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第一章
泰土の術師
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『お前の最も愛する者に取り憑いて殺す』
◇◇◇
「――カイリ、今日も母君の祓除はうまくいかなかったのか……」
至る所に札が貼られた寝室には、『カイリ』と呼ばれる少年が膝を床につき寝台に横たわる母の手を握りしめていた。
「はい……泰土の祓除師、浄化師たちが手を尽くしても、深く取り憑いて剥がれようとしません。この妖に力は残っていない、それなのにどうして……。このままでは父上と同じように母上まで!」
医術師は興奮して立ち上がったカイリの背中に手を添えると、もう片方の手でカイリの母の脈を確認した。
「落ち着きなさい。望みがないわけではない。不確かなことゆえ、今まで話さなかったが……」
「何か知っているのなら、教えてください! どんなことでも構いません!」
医術師はカイリと向かい合うと、一呼吸おいてから言い聞かせるように彼に告げた。
「古い言い伝えがある――」
『赤眼の一族はどんな妖も浄化する』
「カイリ、君は信じるかい?」
◇◇◇
術師の町――『泰土』
術師の能力は四つに分かれており、町の北東に『結界』、北西に『医術』、南東に『浄化』、そして南西に『祓除』、術師たちは自身が専門とする能力の場所に集まり地盤を固めている。
妖退治は各専門同士が力を合わせて行うため、このように術師が集まる町が自然と出来上がったそうだ。
その泰土で祓除師の名家『三堂』の跡取り息子であるカイリ。彼の母は、二月ほど前、あと一歩のところで退治し損ねた大蛇の妖に取り憑かれ、今も意識を無くしたまま眠り続けている。
妖と戦い、取り憑いた妖を引き剥がす力をもつのが祓除師なのだが、不思議なことに残りの霊力が露ほどもないその妖を、誰一人として引き剥がせずにいるのだ。
強引に直接浄化も試してみたが、取り憑いた妖を浄化するために必要な祓除、封印という手順を飛ばしてしまってはやはり無理なようで、カイリは手詰まりとなってしまったのだった。
しかし、『赤眼』の力をもってすれば、それらをせずとも浄化が可能だという。
カイリはすぐさま泰土を飛び出して三堂のお抱え医術師に言われるがまま南に下ると、赤眼の言い伝えに望みを託していくつかの町や村を尋ね歩いた――。
泰土を発って、そろそろ三月。
本当にこれでいいのだろうか……。
正直なところ、カイリは頭を悩ませていた。町も村も、見つけ次第片っ端から住人に声をかけてみたものの、赤眼について何一つ情報を得ることができなかったからだ。
赤眼なんて本当はいないんだ。
そうだ、いるわけがない。
そんなにすごい浄化能力の持ち主なら、今頃この国の誰もが認める天才術師になっているはずだろう。
今ではこんな後ろ向きな考えしか浮かんでこない。
「赤眼、転がってないかな……」
石ころじゃあるまいし、転がってはいないだろう。足元の小石をコンと軽く蹴ると、転がった先に小さな村が見えた。もちろんこの村にもいつものように足を運んだのだが、カイリは視線の先のある奇妙な光景に思わず立ち止まってしまった。
目を凝らして見つめていたのは、数十歩先に生える木の根元。何度瞬きをしてみても、もやもやとした黒い塊が消えないのだ。……ということは、疲労による見間違いではない。
大きさは村を駆け回る小さな子ども二、三人分といったところだろうか。なかなかの存在感だ。
――妖?
いや、妖が姿を現すのは日暮れ過ぎであって、今のような明るい時にやつらは出てきたりはしない。ではあれはいったいなんなのだ。カイリはゆっくりと首を傾げる。
「ん?」
村人が通るたびに、彼らについている煙のようなわずかな『陰の気』が、黒いもやの塊へと流れていく様子がカイリの目に映る。それだけではない、どこからともなくふわふわと漂ってきた陰の気まで、すーっとそちらに引き寄せられていくのだ。
『陰の気』は人、自然、動物から発生し、どこにでもあって珍しいものではない。だが、こんなにもたくさんの陰の気が一か所に集まっているのは、祓除師のカイリでもさすがに見るのは初めてだった。しかも――。
(おいおい、待てよ、あれって……)
人だ! 見間違いではない、ぼやけてハッキリとは見えないが、黒いもやの中に確かに人がしゃがみ込んでいる。
こんなにも多くの陰の気を纏った……いや、陰の気の中にどっぷりと浸かっている異様な光景に、長い間変化のない日々を過ごしたカイリが刺激されないわけがない。
どんな人物が中にいるのか……み、見たい!!
思わず笑みがこぼれる。疼き出した好奇心を抑えきれず、カイリは腰に携えていた霊玉つきの術師の杖を手に持つと、まさに通り過ぎようという瞬間に黒いもやの上をふわりとかすめた。
一瞬にして陰の気が散る――。
(――!?)
膝を抱えてうずくまったカイリと同じ年頃の少女が、「えっ!?」と顔を上げて小さく声を漏らした。
通り過ぎるカイリをすかさず目で追う。
それは瞬きをする間もないほど短い出来事だった。しかし、二人の視線は確実に絡み合った。
カイリの脳裏に、少女の瞳がハッキリと焼きついたのだった。
◇◇◇
「――カイリ、今日も母君の祓除はうまくいかなかったのか……」
至る所に札が貼られた寝室には、『カイリ』と呼ばれる少年が膝を床につき寝台に横たわる母の手を握りしめていた。
「はい……泰土の祓除師、浄化師たちが手を尽くしても、深く取り憑いて剥がれようとしません。この妖に力は残っていない、それなのにどうして……。このままでは父上と同じように母上まで!」
医術師は興奮して立ち上がったカイリの背中に手を添えると、もう片方の手でカイリの母の脈を確認した。
「落ち着きなさい。望みがないわけではない。不確かなことゆえ、今まで話さなかったが……」
「何か知っているのなら、教えてください! どんなことでも構いません!」
医術師はカイリと向かい合うと、一呼吸おいてから言い聞かせるように彼に告げた。
「古い言い伝えがある――」
『赤眼の一族はどんな妖も浄化する』
「カイリ、君は信じるかい?」
◇◇◇
術師の町――『泰土』
術師の能力は四つに分かれており、町の北東に『結界』、北西に『医術』、南東に『浄化』、そして南西に『祓除』、術師たちは自身が専門とする能力の場所に集まり地盤を固めている。
妖退治は各専門同士が力を合わせて行うため、このように術師が集まる町が自然と出来上がったそうだ。
その泰土で祓除師の名家『三堂』の跡取り息子であるカイリ。彼の母は、二月ほど前、あと一歩のところで退治し損ねた大蛇の妖に取り憑かれ、今も意識を無くしたまま眠り続けている。
妖と戦い、取り憑いた妖を引き剥がす力をもつのが祓除師なのだが、不思議なことに残りの霊力が露ほどもないその妖を、誰一人として引き剥がせずにいるのだ。
強引に直接浄化も試してみたが、取り憑いた妖を浄化するために必要な祓除、封印という手順を飛ばしてしまってはやはり無理なようで、カイリは手詰まりとなってしまったのだった。
しかし、『赤眼』の力をもってすれば、それらをせずとも浄化が可能だという。
カイリはすぐさま泰土を飛び出して三堂のお抱え医術師に言われるがまま南に下ると、赤眼の言い伝えに望みを託していくつかの町や村を尋ね歩いた――。
泰土を発って、そろそろ三月。
本当にこれでいいのだろうか……。
正直なところ、カイリは頭を悩ませていた。町も村も、見つけ次第片っ端から住人に声をかけてみたものの、赤眼について何一つ情報を得ることができなかったからだ。
赤眼なんて本当はいないんだ。
そうだ、いるわけがない。
そんなにすごい浄化能力の持ち主なら、今頃この国の誰もが認める天才術師になっているはずだろう。
今ではこんな後ろ向きな考えしか浮かんでこない。
「赤眼、転がってないかな……」
石ころじゃあるまいし、転がってはいないだろう。足元の小石をコンと軽く蹴ると、転がった先に小さな村が見えた。もちろんこの村にもいつものように足を運んだのだが、カイリは視線の先のある奇妙な光景に思わず立ち止まってしまった。
目を凝らして見つめていたのは、数十歩先に生える木の根元。何度瞬きをしてみても、もやもやとした黒い塊が消えないのだ。……ということは、疲労による見間違いではない。
大きさは村を駆け回る小さな子ども二、三人分といったところだろうか。なかなかの存在感だ。
――妖?
いや、妖が姿を現すのは日暮れ過ぎであって、今のような明るい時にやつらは出てきたりはしない。ではあれはいったいなんなのだ。カイリはゆっくりと首を傾げる。
「ん?」
村人が通るたびに、彼らについている煙のようなわずかな『陰の気』が、黒いもやの塊へと流れていく様子がカイリの目に映る。それだけではない、どこからともなくふわふわと漂ってきた陰の気まで、すーっとそちらに引き寄せられていくのだ。
『陰の気』は人、自然、動物から発生し、どこにでもあって珍しいものではない。だが、こんなにもたくさんの陰の気が一か所に集まっているのは、祓除師のカイリでもさすがに見るのは初めてだった。しかも――。
(おいおい、待てよ、あれって……)
人だ! 見間違いではない、ぼやけてハッキリとは見えないが、黒いもやの中に確かに人がしゃがみ込んでいる。
こんなにも多くの陰の気を纏った……いや、陰の気の中にどっぷりと浸かっている異様な光景に、長い間変化のない日々を過ごしたカイリが刺激されないわけがない。
どんな人物が中にいるのか……み、見たい!!
思わず笑みがこぼれる。疼き出した好奇心を抑えきれず、カイリは腰に携えていた霊玉つきの術師の杖を手に持つと、まさに通り過ぎようという瞬間に黒いもやの上をふわりとかすめた。
一瞬にして陰の気が散る――。
(――!?)
膝を抱えてうずくまったカイリと同じ年頃の少女が、「えっ!?」と顔を上げて小さく声を漏らした。
通り過ぎるカイリをすかさず目で追う。
それは瞬きをする間もないほど短い出来事だった。しかし、二人の視線は確実に絡み合った。
カイリの脳裏に、少女の瞳がハッキリと焼きついたのだった。
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