恋は、美味しい湯気の先。

林崎さこ

文字の大きさ
47 / 50

その後の小話・2

 
<入浴の効用:A面>

「もう何年も前からホテル業界の危機ということは言われていますが、人の移動がある限り、そして非日常空間への憧憬が消滅しない限り宿泊業の終焉はありえません。過去2年間の倒産件数だけを見れば、他業種と比較して確かに......」
 爽やかな午前の光が差し込むレドメイン&アルバホールディングス・ジャパンの会議室内で、インタビューに訪れた男性記者が業界の問題と展望について語る若き日本支社長の言葉と印象をメモにとっていた。ボイスレコーダーは回しているが、やはりその場の空気感は筆記でないと留めおくことが出来ない。話の腰を折らないタイミングでカメラマンがシャッターを切る音が聞こえる。
(噂って当てにならないな......)
 支社長・久我山亮介の表情を見ながら記者は内心で呟いた。
「イケメンだが無表情」「氷の像と話しているみたい」「瞳がまるで底無し沼」等々、ロクでもない話ばかり耳にしたが、実物はどうだ。
 確かに表情筋はさほど動かないが無愛想という訳ではないし、アメリカでも指折りの大企業の海外支社を任されているのだから相当のエリートのはずだが、それを鼻にかけている様子もない。
 そして、あの深緑の瞳の煌めきときたら!記者もカメラも女性を使うなと指定があったらしいが、彼と目が合ったら最後、恋の底無し沼に落ちるのかもしれない。しつこく言い寄られたりとか日常茶飯事なのかも。大変だなぁ、イケメンは。
「見てくれがいいだけでは撮る気にならん」と言うのが口癖の相方も愛用のデジタル一眼レフを握りしめ、もう舐めるような勢いで事前撮影に勤しんでいた。こっそり鑑賞用等身大パネルを作るのではないだろうか。
 
 インタビュー終了後に時間が数分余りそうだったので、事前の打ち合わせには無い質問をした。
「......貴重なお話を頂きありがとうございました。あと、もしよろしければ社長が今ハマっていること――マイブームというやつですね――をお聞かせ頂けますか?高齢の方には健康法をお尋ねすることが多いのですが、やはりお若いですから」
 プライベートな部分をチラ見せすることで、内容的に硬くなりがちな文面の肌触りが良くなるのだ。久我山社長は視線を遠くにやって考える素振りを見せた後、おもむろに言った。
「......入浴...ですね」
 意外に健康法だった。
「アメリカで暮らしていた頃はシャワーが当たり前で、わざわざ湯を張って浸かるなど時間の無駄だと思っていたのですが、慣れるといいものですね。あたたかな湯の中でリラックスしていると、その日一日の出来事が自然に思い出され、その反省と共に次の一手が苦もなく浮かび上がってくるのは血行が良くなるせいでしょうか。疲労も取れるし、今までこの良さを知らずにいたのを勿体なく思いますね」
「なるほど、業界内でも評判の精力的な活動や斬新なビジネスアイデアに、この新習慣が大きく寄与しているということですね」
 記者がそう言うと、久我山社長はほんの少し首をかしげ......そして、ふわりと微笑んだ。
 その瞬間、記者は底無し沼に足を取られ、後方では一眼レフの高速連写が炸裂した。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
  
 <入浴の効用:B面>
 
 その日の夜も、亮介は浴槽に湯を張った。
 この前はバブルバスにしたが、今日は温泉の素にしよう。にごり湯にするか透明湯にするか少し迷ったあと、信州系のにごり湯の素を開け、湯に溶かし込んだ。すっかり混ざったのを確認すると寝室に行き、ベッドの上で意識を飛ばしている恋人の身体を抱え上げてバスルームに戻ると、静かに浴槽の中に腰をおろした。
 細く厚みのない身体が沈み込まないように自分の脚の上に乗せ、右の肩に頭をもたせ掛けるようにして安定させてから、柔らかに香り立つ湯気の中で深く息をつく。
 
 マイブームは、恋人の素肌を撫で回しながらゆったり入浴することですね。

(余計なことを喋ったらコ〇ス)
 そう言わんばかりの鋭い視線を飛ばしてきた秘書のおかげで、危うく妙なセリフを口走らずに済んだ。すごいなぁ、里村君は。どうしてわかったんだろう。
 それにしても、今日の悠人はいつもに増して可愛かった。
 抱擁されると未だに緊張してしまうという身体が、丹念な愛撫でやがて柔らかくほどけていくあの過程。切なげに見上げてくる潤んだ瞳や恥じらいながらも乱れ喘ぐ姿の艶めかしさ。白いシーツに散り映える赤銅色の髪......あたたかな湯の中でリラックスしていると、もういくらでも思い出せてしまう。
 しかし、外から帰ってきて玄関を入った瞬間にサカってしまったのは良くなかった。ちょっと反省。あまり好きじゃないと言われていたのに後ろから......というのもマズかった。ギリギリまで反り返った白い背中を見たかったのだが、あとで怒られるだろうなぁ。かなり反省。
 最近こんな感じでやらかしてしまうことが増えたから、ただ謝るだけでは許してもらえないかもしれない。今日は『飼い主に怒られて悲しげにうなだれる犬』風を装ってみるか。悠人がギャップ萌え(だったっけ)している隙に、どさくさに紛れて憧れのお風呂プレイに突入できるかもしれない。のぼせるからと言って未だ実現しないんだな、これが。
 血行が良くなったせいだろうか、次から次へと不埒な考えが思いつくし、疲労が取れるどころか色々な所が元気になり過ぎて仕方がない。にごり湯にしておいて良かった。すぐにバレると思うが。
 今までこんな愉快なことを知らずにいたのを心の底から勿体ないと思う。もう楽しすぎて「精力的な活動」はともかく、ビジネスアイデアなんて欠片も出てこない。アメリカで無感動にシャワーを浴びて仕事ばかりしていた自分に言ってやりたい。お前の人生、まだまだ捨てたもんじゃないぞ、と。

 そろそろ目覚める頃合いだろうか。
 湿気で額に貼り付いた恋人の前髪をそっとかきあげてやり、その生え際からひと粒転がり落ちた汗を親指の腹で優しく拭い取った。

   (おしまい)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

A面、B面という単語を見てすぐに「ああ、レコードね。表と裏」と言える方は、きっと昭和仲間。。。
感想 0

あなたにおすすめの小説

優等生αは不良Ωに恋をする

雪兎
BL
学年トップの優等生α・如月理央は、真面目で冷静、誰からも一目置かれる完璧な存在。 そんな彼が、ある日ふとしたきっかけで出会ったのは、喧嘩っ早くて素行不良、クラスでも浮いた存在のΩ・真柴隼人だった。 「うっせーよ。俺に構うな」 冷たくあしらわれても、理央の心はなぜか揺れ続ける。 自分とは正反対の不良Ω——その目の奥に潜む孤独と痛みに、気づいてしまったから。 番なんて信じない。誰かに縛られるつもりもない。 それでも、君が苦しんでいるなら、助けたいと思った。 王道オメガバース×すれ違い×甘酸っぱさ全開! 優等生αと不良Ωが織りなす、じれじれピュアな恋物語。

三ヶ月だけの恋人

perari
BL
仁野(にの)は人違いで殴ってしまった。 殴った相手は――学年の先輩で、学内で知らぬ者はいない医学部の天才。 しかも、ずっと密かに想いを寄せていた松田(まつだ)先輩だった。 罪悪感にかられた仁野は、謝罪の気持ちとして松田の提案を受け入れた。 それは「三ヶ月だけ恋人として付き合う」という、まさかの提案だった――。

あなたのいちばんすきなひと

名衛 澄
BL
亜食有誠(あじきゆうせい)は幼なじみの与木実晴(よぎみはる)に好意を寄せている。 ある日、有誠が冗談のつもりで実晴に付き合おうかと提案したところ、まさかのOKをもらってしまった。 有誠が混乱している間にお付き合いが始まってしまうが、実晴の態度はいつもと変わらない。 俺のことを好きでもないくせに、なぜ付き合う気になったんだ。 実晴の考えていることがわからず、不安に苛まれる有誠。 そんなとき、実晴の元カノから実晴との復縁に協力してほしいと相談を受ける。 また友人に、幼なじみに戻ったとしても、実晴のとなりにいたい。 自分の気持ちを隠して実晴との"恋人ごっこ"の関係を続ける有誠は―― 隠れ執着攻め×不器用一生懸命受けの、学園青春ストーリー。

職業寵妃の薬膳茶

なか
BL
大国のむちゃぶりは小国には断れない。 俺は帝国に求められ、人質として輿入れすることになる。

【完結】幼馴染に告白されたけれど、実は俺の方がずっと前から好きだったんです 〜初恋のあわい~

上杉
BL
ずっとお前のことが好きだったんだ。 ある日、突然告白された西脇新汰(にしわきあらた)は驚いた。何故ならその相手は幼馴染の清宮理久(きよみやりく)だったから。思わずパニックになり新汰が返答できずにいると、理久はこう続ける。 「驚いていると思う。だけど少しずつ意識してほしい」 そう言って普段から次々とアプローチを繰り返してくるようになったが、実は新汰の方が昔から理久のことが好きで、それは今も続いている初恋だった。 完全に返答のタイミングを失ってしまった新汰が、気持ちを伝え完全な両想いになる日はやって来るのか? 初めから好き同士の高校生が送る青春小説です!お楽しみ下さい。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる

衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。 男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。 すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。 選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。 二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。 元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。

αからΩになった俺が幸せを掴むまで

なの
BL
柴田海、本名大嶋海里、21歳、今はオメガ、職業……オメガの出張風俗店勤務。 10年前、父が亡くなって新しいお義父さんと義兄貴ができた。 義兄貴は俺に優しくて、俺は大好きだった。 アルファと言われていた俺だったがある日熱を出してしまった。 義兄貴に看病されるうちにヒートのような症状が… 義兄貴と一線を超えてしまって逃げ出した。そんな海里は生きていくためにオメガの出張風俗店で働くようになった。 そんな海里が本当の幸せを掴むまで…