恋は、美味しい湯気の先。

林崎さこ

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懐かしさの理由(わけ)  side 悠人


「要は、"だし"の違いなんです」
「......"だし"?」
 閉店後の『はる』にやって来た久我山さんにおしぼりを手渡した後、僕はガラスの容器を持ってカウンターを出て、彼の隣に座った。
 エリックさんが依頼した興信所は彼の言った通り――僕も身をもって知っているわけだが――優秀で、さして時間をかけることなく久我山さんの母親を探し当てた。
 彼女――来生 佐智子(きすぎ さちこ)さんが瀬戸内海に面した県の小さな街に1人で暮らしていることを知るや、久我山さんは新幹線に飛び乗って会いに行き、無事に親子の対面を果たしたらしい。

「だしというのは、煮物や汁物などの料理のベースになるもので、食材をただ水で調理するよりも旨味や深みが出せるんですよ。海外だと肉や野菜を煮込んで作るのが一般的ですけど、日本では海産物から取っただしがよく使われてきたんです。昆布とか鰹節って聞いたことはありますか?」
 久我山さんは黙って首を振った。まぁ、僕も千春ばあちゃんに教えてもらうまでは何も知らなかったけど。
「メジャーなのは鰹節なんですけど、西日本では昔から昆布や"これ"もよく使われてきたんです」
 ガラス容器をカウンターの上に置いて蓋を開け、中から全長5~6センチくらいの銀色に光る乾燥した小魚を取り出した。
「......これは」
「"いりこ"と言います。何種類かありますが、西日本の長崎県や瀬戸内地方で獲れるカタクチイワシの稚魚を加工したものが多く出回ってます。関東では煮干しと呼ばれてますね。千春ばあちゃんは昔、四国の方に住んでいて、子供の頃から慣れ親しんだ"いりこだし"をこの店でも使ってたんです。調味料でしっかり味をつける鰹だしと違って、風味を楽しむために醤油などの調味料は控えめにするので、「味が薄い」と文句を言われることが結構あったそうです。僕もたまに言われます。なのに、アメリカ育ちで濃い味付けに慣れているはずの久我山さんが初めてウチで食べた時に美味しいと言ったので、すごく鋭い味覚を持ってるんだなぁって感心してたんですけど」 
 久我山さんの母親が西日本に住んでいると聞いて、もしかしたらと思って連絡先を聞いて電話してみた。突然知らない人間から電話がかかってきて驚いていたけど、事情を話すと丁寧に答えてくれた。穏やかで柔らかな口調や関西のイントネーションが千春ばあちゃんを思い起こさせて、ちょっと泣きそうになったのは内緒だ。
「やっぱり料理のだしには"いりこ"を使ってたんですって。久我山さんが子どもの頃によく食べていたというおでんもそうだったらしくて、懐かしいのも無理はないというか。他のお店のおでんでピンとこなかったというのは、やっぱりだしが違ったんでしょう。関東では鰹だしの味付けが好まれますから」
 そう言うと、久我山さんは納得したような顔で頷いた。
「子どもの頃の記憶は馬鹿にできないもんだな。そうだ、辛子のつけ過ぎで騒いだ時があっただろう?」

  (それは駄目よ)
    (まだあなたには早いから)

「あの時に頭の中で誰かの、いや、母の声が聞こえていたんだ。たぶん、子どもの俺も辛子に泣いたんじゃないか」
 催眠暗示もさすがに味覚の記憶を奪うことは出来なかったわけだ。鼻の頭を赤くして涙ぐむ子どもの久我山さんを想像し、つい笑みをこぼしてしまいジロリと睨まれる。僕は誤魔化し笑いをしつつ、いりこを容器に戻して蓋を閉めた。そろそろ仕込みをしないといけない。すると、久我山さんが僕の手を取って、指を自分の鼻先に近づけた。
「......魚くさいですよ」
「懐かしい匂いだ......香ばしくて力強い、俺の過去を呼び起こした匂いだ。君がここで店を続けて味を継いでくれたおかげで出会えた。ありがとう、悠人」
 そう言って、久我山さんは僕の指の1本1本に唇を触れてきた。その柔らかな温かさに、胸が締め付けられるような、痛いほどの幸福感を覚える。
 お礼を言うのは僕の方です。貴方が『はる』を、そして僕を見つけてくれたから、前を向いて新しい一歩を踏み出すことが出来ました。人を愛して愛される喜びを知りました。言いたいことがあり過ぎて、満たされ過ぎて声が出せないくらいに幸せだから。
 目を伏せて僕の指にキスを落とし続ける久我山さんに顔を寄せると、その長い睫毛のきわに、感謝の気持ちを込めて唇をそっと押し当てた。ありがとうございます。久我山さん。
 しかし、この静かな多幸感は長くは続かなかった。どういうスイッチが入ったのか、唐突に顔を上げた彼の緑の瞳に獣の色が浮かんでいたからだ。
「............っ、悠人!!」
 恐ろしい勢いで僕を抱きしめようとする久我山さんの肩を慌てて両手で押して遠ざける。
「ストップ!ストップです、久我山さん!」
「何故だ!?」
 何故だもへったくれもない、下手すると店の床に押し倒されかねない。記憶を取り戻した夜のことを思い出して、心も身体も震えた。とんでもない野獣になるんだ、この人は。
「仕込みが先です!」
「後にしてくれ」
「ダメです!いりこは鮮度が命なんです!そうだ、下処理のやり方を見ていてください。また何か思い出すかもしれませんよ!」
 言うが早いか、僕はガラス容器を抱えて立ち上がりカウンターの中に逃げ込んだ。そして、どうか少しはクールダウンしてくれますようにと願いながら、まな板の上のボールに容器のいりこを全てあけた。

   (つづく)

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