恋は、美味しい湯気の先。

林崎さこ

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辛子の記憶と腕時計      side 悠人

 ......困った。
 店内奥の死角に据え置かれた年代ものの金庫を見やり、その中身のことを考えると、僕はもう何十回目かになるか分からないため息をついた。

  ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※

 2週間前の極寒の夜、突如現れた昏い目をした美形の大男は、全ての料理を浚う勢いで食べ続けた。なのに、まったくがっついているように見えなかったのは、育ちというやつだろうか。イケメントリオが帰ってしまっても男は黙々と箸を動かし、気がつけばとうに閉店時間を過ぎていた。

「......美味かった。会計を頼む」
 彼はそう言って、静かに箸を置いた。
 凄い。持て余すくらい残っていた料理が、嘘のように減ってしまった。いくら体格が良いとはいえ、値段が高いものなどないウチの店で1万円以上食べるとか、胃拡張を心配するレベルだ。
「7,800円になります」
 かなりサービスしてしまったが、廃棄することを思えば何てことない。
 男は僕が計算している間に身支度を手早く済ませていて、レジ前に来ると財布の中からカードを取り出した。
 うわ......ブラックカードだ......初めて見たよ。でも、でもね。
「お客さん、すみません。ウチ、カード払いやってないんですよ」
「......え?」
 意外そうに目を見張り、スマホを取り出す。
「電子マネーも扱ってません......」
「......」
「......」
「......交通系のICカード......」
「取り扱ってないです......」
「......」
「ウチ、現金払いオンリーでして......すみません」
「......」
「もしかして現金の持ち合わせが」
「......ない」
「1円も?」
 男は黙って首を振った。心なしか顔色が悪い。アメリカってキャッシュレス社会って聞くけど、ホントだったんだー。なんて感心している場合ではない。銀行のATMは駅向こうだし、たぶんもう閉まってる。
「では、請求書を送りますので住所を......」
「お人好しだな、君は。初回の客にそんなことをするものではない。踏み倒されるとか思わないのか」
「………は?」
 個人情報にうるさい今の時代、住所を教えるのはちょっと……とか言われるかと思ったら、明後日の方角から説教系で拒否してきた。たしかに「次来た時に払うから」とか言って、2度と来なくなった人も過去にはいたけど。でも、廃棄回避はしてもらえたわけだし、そうだよ、次来た時バージョンでいいじゃん。などと僕が考えていると、
「ああ、そうだ。これを預かってもらおう」
 そう言って、男は手首に巻いていた腕時計を外すと、レジ横の代金トレイにそっと置いた。
「2週間以内に来る。もし来なければ、手間を掛けるが、これを売って代金に充ててほしい」
 置かれた腕時計に目を向けて、思わず変な声が出そうになった。
 いやいやいやいや、冗談でしょ。ゴテゴテとしていないシンプルなスタイルながら、文字盤の中央にはかの有名な王冠マーク。頭文字がRで始まる超高級腕時計じゃないか!
「こ、困ります!口座番号言いますから、やっぱり振り込みで......!」
 僕が店の銀行口座を確認しようとレジ下の棚を引っかき回している隙に、男は素早く店を出てしまっていた。
「お客さん、ちょっと、お客さーーん!!」
 僕も慌てて外に出たけれど、呼びかけも空しく、男の姿はあっという間に通りを曲がって消えた。追いかけようにも店を開けたままにしておけず、うなだれるように店内にもどった。
 悪い夢でも見てるんじゃないのか。しかし、トレイの上には間違いなくお高い腕時計が静かに品よく煌めいている。と、裏返した伝票が1枚、トレイの下にはさまっているのに気がついた。いつの間に書いたのか、
『飲食代金として  久我山』
と、今日の日付と共に走り書きしてあった。今日の飲食代金どころか向う数か月分の売り上げ額になりますから、これ。下手な無銭飲食よりタチが悪いというか、もう溜息しか出てこない。
 「久我山さん...か...」
 男が座っていた席を見やりながら、そう独りごちた。

 ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※

「ハルちゃん、おでんお代わりー!じゃがいもとゴボ天ね」
「俺、梅茶漬けが食べたい」「あ、オレも」
「はーい。ただいま!」
 あれから2週間、イケメントリオは今日も元気に来店中だが、あの男性――久我山さんは未だに顔を見せない。金庫にしまってある腕時計のことを考えるだけで胃が痛くなりそうだ。売っていいと言われて売れるものではないし、もし泥棒でもに入られたらと思うと気が気じゃない。もう代金なんてどうでもいいから、早くあれを引き取ってほしい。借金はしない主義なのだろうが、かえって迷惑だ。せめて電話番号くらいは書いていてほしかった。来るのか来ないのか気になって、つい、チラチラと入り口を見てしまう。
「どうしたの、ハルちゃん。外ばっかり見て」
 池田さんに目ざとくチェックされてしまった。
「え?いや、今日来るって言ってたお客さんが来なくって」
「ふーん」
 なんでだろう。久我山さんの名前を出したくなくて、あいまいな返事でごまかして、おでんの追加をカウンターに置いた。


 その後は近所のご夫婦が1組とカラオケスナックのママさんがおかずを買いに来て閉店になった。カウンターの上を軽く片付けて表に出る。
 冬の夜の空気は冷たく澄んで、遠くの物音をそっと運んでくる。国道を往来する車のエンジン音に、ある種の物悲しさを感じさせる電車の警笛、軽快に道を駆ける足音はジョギング中の人だろうか。
(2週間経っちゃったな......どうしよう)
 またしても時計のことを考えながら、店先に落ちているゴミを拾い、暖簾を外して布をたたんだ。看板灯を消して店に入ろうとすると、誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「.........ちょっと待ってくれーー!」
 驚いて振り向くと、遠目にも長身の男が黒のコートを翻しながら、駅前通りと逆の方から駆けてくるのが見えた。ああ、さっきの足音は......。見る間に近づいてきたのは、あの見違えようもない美丈夫。僕の目の前で走り終えると、はぁはぁと息を切らせながら声を搾り出した。
「......遅くなって......すまない......」
「いいえ......お待ちしておりました、久我山さん。中へどうぞ」
 安堵の溜息とともに自然と口元がほころびる。預かりものをやっと返せるという安心感もさることながら、何より、約束を違えず、息せき切って走ってきてくれたことがなんだか無性に嬉しく、とても得難いことのように思えたから。 

 そう、それだけだ。
 再び会えたことの喜びからでは、決してない。
 あの男らしい美貌を忘れられなかったなんてことは絶対にない。
 心を奪われるなどありえない。そんなものは3年前のあの日、粉々に砕け散って踏みしだかれ、もう僅かなカケラすら見つけられない。
 甘い期待も未来の希望も何も持たない......いや、持ってはいけない。
 そうやって、僕はずっと自分を罰して生きている。
 
(つづく)

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