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真冬のおでんと出会いの夜 side 悠人
「う~~、さむさむ!ハルちゃん、まずはポン酒ね」
「はーい。お燗でいいですね」
「あ、オレもお願い。あと、大根とちくわにコンニャク」
「毎度ありー」
「おれは今日は酒、いらない。だし巻きとヒジキの煮たやつもらうわ」
「了解でーす!」
2月の週末の金曜日、寒気を引き連れて入店してきた常連三人組の一斉注文にテンポよく返し、まずはおしぼりを。
温かいおしぼりにほっこりしてもらっている間に、お燗の用意をする。
小鍋に半分ほど水を張って火にかける。徳利2本に一升瓶から慎重に酒を注ぎ入れる。湯が沸いたら火を止め、徳利を置いて2分半。その間につきだしと小鉢の準備だ。
今日のつきだしは竹輪とコンニャクの甘辛炊き。夏場は枝豆や冷奴にすることが多いけれど、寒い季節は濃い目の味付けにしたものが喜ばれる。おでんのネタを流用しているので味がかぶらないよう、ごま油で炒めて酒と醤油、ミリンで味を付け、一味唐辛子で仕上げる。まずピリリと一味の刺激が舌に来てすぐ、竹輪が持つ魚のうまみに醤油ベースの甘辛味が口内に広がる。コンニャクの弾力を楽しみつつ日本酒で流し込めば一日の疲れも吹っ飛ぶよ。とは、三人組のオジサンその1、池本さんのセリフだ。
県境をまたぐようにして東西に走る私鉄線の、中間地点からやや左側寄りの位置に、南西方向に下りる形で短い支線が延びている。本線から数えて4つ目の小さな駅を降りて線路の南側に出る。〈駅前南本通り〉と書かれたアーチをくぐり、20メートルほど進んだら、右手にある路地に折れる。個人営業の小さな理容店や電器屋、カラオケスナックなどが民家に交じってポツポツ立ち並んだその先にあるのが、『ごはん屋 はる』――僕、境木悠人(さかいぎ・はると)が一人で切り盛りする飲食店である。
間口が狭く、奥に細長い――と言っても、5人掛けのカウンターがあるだけのこじんまりとした店内で、おでんをメインに、煮物や焼き物を日替わりで用意している。アルコールを飲むなら、日本酒1合かビール中ジョッキ一杯まで。これは、若い頃、酒で苦労したという先代店主が決めたルールで、今も厳密に守られている。店の外観が昭和の赤のれん的風情にもかかわらず、居酒屋でなくて『ごはん屋』と銘打っているのは、これが理由だ。ちなみに、店名の『はる』の方は、僕ではなく先代店主・千春ばあちゃんの名がその由来だ。
一昨年の冬に亡くなった千春ばあちゃん。
ちんまりとして、いつも笑顔を絶やさなかった千春ばあちゃん。
死に向かおうとしていた僕を救ってくれた千春ばあちゃん。
今にも飛び降りようとしていた僕の上着の裾を後ろからチョンとつまんで、
―― にいさん、荷物運ぶの、手伝ってくれんね? ――
たった、それだけで。
諭すでも、怒るでもなく、あっさりと「こちら側」に僕を引き戻してしまった。自分でも不思議だが、毒気を抜かれたとしか思えなかった。言われるままに、彼女の足元に置かれていた買い物袋2つを手に、フラフラと着いていき......その時からずっと、僕はここにいる。
もうあれから3年になる。死を想うことは、今はない。
おっと、回想にひたっている場合じゃなかった。
つきだしを丸小皿に取り、ヒジキの煮物を小鉢に。歯ごたえのある長ヒジキを人参、油揚げと一緒にあっさりめに味付けした定番おかず。たまに、大豆の水煮や豚肉の薄切りを入れて、味に変化を持たせている。
「おっ、ヒジキ美味そう。オレにもちょうだい。この前の健康診断で海藻食べろって言われちゃってさぁ。ワカメの味噌汁だけじゃ駄目なん?」
常連その2、小池さんがボヤく。進行するメタボと薄毛に日々悩む51歳の中間管理職だ。
ヒジキを追加して、作りおきのだし巻きをよそい、カウンターに並べたところでお燗完了。小鍋から徳利を取り出し、底の温度を確認。うん、飲み頃。布巾で水気を拭ってカウンターへ。
「お待たせしました。どうぞ」
「いただきまーす」
「お疲れさーん」
お燗組が賑やかに徳利に手をのばす隣で、常連その3、池田さんがだし巻きに箸をつけた。口数が少なく、他の2人の聞き役に回ることが多いが、時に鋭い意見を口にしたりする。でも、厳しい人かというとそうでもなく、料理にダメ出しをすることもない。今も、千春ばあちゃんには到底及ばない出来のだし巻き、というよりはお弁当の卵焼きに近い代物を目を細めて満足げに食べてくれている。だしをたっぷり入れた卵を巻くのは未だに苦手で、開店前に集中して作ってこのレベルかと我ながら進歩のなさにため息が出る。でも、いつかは、噛めば温かな出汁がジュッと口内に広がる出来立てのだし巻きを食べてほしいと思っている。
この池本・小池・池田の常連3氏は、近くの梱包資材製造会社の同期で、苗字をもじって「イケメントリオ」と自ら名乗り、社内、特に若い女性社員のひんしゅくを買っているらしい。まあ確かに、3人揃って腹回りのぜい肉や生え際の後退、進む老眼や耳鳴りに悩む姿は、THE★オジサンと呼ぶにふさわしく、一般的な意味でのイケメンには正直ほど遠い。でも、陽気で明るく、何よりもこの店を愛して支えてくれる彼らのことが、僕は大好きだ。一昨年の冬、千春ばあちゃんが亡くなった後、店をどうするか途方に暮れていた僕を叱咤し激励し懇願し嘆願して営業再開に向かわせたのは、まさしく彼らだった。
「俺らは、ばあちゃんのファンだったけど、この店のファンでもあるんだ。こんな昭和感あふれる、おじさんが安心して飲める――1杯だけだけど――店なんて他にないんだよ。わがまま言ってるのは承知だけど、何とか頑張って!お願い!!」
池本さんたちの声に後押しされて、無我夢中でここまで来た。千春ばあちゃんは僕のことを調理師希望の遠い親戚と紹介してくれたけれど、実際は橋の上で拾われた、あかの他人かつ料理の素人だ。相続人の調査や経営譲渡の法手続きに加えて、今まで手伝い程度だった料理を本格的に勉強しなくてはならなくなった。千春ばあちゃんのレシピが残っていたとはいえ、これがなかなかに辛くて、投げ出しそうになったことも度々あったが、今ではいい経験だったと思える。まだまだプロと呼ぶには程遠いレベルだけれど、トリオをはじめとする常連さんたちが楽しそうに飲み食いしてくれるのを見ると、純粋に嬉しい。何もかも失い、孤独と絶望の挙句に身を投げようとしていた僕だったけれど、今は守りたいものがある。千春ばあちゃんの生きがいだったこの店を、この小さな幸せを大事にしていきたい。
数年前に小規模とはいえ再開発された駅の北側と違い、こちら側はシャッター商店街とすすけたような古い住宅が軒をつらねる、取り残されたように寂しい町並みで、新規の顧客も見込めず、この先どうなるか、正直不安はある。けれど「定年退職の日に、この店を貸し切りにして飲み放題・食べ放題の長年お疲れさま記念大パーティーをするのが夢」というイケメントリオのために、その時までは何とか続けていきたい。飲み放題はともかく、心からそう思う。
続けて、注文通りにおでんを盛り付けて出すと、僕はカウンターの上をざっと見渡した。
3つ並んだ盛鉢にはそれぞれ、ヒジキの煮物・マカロニサラダ・イカと里芋の煮物。平皿2枚にはだし巻き・焼き塩鮭。
カウンターの内側では、おでん用の丸い大鍋が静かに白い湯気をあげ、一升炊きの炊飯器が出番を待っている。
冷蔵庫にもマグロのぶつ切りや浅漬けなどがスタンバイしている。現在夜8時半過ぎ、閉店も間近いというのに、どの料理も半分以上残っている。
(マズい......作りすぎた......)
日頃、ほぼ常連さんで回っている店だけに、客足の読み間違いをすることはまずない。それでも、週末の夕食ぐらいは外で食べようと思うのか、独身らしきサラリーマンや深夜配送のトラック運転手などがふらりと訪れることもあるため、金曜の晩だけは品目も量もやや多めに用意するのだが。
(雪のせいだ......)
ここ2、3日寒い日が続いていたが、今日の昼前から短時間でまとまった雪が降ると予報が出ていた。すぐに降り止むようなことを言っていたので、いつも通り仕込みをしたのが完全に裏目に出た。正午ごろから降り出した雪は夕方まで降り続き、数センチ積もったところで雨に変わった。雪は溶けたが、寒気が全く緩まず、今度は路面の凍結に気をつけろときた。
寒さがこたえるのか、いつも開店一番乗りで来る近所のご隠居さんたちも電器屋の親爺さんも来なかった。並びにあるカラオケスナックのママさんが、たまにお客さん用におかずを買いに来ることがあるけれど、さすがに今日は期待できない。一見さんなら尚更来ないだろう。
何事もなかったかのように、いつも通りに来店し、おでんをつついている池本さんたちに心の中で手を合わせながら、さてどうするかと考えていた時だった。
「あれ?ハルちゃん、表の電気、消えてない?」
小池さんに言われて、左手にある入り口に目を向けた。
木製の格子に曇りガラスをはめた引き戸の向うが暗い。というか、黒っぽい影のようなものが幅の狭い戸全体を覆っている。と、
ガン!ガガガン!!
戸全体が音をたてて揺らされ、僕らは全員飛び上がった。
「く、熊!?」
「そんなバカな」
トリオがわたわたする間に、もう一度ガッと音をたてた引き戸が、今度はゆっくりと開かれてゆく。
黒いコートが立っていた。
いや、それは人ではあったのだけれど、あまりにも背が高く、鼻から上が完全に引き戸の上桟から出ていたので、曇りガラス越しでは影にしか見えなかったのだ。
「デカい......」
池本さんが呆然としてつぶやいた。
強い寒気とともに、窮屈そうに身をかがめて入ってきたその人が顔をあげた瞬間、僕は呼吸を忘れた。
これほど並外れた容姿を持つ男性を、今までに見たことがなかった。
年齢は30代前半あたりだろうか。後ろに軽く流すように仕上げられた艶やかな黒髪の下の秀でた額、すっきりと高い鼻梁にシャープな輪郭線。形の良い眉と切れ長の二重の瞼の間が欧米人ばりに狭く、深い。ともすれば冷酷な印象を与えがちな造作を、少し厚みのある唇がうまく和らげている。
身長はおそらく190cm近くあるだろう。しかも、ただ縦にひょろ長いわけではなく、肩幅の広さと胸筋のたくましさが服の上からでも容易に見て取れた。ベルトの位置からして、脚もきっと長い。とにかく全体的にバランスがよく、日本人には向かないと言われるトレンチコートを見事なまでに着こなしている。そのコートも相当な高級品だということが一目でわかる。仕事もできそうだ。何より、人に使われるよりは使う側の風格というか貫禄がすでにして備わっている。ともかく、"イケメン"という、ある種の軽さがともなう言葉よりも、"ハンサム"、"美丈夫"という言葉で評したくなる、そんな男性だ。
なのに、何故。
世の中全ての男性が羨むような恵まれた容姿と、成功者の生活を手に入れているだろうこの人は、どうしてこんなに空虚なまなざしをしているのだろう。
昏く沈んだ瞳の色は、森の奥深くにある何も映さない澱んだ沼を彷彿とさせた。
(つづく)
「はーい。お燗でいいですね」
「あ、オレもお願い。あと、大根とちくわにコンニャク」
「毎度ありー」
「おれは今日は酒、いらない。だし巻きとヒジキの煮たやつもらうわ」
「了解でーす!」
2月の週末の金曜日、寒気を引き連れて入店してきた常連三人組の一斉注文にテンポよく返し、まずはおしぼりを。
温かいおしぼりにほっこりしてもらっている間に、お燗の用意をする。
小鍋に半分ほど水を張って火にかける。徳利2本に一升瓶から慎重に酒を注ぎ入れる。湯が沸いたら火を止め、徳利を置いて2分半。その間につきだしと小鉢の準備だ。
今日のつきだしは竹輪とコンニャクの甘辛炊き。夏場は枝豆や冷奴にすることが多いけれど、寒い季節は濃い目の味付けにしたものが喜ばれる。おでんのネタを流用しているので味がかぶらないよう、ごま油で炒めて酒と醤油、ミリンで味を付け、一味唐辛子で仕上げる。まずピリリと一味の刺激が舌に来てすぐ、竹輪が持つ魚のうまみに醤油ベースの甘辛味が口内に広がる。コンニャクの弾力を楽しみつつ日本酒で流し込めば一日の疲れも吹っ飛ぶよ。とは、三人組のオジサンその1、池本さんのセリフだ。
県境をまたぐようにして東西に走る私鉄線の、中間地点からやや左側寄りの位置に、南西方向に下りる形で短い支線が延びている。本線から数えて4つ目の小さな駅を降りて線路の南側に出る。〈駅前南本通り〉と書かれたアーチをくぐり、20メートルほど進んだら、右手にある路地に折れる。個人営業の小さな理容店や電器屋、カラオケスナックなどが民家に交じってポツポツ立ち並んだその先にあるのが、『ごはん屋 はる』――僕、境木悠人(さかいぎ・はると)が一人で切り盛りする飲食店である。
間口が狭く、奥に細長い――と言っても、5人掛けのカウンターがあるだけのこじんまりとした店内で、おでんをメインに、煮物や焼き物を日替わりで用意している。アルコールを飲むなら、日本酒1合かビール中ジョッキ一杯まで。これは、若い頃、酒で苦労したという先代店主が決めたルールで、今も厳密に守られている。店の外観が昭和の赤のれん的風情にもかかわらず、居酒屋でなくて『ごはん屋』と銘打っているのは、これが理由だ。ちなみに、店名の『はる』の方は、僕ではなく先代店主・千春ばあちゃんの名がその由来だ。
一昨年の冬に亡くなった千春ばあちゃん。
ちんまりとして、いつも笑顔を絶やさなかった千春ばあちゃん。
死に向かおうとしていた僕を救ってくれた千春ばあちゃん。
今にも飛び降りようとしていた僕の上着の裾を後ろからチョンとつまんで、
―― にいさん、荷物運ぶの、手伝ってくれんね? ――
たった、それだけで。
諭すでも、怒るでもなく、あっさりと「こちら側」に僕を引き戻してしまった。自分でも不思議だが、毒気を抜かれたとしか思えなかった。言われるままに、彼女の足元に置かれていた買い物袋2つを手に、フラフラと着いていき......その時からずっと、僕はここにいる。
もうあれから3年になる。死を想うことは、今はない。
おっと、回想にひたっている場合じゃなかった。
つきだしを丸小皿に取り、ヒジキの煮物を小鉢に。歯ごたえのある長ヒジキを人参、油揚げと一緒にあっさりめに味付けした定番おかず。たまに、大豆の水煮や豚肉の薄切りを入れて、味に変化を持たせている。
「おっ、ヒジキ美味そう。オレにもちょうだい。この前の健康診断で海藻食べろって言われちゃってさぁ。ワカメの味噌汁だけじゃ駄目なん?」
常連その2、小池さんがボヤく。進行するメタボと薄毛に日々悩む51歳の中間管理職だ。
ヒジキを追加して、作りおきのだし巻きをよそい、カウンターに並べたところでお燗完了。小鍋から徳利を取り出し、底の温度を確認。うん、飲み頃。布巾で水気を拭ってカウンターへ。
「お待たせしました。どうぞ」
「いただきまーす」
「お疲れさーん」
お燗組が賑やかに徳利に手をのばす隣で、常連その3、池田さんがだし巻きに箸をつけた。口数が少なく、他の2人の聞き役に回ることが多いが、時に鋭い意見を口にしたりする。でも、厳しい人かというとそうでもなく、料理にダメ出しをすることもない。今も、千春ばあちゃんには到底及ばない出来のだし巻き、というよりはお弁当の卵焼きに近い代物を目を細めて満足げに食べてくれている。だしをたっぷり入れた卵を巻くのは未だに苦手で、開店前に集中して作ってこのレベルかと我ながら進歩のなさにため息が出る。でも、いつかは、噛めば温かな出汁がジュッと口内に広がる出来立てのだし巻きを食べてほしいと思っている。
この池本・小池・池田の常連3氏は、近くの梱包資材製造会社の同期で、苗字をもじって「イケメントリオ」と自ら名乗り、社内、特に若い女性社員のひんしゅくを買っているらしい。まあ確かに、3人揃って腹回りのぜい肉や生え際の後退、進む老眼や耳鳴りに悩む姿は、THE★オジサンと呼ぶにふさわしく、一般的な意味でのイケメンには正直ほど遠い。でも、陽気で明るく、何よりもこの店を愛して支えてくれる彼らのことが、僕は大好きだ。一昨年の冬、千春ばあちゃんが亡くなった後、店をどうするか途方に暮れていた僕を叱咤し激励し懇願し嘆願して営業再開に向かわせたのは、まさしく彼らだった。
「俺らは、ばあちゃんのファンだったけど、この店のファンでもあるんだ。こんな昭和感あふれる、おじさんが安心して飲める――1杯だけだけど――店なんて他にないんだよ。わがまま言ってるのは承知だけど、何とか頑張って!お願い!!」
池本さんたちの声に後押しされて、無我夢中でここまで来た。千春ばあちゃんは僕のことを調理師希望の遠い親戚と紹介してくれたけれど、実際は橋の上で拾われた、あかの他人かつ料理の素人だ。相続人の調査や経営譲渡の法手続きに加えて、今まで手伝い程度だった料理を本格的に勉強しなくてはならなくなった。千春ばあちゃんのレシピが残っていたとはいえ、これがなかなかに辛くて、投げ出しそうになったことも度々あったが、今ではいい経験だったと思える。まだまだプロと呼ぶには程遠いレベルだけれど、トリオをはじめとする常連さんたちが楽しそうに飲み食いしてくれるのを見ると、純粋に嬉しい。何もかも失い、孤独と絶望の挙句に身を投げようとしていた僕だったけれど、今は守りたいものがある。千春ばあちゃんの生きがいだったこの店を、この小さな幸せを大事にしていきたい。
数年前に小規模とはいえ再開発された駅の北側と違い、こちら側はシャッター商店街とすすけたような古い住宅が軒をつらねる、取り残されたように寂しい町並みで、新規の顧客も見込めず、この先どうなるか、正直不安はある。けれど「定年退職の日に、この店を貸し切りにして飲み放題・食べ放題の長年お疲れさま記念大パーティーをするのが夢」というイケメントリオのために、その時までは何とか続けていきたい。飲み放題はともかく、心からそう思う。
続けて、注文通りにおでんを盛り付けて出すと、僕はカウンターの上をざっと見渡した。
3つ並んだ盛鉢にはそれぞれ、ヒジキの煮物・マカロニサラダ・イカと里芋の煮物。平皿2枚にはだし巻き・焼き塩鮭。
カウンターの内側では、おでん用の丸い大鍋が静かに白い湯気をあげ、一升炊きの炊飯器が出番を待っている。
冷蔵庫にもマグロのぶつ切りや浅漬けなどがスタンバイしている。現在夜8時半過ぎ、閉店も間近いというのに、どの料理も半分以上残っている。
(マズい......作りすぎた......)
日頃、ほぼ常連さんで回っている店だけに、客足の読み間違いをすることはまずない。それでも、週末の夕食ぐらいは外で食べようと思うのか、独身らしきサラリーマンや深夜配送のトラック運転手などがふらりと訪れることもあるため、金曜の晩だけは品目も量もやや多めに用意するのだが。
(雪のせいだ......)
ここ2、3日寒い日が続いていたが、今日の昼前から短時間でまとまった雪が降ると予報が出ていた。すぐに降り止むようなことを言っていたので、いつも通り仕込みをしたのが完全に裏目に出た。正午ごろから降り出した雪は夕方まで降り続き、数センチ積もったところで雨に変わった。雪は溶けたが、寒気が全く緩まず、今度は路面の凍結に気をつけろときた。
寒さがこたえるのか、いつも開店一番乗りで来る近所のご隠居さんたちも電器屋の親爺さんも来なかった。並びにあるカラオケスナックのママさんが、たまにお客さん用におかずを買いに来ることがあるけれど、さすがに今日は期待できない。一見さんなら尚更来ないだろう。
何事もなかったかのように、いつも通りに来店し、おでんをつついている池本さんたちに心の中で手を合わせながら、さてどうするかと考えていた時だった。
「あれ?ハルちゃん、表の電気、消えてない?」
小池さんに言われて、左手にある入り口に目を向けた。
木製の格子に曇りガラスをはめた引き戸の向うが暗い。というか、黒っぽい影のようなものが幅の狭い戸全体を覆っている。と、
ガン!ガガガン!!
戸全体が音をたてて揺らされ、僕らは全員飛び上がった。
「く、熊!?」
「そんなバカな」
トリオがわたわたする間に、もう一度ガッと音をたてた引き戸が、今度はゆっくりと開かれてゆく。
黒いコートが立っていた。
いや、それは人ではあったのだけれど、あまりにも背が高く、鼻から上が完全に引き戸の上桟から出ていたので、曇りガラス越しでは影にしか見えなかったのだ。
「デカい......」
池本さんが呆然としてつぶやいた。
強い寒気とともに、窮屈そうに身をかがめて入ってきたその人が顔をあげた瞬間、僕は呼吸を忘れた。
これほど並外れた容姿を持つ男性を、今までに見たことがなかった。
年齢は30代前半あたりだろうか。後ろに軽く流すように仕上げられた艶やかな黒髪の下の秀でた額、すっきりと高い鼻梁にシャープな輪郭線。形の良い眉と切れ長の二重の瞼の間が欧米人ばりに狭く、深い。ともすれば冷酷な印象を与えがちな造作を、少し厚みのある唇がうまく和らげている。
身長はおそらく190cm近くあるだろう。しかも、ただ縦にひょろ長いわけではなく、肩幅の広さと胸筋のたくましさが服の上からでも容易に見て取れた。ベルトの位置からして、脚もきっと長い。とにかく全体的にバランスがよく、日本人には向かないと言われるトレンチコートを見事なまでに着こなしている。そのコートも相当な高級品だということが一目でわかる。仕事もできそうだ。何より、人に使われるよりは使う側の風格というか貫禄がすでにして備わっている。ともかく、"イケメン"という、ある種の軽さがともなう言葉よりも、"ハンサム"、"美丈夫"という言葉で評したくなる、そんな男性だ。
なのに、何故。
世の中全ての男性が羨むような恵まれた容姿と、成功者の生活を手に入れているだろうこの人は、どうしてこんなに空虚なまなざしをしているのだろう。
昏く沈んだ瞳の色は、森の奥深くにある何も映さない澱んだ沼を彷彿とさせた。
(つづく)
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