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~第1章~

~第10節 劣等感~

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 ---御宮寺おんぐうじカケルのある日の一日。
雲一つない快晴の日の朝、カーテンを開けてある窓からは強い陽射しが光条となっ
て降り注いでいた。そんなすがすがしい朝ではあるのだが、カケルは朝食を両親と
採りながら両親からの要求が多く不満がたまっていた。

「そんなこと言ったって、兄さんにかなうわけないじゃん」

「マサキはあの年で大学の教授までになったのよ。あんたもそのくらい頑張って見
せなよ」

 母親からの苦言にカケルはグチをこぼす。カケルの兄『御宮寺おんぐうじマサキ』はカケル
と同じ大学に進学し大学院在籍中に、工学部の教授となった秀才である。しかし、
そのことがカケルにとってはコンプレックスで仕方なかった。

「だいたい天才というか、兄さんはそれを通り越してキチガイだよ、ホントに…だ
ってマッドサイエンティスト、なんて言われてるんだよ?」

「まぁ母さん、それくらいにしときなさい。朝からいざこざは堪らんよ。」

 バサッと読んでいた新聞を閉じながら、父親は朝から母と息子のケンカにうんざ
りしていた。カケルも文句を言いながら母親の用意した朝食のスクランブルエッグ
と、こんがり焼いたバタートーストに喰らいついていた。

「マサキは元気にしてるのか?」

「知らないよ…だってしばらく研究室に閉じこもって泊まり込んでるんでしょ?僕
も大学では会ってないから」

 父から兄のことをたずねられたカケルだが、当人がしばらく家を留守にしている
以上、なにも答えられようもなかった。

「まぁでも、今日はいよいよ大会でしょう?頑張ってね」

「うん、ありがと。それじゃあ行ってきまーす」

 朝食を手短に済ませたあと、母親に見送られ出かける準備のできたカケルは玄関
に置いておいたアーチェリーの道具を持ち、家を後にした。そして最寄りの駅まで
歩くあいだ、ふと物思いにふけっていた。

(僕だって兄さんには追いつきたいし、越えていきたいけど…昔っから兄さんはい
つもそうだ。中学のときも高校のときも名門校へ入学するし、大学は何とか同じよ
うに入れたけど。僕の何歩も先へ行って、決して振り向いたりしてくれないん
だ…)

 外はまだ残暑が続き、アスファルトで照り返す真っ黒い地面には蜃気楼のように
太陽からの熱気がゆらぎ、たまっていた。その熱気の中、行き交う人や車を無視し
て、カケルは下を向きつつ黙々と駅への熱せられた道のりを歩く。

(そういえば、大会の開催場所は伝えておいたけど、みんな来てくれるかな…)

 そうこう思いを巡らせているうちに、駅前に到着していた。駅ではタクシーが頻
繁に入れ替わり、朝の通勤客のサラリーマンや学生やらでごった返している。普段
この朝早い時間に電車へ乗らないカケルは一瞬圧倒されるが、気をとり直して改札
への階段を重い足どりで昇っていった。

(うぇ、朝ってこんなに混んでるんだ…せめて土日のどちらかでやって欲しいんだ
けど、大会は学生向けだと平日が多いのかな。こんな時にこの荷物はちょっとキツ
そうだなぁ…)

 などとブツブツ考えを巡らせながら来た電車に乗ると、夏の空に映えるような明
るい色のワンピースを着た一人の少女がカケルの目の前にサッと飛び乗ってきた。

「カケルくん、間に合ったね」

「カエデちゃん、ひょっとしたら僕の応援で行くところ?」

「そうだよ、今日は朝早いから大変だよね」

 そしてカエデが飛び乗って少しあとに電車のドアはゆっくりとしまる。満員電車
の押し合いへし合いで自分の荷物がかさばることがなんとも居心地が悪い。

「そうそう、それでこの混み具合だから最悪だよぉ」

 列車の走り始めはまだバランスが取れて良かったが、だんだんスピードが上がる
につれてカケルの後ろからの人混みにギュウギュウと押されることが増えてきた。
そのせいでカエデへの密着度が高まり、カケルへ小声で抗議する。

「…ちょっと、押さないでよ…」

「いや、後ろから押されてて、なんとも押し返せないんだ…」

 2人はほぼぴったりとからだの前面が密着するかたちとなった。そのおかげでカ
ケルの顔が無意識に赤くなり、顔も近くなったことで目のやり場にも困る。

(…ち、近いよね、これは絶対…)

 確かに近すぎる距離ではあるのだが、カエデの方はというと少し顔が火照ってい
るだけのように見える。そしてあまり動じておらず、これをチャンスにむしろ嬉し
い気持ちで微笑んでいるようにも見える。

(…カケルくん、セレっちに対しては見え見えな行動するのに、自分のことに対し
ては意外と鈍感なのよね…)

 その状況を打破するべく、カケルは右手をドアに突っ張り、左手でポールをつか
み押し合いの圧力に屈しまいと抵抗する。

「ありがとね、カケルくん」

「あ、いや…男として当然のことだよ…」

 いつものクセで本当は後頭部をかきたいところだが、状況的にそれは難しいの
で、苦笑いでカケルは返答した。満員電車は幸いにも止まる駅が少なく、またこの
列車一本で目的の駅まで行けるのが不幸中の幸いだったようだ。

 しばらく走行の後、目的地の駅へ到着すると列車は満員の人が耐えられないとば
かりに、ドアから人を吐き出しているようにも見えた。

「なんとか無事に到着したね」

「そうだね、つぶされるかと思ったけど、大丈夫だったね」

 2人も転びそうな勢いで吐き出されたが、なんとか耐えた。そして駅から歩いて
アーチェリー大会の会場へ着くと、カケルは選手専用入り口へ、カエデは応援者の
入り口の方へそれぞれ分かれて移動する。

「それじゃ、頑張ってね!あとでナツミとセレっちも合流すると思うから」

「うん、ありがと。優勝狙うからっ」

 カエデのエールに対してカケルは握りこぶしで答えた。周りにはすでに選手やそ
の応援団が集まっていて、熱気を感じるほどだ。

 試合は進み、いよいよ決勝戦というところで、カエデ・ナツミ・セレナの応援が
見えることにカケルは気が付き手を振った。

「みんな来てくれたんだね、ありがとぉ!」

「頑張って!」

 3人の応援で気合を入れ、カケルはライバルとの決戦にそなえた。

(おとといの鎌倉の戦いで筋肉痛がまだ残ってるけど…ここはなんとか頑張らない
とな…)

 ライバルとの得点が拮抗するなか、カケルは渾身の集中力で的のど真ん中を射抜
き、その決戦に終止符を打った。そしてその勝者ならびに優勝のアナウンスにてカ
ケルが呼ばれると、応援していた3人も近くでそれぞれのガッツポーズで勝利を祝
った。

「やったね!」

「うん、ホントありがと!」

(…兄さんにはいろいろとまだ及ばないところもあるけれど…僕には今、守るべき
人達とその居場所があるってことが実感できたよ…だから、兄さんに負けない部分
だってたくさんできたんだ)

 勝利の美酒と自分の自信に確信を得たカケルは、満面の笑みを浮かべていた。コ
ンプレックスを徐々に克服し、決して自分は兄の二の次ではないことを。
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