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記憶の扉が開くとき・6 side 悠人
久我山さんの退行催眠を解いたあと、奥の三畳間に場所を移し、アフターケアと過去の話を終えたエリックさんが店を出たのは真夜中の1時過ぎだった。明るくなるまで休んではどうかと提案したけれど、いつもこの時間は撮りためたアニメを見ているから平気、と笑って断られた。しかし、身内とはいえ他人の声色で失敗のできない催眠をかけるのはかなりキツかったはずだ。暗がりの中でも極度に精神を集中させている様子が見て取れた。
正直、今でも彼に対する苦手意識はあるし、身元調査されたことにも納得はしていないけれど......でも、ほんの少し......いや、結構見直したというか、久我山さんのことを本当に大切に思ってきたのがよく分かった。
「じゃあ、帰るね。見たところリョースケが精神的に不安定になることはなさそうな気はするけど、万が一落ち込んだりするようなことがあったら約束した通り......」
「はい。お任せください」
支えていきます、これからずっと。まっすぐにエリックさんの眼を見て言うと、彼はニッコリ笑って背中を向け歩き出した。
「あ、エリックさん!」
「何?」
立ち止まってこちらを振り返る彼に言った。
「あなたは前に自分のことを久我山さんの守護聖人なんて言ってましたけど」
「うん?」
「今日のあなたは、魔王に囚われた人を助け出す......そう、勇者のように見えました」
格好よかったです。
そう言うと、エリックさんは一瞬あっけにとられたような顔をして――そして、今日3度目にして最高の満面の笑みを浮かべた。邪気のない少年のような、素晴らしくまばゆい笑顔だった。そしてそのまま踵を返すと、跳ねるような足取りで通りの向こうに歩いて行った。
「ありがとうございました。またお越し下さい」
僕は心の底からそう言うと、彼の姿が見えなくなるまで深く頭を下げ続けた。
店内に戻り、しっかり戸締りを済ませて奥の三畳間の戸をそっと開けた。久我山さんは奥の壁にもたれて片膝を抱えてぼんやり座っていたが、僕に気づくと自分の横の畳をポンポンとたたいた。エプロンとバンダナを外してそこにおずおず座り込むと、長い腕で肩ごと抱き寄せられる。
「ち、ちょっと、久我山さん!」
「.........嫌か?」
「嫌じゃないです!嫌じゃないですけど、こっ、こここここ心の準備がっ!」
どもり過ぎだ。顔に血が昇る。
久我山さんは少し腕を緩めて僕の顔をまじまじと見ていたが、すぐに楽しげに笑って更に腕に力を込めてきた。やめて、至近距離で微笑むのやめて。美貌は凶器だ。思わずギュッと目をつぶって身体を固くする。もう支えるどころか、こっちの心臓が止まってしまいそうだ。
ややあって、鼓動の乱打が少しばかり収まったところで、気になっていたことを尋ねてみた。
「それはそうと、具合はどうですか?頭の中がザラザラする感じって言ってましたけど......」
「ああ、まだ少し妙な感覚は残っているが、だいぶ楽になった」
「良かったです......昔のこと、もっと思い出せるといいですね」
催眠中のことは、思い出したというよりも第三者として記録映像を眺めている感覚だったらしい。
「そうだな。でも、前ほど焦りは無くなったな。作り物でない過去を知れたし、何よりも本名が分かったんだ。まだそれを名乗っていた実感はないが、さっき聞かされた時に、何というか......自分の胸の中にストンと収まる感じがあった。やっと掴めた。今はこれで充分だ」
いつも通りの落ち着いた口調の中に、隠しきれない高揚がにじみ出ている。やっと自分を取り戻せそうなんだ、当然だよね。キスギ リョウスケ......来生かな?それとも木杉?久我山という苗字もいいけど、やはり本名は格別なんだろう。聞いている僕も嬉しくなって、つい彼の顔を見上げてしまった。しまった、また超至近距離で視線を......。
「......あれ...?」
「どうした?」
「久我山さん......眼が......」
初めて会った時、何も映さない昏い森の中の沼のようだと思った瞳......。その虹彩が深いグリーンカラーであることに今、気づいた。そこから薄いベールをはぐように昏さが消えていき、代わりに力強い光が徐々に現れてきた。中心にある黒い瞳孔の周辺を黄色やオレンジの煌めきが縁どっているのが見える。前に何かで読んだことがある、これは。
「瞳が......すごく綺麗です。深緑に黄色やオレンジが混じっていて、キラキラ輝いて......アースカラーだ。初めて見ました!すごい......」
「そうなのか?自分の眼は見るのも嫌だったんだが」
「絶対好きになりますよ!待っててください、今、鏡を」
立ち上がろうとして、ぐいと強い力で引き戻された。
「見たくはあるが」
空いた右手で僕の頬をそっと包み込み、上を向かせる。
「また後で」
温かな笑みを含んだ唇が、静かに優しく僕に触れてきた。
「......ん............」
優しく押し当てるだけの静かな口づけを繰り返す。唇にゆっくりと、角度を変えて2度3度。額に、両の目蓋に頬に......。久我山さんの大きな掌が僕の髪を撫で、長い指で後ろに梳ってゆく。そしてまた、唇に戻って......柔らかなぬるま湯に浸かっているような気持ち良さの中で、もっと先を望んでいる自分に気づいて、僕は震えるほど安堵した。
田嶋部長に弄ばれていたあの地獄の数カ月以来、僕は誰とも肌を合わせることはなかったし、出来なかった。ふとした拍子に、僕の髪や肌を執拗に這いずりまわった指や舌の感触を思い出し嘔吐したのは、そう遠い話ではない。久我山さんを心では受け入れても身体が拒絶してしまったら、お互いに無傷ではいられなくなる。
でも、そんな心配は杞憂に過ぎなかった。彼の腕の中にいることが、その服越しに感じる体温が、触れてくる手指も温かい唇も全部全部愛おしくて嬉しくて仕方がない。苦しみあえいだ過去は今この瞬間から、本当の意味で過去になるのだろう。
それにしても過去といえば、あの時、おでん皿の何が久我山さんの子どもの頃の記憶を引きずり出したんだろう。盛ったのは確か大根にこんにゃく、変わり種としてタコ足、牛すじ、後はあれだ、ピンクと白と緑のすり身ボールを串に刺して花見団子風にした練り物......それくらいだったと思うんだけど。
「何を考えてる?」
唇を離した久我山さんが尋ねてきたので、
「......貴方のことを」
そう答えた。うん。あながち間違ってはいない。
しかし、それを聞いた途端、さっきまでとは別の野性的な光に眼をギラつかせた久我山さんがいきなり覆いかぶさってきて、考え事は明後日の方向に消え去ってしまった。
唐突なアクションだけはやめてもらわないと本当に心臓が保たないと思いながら、僕は両腕を彼の背中に回して、深く甘い口づけに身をゆだねた。
(つづく)
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