恋は、美味しい湯気の先。

林崎さこ

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悩める気持ちとSOS・3  side 亮介

 亮介の過去で分かっているのは、アメリカ人と日本人のハーフであること、幼少の頃に両親が他界してからは養護施設で育っていたこと、施設が経営難で解散しそうになった時、レドメインの人間で児童福祉に関心があった資産家の男性が経営を引き継いだこと、しかし、その彼が病魔に侵されて余命わずかとなった時、子供たちは将来レドメイングループで働くこと、その代わりに成人するまでの養育費は全て負担することを条件に里親に引き渡し、施設は無くなってしまったこと。
「俺はその頃、事故が原因で記憶喪失になっていて、診てくれていたカウンセラーの家に預けられた後に今の養親に引き取られた......というのが大まかなストーリーなんだが」
「ストーリーって」
「色々嘘くさいと思わないか?元の家族や施設の情報が抹消されるのはありだとしても、都合よく資産家が現れて都合よく死ぬとか、子供の将来を限定して援助をつけるとか。こういうのを日本語で青田買い?と言うのだったか、いくらなんでも無理筋だろう。最高級に嘘くさいのが記憶喪失のくだりだ。外傷のかけらもないのに名前以外の記憶が飛ぶとかどんな事故だ」
 一旦切って緑茶の残りを飲み干して湯呑みを置くと、そっとお代わりをついでくれる。一瞬『はる』にいるような気分になり、話しているうちに苛立っていた気持ちが凪いでくる。ああ、もうこんな不愉快な話なんかせずに悠人の顔だけ眺めていたい。
「確かなのは、大学を卒業するまで多額の資金援助がレドメインの名前であったことと......あと、亮介という名前......これだけは自分のものだという感じがする」
「お金を返して自由になろうとか思わなかったんですか?」
「怖ろしい額だぞ......。それ以前にやっぱり恩義というか、言葉も分からないアジア系の幼児が行き場もなく放り出されるところを救ってくれた人物――実在するのかどうか分からんが――に恩を返したいという気持ちでやってきたんだが」
「不自然ですねぇ」
「不自然だろう。出自が分からないだけでも心理的に不安定になりがちなのに、それが嘘で固められているかもしれないとなれば特に、な。過去を探ろうとしたこともあったんだが、手詰まりになって諦めていたんだ。でも、初めて行った君の店でおでんを食べた時」
 通りを歩いていた時に漂ってきた匂い。口の中にあふれ出す煮汁の熱さと旨味は昨日のことのように思い出せる。
「『知っている』『懐かしい』......確かにそう思ったんだ。幼少期をアメリカの施設で過ごした人間として、まず有り得ないだろう?養親はまともに料理をしない人たちだったし」
 だから、もう一度過去を調べ直そうと思ったんだが。
 唐突な帰還命令以降のあれやこれやが思い出されて、亮介は力なく溜め息をついた。
 
「純粋に味を気に入ってくれたと思っていたんですけどね......」
 少しがっかりしたようにつぶやく悠人に、亮介は焦った。
「違うんだ。いや、違わないか。確かに初めは記憶を取り戻すきっかけになればと思っていたんだが、すぐに店で過ごすことが楽しみで行くようになったんだからな。静かで落ち着くし料理は美味いし、君が」
 君がいるから。
 と言おうとして、口をつぐむ。
 危ない、また余計なことを言うところだった。妙な執着は見せるな。もう終わったことだ。彼を困らせるな。
「......君が良くしてくれたおかげで穏やかな時間を持つことができた。感謝している」
 そう言って、軽く微笑んでみせた。これでいい。
 微妙な空気に目が泳いでいた悠人だったが、気を取り直したように応えた。
「こちらこそありがとうございます。また来て下さいと言いたいところですけど、アメリカに戻ると、まとまった休みは取れなさそうですよね。それにしても会長直々の命令で本社帰還とか、やっぱり有能なんですね、久我山さんは」
 会話の方向転換をしようとして言った悠人の言葉を、亮介は即座に否定した。
「いや、それは違う。俺は山のようにいる幹部候補の一人に過ぎないし、会長と会ったこともない。今回の異動について、しっかりした理由を知る者もいない。ただ、アメリカから出さないという強い意思のようなものは確かに感じる。自分に無断で重役連中が俺を日本支社に追い出したと、いたくご立腹らしい」
「......もしかして久我山さん、会長の隠し子とかじゃ」
「それもない。今の会長はアメリカ女性だが、俺の実母は日本人らしいから。大体、会長はガチガチの白人至上主義者だ。時代が違えば有色人種なんて採用しないくらいには。ましてアジア男性との間に子供なんて作るわけがない。まあ、こっちに来てから本社の意向はそこそこに思うように仕事していたし、結局は黄色い飼い犬に好き放題させないという意思表示なのかもな」
「そんな......」
「レドメインに骨を埋めるつもりだったが、考え直した方がいいのかもしれない」
 亮介は後ろのソファにもたれかかって目を閉じた。借金を返して自由になるのもありかもしれない。何年掛かるか分からないが。
 
 そんなこんなで、土曜の午前には瀕死の熊状態だった亮介も、日曜の昼を過ぎる頃には9割がた回復していた。
 久々に風呂を使って髭をあたり、全身リフレッシュして浴室から出てきた亮介だったが、持ってきた荷物一式を段ボールに詰めている悠人を見て、急速にテンションが下がるのを感じた。引っ越し用の段ボールがあるから、かさばる荷物は宅配で送ればいいと言ったのは自分だが、日のある内に淡々と帰り支度をされると、どうしようもなく気分が落ちる。ピンチに駆けつけてくれたのは、やはり好意ではなく善意からだったのだと改めて思う。
(俺も大概、思い切りが悪い......)
 伝票に送り先を記入している悠人の横顔を見つめ、心の中で情けなく燻る未練を自嘲した。

「......で、これがお粥で、こっちがおでん。この容器には......」
「...............」
 作った料理の数々を冷蔵庫に入れながら、悠人が色々説明してくれているが、まるで頭に入ってこない。
 もうすぐ悠人が帰ってしまう。艶やかな赤毛に溶けるような飴色の瞳、耳馴染のいい穏やかな声音。亮介を魅了してきた全てが遠くなる。
 自分の気持ちを押し付けるような真似はもうしない。誰とも深い関係にはならないと言った彼の意志を尊重する。この数時間で何十回も呪文のように唱えてきた決心がぐらつきそうで、その度、自分を叱咤する。
「じゃ、仕込みがあるので帰ります。久我山さんも明日から仕事ですよね。無理しないでくださいね」
「......ああ、来てくれて助かった。ありがとう」
 気がつけば玄関で別れの挨拶をしていた。瞬間、絡んだ視線は悠人から外された。亮介に背を向けてスニーカーに足を入れている。
 来た時の大荷物は発送してしまい、今は財布をポケットに入れただけの身軽なスタイルだ。急いでいて着替えを持たずに来てしまった悠人に貸したシャツの大きさがやけに目に付く。めくり上げた袖口から少し骨ばった手首がのぞいている。そこから腕のラインをたどり、泳ぐようなシルエットのシャツの中の薄い肩を意識した次の瞬間、亮介は素足のまま三和土に踏み出し、悠人の身体を後ろから強く抱きしめていた。
「――――!!」
 悠人の身体が驚きに跳ね上がろうとするのを、さらに強く抱きすくめた。
 自制など何の意味もなかった。
 帰したくない離したくないこのまま閉じ込めてしまいたい。どうしようもなく勝手な想いだと分かっている。だから、発作的に巻き起こったこの激情が過ぎ去るまで。
「............すまない。少しだけ......ほんの少しだけ、このままでいさせてくれ」
 回した腕に力を込め、悠人の肩に額をつける。
「もう君に会うこともなくなる......だから、最後にこうして」
「......困ります」
 無情な拒絶に全身が凍り付く。
「......悠人く...」
「最後だなんて......困るんです」
 小さいけれど、確かな意志のこもった答えが返ってきた。
 
     (つづく)


  
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