恋は、美味しい湯気の先。

林崎さこ

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打ち明け話とカフェオレボウル・4  side 悠人

 会社を辞めてアパートの部屋に引きこもり、2~3日ほど経った頃だった。
 あれからずっと、ひたすら布団にくるまって昼も夜もなくうつらうつらしていた。時おり深い眠りに引き込まれてはフッと目覚めるが、そのまま動かずに眼を閉じる、の繰り返し。最後に食事をしたのはいつだったか……でも空腹感はなく、ただ、このまま溶けてしまいたいと思っていた。そしてまた眠りにおちようとしていたその時。
 ピロン♪とスマホが鳴った。知り合い以外に設定している着信音だ。ショップのメールか何かだろう。無視していると、また鳴った。無視。今度は電話だ。これも知り合いじゃないやつだ。無視。着信、無視、着信、無視、着信......。
 いい加減おかしいと思い、枕元に置いたスマホの画面を開いて思わず目を剥いた。
 未登録のメールアドレスや電話の着信履歴がびっしりと並んでいた。まさかと思いながらメールを開封すると、卑猥きわまりない文面が次々に......。
 
「ネット晒し」だ。おそらくは「なりすまし」も。
 内容から、僕の氏名と電話番号、メールのアドレスにトーク関係のIDが晒されていることが分かる。おそらく複数の、どれもアダルト系の掲示板やサイトに......!
 だるさも眠気も一気に吹き飛び、そこからはひたすらサイトの特定と削除依頼に明け暮れた。作業の途中にも新着が入る。アドレスやIDは捨て、電話番号は変更しても、一度ネットの海に流れた情報は完璧に消しきれない。会員制の有料サイトはどこまで追えるか、個人でダウンロード保存した情報を追うことは不可能だ。
 住所も晒されていたらと思うと恐怖で身体が震えたし、顔写真や裸の画像が氏名とアドレス付きで載ったサイトを見つけた時は、我慢できずに吐いた。卑猥なポーズにセクシャルな誘い文句が画面上で踊っている。裸の方は合成と分かるが、顔は間違いなく、社会人になってからの僕の写真が使われている。

 誰だ?誰がこんなことを!?
 画像データを持っている田嶋部長か?
 一生許さないと叫んでいた夫人か?
 僕の性癖を嘲笑っていた同期の奴らか?
 通訳同行する僕を忌々しげに見ていた営業の先輩社員?
 それとも、挨拶もなく突然辞めてしまったせいで、今現在過剰な業務に追われているに違いない商品管理の人達......!?

 考えても答えは出ず、床に座り込む僕の耳にまた1つ、着信音が届いた。

 さらに数日後、弁護士を通して田嶋夫人から慰謝料請求の連絡が届いた頃には、僕はもう闘う気力を無くしきっていた。
 「ウチの家庭をメチャクチャにした」――彼女の叫びを思い出す。そう、僕がどんな思いをしたかに関わらず、1つの家族が壊れてしまったのは事実なんだ。僕に少しの勇気さえあれば、ここまで酷いことにはならなかった。二人のお子さんたちは、どんな思いで暮らしているのか。何故僕がこんな目に、とずっと思ってきたけれど、性癖の暴露を恐れるあまり間違った選択をしてしまい、結果、関係ない人達を苦しめている、その罰なのだろう。
 夫人による暴力とアウティングを訴えて減額することも出来たのだろうが、僕は額面通りに支払う旨を告げた。
 アパートの家賃に加え、英会話スクールと個人レッスン代でもともと貯金はあまり無く、慰謝料を支払うと手元にはほぼ残らなかった。処分出来るものは全て処分しアパートを引き払うと、僕はバックパック1つで実家に戻った。

 母だけなら、何とか誤魔化せたかもしれない。だが、実家にはこの春から国内勤務に変わった父が戻っていた。労働者の権利関係にシビアな国々で揉まれてきた父が。
 あまりにも面変わりして帰ってきた僕を見た父は驚き、ろくに僕の話も聞かず、過重労働かパワハラがあったと決めつけた。そして、会社に事情を聴いた上で、場合によっては訴えてやると息巻いた。
 騒ぎを大きくしないためには、真実を語るしかなかった。
 
 親にカミングアウトする最悪のやり方だった。心の準備ひとつさせなかった僕が悪いのは分かっている。だけど。
 いかがわしい場所に出入りしたせいで不倫関係に引きずり込まれた上に同性愛とは恥知らずが、と父は怒鳴り、一生懸命育ててきたのにどうしてそんな気味の悪い、普通じゃない、と母は声を震わせた。

 父さん。ずっと尊敬していた父さん、何事にも縛られず、フラットな眼で物事を見る世界人でありたいと常々語っていた父は、矮小な旧い価値観でがんじがらめに縛られているだけの男だった。
 母さん。普通って何ですか。僕だってずっと苦しんできた。そんな汚いものを見るような眼で僕を見ないで。
 
 世界中の誰に責められても、二人にだけは分かってほしかった。それはショックを受けるだろうし、怒ったりもするだろうけど、最後には味方であってほしかった。とまどいながらでもいい、大丈夫だ、もう安心だ、お前は悪くないと抱きしめてほしかった。
 なのに両親は、お前の育て方が悪い、好き放題に仕事だけしていた人に偉そうに言われたくないと僕の目の前で口論し始めた。

 またひとつ、家庭を壊してしまった。努力すれば、時間をかければいつか修復できるのかもしれない。でもその継ぎ跡は消えずに、いつまでも僕を苛むだろう。
 それは両親にとっても同じで、本当に申し訳ないとは思う。けれど、僕の心が悲鳴をあげていた。ここにはいられない。ここにもいられない、と。
 僕は荷ほどきもしないバックパックを掴んで家を飛び出した。行く宛もまるでないままに。

 ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※

 歩いていた。ただひたすらに歩いていた。
 ほんの数分のような気もするし、何日間も歩きつづけたような気がする。
 空っぽの心を抱えたまま、意味もなく足だけが動いている。
 何故歩いているんだろう。ここはどこで、どこに向かおうというのだろう。
 どこに行っても傷つくだけとわかってる。だから。
 なにも考えなくていい世界に行きたい。
 ただもう楽になりたい。
 消えてしまいたい。
 死にたい。

 そうだ、ずっとずっとそう思っていた。
 写真を撮られた事を知ったあの時から。
 脅されて身体を好きにされていたあの日々も。
 歪な関係がバラされ、友情を失い、会社を去ったあの夜も。
 ネット晒しに怯え、慰謝料をかき集め、親に失望された全ての瞬間に。
 本当は、ずっと。

 その時。
 周囲の空気が急激に赤く染まった気配に驚いて、機械的に動いていた足が止まった。見知らぬ町の広い川に架かる橋の上、毒々しいほどに鮮やかな紅い陽が遥か西の方角から射してきて、呆然と立ちすくむ僕の身体を貫いた。
 
  あ、死のう。ふと、そう思った。
 死にたいという暗い衝動に突き動かされながらも、運命がいつか好転する夜明けを信じて生きてきた。「死にたい」は願望、「死のう」は決定。その2つの間には、生への未練という宇宙の広さにも思える距離があった。
 だが、今。
 眼下をゆるやかに蛇行していく名も知らぬ川の先、嘘のような赤さに燃えながら落ちゆく夕陽が未練の全てを焼き尽くした。それは逢魔が時が見せる魔術だったかもしれない、果てしなかったはずの宇宙の距離は瞬く間にゼロになった。

 ああ、ここで死のう。
 この終わりの色に抱かれて逝こう。
 肩にかけていたバックパックを足元に置き、靴を脱ぎ揃えると、両手を橋の欄干にかけた。そのまま手の平に力をこめ、足を―――。

 上着の裾を後ろからクイっと引っ張られる感覚に、前にのめった身体が一瞬、固まる。
 さらに、クイクイっとつまむように。
 まるで、小さな子供が母親の気を引こうとして服を引っ張るような無邪気さに似ていて......思わず後ろを振り返った。

 小柄な老女が立っていた。
 年季の入ったポシェットを肩から斜め掛けにして、足元には中身の詰まった大きなレジ袋が2つ。
 ちんまりとした佇まいでニコニコと笑っている様子は、土産物屋に並んでいる素焼きの人形のような愛らしさで。

「にいさん、荷物運ぶの、手伝ってくれんね?」
 
 目の前の男が身投げしようとしているのが分からないでもあるまいに、諭すでも怒るでもなく、ただニコニコと。
 思いもかけない展開にうまく反応できず、動きが止まってしまった。次にはもう、死にダイブする勢いが根こそぎ削がれてゆくように、欄干にかけていた手足から力が抜けた。毒気を抜かれた、まさにそんな心地だった。
(こんなおばあさんの前で飛び降りとか、ちょっとな……)
 ぎこちなく頷いてノロノロと向き直ると、僕は彼女の足元に置かれていた買い物袋を手に取った。
(まぁ、今でなくてもいいさ)

 その時の僕はまだ気づいていなかった。
 あたたかな陽だまりの穏やかさが、鮮紅の魔術を打ち払ってしまっていたことに。それは同時に、腐り落ちたはずの希望が、内側から小さく芽吹いた瞬間でもあった。

(つづく)

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