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01. 決戦! 密林戦士vs侍忍者
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日が没しても、サモラ洞窟周辺には光があった。
優雅に舞う蛍たちは、平時であれば人々を魅了してくれる神秘の存在だ。観光資源として、そして夜に安全な光をもたらすとして、ありがたがられる。
そして戦時には、夜通し光をもたらす戦術的要素として、とてもありがたがられる。
今は後者だった。見通しのきかない夜中でありながら、この蛍がいる場所だけは明るく、夜でも光源魔法なしで行動でき、夜でも奇襲の難しい拠点を築ける。
月が頂点に達しようかという時分。
山の中腹にあるサモラ洞窟の入り口に繋がる岩道は、蛍によって照らされている。しかし先の戦いにも大きな影響をもたらしたその光を、大胆にも素通る男がいた。
山の中腹とは言え、今はまだ戦時。
不用意に姿を晒すのは得策ではない。
だが、男の姿は蛍の光があったとて、目を凝らさねば見えぬほど曖昧(、、)だった。
その極意は、幅広の葉で編んだ軽装備にある。鉄よりも硬く布のように柔軟で、こすれても音が立たず、塗りたくった特別な蜜のおかげで光が惑い、周囲に溶け込むことができる。
ジャングル・イクサーンの戦士の中でも、認められた三人の強者しか身につけることのできない聖衣だ。
サモラ洞窟の入り口の、片側は南にある。
そこに行くまでには絶壁が立ちはだかるが、聖衣を纏うことが許されたこの男、ヤシィ・パーハクゥにとっては、断崖を登ることなど容易かった。
ジャングル・イクサーンで挑んでいた木登りで言うならば、幅広で凹凸のある幹と同じだ。これは齢(よわい)十二を数える頃には突破できねばならない難度にあたる。
ヤシィからすれば、戦闘行為すら問題ない。
洞窟に辿り着いたジャングルの強戦士は、洞窟へと踏み入った。
目的は一つ。
恐らくはここに。
否、間違いなくここに、敵がいる。
どうにも戦略的感性が似通っている相手だ。向こうも自分が来ることを分かっているはず。
この洞窟は断崖に阻まれてこそいるものの、自国と他国の間にそびえる山を、端から端までほぼ真っ直ぐに貫いている。戦略的に見れば重要であることに違いはない。浮遊系の集団移動魔法を会得した魔法使いを連れれば、この洞窟は偵察や奇襲の足がかりになる。
今後を考えれば、まず間違いなく占領下に置きたい。
ヤシィは今回、単独で調査に来ていた。
洞窟内部は蛍と月の柔い光が届かない。
サモラ洞窟の真なる闇がヤシィを歓迎する。くぐもった風の音がにぶく反響し、生ぬるい風がまとわりつく。
不快感で気を緩めることはない。歩みも然り。ジャングル・イクサーンの過酷な環境で、ヤシィは大自然と生命のやりとりをしてきたのだ。こういった状況はむしろ望ましい。
培ってきた本来の力を発揮できるというもの。
そして、だからこそだろう。
不意の奇襲に対応できたのも、ヤシィの感覚が鋭敏になっていたからだった。
「——!!」
急接近する敵。
人型。
構えは低い。
暗い視界の中、敵が腰に添えた右手を、かろうじて見捉える。
右手が消えた。
否、得物を握り、こちらへ連れてくる。
横薙ぎの一閃。
ヤシィは上体を反らして回避。両足をばねにして後方へ跳ねた。
距離にして二十歩。
単なる跳躍で稼ぐには長過ぎる間合いを空ける。
追撃はない。
着地したヤシィがすでに反撃の準備を整えていることに、敵が気づいているからだ。
背中の曲刀は抜かれ、体内のマナは闘志に呼応し光を放っている。体の各部から漏れ出るマナの輝きと、構える刃の輝きが、闇に乗じた敵を明らかにする。
「貴殿の御命、此度こそ頂戴致す」
カズヒデ・アケバ。
ヤシィ・パーハクゥとは実に三度目の邂逅となる。
カズヒデは大陸全土で暗躍する、敵軍の諜報戦士だ。
漆黒の衣は、極東の島国特有の余裕を持たせた造りで、足の動きを隠すのが特徴。本来はあの格好をしないものらしいが、彼は戦闘力の高い要人専門の、一対一の暗殺を生業としているためそれを履いている。ハカマというらしい。
そして出は侍だが、今は忍者として敵国に仕えている。
これがヤシィの知る、カズヒデ・アケバの身の上の全て。
だが、それ以上は要らなかった。
自分もまた、恩ある男に仕え、諜報に徹する身。
この男は抹消する必要がある。だから戦う。
これだけで十分。
刀を構えるカズヒデに、ヤシィもまた、口上を述べる。それぞれに禍根を残さぬように。この戦いが、勝者と敗者を決する以上の意味を持たぬように。
「ル・ヤシィ・ソ・アエトゥーク(我こそは汝の魂導くヤシィである)」
殺意を持って命を奪うことは、魂を導くということ。
ヤシィにとってこれは、信仰だ。
ジャングル・イクサーンにおいて、勝者は導き手として相手の魂を天界へ送り届ける義務があるとされている。この名乗りは、勝敗に関わらず、遺恨を残さないよう努めるという宣誓でもあるのだ。
構えた両者は、しばしの間にらみ合った。
二度の戦いを経て、ヤシィとカズヒデは互いの戦闘スタイルを把握しつつある。それでもなお決着がついていないのは、実力が拮抗しているからか。それとも、この相手との戦いをもっと楽しみたいと思うからか。
向かい合う侍と密林戦士。
張り詰める空気。
天井から、一滴の雫が落ちた。
洞窟内に浸透する響き。
ほんの小さなきっかけだったが、二人からすれば、戦いのゴングとするに十分だった。
「バァァァ!!」
「応ッ……!!」
獣の咆哮と、応える武人。
光の欠けた闇の中、雌雄を決する立ち会いが始まった。
先に仕掛けたのはヤシィ。
彼の動きは、力を溜めて解放することを基礎に置く。
跳ねる、というべきか。
ジャングルで枝や幹といった足場の多い空間を飛び回っていたからこその動き。
初手は全力の突貫だった。
全身をばねとして弾けさせ、零から最高速まで一気に到達する。カズヒデとの二十歩もの間合いが、一呼吸も待たずに詰まった。
ヤシィの繰り出す曲剣の突きを、カズヒデは縦逆さに構えた刀で横に流す。
交差する二人。
だがヤシィは身体能力に任せ、ここからさらに仕掛ける。
突きをカズヒデに防がれた直後、ヤシィは左足で地面を踏み抜いた。超人的な脚力で地面を貫き、流れていく体を強引に押し留める。
空いた右足による下からの蹴りが入ったのは、さらにその直後だった。
接近と、突きと、停止と、蹴り。ほんの僅かな時間に詰め込まれた四手だったが、カズヒデもまた武人、反応できている。
「是ッッ!!」
すんでのところで左腕を滑り込ませ、ガードする。
このジャングルからやって来た戦士は、緩急の激しさが最大の強みだ。思わぬタイミングで、思わぬ角度から仕掛けてくる。
狩りだ。ささいな隙に敵を仕留め得る一撃を叩き込み、戦いを終わらせに来る。獣の戦い方とも言える。ジャングルの魔生成物達を相手に学んだのだろう。
カズヒデの故郷随一の職人の仕立てた腕甲が、きりきりと悲鳴をあげている。加えて、何もかもが強引な仕掛けだったが、蹴りはカズヒデの鳩尾を正確に狙っていた。
ガードが間に合っていなければ、そのまま曲剣で致命傷を負わされ、勝負は決していただろう。常人ならガードできたことに安堵したかもしれない。
だが、侍として殺傷力の高い手合いと立ち会った経験なら、カズヒデも負けていない。
カズヒデの全身が、下からの蹴りによって持ち上がる。ヤシィの冗談では済まない脚力が、天井めがけてカズヒデを吹っ飛ばす。
あわや激突するかと思われたが、侍の足さばきは伊達ではなかった。袴をはためかせ天井に着地したカズヒデは、そのまま壁面を滑り走った。
接地を極めた歩行術を体得するカズヒデもまた、ヤシィと同じく、地面以外の場所で戦闘可能な戦士だ。
彼の動きは、特徴的な流麗さを持っていた。足場ならぬ足場を、歩くのではなく滑り行く様。
最初の奇襲も、先のヤシィの突貫への受け流しもまた然り。
力の流れを読み、横へと流す。
無駄のない流れる動き。
本来なら重力に従って落下するはずの体を、不可思議な体重移動と足さばきを用いて壁上で滑らせていく。
速い。
ヤシィの突貫は爆発力のあるものだったが、カズヒデの壁走りは風のようだ。
両者の違いは、初速と持続力にあった。
ヤシィの動きは緩急がある。ゆえに初速が最も速く、持続はしない。
一方でカズヒデの動きは緩急がない。緩急を排除していると言うべきか。最高速を出すまでに時間がかかるが、いつまでも持続する。
闇に乗じて、カズヒデは通りすがりの斬りつけを何度も狙った。剣筋にも流麗さが表れる。決して止まらず、振り抜いた動きが、次の斬りつけの動作の始まりとなっている。
暗闇に銀閃が、幾度も煌めく。
連続したそれは、間を置かず、しかし異なる方向からヤシィを襲った。
「——ルゥッ!!」
独特の声を上げ、ヤシィは、緩急ある回避を同じだけ繰り返すことで対処した。
つまり、全て回避することを選んだ。
滑らかに空を裂く斬撃。
風切り音は軽く、しかし必殺の切れ味を持つ。
力強く大気を押し退ける回避。
風切り音は重く、しかし何度でも連続する。
ヤシィが暗闇で斬撃を認識し避けられるのは、大自然で研ぎ澄ました鋭敏な勘と、並外れた瞬発力があったればこそだ。視えてはいないが、分かるのだ。
とはいえ、暗闇でヤシィを相手に、正確に斬撃を浴びせるカズヒデも尋常ではない。そも、並みの使い手であれば、暗闇でヤシィを捉えることはできないはず。ヤシィの全身は、音を立てず、姿をぼやかして見せる装備で包まれているのだ。
今、洞窟は闇に包まれている。環境として既に、敵を視認することがほぼ不可能と言っていい状態。
そこへさらに聖衣の効果が加わる。
輪郭は曖昧になり、色味も漠然と溶け込む。この迷彩効果は場所を選ばないが、やはり光の有無で効果は劇的に変わる。
暗闇はまさに、この聖衣が本領を発揮する場所の一つだが、それを正確に見捉えることができるのは、カズヒデが忍者だからだ。
そして忍者としてよりも、カズヒデは侍としての技能の方が優れている。
攻撃の全てを回避されている為、側から見ればヤシィが戦闘力で圧倒しているように見えたかもしれない。だがこのカズヒデ・アケバという忍者の剣技の恐ろしさは、相手に回避だけを強いるところにある。
カズヒデの斬撃は殺傷力が高く、しかも途切れない。流麗さを極めたこの剣術は、刀を振り抜いてから次の斬りつけを行うまでが恐ろしく速い。
ヤシィの体の各部から放たれる僅かなマナの光と、それを反射する互いの得物。乏しくも闇中の光源は、暴力的に交差していく。
侍としての剣術と、忍者としての技。
密林での多様な戦闘経験と、獣を超えた身体能力。
それぞれの強さが、ぶつかり合う。
そして決着というものは、なんの前触れもなく、唐突に訪れる。
回避に専念していたヤシィが、ある一瞬、突然の攻撃に転じた。反射的に行なっている回避を 運動のうち、体を前へ倒す動きをした時だった。
右手に握る曲剣は、刀を横一文字に振り抜いたカズヒデの足の付け根を狙っていた。
しかし流麗なるカズヒデの体捌きは、難なくそれを躱す。
そして下手な攻撃に出たヤシィの首を今度こそ斬りとばすべく、刀が滑らかに翻ったその時。
カズヒデの立つ地面直下から、太い棘岩が飛び出した。
流れに重きを置くこの剣技は、途中で止まる動きをしない。
ゆえに、所作を行なっている瞬間、既に次の所作はほぼ決まっているし、途中で違う動きをしようにもかなりの制限がある。
刀を振るう所作に没頭するカズヒデの全身は、前二度の戦いで見せなかったヤシィの新たな一手に貫かれた。これこそ、ヤシィがその身に宿すマナの、本来の力だった。
「……見事」
それだけ言い残して、カズヒデは事切れた。
感動的な余韻などない。
これは殺し合いだ。
カズヒデの敗因は、考えればいくつもあっただろう。忍具を使わず、最終的には侍として戦ったこともそうだし、そもそも隠密を得意とする者同士、得意とする暗闇での戦闘を行ったことも、敗北の要因と言える。
だがそれらを考察することに、意味はない。カズヒデは負け、彼の人生は終わったのだ。
そして己を上回ったヤシィを賞賛する言葉を捻り出せただけ、カズヒデは時間が与えられた方だ。
「ル・ヤシィ・ソ・アエトゥーク(我こそは汝の魂導くヤシィである)」
しきたりに習ってもう一度、ヤシィが口を開いた。
ヤシィは、カズヒデを討ち取った旨を報告する前に、墓を作ることにした。
カズヒデを弔うのだ。
理由はきっと、しきたりなのだろう。それ以上のそれ以下の意味もない。
墓は、山の中腹の、誰もこないような、誰にも気づかれないような場所に作られた。朝日も届かない、侘しいところだ。
カズヒデはきっと、これから誰にも語り継がれず、眠り続けるだろう。
諜報の任務に就くとは、そういうことだ。
そういう人間がこの世にいることを、彼らに関わった者以外は思いもしない。
明け方の、墓に突き刺さった刀には。
蛍すら光を、もたらさなかった。
優雅に舞う蛍たちは、平時であれば人々を魅了してくれる神秘の存在だ。観光資源として、そして夜に安全な光をもたらすとして、ありがたがられる。
そして戦時には、夜通し光をもたらす戦術的要素として、とてもありがたがられる。
今は後者だった。見通しのきかない夜中でありながら、この蛍がいる場所だけは明るく、夜でも光源魔法なしで行動でき、夜でも奇襲の難しい拠点を築ける。
月が頂点に達しようかという時分。
山の中腹にあるサモラ洞窟の入り口に繋がる岩道は、蛍によって照らされている。しかし先の戦いにも大きな影響をもたらしたその光を、大胆にも素通る男がいた。
山の中腹とは言え、今はまだ戦時。
不用意に姿を晒すのは得策ではない。
だが、男の姿は蛍の光があったとて、目を凝らさねば見えぬほど曖昧(、、)だった。
その極意は、幅広の葉で編んだ軽装備にある。鉄よりも硬く布のように柔軟で、こすれても音が立たず、塗りたくった特別な蜜のおかげで光が惑い、周囲に溶け込むことができる。
ジャングル・イクサーンの戦士の中でも、認められた三人の強者しか身につけることのできない聖衣だ。
サモラ洞窟の入り口の、片側は南にある。
そこに行くまでには絶壁が立ちはだかるが、聖衣を纏うことが許されたこの男、ヤシィ・パーハクゥにとっては、断崖を登ることなど容易かった。
ジャングル・イクサーンで挑んでいた木登りで言うならば、幅広で凹凸のある幹と同じだ。これは齢(よわい)十二を数える頃には突破できねばならない難度にあたる。
ヤシィからすれば、戦闘行為すら問題ない。
洞窟に辿り着いたジャングルの強戦士は、洞窟へと踏み入った。
目的は一つ。
恐らくはここに。
否、間違いなくここに、敵がいる。
どうにも戦略的感性が似通っている相手だ。向こうも自分が来ることを分かっているはず。
この洞窟は断崖に阻まれてこそいるものの、自国と他国の間にそびえる山を、端から端までほぼ真っ直ぐに貫いている。戦略的に見れば重要であることに違いはない。浮遊系の集団移動魔法を会得した魔法使いを連れれば、この洞窟は偵察や奇襲の足がかりになる。
今後を考えれば、まず間違いなく占領下に置きたい。
ヤシィは今回、単独で調査に来ていた。
洞窟内部は蛍と月の柔い光が届かない。
サモラ洞窟の真なる闇がヤシィを歓迎する。くぐもった風の音がにぶく反響し、生ぬるい風がまとわりつく。
不快感で気を緩めることはない。歩みも然り。ジャングル・イクサーンの過酷な環境で、ヤシィは大自然と生命のやりとりをしてきたのだ。こういった状況はむしろ望ましい。
培ってきた本来の力を発揮できるというもの。
そして、だからこそだろう。
不意の奇襲に対応できたのも、ヤシィの感覚が鋭敏になっていたからだった。
「——!!」
急接近する敵。
人型。
構えは低い。
暗い視界の中、敵が腰に添えた右手を、かろうじて見捉える。
右手が消えた。
否、得物を握り、こちらへ連れてくる。
横薙ぎの一閃。
ヤシィは上体を反らして回避。両足をばねにして後方へ跳ねた。
距離にして二十歩。
単なる跳躍で稼ぐには長過ぎる間合いを空ける。
追撃はない。
着地したヤシィがすでに反撃の準備を整えていることに、敵が気づいているからだ。
背中の曲刀は抜かれ、体内のマナは闘志に呼応し光を放っている。体の各部から漏れ出るマナの輝きと、構える刃の輝きが、闇に乗じた敵を明らかにする。
「貴殿の御命、此度こそ頂戴致す」
カズヒデ・アケバ。
ヤシィ・パーハクゥとは実に三度目の邂逅となる。
カズヒデは大陸全土で暗躍する、敵軍の諜報戦士だ。
漆黒の衣は、極東の島国特有の余裕を持たせた造りで、足の動きを隠すのが特徴。本来はあの格好をしないものらしいが、彼は戦闘力の高い要人専門の、一対一の暗殺を生業としているためそれを履いている。ハカマというらしい。
そして出は侍だが、今は忍者として敵国に仕えている。
これがヤシィの知る、カズヒデ・アケバの身の上の全て。
だが、それ以上は要らなかった。
自分もまた、恩ある男に仕え、諜報に徹する身。
この男は抹消する必要がある。だから戦う。
これだけで十分。
刀を構えるカズヒデに、ヤシィもまた、口上を述べる。それぞれに禍根を残さぬように。この戦いが、勝者と敗者を決する以上の意味を持たぬように。
「ル・ヤシィ・ソ・アエトゥーク(我こそは汝の魂導くヤシィである)」
殺意を持って命を奪うことは、魂を導くということ。
ヤシィにとってこれは、信仰だ。
ジャングル・イクサーンにおいて、勝者は導き手として相手の魂を天界へ送り届ける義務があるとされている。この名乗りは、勝敗に関わらず、遺恨を残さないよう努めるという宣誓でもあるのだ。
構えた両者は、しばしの間にらみ合った。
二度の戦いを経て、ヤシィとカズヒデは互いの戦闘スタイルを把握しつつある。それでもなお決着がついていないのは、実力が拮抗しているからか。それとも、この相手との戦いをもっと楽しみたいと思うからか。
向かい合う侍と密林戦士。
張り詰める空気。
天井から、一滴の雫が落ちた。
洞窟内に浸透する響き。
ほんの小さなきっかけだったが、二人からすれば、戦いのゴングとするに十分だった。
「バァァァ!!」
「応ッ……!!」
獣の咆哮と、応える武人。
光の欠けた闇の中、雌雄を決する立ち会いが始まった。
先に仕掛けたのはヤシィ。
彼の動きは、力を溜めて解放することを基礎に置く。
跳ねる、というべきか。
ジャングルで枝や幹といった足場の多い空間を飛び回っていたからこその動き。
初手は全力の突貫だった。
全身をばねとして弾けさせ、零から最高速まで一気に到達する。カズヒデとの二十歩もの間合いが、一呼吸も待たずに詰まった。
ヤシィの繰り出す曲剣の突きを、カズヒデは縦逆さに構えた刀で横に流す。
交差する二人。
だがヤシィは身体能力に任せ、ここからさらに仕掛ける。
突きをカズヒデに防がれた直後、ヤシィは左足で地面を踏み抜いた。超人的な脚力で地面を貫き、流れていく体を強引に押し留める。
空いた右足による下からの蹴りが入ったのは、さらにその直後だった。
接近と、突きと、停止と、蹴り。ほんの僅かな時間に詰め込まれた四手だったが、カズヒデもまた武人、反応できている。
「是ッッ!!」
すんでのところで左腕を滑り込ませ、ガードする。
このジャングルからやって来た戦士は、緩急の激しさが最大の強みだ。思わぬタイミングで、思わぬ角度から仕掛けてくる。
狩りだ。ささいな隙に敵を仕留め得る一撃を叩き込み、戦いを終わらせに来る。獣の戦い方とも言える。ジャングルの魔生成物達を相手に学んだのだろう。
カズヒデの故郷随一の職人の仕立てた腕甲が、きりきりと悲鳴をあげている。加えて、何もかもが強引な仕掛けだったが、蹴りはカズヒデの鳩尾を正確に狙っていた。
ガードが間に合っていなければ、そのまま曲剣で致命傷を負わされ、勝負は決していただろう。常人ならガードできたことに安堵したかもしれない。
だが、侍として殺傷力の高い手合いと立ち会った経験なら、カズヒデも負けていない。
カズヒデの全身が、下からの蹴りによって持ち上がる。ヤシィの冗談では済まない脚力が、天井めがけてカズヒデを吹っ飛ばす。
あわや激突するかと思われたが、侍の足さばきは伊達ではなかった。袴をはためかせ天井に着地したカズヒデは、そのまま壁面を滑り走った。
接地を極めた歩行術を体得するカズヒデもまた、ヤシィと同じく、地面以外の場所で戦闘可能な戦士だ。
彼の動きは、特徴的な流麗さを持っていた。足場ならぬ足場を、歩くのではなく滑り行く様。
最初の奇襲も、先のヤシィの突貫への受け流しもまた然り。
力の流れを読み、横へと流す。
無駄のない流れる動き。
本来なら重力に従って落下するはずの体を、不可思議な体重移動と足さばきを用いて壁上で滑らせていく。
速い。
ヤシィの突貫は爆発力のあるものだったが、カズヒデの壁走りは風のようだ。
両者の違いは、初速と持続力にあった。
ヤシィの動きは緩急がある。ゆえに初速が最も速く、持続はしない。
一方でカズヒデの動きは緩急がない。緩急を排除していると言うべきか。最高速を出すまでに時間がかかるが、いつまでも持続する。
闇に乗じて、カズヒデは通りすがりの斬りつけを何度も狙った。剣筋にも流麗さが表れる。決して止まらず、振り抜いた動きが、次の斬りつけの動作の始まりとなっている。
暗闇に銀閃が、幾度も煌めく。
連続したそれは、間を置かず、しかし異なる方向からヤシィを襲った。
「——ルゥッ!!」
独特の声を上げ、ヤシィは、緩急ある回避を同じだけ繰り返すことで対処した。
つまり、全て回避することを選んだ。
滑らかに空を裂く斬撃。
風切り音は軽く、しかし必殺の切れ味を持つ。
力強く大気を押し退ける回避。
風切り音は重く、しかし何度でも連続する。
ヤシィが暗闇で斬撃を認識し避けられるのは、大自然で研ぎ澄ました鋭敏な勘と、並外れた瞬発力があったればこそだ。視えてはいないが、分かるのだ。
とはいえ、暗闇でヤシィを相手に、正確に斬撃を浴びせるカズヒデも尋常ではない。そも、並みの使い手であれば、暗闇でヤシィを捉えることはできないはず。ヤシィの全身は、音を立てず、姿をぼやかして見せる装備で包まれているのだ。
今、洞窟は闇に包まれている。環境として既に、敵を視認することがほぼ不可能と言っていい状態。
そこへさらに聖衣の効果が加わる。
輪郭は曖昧になり、色味も漠然と溶け込む。この迷彩効果は場所を選ばないが、やはり光の有無で効果は劇的に変わる。
暗闇はまさに、この聖衣が本領を発揮する場所の一つだが、それを正確に見捉えることができるのは、カズヒデが忍者だからだ。
そして忍者としてよりも、カズヒデは侍としての技能の方が優れている。
攻撃の全てを回避されている為、側から見ればヤシィが戦闘力で圧倒しているように見えたかもしれない。だがこのカズヒデ・アケバという忍者の剣技の恐ろしさは、相手に回避だけを強いるところにある。
カズヒデの斬撃は殺傷力が高く、しかも途切れない。流麗さを極めたこの剣術は、刀を振り抜いてから次の斬りつけを行うまでが恐ろしく速い。
ヤシィの体の各部から放たれる僅かなマナの光と、それを反射する互いの得物。乏しくも闇中の光源は、暴力的に交差していく。
侍としての剣術と、忍者としての技。
密林での多様な戦闘経験と、獣を超えた身体能力。
それぞれの強さが、ぶつかり合う。
そして決着というものは、なんの前触れもなく、唐突に訪れる。
回避に専念していたヤシィが、ある一瞬、突然の攻撃に転じた。反射的に行なっている回避を 運動のうち、体を前へ倒す動きをした時だった。
右手に握る曲剣は、刀を横一文字に振り抜いたカズヒデの足の付け根を狙っていた。
しかし流麗なるカズヒデの体捌きは、難なくそれを躱す。
そして下手な攻撃に出たヤシィの首を今度こそ斬りとばすべく、刀が滑らかに翻ったその時。
カズヒデの立つ地面直下から、太い棘岩が飛び出した。
流れに重きを置くこの剣技は、途中で止まる動きをしない。
ゆえに、所作を行なっている瞬間、既に次の所作はほぼ決まっているし、途中で違う動きをしようにもかなりの制限がある。
刀を振るう所作に没頭するカズヒデの全身は、前二度の戦いで見せなかったヤシィの新たな一手に貫かれた。これこそ、ヤシィがその身に宿すマナの、本来の力だった。
「……見事」
それだけ言い残して、カズヒデは事切れた。
感動的な余韻などない。
これは殺し合いだ。
カズヒデの敗因は、考えればいくつもあっただろう。忍具を使わず、最終的には侍として戦ったこともそうだし、そもそも隠密を得意とする者同士、得意とする暗闇での戦闘を行ったことも、敗北の要因と言える。
だがそれらを考察することに、意味はない。カズヒデは負け、彼の人生は終わったのだ。
そして己を上回ったヤシィを賞賛する言葉を捻り出せただけ、カズヒデは時間が与えられた方だ。
「ル・ヤシィ・ソ・アエトゥーク(我こそは汝の魂導くヤシィである)」
しきたりに習ってもう一度、ヤシィが口を開いた。
ヤシィは、カズヒデを討ち取った旨を報告する前に、墓を作ることにした。
カズヒデを弔うのだ。
理由はきっと、しきたりなのだろう。それ以上のそれ以下の意味もない。
墓は、山の中腹の、誰もこないような、誰にも気づかれないような場所に作られた。朝日も届かない、侘しいところだ。
カズヒデはきっと、これから誰にも語り継がれず、眠り続けるだろう。
諜報の任務に就くとは、そういうことだ。
そういう人間がこの世にいることを、彼らに関わった者以外は思いもしない。
明け方の、墓に突き刺さった刀には。
蛍すら光を、もたらさなかった。
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