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打ち明け話とカフェオレボウル・1 side 悠人
〈送信者〉牧 真司
〈タイトル〉資料の件
〈本文〉おつかれー。この前頼んだアレ、出来てる?
朝、始業前にメールチェックしていたら飛んできた新着メールに〈出来てるよ。データ送ったからプリントアウトは自分でしろよ。〉と返信する。
〈助かったー!サンキュー!今度メシ奢らせて♪〉
すぐさま返信が来た。調子いいよな、あいかわらず。僕は苦笑して、〈期待しないで待ってる〉と返した。
僕は大学卒業後、機械部品を扱う専門商社に入社した。以前は主に中国や東南アジアからの資材や部品の国内向け卸をしていたが、小規模ながら革新的なアイデアを持つ関西の産業用部品メーカーと提携したことがきっかけで海外での事業展開に舵を切った、知名度こそ低いものの勢いのある会社だった。
必然的に従来よりも英語力が必要とされるシーンが増えたが、入社2年目で輸出プロジェクトに抜擢された同期の牧は、会話はともかく、文章作成が大の苦手だった。企画書作成で苦しみ抜いていたところを手伝って以来、こうしてちょこちょこ英文書類の手伝いを頼まれる。あまりほめられたことではないし、本人のためにもならないので、しょっちゅうは引き受けないようにしているが、彼の激務ぶりを見ていると何だか気の毒に思えるし、それに......。
考え事をしていると、ポンと肩に手を置かれた。
「おはよう。三沢クン。今晩のN――社の接待、都合はいいかい?キミのところの主任には許可をもらっているんだが」
海外事業部の部長、田嶋広秋が立っていた。隣の島の総務や人事の女性社員が、チラチラとこちらを見ているのが分かる。
「......はい」
ぎこちなく頷いて返事をすると、部長は、
「じゃ、頼んだよ。時間は後で知らせるから」
そう言って、僕の肩を一瞬クッと握るようにして立ち去っていった。
「朝から爽やかよねぇ。田嶋部長。ウチの旦那も見習ってほしいわぁ」
「私も三沢君くらい何とかリンガル?になれたら通訳に連れてってくれるかなぁ?一回でいいから替わってよ」
替われるもんなら未来永劫替わってさしあげますよ。そんなセリフを胸の奥に押し込め、周りの女性社員に力無く微笑む。接待の後の事を思い、気分が底の底まで落ち込んだ。
僕、境木悠人が、まだ三沢悠人だった頃の話だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
僕は子どものころから「言葉」に困ったことがなかった。どんな国に行っても、さして苦労もなくそこの言葉を吸収し、日常会話なら数日もしない内に自由に使いこなすことが出来た。
若い頃から外国を渡り歩いていた曾祖父の影響か、父も海外での仕事を希望していて、僕が2歳の時に、勤めている物流会社の東南アジア支店に赴任することになった。勤務先は2~3年毎に変わり、アメリカや欧州など広範囲に渡った。母は異国の地で子育てをすることに難色を示していたものの、どの土地でも育児環境が整えられていたし、何より家族と一緒に暮らしたいという父に押し切られたという話だ。
赴任先は、基本的に英会話が出来れば日常生活には困らない場所だったが、一番心配されたのは僕だった。バイリンガルに育てようとしてどちらも駄目になってしまう例をよく人から聞かされていたからだろう。
ところが、何の問題も無かった。幼い頃から僕は日本語と英語を難なく使い分け、近所の子供達とはベトナム語や韓国語で遊び、隣のおばさんとはフランス語でやり取りしていたという。学校に通うようになってもそれは変わらず、国籍の異なる友人たちと英語をメインに、時には彼らの母国語で交流を楽しんだ。
父はもう大喜びで、この子は天才だ、未来のコスモポリタンだとはしゃいでいたそうだが、天はそうそう二物を与えてはくれない。残念ながら語学以外の勉強はからっきしで、テストの点は良くても平均、それ以下が当たり前。下から数えたほうが早い成績は、5段階評価なら1と2のオンパレードだったであろう惨憺たる有様だった。
長じるにつれ、僕の教育方針について両親の間に不協和音が生じるようになった。このまま海外で暮らし、国際感覚を養わせたい父と、日本に帰って大学受験を見据えた勉強をさせたい母。
結局は離婚のカードを切り札にした母が勝った。当時僕は14歳、父は激務で家にいることが少なく、母がいなければ立ちいかなかったせいだ。僕は今まで通り3人で暮らしたかったが、10年以上の意に染まない海外生活で母が疲弊しているのを知っていた。
色々な手続きを済ませ帰国したのは高校入試直前の冬だった。
レポートと面接で帰国子女枠のある高校に入学して3年間、大幅に抜け落ちていた学力を塾と家庭教師の指導で補い、何とか中堅ランクの国際学部のある大学に合格した。将来は父のように海外で働く仕事に就きたいという思いがあった。
大学生活は充実していたが、3年の春から始まる就活には苦戦した。情報収集に企業研究やインターンシップ、何十枚も書いたエントリーシートに履歴書、会社説明会に面接......。ちょっとばかりの語学の才能など何の足しにもならない、上には上がいることを思い知らされた。学歴フィルターって絶対あるよな、と友人たちと愚痴りながら革靴の底をすり減らした末に、海外進出に意欲的な企業の内定を勝ち取ることができた。
大学も無事に卒業し、社会人生活は順調な滑り出しを見せた、はずだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「通訳?私が......ですか?」
突然の話に驚いて、僕は主任の顔をまじまじと見てしまった。主任の隣には、商品管理部の部長と海外事業部の田嶋部長が立っていた。入社2年目の夏だった。
入社後3か月に渡る新人研修が終わり、僕は商品管理部に配属された。希望は営業部だったので多少ショックを受けたが、何千とある機械部品の記録管理をはじめ、物流システムに貿易手続きなど覚えることは山ほどあったし、英語やそれ以外の外国語で来る問い合わせ応対にはしょっちゅう駆り出されて、それなりにやりがいは感じていた。でも、いつかは営業部に入って世界を飛び回ってみたい――そう考えていた矢先のことだった。
僕ら新人の入社と前後してカナダに赴任し、この春に日本に戻ってきた田嶋部長は、仕事ができるのはもちろんのこと、40代半ばにしてスラリとした若々しい体と整った顔立ち、洗練されたスタイルで男女問わず社員からの人気が高かった。牧をはじめ、同期の連中は「理想の上司、イケオジナンバー1」と口癖のように言い崇めるようにしていたし、僕も将来はこんな風になれたらとひそかに憧れていたものだ。そんな人が、取引先との商談に僕を通訳として同席させたいと言っている。
田嶋部長が親しみやすい笑顔を向けて尋ねてきた。
「キミはフランス語ができるそうだね、三沢クン」
「はい。といっても、日常会話程度ですが」
僕は慌てた。父の赴任先の一つだった南欧にまたいつか行きたいと思って、週1で個人レッスンを受けている程度だ。ビジネスの通訳なんてありえない。
「商談といっても、この間まで一緒に仕事をしていたカナダの所長と技術の人間が挨拶に来るだけだよ。基本は英会話なんだが、2人ともフランス語訛りがきつくてね。正直、何を言ってるのか分からないことがよくあったんだよ。あっちには普通の英語ができる所員がいたから、英語を英語で通訳してもらうとか妙なことをしていたんだが」
「本職の通訳を雇われた方が......」
「いや、数字関連の話が出る可能性はあるし、部外者は入れたくないんだ。なに、大げさに考えなくても大丈夫だよ。フランス語が分かる人には聞き取りやすいという話もあるのでお願いに来たんだ。ウチの営業部にはフランス語が出来るのが居なくてね。ダメかな?」
末端の平社員にそれ以上NOと言う権限があるはずもなく、話はまとまってしまった。しかし、口では渋っていたものの、これが上手くいけばまた使ってもらえるのではないだろうか、何しろ相手は、営業部から新規に独立編成された海外事業部の部長なのだ。海外で仕事が出来るチャンスかもしれない......!
浅はかにも、そんな浮ついたことを考えて舞い上がっていたせいで、すぐ足元で汚い罠が大きな口を開けていることに気がつかなかったのだ。
結果はというと惨憺たるものだった。
決して言葉がわからなかった訳ではなかったが、通訳するタイミング的なものが上手くつかめず、ぎこちなさ全開で終わってしまったのだ。逆に無能さをアピールしてしまった形になり思い切り落ち込んだが、田嶋部長は妙に上機嫌だった。
その後も時々、同じような頼まれごとをされた。商品管理の仕事をする傍ら、同行をこなすのはなかなか骨が折れる業務だったけれど、やはり能力を見込まれて期待されることは嬉しかった。フランス語のレッスンの他にもビジネス英会話スクールに通っていたが、社の進出先をチェックしてスペイン語と広東語、ドイツ語も睡眠時間を削って勉強した。大変ではあったけれど、とにかく武器は多いに越したことはない。
田嶋部長と食事を共にする機会も徐々に増えた。商談後の流れでランチや夕食に誘われることが多かったが、そこで語られる営業マンとしての経験談は勉強になったし、その他の会話も軽妙洒脱で他の上司や先輩社員たちとは一味も二味も違っていて、彼に対する尊敬はますます高まっていった。
但し、尊敬はあっても恋愛感情につながるものではなかった。好きな男性とはタイプが異なっていることもあるが、そもそも20も年上の妻子持ちとどうにかなろうとする発想すらなかった。
純粋に会社人として慕っていた、ただそれだけだったのに。
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