
 小さな眼鏡をかけ、長い髪で右側の側面に自然と編んだ一本を下ろし、白いシャツに緑の肩からベルトが降りて腹部がアンシメトリーなコルセット上になったスカートを履いている。
「勉強熱心だねぇ。紹介しようウイリカ、こちらは君の上司になるトロイビー提督だ。トロイビー提督、彼女はウイリカといって新造艦二百隻の事実上の艦長です」
 トロイビーは眉を寄せた。
 言っていることがよくわからない。
 二百隻の艦長?
 怪訝な彼に、イブハーブはニッコリと微笑んでみせる。
「実は、この子は人間じゃありません」
 驚いたトロイビーがまじまじとウイリカを見つめると、彼女は不快そうに目をそらした。
「まさか……」
 トロイビーは頭に浮かんだ言葉を否定したかった。
「そうなんです。ウイリカはレプリカントです。それも特別な」
 港都市建築や二百隻の新造艦などと合わせ、この国の工業力と科学力はどうなっているのかトインビーは驚くしかない。
「今さっき、ちょっと気分が苛立ちましたねぇ」
 イブハーブはクスクスと笑った。
 トロイビーは再び眉をしかめる。
 この男はなんなのだ。次から次へと、人に悪戯するように言葉や舞台を用意して披露する。しかも、相手が動揺するかのような態度を楽しがっている風である。
 正直、関わりたくないタイプの人間なのは確かだ。
「許してやってください。この人の癖なんです」
 察したウイリカは、口だけで弁護した。
 どうにもならないだろうという諦観を感じさせる言い方だった。
 無言のままトロイビーは小さく息を吐いて気分を変える。
「……納得しました。しかし、二百隻の指揮官ということはまだレプリカントがいるということですね?」
 厳つそうな外見の割に、トロイビーは良く通る声をして物腰も丁寧だった。
「ええ、随時生産していますが、今は約一万人でしょうか。すぐに五万人まで増やしますよ」
 こちらはどうという特徴のない声で、また相手を弄るかのようなセリフを吐く。
「それらを全て、機渦海に投入するのです。生産完了の時期は、イルルインの完成時期に合わせています。まぁ、もうすぐですね」
 トロイビーは逆に彼の鼻をくじいてやりたくなった。
「残念ですが。幾ら艦やレプリカントを投入したところで、機渦海を支配しようというのは少々難しいでしょう」
 あっけなく、イブハーブは頷く。
「機渦神たちですね。元は旧コーカル帝国の貴族で名士だったという」
「……そこまでご存じなら、何か案でもあるのでしょうか?」
「篭絡中です。詳しいことは言えませんが。ただ、私が知っていることは限られてます。出来れば、機渦神でわかっていることをご教授して頂きたい」
「よろしいでしょう」
 彼の返事を待っていたとばかりに、部屋の隅から椅子を二脚用意するイブハーブ。
「……あの……今、ですか?」
「はい。ウイリカが書記役をしますので」
 始まったと言わんばかりのウイリカは何も口にせず、新しいノートを用意した。
 トロイビーは色々と気分を諦めて切り替え、椅子に座った。





「……つまりは、海そのものが彼等の存在環境ということですか。樹の上に猿がいるような感じで」
 猿を例えに持ってくるあたりで、トロイビーはすでにこの人物には機械的に反応する以外に接することはやめようと決意させた。
「その通りです。もっといえば、鯨が海で生活しているのと同じです。間接神経網は海のなかで作用・反応を起こします」
「その間接神経網で、海賊たちは艦を動かしているのですよね」
「それだけではなく、応用して自然界に干渉する者もいます。あなた方で言えば六課の方々が使っていました」
 イブハーブはうなづく。
「ということは、密度がブラックホールほどの質量になっているのと同じような、間接神経網の塊、という解釈で間違いないでしょうか? 地平面にある主機が引力をつくっているかのような。この場合、間接神経網内の手足の長さが主機ということになるわけですが」
 トロイビーは驚いた。
 軽い説明しかしていないというのに、イブハーブが結論を口にしたのだ。
 異様な頭の回転だ。
 この男が機渦海での争いの総指揮を執っているのだ。テビリカも負けるわけである。
 軽く戦慄したトロイビーだが必死に表面に出さないよう隠して、無表情を貫いた。
 そんな相手の様子を気にした風もなく、イブハーブは一瞬ぼんやりと天井を眺めて口元をだらしなく歪めた形にした。
「……なら、こちらにも色々やり方があるというものですねぇ。ところで、ファガンという人物をご存じですか?」
 彼はポケットから古びた写真を取り出してトロイビーに見せた。
 目が一瞬だけ釘付けになる。
「……名前は聞いたことはありませんが」
「ないけど? 見たことはあると」
「……はい」
 イブハーブの瞳が感情を押さえきれないのか、瞬くように輝いた。
「どこででしょうか?」
 トロイビーは深く息を吐いた。
「……五港候のところで、です」





「楽しくなりそうだねぇ、これ」
 リーリカムは、港近くのバーにある個室の前で、トーポリーとシーウが一緒だった。
 部屋には、港から来た旧コーカル帝国柄のシャツにハーフパンツ、髪は白銀に脱色している三十の後半という話の男が待っている。。
 挑発的な鋭い眼光と歪んだ口元を浮かべる容姿は、十歳は若い印象だった。
 カークタキと名乗っていた。
 時間の五分前に、やややつれたティリングが現れた。
「遅刻はしなかったのね」
 トーポリーは冷たい口調だったが、顔は満面の笑みだった。
「当たり前じゃないか」
「また今日も約束とか忘れて飲み呆けるのかと思ってたよ」
「悪意しかない言い方だなぁ。大体、何のために疲れた身体に鞭打って毎日毎日大騒ぎしてたと思ってるんよ?」
「飲みたいから?」
 即答だったが、ティリングに気分を害した様子はない。むしろ、トーポリーの反応を面白がっている。
「あのね、どうして私が上の連中のところで飲んでたかっていうと、あそこはらは人脈と情報の山なんだよ。むしろ仕事してたんだから褒めてほしいぐらいだ」
 言い方がどことなくリーリカムに似ていたが、トーポリーは内容に納得してしまって関心が行かなかった。
 部屋にいたのは、相変わらず尊大とも思えるほど堂々としたトロープだった。
 隣に白銀に脱色した髪の二十代後半に思えるジャケットの下に急雨帝国の衣装一式を着込んだ男が、これまただらしないと言って良いほどの態度で座っていた。
 ティリングが用意したそれぞれのグラスに、無作法なまでの豪快さでウィスキーを注いでゆく。
 シーウにまでである。
 もっとも、彼女は見向きもしなかったが。
「ここは忌憚なくいきましょうか」
 上機嫌にティリングが言って、グラスの中身を一気に喉に注ぎ込んだ。
 付き合ったのは、白銀の髪の男だけである。
「・・・・・・では忌憚なくいこうか」
 トロープはつまらなげな無表情で言う。
「五港候と五港主は帝国旧臣として大陸の機渦海進出に憤慨している。だが知っての通り我々には物理的な力がない。そこで公は、ルレン交易会社からアーランリをご所望だ」
 相変らず、淡々とした口ぶりだった。。
 興味深げになったのはテビリカとシーウだった。不気味に沈黙しているのはリーリカムである。そんな彼に、上機嫌で「おめーも飲めよ」と肩を叩いてくるティリングだった。
 リーリカムは、無言で一口だけ舐めた。
「……よし。なら、良いでしょう」
 テビリカが鷹揚に応じると、会見はあっけなく終わってしまった。
 トーポリーがこれで良いのかと思ったほどに。 
 全員が部屋をでると、皆、バラバラに小路にでた。
 ゆったりと道して夕刻の港に来たリーリカムは、ついてきているシーウに海面に浮かんだ船を力の入ってない指でさしてみせた。
 ぼんやりと桟橋に立つ姿からは、何を考えているのかわからない。
 潮風が溜まっているなら中で、ふと口を開く。
「さてと……レッスンの時間だ、シーウ」
 驚いたシーウだが、すぐに決心した様子で頷く。
 歓喜を押さえきれないように、両手を拳上にして頬が緩んでいた。
「……武器は何がいい?」
 聞かれたリーリカムは片眉をわずかに跳ね上げ、眼だけ彼女にやると、ぼんやりと雲一つない空を見上げた。
 五港の周りはいつも風がない。時刻から宵の明星が光っているのが見えた。
「何でもいい」
「わかった」
 シーウは近くにある機動艇に乗った。
 よっこらしょと、老人のように口にしてリーリカムは後部座席に座る。
 二ノットだけ目的の船より速度を上げて、ごく自然に航路に入るかのように機動艇を傍に寄せる。
 リーリカムは笑いをこらえていた。
 機動艇はシーウの操縦でいきなり角度を変えた。
 噴射で高度も上げて、船の甲板に乗り上げた。
「……お上品なもんだ」
 昇降口まで足音を消して影を選びつつ一気に走るなか、リーリカムは呟いた。
、ガンデッキを通り過ぎる。
 商船のなかに人影の気配はいまのところなかった。
「最小限の人しかないだろうから、強引にする必要ないかと思って」
「違う……周りがうるさくなる状況なら当たってるが、そんなことがない時は、常に強引に行くもんだ」
 リーリカムの言葉に、わかった風にシーウは何度も頷いて見せた。
 船は特に揺れに対して安定した走りをしているのがわかる。
 船工はそれだけの技術と、発注元がそれだけの資金があった、という証拠だ。
 その癖に、調度品や飾りが少ないのは発注元の性格だろう。
「じゃあ、派手に行こう」
 シーウの武器が今度はカランビットに変わっていた。右手に握ると、もう周りを気にせずに走り出した。
 リーリカムも両手に拳銃を握っている。
 機関室まで降りると、シーウは一目で機関長を定め飛びついた。
 脚で肩口を締め上げると同時に、カランビットで首筋を抉って投げ捨てる。
「全員、動くな!」
 彼女が叫ぶ。
 背後にはリヴォルバーを構えたリーリカムが立っていた。
 機関員たちは突然のことに、思わず動作が止まり、事態を把握すると大人しく従う。
「良い子たちだ」
 シーウはニヤニヤして、全員を船倉に放り込んだ。
 そのまま、キャビンに走る。
 流石に扉前にはスーツ姿の護衛の男が二人いた。
 彼女らを見ると、すぐに役割を果たそうとする。
 それも、一撃をねらってたのだろう。
 間接神経網がざわつく。
 この時点で、力量は大したことがないと判断したリーリカムは放っておいた。
 ついでにラインを軽く伸ばして確認はしておく。
 護衛たちすぐに動揺した。
 能力が使えない。
 リーリカムのみた通り、彼等のちからではタラントートに影響を及ぼすことは出来ないのだ。  
小柄な身体と瞬発力を生かして瞬時に懐一人の懐に飛び込んだシーウは、膝の裏を踵で引っかけて、迎えるようにバランスを崩したところの首頸動脈を掻っ切ると同時にもう一人の腰を蹴って肩に上ると、振り上げる力で左耳の奥まで刃を突き刺した。
「やるねぇ」
 どうだと言わんばかりの彼女に、リーリカムは口笛を吹く真似をした。
 ドアを開けると、テーブルに肘をついたトロープが、待っていたとばかりに息を吐いた。
「……こっちはやりたいことわかってるんだから、わざわざ騒ぐ必要なくないか?」
「祭りは盛大にやるもんだよ」
 リーリカムが応じる。
「血祭りだろ、これ」
「わかったんじゃなかったのか?」
 トロープは椅子にもたれるように座り直す。
「……でだ、私は五港候の言葉を伝えに来ただけだ。おまえらが一緒に会いに行く気ならやぶさかでもないが、そんな手間かけたくないならここらで十分だろ?」
「準備はできてるだんだろ? 間接神経網覗いたよ。今更見苦しいぜ?」
 トロープはやれやれと、天井の片隅に目をやった。
「言ったんだよな、ちょっと時期が早いんじゃないかって。だが公は良しとされた。この時点で、まぁ決まってたわけだがな」
「なら大人しくしておけ」
「好きにしろ」
 言葉が終わるとトロープの頭が弾かれたようになって、身体はゆっくりと椅子からずり落ちた。
「さてとシーウ、船低に穴をあけろ。そしたら帰るぞ」
 シーウはトロープの死体をしばらく見つめて、何かを決心したようだった。





 民衆に何か、記念すべきものを与えるべきだ。
 イブハーブはウークアーイーにそれとなく伝えた。
 考え込んだ彼女は、名案が閃いたとばかりに返した。
「……新都を建築しよう」 
 宰相室内にある私室である。
 光りを赤く染めたシルクで通すようにした、薄暗い部屋だ。
「んー、それはちょっと国庫と国民に負担が大きすぎる。もっと象徴的なものを」
「……アーランリの神殿を造るか」
「それは良いな。だとしたら特に、秘神ということで人里離れたところが理想的だ」
「よし、早速実行するか」
 ウークアーイーは伝声官のある隣の部屋で内府主席に命令した。
 イブハーブにとっても意味がある。
 ファガンを引き寄せるのだ。
 探して見つからないなら、寄ってこさせればいい。
 ことのついででもある。
 戻ってきたウークアーイーの機嫌は良かった。
「なぁ、ウーク。おまえ、ルグインのことをどう思う?」
「なんだ急に」
 ワインを用意しつつ、冗談のフリをした怪訝さを見せる。
「もしも。もしもだ。イルファンから俺たちが逃げるなら、ルグインが一番良いと思わないか?」
「おまえはもう、とっくの昔から逃げっぱなしじゃないか?」
「そうだな」
 イブハーブは苦笑する。   
「懐かしいな、小さい頃のルグインは。相変らずだったが」
「気に入らないか?」
「そんなことはない。なんせ、私たちの生まれ故郷だ」
 じっとウークアーイーを見つめたイブハーブは、注がれたワインを遠慮なく口にする。
「ああ、生まれ故郷だ……」
 呟くように言うと、あとは神殿計画の具体的な話に移った。





 噂は機渦海をすぐに駆け巡った。
 何をするかわからないティリングが、とうとうやったと。
 機渦海の事実上の支配者である旧帝国の貴族の代表的存在である五港候の使者を、殺して船を沈めたのである。
 事実上の反逆だ。
 同時に。ティリング一党が駐留している現在位置も広まった。
 機渦海の大陸東北部の沿岸沖に、港を発見したのだった。。
 驚くべきことに、イルルインから真北二百四十キロ地点である。
 海賊たちは、次々とそこに集まっているとのことだった。
 内心慌てたのはシーイナだった。
「で、だからといって閣下が刺繍に夢中になる理由がわかりません」
 トロイビーが司令部の食堂で、自領としていつも誰も近づけずに座っているテーブルの一画まで来て、彼は頼りないとでも言いたげな態度を見せていた。
「これは私の趣味だ。ちなみに、私服の飾りも全部自分で作ってる」
「聞いてません」
 シーイナは屋っと顔を上げた。
「……なんか、当たりが強くないか?」
 不服さ丸出しである。
 いつもはそよ風のように爽やかさを見せているシーイナだったが、この席に座っている時は人がわかったように、子供っぽい無邪気さと不満感を隠しもしていなくなる。
 食堂は食事や休憩とともに、部下たちにとって、密かな覗き見の楽しみを一つ加わえていたのだった。
「相手に側面を取られています」
「今は休憩中だ」
「朝からここにいるじゃないですか? 今は午後十時です」
「知っている。そろそろ私室で事務決裁して寝ようと思っていた」
「そうじゃありません!」
 いくら言っても、シーイナの様子に変わりはなく、トロイビーは諦めた。
 去り際、呼び止めるわけでもなくシーイナの声が彼にとどいた。
「……あの港は、君らの工築艦という奴のおかげか?」
「はい。我々は工築艦で補給や陣営、艦そのものもその場で改造しますから」
 聞くと、もう興味がないかのように、手元の布と糸にまた意識を集中したらしかった。
 トロイビーは首を振って再び歩きだす。
 彼の姿が消えたところで、シーイナはウイリカのところに颯爽と向かった。





 用意した生バンドが激しく演奏していた広い酒場に集まった面々を眺め、ティリングは満足げだった。
 システィと名づけた港は朝から今の昼下がり、建港以来最大の賑いだった。
 様々な使者がこの海上都市に集まってきている。
 特にコリィドットとベルティからそれぞれ連絡を取ってきたのは狙い通りだ。
「乾杯と行きましょう。前祝いです」
 豪放さそのもので、自ら訪れたベルティがテーブルの上に立ってビールの入ったジョッキを掲げた。
 店内で同調の声が上がり、一気に賑やかさにわく。
「コリィドットからのは、どう見ても小物だな」
 トーポリーは壁にもたれて様子を眺め、隣のリーリカムに小声で呟いた。
「そらそうだろうよ」
 ウィスキーのグラスを持ってしゃがんでいるリーリカムは薄ら笑いを浮かべていた。
 ベルティはティリングに向き直り、半分まで一気に飲んだジョッキを持つ腕を伸ばした。
「ルイン奪還は目前ですな、提督。先陣は是非、私どもが承りたい。三大勢力の一画として恥じない働きをお見せしましょう」
「ああ、任せた! あなたが先陣なら我々の完勝間違いはない! 復讐するは我らにあり!」
 ティリングが上機嫌に答える。
「……な? 協力する気ゼロだろ?」
 リーリカムは、ウィスキーを一口舐めた。
 トーポリーはたった今、持っていた疑問が氷解したのだった。
 つまり、ベルティはコリィドットの海域だった現イルルインを乗っ取りたい、もしくはこの際、徹底的にコリィトッド弱体化を果たしたいのだ。
 だから、コリィドットは敢えて同調する振りの義務だけ果たすために、適当にどうでも良い人物を使者として送ってきたのだ。
「ティリングもはしゃいで、めでたしめでたしだ」
 リーリカムの言葉にトーポリーは、あれはどう見ても素だと一瞬、怪訝におもってから自嘲した。
 ついついトーポリーは常識に当てはめてモノを見てしまう。
 ティリングはいつもこうなのだ。
 彼女は、素で演戯ができるのだ人物なのだ。
  トロープ殺害という自滅しかないであろう、彼等にとっての一見、暴挙も全て計算済みということだ。
 トーポリーは、改めてティリングの頭脳とそれに呼応して行動するリーリカムの二人に、感嘆した。
 同時に、危うさの穴埋めと地盤固めが自分の役割だと自覚する。
「ご一緒しませんか、閣下?」
 壁から移動した彼女は、ベルティのところに移動して蠱惑気に誘った。
「おお、これはティリング閣下のところイチ美女で有名なトーポリー提督。喜んで」
 今までの曲調がいきなり変わり、メロディアスな雰囲気の歌をバンドが奏で出す。
 ベルティとトーポリーは、バーの中央にできた輪の中心で優雅に踊る。
「くっだらねぇの」
 悪態を吐いたのはそれまで黙っていたシーウだった。
「さっきまでの歌の方がよかったのに」
 リーリカムは聞き流す風で黙っていたが、グラスを床に置くと少女に手を差し伸べた。
「……一曲いかがですか、お嬢さん?」
 一瞬、目を丸くしたシーウは、ニッコリと笑って逆にリーリカムを引っ張るようにして、トーポリーの隣に来ると、リーリカムと一緒に拙く二人の真似を始めた。





 深夜も朝に近いが、宴は終わらない。
 元々が、遊び人のような連中である。
 お祭り騒ぎもやるときは徹底的にやるのだ。
 だが、ティリングの幹部たちは酒場にある小部屋に入れ代わり立ち代わりと消えたり出たりしていた。
 ティリングが待つとリーリカムが疲れたとでも言いたげな、だらしなのない動きと態度で小部屋に入って来た。
 もっとも、いつもこのような様子の彼だったが。
「準備は?」
 ティリングは前置きも何もなく聞いてきた。
「ああ、今やってる。あと二日かかるな」
「一日でやらせろ」
「あーハイハイ」
「大体、遊びのネタも尽きるだろう。今日でここにいるの一週間目だぞ?」
「わかってるって」
 手を振り、それだけでリーリカムは部屋を出た。
 各港の政財界の人々の姿も酒場にはあった。
「正確には、あと何日なのですか?」
 そのうちの一人の老婦人が尋ねて来た。
「そうですね、四日後の午後にはお披露目ができます」
「楽しみにしてますよ」
「送迎の用意もしてますので」
「ええ。それは御親切に」
 彼女は言って、また上機嫌に自分たちと同じような塊の集まりの一つに戻っていった。
 彼は店内を一周すると、密かに外にでた。
 思った通り、ベルティ本人以外の部下たちは消えていた。
「統率のとれたもんだ」
 歩きながら言って、海底を使った裏の港に行く。
 そこには出航準備の整った艦艇が揃っていた。
 トーポリーとシーウが駆けまわっていた。
 鬼ごっこをしているらしいが、追うトーポリーの様子はかなり必死だ。一方のシーウは余裕を見せて、からかいつつ楽しんでいる。
 逆だろう、とリーリカムは内心でツッコミを入れていた。
 間接神経網で全ての艦の整備状況を観る。自艦隊以外もだった。
 セットアップはきっちりと整っていた。
 自動調整は完全なようだ。       
 これは毎日しておくようリーリカムがテビリカ経由で徹底させている成果だ。
 港でそれぞれ己の時間を過ごしていた提督たちに、リーリカムは言った。
「これよりアーランリ奪還作戦を実行する! 各自己の責任を全うせよ!」
 おぉー!という、雄たけびにも似た返事が港を満たす。
「トーリポー、おまえにはベルティの処理を頼む」
「・・・・・・わかった」
 不満ではあったが、納得できる話なので彼女は了承した。
「ついでに、シーウもだ」
「なんで!?」
「いいから、行け」
 反論を許さない言葉ではあったが、雰囲気は優しくどちらかというと懇願に近い。
「・・・・・・へーへー、そうですか」
 しょうがねぇな、と小さく付け加えて返事をする。
 リーリカムは第二番艦隊、第三番艦隊、第六番艦隊に出動を命令した。





「ざっけんなっ!!」
 洋上でシーウは怒りを爆発させていた。
「おやおや、どうしたのです?」
 指令部で、ベルティが少女に聞いてくる。
「寄って来んな、キモい!」
「怖いなぁ」
 彼は苦笑交じりに笑い、トーポリーに向きを変えた。
「・・・・・・あの子、なんなんです?」
 素朴な疑問らしい。
 有望なものなら年齢などかまわない彼らだが、シーウの異質さを感じているのだろう。
「普通の孤児ですよ」
 トーポリーは即答した。
 一時期は、彼女も取り込まれかけて自然に受け入れていたが、教会でのリーリカムの態度は頷けるものとなっていた。
 証拠に、ベルティの判断に迷っている態度だ。
 これでアーランリを手に入れれば、少女を完全に無力化できる。
「ベルティさんのおかげで、ティリングは状況を打開できると大喜びでしたよ」
「光栄ですな」
 彼は満足げに頷いた。
 艦艇数は、突撃艦四千、砲艦三千、工築艦三千だった。
 これに、トーポリーの砲艦五百、工築艦五百が加わる。
 索敵にかからないよう、深夜の行動だった。
「敵艦隊前衛と本体確認! 距離八十!」
 通信士からの報告に、ベルティは苦い顔をした。
「艦隊展開。会戦にそなえろ」
 だが、さすがに骨髄反射で通常通りの命令を下す。
 凸型の両脇に砲艦を置いた陣形に以降させつつ、二十ノットで全進する。
 全方に哨戒用艦艇をだして、相手を探った。
 相手は、確実にシーイナの本隊だ。
 戦艦十、巡洋艦四十、駆逐艦八十。
 前回と同じく、というべきか、すでに第一甲板まで船を沈降させて広く形を取っている。
 鋼鉄でできた広い平原が目の前に現れたのだ。
 距離が三十キロまで来た時点で、ベルティは攻撃開始命令を下した。
「なんだ、連中はティリング本体じゃないのか」
「三大勢力の一つでベルティという海賊のものですね」
 トロイビーの説明に、何でもことのようなシーイナは、形ばかり頷いてみせた。
 そばにウィリカとトロイビーが控えている。
 海賊生まれで機渦海育ちのトロイビーは、改めてイルファン帝国の威様を学んでいた。
 何度もティリングではない、他の勢力のところに行こうか誘惑されたが、そのたびにこの国の大きさに圧倒されるばかりだった。
 特に、極秘でイーリブという男に会った時が決定打だ、
 それ故に、彼はシーイナと一緒に艦橋にいる。
「ウィリカ、用意を」
 シーイナは、水平線に見える海賊艦隊を見据えて言う。
 両艦隊は静かに接近していた。
 最初に砲火を放ったのは、シーイナの方だった。
 それを合図に、ベルティ艦隊から突撃艦が一気に加速して接近すると同時に、砲艦が応戦した。
 通常、艦壁に穴を開けて浸水させ、ついでにレプリカントで船を乗っ取るという突撃艦だが、甲板に乗り上げてレプリカントを上陸させる形を強要されていた。
 五千の武装したレプリカントが、バラバラに艦が作る平原に降り立ち、それぞれ目指す艦橋に走る。
 トロイビーの出番だった。
 混ぜていた工築艦で、平原に坂と壁を造り出す。
 唐突にできた障害物に、レプリカントたちは全進を阻まれて、十字砲火のまっただ中に突入していたことに気づいた。
「聞いてないぞ、こんな話!」
 前線で崩れてゆくレプリカントに、ベルティが思わず叫んだ。
 助言を求めようとして指令部を探すが、イーポリーの姿がない。
「ええい、砲撃で進路を確保!」
 命令のもと、計算の終わった砲艦が一斉に砲撃方法を変える。
 だが、ベルティからの砲は、シーイナ艦隊外郭にできた防壁により、阻害された。
 孤立した彼のレプリカントに、ウィリカ指揮の陸戦隊が突入する。
 なんとか各所で方陣を造瑠以外、ベルティのレプリカントたちには手が無かった。
「トロイビー提督」
 高い艦橋で眺めていたシーイナは横の男の名前を呼ぶと、彼は頷いた。
 水中から現れた突撃艦が、艦上に並んだかと思うと、障害物と舷壁が消え、急発進した。
 ベルティのレプリカントが造った方陣群に衝角を向けてである。
 方陣は、必死の銃弾を突撃艦に浴びせたが、無駄な行為だった。
 一瞬にして、現壁の消えた艦上から、レプリカントたちは吹きとばされていった。
「イルファンに我らの技術があるなんて聞いてないぞ!?」
 ベルティは、怒りで指揮台に拳を叩きつけていた。
「艦影、後方五十!」
 驚きを混ぜた報告が飛んだ。
「どこの艦だ!?」
「ディビオ商会の護衛艦と見られます!」
「まさか、ディビオだと?」
 流石にベルティは茫然となった。
 その一瞬の間が、勝敗を決した。
 まるで吸い込まれるかのような、見事な集中砲火が後方から圧倒的な砲門数でベルティ艦隊を襲い、同じくしてシーイナの弩級戦艦ディ・スロ、ローキュ・バーラ、スタービ・カーズの四隻が浮上し、艦砲を撃ちだしたのだ。
 確実に削ってくる後方の砲撃とは違い、戦艦の砲は海面から数十隻の機渦海艦をたったの一発で微塵に砕いた。
 竜巻のような水柱が機渦海面に幾本も立ち上る。
「おのれ、もうすぐというところだというのに!」
 ベルティは怒りを爆発させて叫び、自ら突撃艦に乗った。
 そして一気に加速すると、海面から浮上し、ミサイルのように真っすぐシーイナの旗艦艦橋に迫った。
「環境部乗員退避!」
 冷静に指示したシーイナはゆったりと、その場を後にした。
 タラップを降りつつ、考える。
 相手にティリング艦隊がいなかった点をだ。
 海戦には勝利したが、これは、完全に罠に嵌ったことを意味している。
 爆風が頭の上を掠るが、意に介したところがない。
 炎が巻く上階から平然と降りてくるシーイナを、乗員たちは憧憬を込めて迎えた。
 内心恥辱も同然と不服に思っていても、彼女は微笑みで彼等に答えるように軽く手をあげた。


 
        
第五章
  上陸すべき海岸の選定はすでにしていた。
 リーリカム以下の艦艇は、沖合から変わらずにそのまま昼夜構わずに、林道を分散して進んだ。
 機渦海の浅瀬に来ても構わず、速度も変わらずそのまま乗り上げて陸上を進んだ。
 工築艦による、水陸両用使用になっていたのだ。
 第二艦隊を海岸線にのこし、残った二個艦隊を二手に分ける。
 さらに迂回した北西からのものと、その進行の後を追う直進の西進ルートである。
 西を進むリーリカムのほうは、迂回側と歩調を合わせるのと中継点を造りながら速度を落として進むことになるので、のんびりとしたキャラバンに偽装していた。
 地理には問題はなかった。
 機渦海の古い海賊は、大陸の地形を熟知していたのだ。
  リーリカムは特に間接神経網に長けた要員を選抜して戦力としていた。
 そこから見れば例えばトーポリーは、除外されるぐらいの能力だ。
 常に間接神経網も探ると、段々とラインは少なくなっていくが、重力そのものはつよくなってくるのがわかる。
「楽しいねぇ。こういうの」
 心の底からリーリカムは口にした。
 枝を折り羽虫を飛ばすがままにして、中間点まで進む。
 その時に、ベルティ艦隊壊滅の報が伝わった。
 狙い通りいったようだった。
 十人にも満たない旅行者に遭遇し、食料と日用品を求められた。
 リーリカムは無視することなく、数艦を止めて自ら対応する。
「……どうっすかねぇ、ここらでの商売、上手く行くと思います?」
 少々無げにいう。
 割りに巨大キャラバンなのは堂々と知らないフリをする。
「そうですねぇ。西は今、工事の方々が集まっているので調度良いと思いますよ。それを目当てで来たんでしょう?」
 旅人は目ざとさをひけらかした。
「ええ、まあ実はそうなんすわー」
 やっぱりという風に彼等は笑いつつ、リーリカムが提供する物資を値切りもせずに定価で払った。
 彼等と別れて再び艦上で座ると、随分金を掛けた工事をしているようだと関心した。
 森林地帯がゆっくりと開けてきた。
 別動隊も、位置についたようだった。
 一旦、偽装を解き夕刻を待つついでに、斥候の報告を待つ。
 初夏の香りが鼻をくすぐり、陽気にのんびりとした休憩にはうってつけの季節だった。
 やがて戻ってきた斥候と古い海賊たちの知識をあわせて、リーリカムは作戦の確認をした。
 特に、変更要素はない。
 元々が、大まかな計画であり、細かいところは臨機応変という方針だったため、付け加える点も削る点もなかったのだ。
 リーリカムは夕刻になって斥候のところまで来た。
 巨大トラックが石を運び、重機が斜面に張り付くようにしつつ、土の斜面を造っている。
 足場がいたるところにでき、人々はこの時間まで作業を止める様子はない。
 昼夜兼行というところか。
 護衛兵を探ると、歩兵と騎兵隊が要所要所に星型方陣状の砦を造り、数は十を下らない。
 思った以上に厳重である。
 リーリカムは斥候とともに時間を過ごしたが、大き目な服装なためか虫に刺されることはなかった。
 もっとも、イルファンの工事要員が虫よけをしているのだろう。
 この様子では、待機視させている部隊が見つかるのも時間の問題かと思った。
「しょうがねぇな……」
  リーリカムは別動隊の様子を把握してから、計画開始を今から三十分後と急に決めた。
 休息中の部下たちはのっそりとだが離れした素早さで戦闘配備につく。
 北西の部隊が一気に神殿工事地域に突入する。
 護衛部隊が対応する間が無かった。
 彼等は退路に東側を選び、工員や技術者・要人を含めて逃亡させ、自身らは何とかその場に踏みとどまる。
 だが彼等は待ち構えていたリーリカムの部隊にもらさず捕縛されていった。
 そして、彼は部隊を全進させると、挟撃されてたことを悟った護衛部隊は降伏した。
 リーリカムは数名を連れて、すでに移動を終えていたアーカムリの設置場所に歩いて行った。
 土台を木と土で盛り、外観をレンガと石壁で整えようと工事中の中央地下だった。
 その場はもう完成していて、ラピスラズリを外面にした、天井の高い空間が造られていた。
 中央に双頭、腕が左右三本づつ持った両性具有の像が全身に金粉を塗られて設置されている。
「趣味ってこういうところに出るもんだよなぁ……」
 リーリカムは嗤い半分に呟て、場に邪魔がいない野を確認すると、間接神経網に意識を集中した。
 ラインが一本もない孤高の光球の圧力に、リーカムの意識はひびが入りそうだった。
「楽しいねぇ……塔三つ造ってもこれかよ……」
 リーリカムは機渦海から引っ張ってきた、三つの間接神経塔のラインを光球に伸ばした。
 すると、まるで求めるかのように、巨大な質量の光の球から触手のようなものが幾本も現れた。
 絡み合う、というよりも、絡み取るかのように光球のラインは間接神経塔のラインと混ざりあった。
『アーランリ……』
 呼びかける。
 ラインの束が振るえた。
『ア……アァ……ア……ガ』
 反応に対する印象は失望半分、希望半分だ。
 アーランリは、間接神経塔三本とリーリカム自身のものを使っても出力不足で、まともに稼働できていない。
 リーリカムは塔のラインを増やしてアーランリの光球を包み込んだ。そして、伸びている部分で引っ張り始める。
 現実に戻った彼は、像の爆破を命じて部隊に戻る。
 土砂が炸裂して、炎が散ったのを確認し、あとは一目散に部隊をすべてまとめて、機渦海目指して走った。




 
コリィドットの勢力が機渦海はるか沖に流れたという報を、ティリング一党の元に届いた。
 彼等は自身たちの事実上の海上制覇に沸いていた。
 陰で浮かぬ顔をしているたのはティリング本人だった。
「……気楽なもんだ。シーイナは健在、五港候は依然として力を失っていないというのに」
 一人路地をぶらぶらしている時に思わず口から洩れた。
 仕方がないと彼女は思った。
 そして、迷うことなく浮かれている部下の中に入り、率先して海での勝利を謳い、自身が機渦海の支配者となったことを内外に遠慮なく喧伝しだしたのだ。
「……始まったよ」   
 イーポリーは、その様を見て改めて呆れた。
 酒場でのドンチャン騒ぎについていけないと醒めた様子で店の端で一人、カクテルをテーブルに置いて人を寄せ付けないでいた。
 たまたま選んでいたのは、以前教会でリーリカムが読んでいた本のページに出てきたいたものだと気づき、舌打ちしたくなる。
 そのリーリカムは輪の外れ当たりで、いつもの薄ら笑いを浮かべたままこれもぼんやりとした様子をしていた。
 当たり前のように、彼の周囲に海賊たちは集まらない。
 いくら何をしても功績は何を考えているかわからないお調子者のティリングであり、強引で身勝手な彼に人は寄ってこないのだ。
 傍にいるシーウがあからさまに不機嫌で、彼は少女を視界に入れないようにしている様子だった。
 どうしたのかと思っていると、しばらくしてシーウ自らが彼女のテーブルの席に来た。
「何で俺がここを離れなきゃならないんだよ!」
 八つ当たり以外の何物でもない言葉を、トーポリーにぶつける。
「どういうこと?」
 肝心なところで、怒り丸出しのまま口をつぐむ。
 無理に喋らせようとはしないで、彼女はリーリカムの方に意識だけを向けが、興味もなさそうに反応がないので、我慢しきれずに人づてに呼びつけた。
「あー、なんだよ?」
 面倒くさそうに、どっこらしょとわざわざ言って座り、ウェイターにウィスキーを注文した。
「給料上がるどころか、下がってるね。あとで倍額払うって話は本当?」
 トーポリーは、通常通りに主題を最初に持ってくるのを避ける。
「言っといたからな。このざま見ろよ? 図に乗った連中の結束乱れるだろう? 勝手に何しだすかわからんぜ、連中。本当か嘘かというと、嘘だ」
 はっきりと言い切る。
「それは流石にヤバいんじゃないの……? バレたら今度こそ殺されかねないよ?」
「その頃にゃ、それどころじゃないさ」
 意味ありげである。
 トーポリーは心配になった。
「まさかと思うけど、負けてる位置にいる気?」
 リーリカムは眠そうな目で、口をゆがめる。
「……都合、良いだろう?」
 トーポリーはわざと目をくるりと回して見せた。
 彼女は追放劇からリーリカムの評価を上げていた。だが、今それは過大評価だったと気付いた。
 この男はやはり、信用すべきではない。大の為ならためらいなく小を切り捨てる。それが何であっても。
 海賊として最も大切な個の利を最大に考えてるという位置にいない。確実に海賊向きではないのだ。
 良いか悪いかトーポリーには判断できないが、国の政治家か官僚向きだ。
 彼女らが最も嫌悪すべき社会の代表的人物像である。
「もう好きにしなよ」
 トーポリーは吐き捨てるように言っていた。
 




 もう一人、不機嫌極まりないのはウークアーイーである。
 どうすべきか迷っていたがイブハーブを宮廷内の執務室に呼び出しておいて、その後、無言である。
 今や王国内をこそこそする必要のなくなったイブハーブは堂々とそこにいた。
 いつまでたっても、ウークアーイーは机の上に置いた自分の指先を見つめているだけだった。
 結局、イブハーブから切り出すことにした
「……困った?」
 いきなりの核心である。
「わからんか?」
 低く地を這うかうのうな声とともに、目を机から睨み上げてくる。
「こちらは、五港候との交渉が終わったところだよ。アームリカは奪われたが、海賊の支配下には入らんよ。五港候がしっかりと手綱を握って海賊どもから支配権を奪う予定だ」
「私らの面目はどうなる」
「元々、秘密でやってただろ?」
「・・・・・・いつの間に五港候と交渉していた?」
「要機軸の解明の糸口をたどってる最中だなぁ。ちょうどたまたま良い具合な接触だった」
 何でもないことのような態度のイブハーブだった。
「つまりは、何も心配はいらないということだな?」
「責任者がそれでは困る。心配することがないということは、すべて心配すべき時だよ」
「どういう意味だ?」
「単なる警句さ」
「警句、ね」
 ウークアーイーは意味深に繰り返した。
「言っとくが、すべての手は打ってある」
 イブハーブに、ウークアーイーは疑問を持った。
「おまえの要機軸研究はどこまで進んだ?」
「解明した」
「いつ?」
「五港候に会った時だよ」
「・・・・・・つまりは、勝てるんだな?」
「ああ、勝ちだよ、これは」
 イブハーブは何のためらいもなく断言した。





 アーランリを三本の神経塔の中心に据えると、各方面へラインが伸びて、機渦海の中心として各地の連絡が繋がった。
 ティリング自身に動きがあるだろうと静観していた海賊たちは、意外にも五港候がアーランリの管理を任されたと聞かされた。
「これでいいんだろ?」
 ティリングは艦上でリーリカムに確認する。
「上出来」
 彼によれば、今アーランリを支配下に置けば、五港候自身が彼女を絶対的脅威として自ら動いて残った海賊すべてを彼女の敵にするだろう。そして、ティリングの艦隊諸氏ではアーランリを管理できる能力すらないだろうとのことだった。
 ならば、機渦海の「元々の」主である五港候に引き渡して恩を売った方がいい。
 旧帝国の貴族である神たちは、イルファン王国より古く海と大陸を支配し、アーランリを筆頭として、皇帝である五港候の先祖である皇帝の部下なのだ。
 下手に手を出さない方が賢明なのだ。
 そんな名よりも実を取ろうという、リーリカムだった。
 事前の計画通り行こうというのだ。
 わざわざ彼が様子を伺い来る必要がなかったかのように、ティリングは陽気で鷹揚なままだった。
 そして、二面性もそのままだった。
「あとは、シーイナの艦隊さえ潰せばいい」
「やれるか?」
「やるしかない。唯一、五港候からイルファンに対してはアクセス権を得ただろう?」
 リーリカムは相変わらず具体的な話をしなかった。
「まぁ、いつものことだ。今回はきっちりと私がたまに何とかしようじゃないか」
 ティリングはリーリカムの肩を拳で叩いた。
「奴らは相変わらずルレンにいるのか?」
「ああ」
「強襲するぞ」
 ティリングは不敵な表情を浮かべて即、宣言した。





 ティリングは揮下の第一番艦隊、第二番艦隊、第六番艦隊、第七番艦隊、第九番艦隊、第十二番艦隊という、五港候のもとの近くの洋上で待機していた全兵力をイルルレンに向かって出発させた。
 うち、七番艦隊のリーリカムと九番艦隊のビージリー並んで配したが、この突撃艦主体の二個艦隊は、最後方にいた。
 代わり、工築艦艇と砲艦を互い小部隊づつで挟み混むようにして、横長の横隊二列を形成した陣形を移動するときから取っていた。
 意図は明白だ。
 シーイナは索敵艦からの報告を受けた時、無表情だった。
 イブハーブはあれで冷たい。
 悪戯っぽさで茶目っ気があるように見えるが、裏を返せば人の弱点を突くことに躊躇しないタイプといえた。
 踊らされることに問題はないが、シーイナには軍人としての矜持がある。
 ベルティとの戦闘時に艦艇の損害はなかった。
 レプリカントの死傷者は千五百人を数えていたが。
 現生産下にあるのは目標の三万まではまだ足りない、二万人だった。
 シーイナは相手から補足されていないことを確認し、移動隊形の三列縦隊で大きくティリングの背後に迂回した。
 そして、距離二百キロで発見されたときには、艦隊を展開し、中央に旗艦を置いて、三方に弩弓戦艦を配置した鉄鋼の平原を造っていた。
「工築艦、前へ。防御陣地を造れ」
「魚雷発射。攻撃開始」
 距離七十になった瞬間、ティリングとシーイナは期せず同時に命令を下していた。
 ティリング艦隊の各所で榴弾弾頭の魚雷が水柱を挙げる。
「先制かけるから、後は頼んだぜ」
 リーリカムはビージビーにいって、艦隊を動かした。
 三千の突撃艦が一気に百ノットの速度に挙げて、シーイナ艦隊に迫った。
「ウィリカ」
 シーイナは陸戦部隊司令官の名を呼んで、指示の代わりとした。
 各ハッチでレプリカントたちが迎撃準備をする。
 リーリカムの突撃艦は、鉄の平原に上陸するものとばかりおもっていたが。いつまでたっても走行は止まらず、それどころか海面から浮上してシーイナの戦艦各艦橋に向かっていった。
 ディ・スロ、ローキュ・バーラ、スタービ・カーのものを狙って集中的に衝角に八百キロ爆弾をつけたミサイルと化したリーリカム艦隊が殺到したのだ。
 シーイナは完全に虚を突かれた。
 ビージリーが「忍びない」と言っていた戦法を、ドローンに過ぎないと一断したリーリカムの遠慮のない発案だった。
 三隻の弩弓戦艦は巨大な爆発の後、爆煙を上げて艦橋を失い、制御不能に陥った。
 そして、リーリカムは白銀のリボルバーの引き金を引く。
 重力が弩弓戦艦にかかり、強引に海中に引きずり込まれるとともに、海面が陥没する。
 平原が凸凹煮崩れる。
 そこに、トーポリー指揮の砲艦が工築艦の蔭から砲撃を開始する。
 シーイナは冷静に、密集隊形の散会させて、三つの単縦陣に変えるよう命じる。
 だが待っていたティリングが、能力を影響させる。
 彼らはアームリカを使って、本来の力を数倍に増幅していた。
 適切な配置につこうとする艦と艦はお互いが散会したまま近寄ることができずに、バラバラに洋上を迷走した。
 一艦一艦、トーポリーが砲弾を集中させて確実に沈めてゆく。
 艦橋で、乗員がシーイナに視線を集中させる。
「・・・・・・各自、全力で敵艦を撃滅せよ」
 彼女は通信士に命じた。
 そして、艦長に顔を向ける。
「全速前進。ティリング艦隊に突入を敢行する」
 艦長は一瞬何か言いたそうだったが、すぐに気づいて艦を動かす。
 集団の中心であるシーイナの戦艦がまっすぐに砲火をものともせずティリング艦隊に向かったことによって、まとまった形をとれなかった艦隊が距離を取ったとはいえ、整列するかたちを取ることができるようになった。
 その判断は正しかったのだが、遅かった。
 シーイナ艦隊もメイン巡航艦はすでに大半が沈み、戦艦も三分の一を失った状態で、駆逐艦を掃討されている状態だったのだ。
 突入してきた旗艦に、ティリングは全砲門を叩き付けた。
 シーイナの艦は各所で爆発を起こし、それでも艦砲を放ちつつ前進してきた。
「しぶとい・・・・・・」
 ティリングは思わず悔しげに呟いた。
 だが、とうとう、ティリング艦隊の本体に接触する寸前、戦艦は機関部から大爆発を起こして停止し、誘爆の嵐を起こして海面から沈んでいった。 
第六章
 シーイナ艦隊が敗北した報は、イルファン王国を駆け巡った。
 ウークアーイーは報告を冷静に受け止め、変わらずいつものように執務を取った。
 夜、すでにルグイン研究所に戻っているイブハーブを密かに訪ねる。
「イブ……」
 彼女は言葉もないかのようだった。
 椅子にもたれて、シーリングファンを眺めていたイブバーブへの怒りも無いかのようだった。
「手はあるから安心しな、ウーク」
 彼はまったく慌てることなく、ウークアーイーを見もせずに言った。
 黙って次の言葉を待つ彼女に、ようやく口を開ける。
「言ったろう、何度失敗しても機渦海の討伐軍は止めるな。新しい司令官はトロイビーという男だ。それと、ディビオ交易商会だが、もう安全だとお墨付きを与えておきな」
 聞く男の名前は初めての上に、社長を人質に取られて動きが取れないディビオに安全とはどういうことかと、疑問だらけだった。
 どこから聞いて行くべきか迷っているウークアーイーに、イブハーブは口を開いた。
「トロイビーは元ティリングの部下だ。そして、ディビオは実質、ウチの大陸で支社長していたルジアルが社長になるよ。ティリングが行動できたのは、この男がディビオの小艦隊をうごかさなかったからだよ」
「……つまりは、黒幕か?」
 追い詰められているのだろう。「犯人」探しをはじめているウークアーイーに、イブハーブは笑ってみせた。
「あー、結果的に、だから違うだろう」
「では社長は?」
 これには、笑いを浮かべることができなかった。
「とっくに海賊どもに殺られてるよ。ルジアルが望んだ通りにね」
「……そうか」
「とにかく、ディビオが動けば、元海賊のトロイビーとあわせてティリングの動きを封じることができる」
「元海賊だと?」
「そうだよ?」
 何でもないかのように返事をして、問題があるのかという態度を見せる。
「お茶、飲むか?」
 ついでに、口を開きかけたウークアーイーに被せるように言った。
「……一杯もらおうか」
 強引に一息付けさせられた彼女は、秘書が用意する紅茶が運ばれるまで待つことになった。
「……それでな、俺だけどここに戻るわ」
 イブバーブの机に紅茶が置かれる。
「まてまてまて。今おまえに去られたら、私が困る」
「ってか、やること終わったし」
「終わったって……今から立て直さなければならないじゃないか」
「俺、宰相じゃないし」
「おい、無責任だろ、それ?」
「どっちがだよ? いつまで俺の話に乗ってるつもりだい?」
 ウークアーイーは押し黙るしかなかった。
 溜め息の代わりに、彼女は紅茶に口をつける。
「……わかったよ。元々が元々だしな。私ももう降りられない。気楽でいいよな、おまえは」
 最後に皮肉をぶつけて、ウークアーイーはルグインを後にした。
「……結局、無理だったかぁ」
 伸びととともに、放り投げるようにイブバーブは声にした。
 本当なら、ウークアーイーを引き釣り下ろす予定だった。
 トロイビーも加えた彼等でルグインを本拠にして、機渦海を背後に大陸のイルファン王国を支配する。
 いや、遷都の先をルグインにして、新しく出発しようと考えてはいたのだ。
 だが考えと行動の性向は違うと実感した。
 イブハーブは中央で黒幕をやっていたが、結局、嫌気がさしたのだ。
 まったくもって向いていなかったと言っていい。
 疲れ果てて権力の亡者のようにしがみついて離れなくなる前に、彼は元の職に戻って我を取り戻すことにした。
 結局、シーイナを犠牲にしてしまったのが、影を落としたことも影響している。
 結局、こりごりなのだ。
 彼にとって権力は何の価値もなかった。
 むしろ精神をすり減らし、本来の人格が冷酷無比な人非人として昇華してしまう前に、逃げたのだ。
 良かったどうかはわからない。
 ただ一つ。
 本人が納得したということは、確かだった。





 リーリカムは、洋上を回遊していた。
 目的の相手の動きは素早く、なかなか捕まらなかったがコントリーの港でようやく足取りを掴めた。
 思った通り、五港の一つにいた。
「まったくもって、しつこい」
 バーで隣に座っていた女性が、微笑みながら呟いた。
「こそこそとしてるからだろう。好きでこんなことしてるわけじゃねぇ」
 リーリカムも同じくして、心外そうだった。
「私は仕事をしているだけだ」
「俺だってだよ」
「まぁ、お互い疲れるもんだ」
「そうだな」
 ウィスキーに口を付けず、リーリカムはやれやれと息を吐くと、続けた。
「これ以上、何が欲しいっていうんだよ、おまえんところは?」
 女性は、ニヤリとした。
「これ以上も何も、元々の権利だ」
「ああ、なるほどね……」
 わかったかと言いたげに、テビリカは青いカクテルを飲む。
 リーリアルは鼻をは鳴らした。
「だから、俺が苦労するんだよ」
「知ったことか」
 即答である。
 跳んだのは同時だった。
 狭い店内で、襲い掛かってこようとしたテビリカに対して、リーリアルは後ろに跳んでいた。
 鉄の釘を、下向きにして両手に握り、テビリカは目を細める。
「ケムとか言うガキはもういないぜ?」
 リーリカムはリヴォルバーを手に口だけをゆがめる。
「だから?」
「無駄なあがきはよせよ。五港候が復活しようなんて古臭い夢物語だ。いい加減、気づけよ?」
「言っただろう、仕事だって」
 リーリカムは、諦めた。
 つまりは相手はもう、亡霊なのだ。
 五港候のもつ、妄執という名の。
 リーリカムは準備していた仕掛けを遠慮することなく実行した。
 相手がこちらを伺っている隙をつき、間接神経網に潜り込む。
 太いラインの元をたどり、一本にまとめていたものを切断した。
 テビリカの顔が困惑が浮かぶ。
 三つの神経塔で繋いでいたアーランリへのラインをまとめて一本にしていたものを切断したのだ。
 テビリカを動かしていた五港候の象徴が孤立して、間接神経網上から接触ができなくなった。
 いきなりテビリカは目的を奪われたのだ。
 リーリカムは、理ボルヴァーの狙いを付けて引き金を引いた。
 テビリカの左肩が弾かれて、彼女はバランスを崩す。
 ついで、テーブルの酒瓶類を顔面に投げつけて、隙をつくり、一気に距離を詰めて脚を払うと、馬乗りになった。
 額にリボルヴァーを押し付けるように突き付ける。
「で? で? 仕事ってなんだよ、具体的に」
 テビリカは、ぐちゃぐちゃになった様で下から不敵な微笑みを浮かべてよこした。
「なんだ、代わってくれるのか。そりゃ楽でいい」
 撃鉄が上がった。
 それでもテビリカは笑っている。
「私がやっていたことが、最後の話だと思うな? 根は意外と深いんだよ」
「……それだけ聞けば十分だ」
 リーリカムは何の迷いもなく、引き金を引いた。





 港をながめつつ、イブハーブは銀髪の中年男と並んで立っていた。
「苦労しましたわ」
 彼はやれやれと付け加える。
「覗き見、楽しかったか?」
 ファガンは、小馬鹿にするように言う。
「それは、ウークアーイーに言ってくれますかね」
「とぼけるな。おまえも同罪だろう?」
 誤魔化せないと思い、イブハーブは苦笑した。
「そもそも、意味ありげな日記を残して消える本人が悪いんです」
「開き直りかよ、今度は?」    
「なにか?」
 イブハーブは知らない顔をした。
「相変らずで、嬉しいよ」
 ファガンは皮肉る。
「手の平で踊ら去られた身としては、何も楽しくありませんが」
「俺がやるわけにはいかなかったからなぁ」
「責任取りたくなかっただけでしょう?」
「酷い言い方するなぁ」
 ファガンは一笑する。
「ルグインが潰れて困るのは、俺だけじゃないだろう?」
「だからと言って、私に丸投げするのもどうかと思いますが?」
「可愛い子には旅をさせよというじゃないか」
「旅してたのは、閣下のほうでしょう?」
「そうでもない。必死の逃亡だった。もう二度と御免だ、あんな生活」
 しみじみと息を吐く。
 本音だろう。
 要機軸は、ファガンによる行動のヒントを散りばめたものだった。
 それを神秘化して噂を流したのはイブハーブ自身であり、その時点でやっぱり丸投げじゃないかと言ってやりたい。 
「結局、戻ってくるのですか?」
 イブハーブはもしそうならすぐにでも、准将職を辞するつもりでいた。
「将来有望な青年の行く手を阻む老害には成りたくないからなぁ」
 彼の考えを読んでいるのような返答だった。
「おまえらはおまえらでやることがあるだろうが、俺もちょっと関わっちゃったもんで手を退くに退けなくなくなってなぁ」
「五港候ですか?」
「そういうこった。おまえがルグインを首都にしてくれなかったおかげで、処理に追われることになったってことだ。どうしてくれる?」
 からかうように、イブハーブの顔を覗いてくる。
「いやぁ、あれは結局、望みすぎというものでしょう。閣下も必死になりすぎて、ちょっとブレーキがきかなかったんじゃないんですか?」
「言ってくれるじゃないか」
 言葉の割に楽しそうである。
「まぁ、そういうことでな。ちょっと借りたいものがある」
「何ですか?」
 イブハーブは本音で疑問に思った。
 これ以上、なにが必要というのか。
「ファビオ交易商会だ」
「……これはまた」
 イブハーブは言葉もなかった。
「すぐに手を打ちますよ」
「ああ。俺も食ってかなきゃならんからなぁ」
 どこまでも韜晦するつもりかと、苦笑しそうになる。
「じゃあ、行くわ。これからよろしく」
「はい、それでは」
 背を向けたファガンの姿が消えるまで、イブハーブは背筋をただした敬礼を止めることはなかった。





 イルルレンの発展ぶりは目覚ましかった。
 薄汚く生臭い港都市の中心は、今や端に追いやられて、高層ビルが乱立して周囲に繁華街ができ、人々の雰囲気も怪しさしかなかったところが、真面目そうな商社勤務と工事業者の家族で賑わっていた。
 彼等にとって、ファビオ交易商会の社長が変わったことは衝撃だった。
 それは安心感をもたらすものでもあったが、新たな火種の予感もさせた。
 誘拐されていた現行社長、ヲルルキ・ディビオは殺されて次を目されていた大陸の支社長ルジアルが更迭されたのだ。
 代わりに社長の座についたのは、元ルグイン研究所で課長職にあったファガンという男だった。
「一番厄介なのがトップにつきやがった」
 リーリカムが酒場でぼやいていた。
「そうかなぁ」
 隣にいたトーポリーがワザとらしく首を傾げる。
 ああ? と不機嫌そうに伺って来た彼に、トーポリーは封筒からちらりと紙を抜き出して見せてきた。             
 それは、ファビオ交易会社の株券だった。
「銀行に全体の十二パーセントが入ってるんだよ」
 リーリカムは乾いた笑いを上げた。
 懐柔に来たわけだ。
 そして受け入れたわけだ、ティリングは。
 しかし、彼女のことだ。知ったことじゃないと言い出すに決まっている。
「コリィドットのところはどうなんだよ?」
「全体の十八パーセント」
 やはり。
 ファガンという男は、ティリングにまだ暴れさせる気でいるらしい。
 ファビオ交易会社の権益をめぐって、コリィドットとティリングの争いを狙っているのだ。
「ご当人は?」
「どうして知らないの?」
 逆にトーポリーが意外そうに聞いてきた。
 機渦海をめぐるイルファン国との争いがひと段落してから、リーリカムとティリングの連絡は以前ほど密接ではなくなっていた。
 何かありそうだが、この海賊集団で孤立状態のリーリカムには情報収集する手立てがない。
 その間、何をするわけでもなく、リーリカムはただ時を待っていた。
 彼の立場上、下手がことができないのだ。
「暇そうだなぁ」
 夜の路地でしゃがんでぼんやりと通行人を眺めていた時、声を掛けられた。
 ようやくか、と思った。
 見上げると、コーンローのドレッド頭の女性だったのだ。
「復讐を忘れたのかと思ってたよ」
「忘れるわけがねぇ」
 ティリングがニヤリと笑った。





 シーウは個室で一人、黙々と夕飯を食べていた。
 シチューとパン、オムレツというなかなかの品だ。
 全てリーリカムが用意していたもので、料理自体は彼女がした。
 そのリーリカムは最近姿を見せない。
 彼女のやることはまだ残っていた。
 合間合間でリーリカムが補助そのものという風に助けてはくれていたが、機渦海の神としての彼女が復活するまでまだまだかかる。
 アーランリがまとめ上げかけた海は、文字通り、まとめ上げかけた瞬間に崩壊した。
 今こそ彼女が復活すべき時だった。
 リーリカムは、港でトーポリーと一緒だった。
 新築の港は整備されて、多数の商船らがこの時間だというのに、賑やかに荷を詰むのを急いでいる。。
 生暖かい潮風が、調度満潮でこれから引くところであり、風も都市から常に吹いているために絶好の出航時間だった。
「で、連絡は取れたの?」
 トーポリーが聞く。
「ああ。流石はファガン。お見通しって感じだったらしいよ」
 トロイビーが要機軸を調べ上げて伝えてきた内容は、リーリカムにとって予想を超えるものではなかった。
 旧帝国は現イルファン王国の宗主国ではなかった。
 イルファン王国の旧宗主国が、旧帝国の宗主国だったのだ。
 つまり、五港候が機渦海の主ではなく、今は名がない国があったのだ。
 ここに。
「で、シーウはそこの神だったってわけだ。五港の神の連中がビビッて知らないフリするわけだわ」
「反対するぞ」
 トーポリーは数段の会話を飛ばして、いきなり結論を否定してきた。
「いや、わかるんだがな?」
「わかってるなら問題ないだろ?」
「そら、潰さんよ。ぶっ殺したりなんてしないよ」
「ならよかった」
 リーリカムは、拗ねたような小馬鹿にしたような、複雑な表情をただ口元をゆがめるというだけで表した。
「ならどうするのさ?」
「ああ? おまえ、知らなかったっけ?」
「なにが?」
「俺はあいつの教育係だよ」
「……どうだか」
「どういう意味だそれ?」
 今度は片眉を小さく撥ね上げる。
 トーポリーは、笑った。
「まぁ、いいか」
「何が!?」
「あんたなら悪いようにしないでしょ」
「ところがなぁ……」
 リーリカムは少し声を潜める。
 つい、トーポリーは怪訝に耳をすました。
「色々と厄介がでてきたんでねぇ」
「は? 厄介ってなによ?」
「面倒ごとだよ」
「わかってる!」
「ならいいだろう?」
「そういうことじゃない!」
「まぁ、ちょっとばかりちょっとばかりになる」
「は?」
 言うだけ言って、リーリカムは逃げるように歩きだした。

      
     
  

「たった今から、裁判を始める」
 後ろ手に縄を縛られたリーリカムは、ティリングを睨んでいた。
「リーリカムは、以前ファビオの輸送船団を襲ったが、分け前とすべき鹵獲品を隠ぺい、全て独占しようとしたことが明らかになった」
 ルレン交易商会のホールには、海賊たちが机について朗々とした声を上げるティリングとリーリカムを囲んでいた。
「おい、ちょっと待てよ!」
 叫んで割って入って来たのは、シーウだった。
 少女は、ターホリーに助けの視線をやりつつ、ティリングの前に飛び込んだのだ。
「リーリカムは今回、散々功績を立てただろう!? なのにこれはなんなんだよ!」
「うるさいぞ、クソガキ。私には私の法がある」
「あんたの法だろう!?」
「その通りだ?」
 ティリングは邪悪と言っていい笑みを浮かべ、拳銃をトンっと机の上に置いた。
「この会社は私の会社であり、私が会社であり、私は会社をまとめるための法を守らせねばならない。つまりは、私が法なんだよ、小僧」
 あざ笑うかのような言い方だった。
「なんだそれ!? ただの身勝手だろう!?」
「違う。私が法である以上、これは法だ」
 リボルヴァー拳銃を手に取り、一発の弾丸を込めつつ言う。
「繰り返しの論法だ! 大体、あんたらの関係はそんなもんだったのか!?」
「引っ込んでろよ。おまえはここの人間じゃねぇ」
 ティリングはこれ以上何もいうことはないと宣言し、拳銃をリーリカムに放り投げる。
 縄がトーポリーによって静かに解かれて、彼はやっと自由になった。
「置いて行く島がちょうどないのは幸運だったな、リーリカム。おまえに自殺用の弾一発をやる。あとはわかるな? さっさと出ていけ」
 拳銃を拾い、手首をさすったリーリカムは小さく、くそったれと呟いただけだった。
 あまりに静かになったホールのために、思った以上に響いた。
「以上。リーリカムは追放刑だ。ついでに今までの報酬だ。そこのガキをくれてやる。さっさと売って路銀にでもするんだな」
 リーリカムからの目をみたシーウは愕然とした。
 冷たく突き放したものが、瞳の奥にあったのだ。
 トーポリーに助けを求めるように、再び顔を向けるが、彼女は無表情に顔色一つ変えなかった。
「嘘だろう?」
 シーウは呟いた。
 立ち上がったリーリカムは、少女の腰の裏のベルトを掴み、抵抗できないように日木津って、その場から外にでた。





 行商人のいる通り近くkまでくると、流石にシーウは諦めた。
「……黙っていれば、いい加減にしろよ人間が」
 がらりと低い声音に変わり、シーウはタントートとしての人格に変わった。
 リーリカムは舌打ちする。
「売る前にそれ出さないでくれないか? 銅貨一枚にもなりゃしねぇじゃねぇかよ」
「うるさい。この俺を売るだと!? どこまで図に乗って都合のいいこと考えている?」
「まぁ、こうなっちゃ売れやしねぇ」
 リーリカムは楽しそうに鼻せせら笑う。
 意識は間接神経網にアクセスしていた。
 ラインが絡み合う中、ぽつりと孤立した光球。
 探すまでもないぐらいに目立っていた。
「ルレン?」
 一本の線を活性化させるかのように明かりが灯って走り、一つの巨大な光球に伝わる。
『……久しいな』
「あんたも残念だなぁ」
『なかなかに面白かったがな。おかげで今はおまえの言うことを聞ける立場にないぞ?』
「だろうなぁ。諸神の動向はどうよ?」
『まとまりつつあるな』
「アーランリがいないのに?」
『奉る人間が現れた』
「なるほど」
 リーリカムは把握したと頷く。
「そこでだ、ルレンよ。面白い話がある」
『ほぅ……』
 光球は楽しそうに震える。
『言うことは聞けんと言ったが?』
「言うことは聞けるだろう?」
『ああ、そういや私には耳があったな』
 今度は空間ごと揺れた。
 喜んでいる様子だった。
 リーリカムもニヤリとする。
「あんた、旧王国でどれぐらいだったんだ?」
 ルレンは一瞬、黙った。
 が、ラインは繋がっている。
 リーリカムが公表してする情報は、全て伝わっていた。
『全ての神を敵に回す気か、貴様?』
「何しろ、俺は誓ったんでねぇ。復讐するって」
『おまえだけか?』
「ものすごく残念ながら、今現在は俺だけだ。人間はね」
『嘘つけ』
「バレてるか」
『舐めてもらっては困る』
 リーリカムがみるところ、ルレンの哄笑は自嘲というものが過分に含まれたものだった。
 自覚があるのだろう、ルレンはリーリカムの次の反応を待つ。
「これから、機渦海の海賊は旧帝国に対して宣戦布告する予定だ」
『……そこまで来たか』
「そういうこった」
 ルレンは沈黙して感情を押し殺し、何とか別の表現はないかと探っている。     
「あー、それ無駄だから。諦めなよ、誤魔化すのは」
『ふざけるな!』
 一喝は、予想して準備していなくては、光球が簡単に押しつぶされて灰塵と化すに十分なものだった。
 厄介だ。
 リーリカムは正直思った。
 五港の神一人で、この強大さである。
 もっとも、五柱しか残っていないというのが、唯一の慰めだ。
「ふざける? ならどうする?」
『当然のことを聞いてくるなぁ、虫けらは』
「実はこれには裏があるんだよ」
『あぁ?』
 瞬間に怒りを興味深さに変えて向けてきた。
 これが特徴だ。
 神となった旧帝国貴族は、自分の感情も操作できる。
 先程の挑発に乗ったのも、計算のうちだろう。貴族としての誇りを示しただけのことだ。手を軽く振ったのと変わらない。
「助攻はあんたらに向かってるが、主攻は旧王国だよ。これは、機渦海海賊の総意だ」
『貴様もか?』
 リーリカムは笑う。
「俺は海賊どもから追放されてねぇ」
『……なるほど。また「追放された」ということか』
「やかましいね、あんた?」
 ルレンは空間を震わせる。
『まぁいいだろう。話は聞いた。実に有意義な時間だった』
「それはそれは、光栄ですな」
『まぁ、頑張って生きるんだな、人間。連中は私たちですら、扱いに困るほどだぞ』
「正直に、手に負えないって言えないのかよ?」
『誇りというものだよ。私たちが唯一、決して離さないものだ』
「だろうね。せいぜい暗い暗い深海で小魚相手に威張り散らしてろよ、負け犬」
 瞬間、ラインを切った。
 ラレン港が突然の地震に見舞われた。
 ビル群の一部は倒壊し、住宅街から火がでたのがわかる。       
 元々違法商売を行っている行商人たちは驚いて、一目散に消えて行った。
 治安が悪くなった直後は、警ら隊が活発に動くのだ。
「移動するぞ、シーウ」
「え? あ、あぁ……」
 いきなりでわけが分かっていない少女は外見だけ見栄を張って平気ぶり、港の方に向かうリーリカムについて行った。





 灯台の入口だった。
 それは古いラレンの基礎部分に建てられたものだ。
 おかげで地震を物ともせず、平気で機渦海を照らしている。
「さてと。レッスンだ、シーウ」
 陰に籠っていたシーウの顔が上がる。
「あそこに十隻の輸送船団がある。アレをやるぞ」
 灯台が照らす水平線上に、並んだ姿が眼に入った。
 シーウは無言でポケットからカランビットを手に握る。
 リーリカムといえば、黒いリヴォルバーを両手にしていた。
 二人で突撃艦に乗って水面を走ると、段々と船の威様さが迫ってくる。
 全て六十門艦だった。船とも艦ともとれる大きさだった。
 リーリカムは先頭を行く船団の指揮船ではく、闇に隠れて最後尾の船の後ろについた。
 二人はキャビンの下から侵入し、舷側を走ると艦橋にでた。
 リーリカムの天井に向けた一発の銃弾を合図に、シーウは船長に襲い掛かる。
 いきなりの侵入者に、彼等は冷静に対応してきた。
 シーウの腕を取った航海士の胸元に、巻き付くように回転して迫ったシーウはためらいなくその首過ぎをかき切った。
「船長、船を前の船にぶつけろ」
 リーリカムは命じて、後頭部に拳銃を突き付ける。
「……貴様ら、こんなことして」
「いいからやれ」
 撃鉄を起こすと、船長は大人しくいう通りにした。
 進路と速度を変えた船は、乗り上げるかのように、目前の船に迫った。
 リーリカムは残った二人の航海士と船長に無慈悲な弾丸を撃ち込むと、すぐに外にでた。
 船先から跳ぶようにして、次の船に乗りうつる。
 再び走るは艦橋だ。
 船長に前の船の時と同じセリフを吐く。
 次々に乗り込んでは艦橋の要員を殺戮し、最後に旗艦の艦橋にいた。
「さてと、全員動くなよ?」
 リーリカムはニヤニヤしつつ、たのしいねぇと呟いた。
「どこの野良海賊だ、貴様ら!?」
 艦長は強気だ。
「黙ってろよ。トロイビーから命令が出た」
「イルファンからは何も連絡が来てないぞ?」
「今から出るんだよ」
 あごで合図されたシーウは、艦長に飛びかかった。
 顔と首を腕で遮った彼の脇腹当たりをえぐり、痛みで露出した顔の耳下にカランビットを撃ち込む。
 艦長は血も噴き出さないで倒れる。
「進路変更、目的地はイルファン港」
 両手に拳銃を構えながら、リーリカムは残った乗組員に命令した」
「じゃあ俺はいくぜ、シーウ」
「なんで?」
 拗ねたような恨みがましさを露呈して、シーウは聞いた。
「おめーはこの船団を土産にするんだよ、旧大国のために」
「冗談!」
「マジだ」
「あんたまだ、何もしてないじゃないか! 二三回、教えてくれただけで直接手をくだしてない」
「それはおまえ自身がやることだろう、シーウ」
「俺はこれで無力な神だ」
「自分で言ってるんじゃねぇよ」
「あんただって、これからどうするんだよ?」
「おまえの黒幕をやる」
 少女は一瞬、何のことかわからなかった。
「おまえは十分血を流した。何のためだ?」
「復讐のため」
「違うね。自身の将来のためだ」
 即答は即答で返された。
「リーリカム……」
「タラントート、もう逃げ場はねえぞ?」
 シーウは黙って彼を見つめた。





「新任が来るって?」
 イブハーブは、課員の一人に聞いた。
「はい。トロイビー提督が絶賛していました」
「ここ、流刑地ってやつだろう、もう」
 彼は、椅子にもたれて面白くもなさそうに呟く。
 その時、ドアがノックされて、一人の少女が軍服姿で現れた。
 ショートカットで青いメッシュを入れた小柄な姿だった。
「本日付で着任しました。シーウ大尉です」
「……誰かと思ったら」
 イブハーブは呆れたと言わんばかりだった。
「で、何か報告も持ってきているんじゃないか?」
 続けた彼は、シーウに向き直った。
「はい。ディビオの会社を取り潰せ、だそうです」
「ウークアーイーか」
 シーウは頷いた。
「予算よこさないくせに、勝手いいやがるなぁ」
「お言葉ですが閣下。ティビオには莫大な資本があります」
「私たちはこれから海賊をすればいいのかな?」
 イブハーブは自嘲気味だった。
「いいえ、やることは一つです閣下」
「なんだね?」
「旧王国の復活です」
 イブハーブはニヤリとした。
「楽しそうじゃないか、それ」
 低い笑いとともに、イブハーブは右腕を軽く回した。
 老人っぽい動作だったが、瞳は悪戯心でランランとしていた。
    
 
                                                            了

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