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その後の小話・2
<入浴の効用:A面>
「もう何年も前からホテル業界の危機ということは言われていますが、人の移動がある限り、そして非日常空間への憧憬が消滅しない限り宿泊業の終焉はありえません。過去2年間の倒産件数だけを見れば、他業種と比較して確かに......」
爽やかな午前の光が差し込むレドメイン&アルバホールディングス・ジャパンの会議室内で、インタビューに訪れた男性記者が業界の問題と展望について語る若き日本支社長の言葉と印象をメモにとっていた。ボイスレコーダーは回しているが、やはりその場の空気感は筆記でないと留めおくことが出来ない。話の腰を折らないタイミングでカメラマンがシャッターを切る音が聞こえる。
(噂って当てにならないな......)
支社長・久我山亮介の表情を見ながら記者は内心で呟いた。
「イケメンだが無表情」「氷の像と話しているみたい」「瞳がまるで底無し沼」等々、ロクでもない話ばかり耳にしたが、実物はどうだ。
確かに表情筋はさほど動かないが無愛想という訳ではないし、アメリカでも指折りの大企業の海外支社を任されているのだから相当のエリートのはずだが、それを鼻にかけている様子もない。
そして、あの深緑の瞳の煌めきときたら!記者もカメラも女性を使うなと指定があったらしいが、彼と目が合ったら最後、恋の底無し沼に落ちるのかもしれない。しつこく言い寄られたりとか日常茶飯事なのかも。大変だなぁ、イケメンは。
「見てくれがいいだけでは撮る気にならん」と言うのが口癖の相方も愛用のデジタル一眼レフを握りしめ、もう舐めるような勢いで事前撮影に勤しんでいた。こっそり鑑賞用等身大パネルを作るのではないだろうか。
インタビュー終了後に時間が数分余りそうだったので、事前の打ち合わせには無い質問をした。
「......貴重なお話を頂きありがとうございました。あと、もしよろしければ社長が今ハマっていること――マイブームというやつですね――をお聞かせ頂けますか?高齢の方には健康法をお尋ねすることが多いのですが、やはりお若いですから」
プライベートな部分をチラ見せすることで、内容的に硬くなりがちな文面の肌触りが良くなるのだ。久我山社長は視線を遠くにやって考える素振りを見せた後、おもむろに言った。
「......入浴...ですね」
意外に健康法だった。
「アメリカで暮らしていた頃はシャワーが当たり前で、わざわざ湯を張って浸かるなど時間の無駄だと思っていたのですが、慣れるといいものですね。あたたかな湯の中でリラックスしていると、その日一日の出来事が自然に思い出され、その反省と共に次の一手が苦もなく浮かび上がってくるのは血行が良くなるせいでしょうか。疲労も取れるし、今までこの良さを知らずにいたのを勿体なく思いますね」
「なるほど、業界内でも評判の精力的な活動や斬新なビジネスアイデアに、この新習慣が大きく寄与しているということですね」
記者がそう言うと、久我山社長はほんの少し首をかしげ......そして、ふわりと微笑んだ。
その瞬間、記者は底無し沼に足を取られ、後方では一眼レフの高速連写が炸裂した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
<入浴の効用:B面>
その日の夜も、亮介は浴槽に湯を張った。
この前はバブルバスにしたが、今日は温泉の素にしよう。にごり湯にするか透明湯にするか少し迷ったあと、信州系のにごり湯の素を開け、湯に溶かし込んだ。すっかり混ざったのを確認すると寝室に行き、ベッドの上で意識を飛ばしている恋人の身体を抱え上げてバスルームに戻ると、静かに浴槽の中に腰をおろした。
細く厚みのない身体が沈み込まないように自分の脚の上に乗せ、右の肩に頭をもたせ掛けるようにして安定させてから、柔らかに香り立つ湯気の中で深く息をつく。
マイブームは、恋人の素肌を撫で回しながらゆったり入浴することですね。
(余計なことを喋ったらコ〇ス)
そう言わんばかりの鋭い視線を飛ばしてきた秘書のおかげで、危うく妙なセリフを口走らずに済んだ。すごいなぁ、里村君は。どうしてわかったんだろう。
それにしても、今日の悠人はいつもに増して可愛かった。
抱擁されると未だに緊張してしまうという身体が、丹念な愛撫でやがて柔らかくほどけていくあの過程。切なげに見上げてくる潤んだ瞳や恥じらいながらも乱れ喘ぐ姿の艶めかしさ。白いシーツに散り映える赤銅色の髪......あたたかな湯の中でリラックスしていると、もういくらでも思い出せてしまう。
しかし、外から帰ってきて玄関を入った瞬間にサカってしまったのは良くなかった。ちょっと反省。あまり好きじゃないと言われていたのに後ろから......というのもマズかった。ギリギリまで反り返った白い背中を見たかったのだが、あとで怒られるだろうなぁ。かなり反省。
最近こんな感じでやらかしてしまうことが増えたから、ただ謝るだけでは許してもらえないかもしれない。今日は『飼い主に怒られて悲しげにうなだれる犬』風を装ってみるか。悠人がギャップ萌え(だったっけ)している隙に、どさくさに紛れて憧れのお風呂プレイに突入できるかもしれない。のぼせるからと言って未だ実現しないんだな、これが。
血行が良くなったせいだろうか、次から次へと不埒な考えが思いつくし、疲労が取れるどころか色々な所が元気になり過ぎて仕方がない。にごり湯にしておいて良かった。すぐにバレると思うが。
今までこんな愉快なことを知らずにいたのを心の底から勿体ないと思う。もう楽しすぎて「精力的な活動」はともかく、ビジネスアイデアなんて欠片も出てこない。アメリカで無感動にシャワーを浴びて仕事ばかりしていた自分に言ってやりたい。お前の人生、まだまだ捨てたもんじゃないぞ、と。
そろそろ目覚める頃合いだろうか。
湿気で額に貼り付いた恋人の前髪をそっとかきあげてやり、その生え際からひと粒転がり落ちた汗を親指の腹で優しく拭い取った。
(おしまい)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
A面、B面という単語を見てすぐに「ああ、レコードね。表と裏」と言える方は、きっと昭和仲間。。。
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