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森のくまさん

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◆◆◆◆

 ある日 森のなか
クマさんに 出会った
花咲く 森の道
クマさんに 出会った

クマさんの いうことにゃ
お嬢
じょう
さん おにげなさい
スタコラ サッササノサ
スタコラ サッササノサ

ところが クマさんが
あとから ついてくる
トコトコ トコトコと
トコトコ トコトコと

お嬢さん お待ちなさい
ちょっと 落とし物
白い 貝がらの
ちいさな イヤリング

あら クマさん ありがとう
お礼に 歌いましょう
ラララ ラララララ
ラララ ラララララ

◆◆◆◆◆◆



 私は、

 政戦に敗北した。


 兄……あの人に敗北した。



 目の前が真っ暗になっていくのが分かった。


 ◆◆◆


 母様が九年前に他国への訪問最中に亡くなった。
 父様はその辺りから、どこか腑抜けたようになり、徐々に言動も可笑しくなっていった。

 国王の代変わりが囁かれるようになって、私は国王になるための政戦に参加した。

 周りから

 ''王子は普通じゃない、あなたがなるべきだ''

 と言われたから。
 別に自分から進んで責任重大な地位に就く気なんてなかった。

 いや、もしかしたら心のどこかでは、考えていたのかも知れない。

 兄に国を管理させてはいけない、と。



 兄の異常性には気付いたのは私がまだ4、5歳の頃だ。

 兄は、いつも書庫に入り浸り、気付けば倉庫で何かをしていた。

 ただ、その頃。
 好奇心旺盛だった私でも、偶然扉を開けた倉庫の中で兄があんな事をしているとは予想していなかった。

 それは、動物の虐殺。

 兄の為に作られたその倉庫は、床から壁、戸棚、全てが血の色に染まっていたのだ。壁には叩きつけられたように張り付く兎の頭。床には犬や猫の頭が転がっていて、戸棚には臓物が沢山陳列してあった。

 私は幼少ながら、そのあまりに異常な光景に足が竦み、スカートの中が濡れていくのが分かった。 


 そんな私を見て兄は、

 ""ははは、リーゼ。君にはまだ早かったかな。……でもいつか分かる時がくるよ。''


 私の頬を血濡れた手で撫でながらそう言った。


 ◆◆◆


 薄暗い森の中、私、リーゼは全力疾走で森の中を駆け抜けていた。

 このままでは直に追いつかれてしまう。
 そうなったら、私に希望を託してくれた者達の思いが無駄になる。

 長年私の執事を務めた爺や、立場上どうしても同世代と関係を持つことの少なかった私が、唯一気さくに喋ることの出来た専属侍女のエミリヤ。

 最後まで生き残っていたその二人も……私を逃がす為に死んでいったのだ。

 絶対に捕まってはならない。

 私は、追手の視界から外れた直後、近くの茂みに飛び込んだ。

「おい!見失ったぞ!」
「あっちに向かった筈だ!」
「絶対に逃がすな!」
「報酬がパーになっちまう!」

 私は、手で口を抑え、荒くなる息を必死に抑えながら木の影で気配を押し殺す。

 私のすぐ側を、城で一度も見た事のない・・・・警備隊の集団が走り抜けていく。
 ただ、あれは服装だけの警備隊だ。とてもではないが警備隊と言えるものではない。所々、口調や身なりに違和感を覚えるところがあるのだ。

 ……おそらく、あの人・・・・が、ゴロツキ達をかき集めて急造でもしたのだろう。

 くそ。

 私は身を潜める状況でありながら、拳を握りしめ背にある木を殴りつける。

「ん?今なんか音がしたような?」
「おい!何してる!早くいくぞ!」


 追手の集団が駆け抜けていき、私の周囲に再び静寂が訪れた。

「……はあ。」

 危なかった。

 あの男が頭に浮かび、つい感情の抑制が効かなくなってしまった。

 政戦。あれはそう呼べるのだろうか。

 私の周りは、私の命を守るために四六時中常に警戒していた。
 きたる時に兄を王族から引き下ろすために。
 だけど、現実は違った。結果、一度も私の命が脅かされることは無かったのだ。

 ただ、私の周りは遠い者達からどんどんと死んでいった。毒殺、自殺、原因不明の死。

 それが兄の派閥によるものである事は確信していたが、どうやっているのかも、どうしてここまでするのかも分からなかった。

 気づけば私と爺やとエミリアの三人になっていた。


 思い出すだけで悔しさが込み上げてくる。

 でも、ダメだ。今は無駄な感情に振り回されてはだめ。

 あの城にはもう私の仲間がほとんどいないのだ。

 この状況を打破するには、みんなの思いを繋ぐには、私が何とかしなければならない。

 感じたことのない重く苦しい責務に息が詰まりそうになる。
 正直、私は皆の期待に完全に応えるだけの自信がない。



 だから……


 だから……


 私が、今でも一番、おそらくエミリアと爺やと同じくらい信頼を寄せているあなた・・・に、もう一度、だけ助けて欲しい。

 あの日、私を救ってくれたように。


 私は、昔の記憶を辿りながら、薄暗い森の中を突き進んでいった。


 ◆


 "お嬢様!どこにおられるのですか!お嬢様!"
 "はわわわ、また見失ってしまいました!"


 あの頃の私は、好奇心が旺盛だった。
 社会、政治、人の闇など覗いたことも無かった私は、毎日のように爺やとエミリアの目を掻い潜って城から抜け出していた。

 そんな私が城を抜け出して必ずしていたのは、城の裏にある森の散策だった。

 家庭教師が張り付いて、お作法、勉学、武道の学習を繰り返す日々。
 今思えば国の王女ともなれば当たり前の事ではあったけど、それは幼い頃の私にとってはとても息苦しかった。

 それだけに、初めて森という世界に触れた時には、私はそこに自由が広がっている気がした。

 生い茂る草花、木の上で昼寝をしているリス、小鳥のさえずり。

 森の散策は、私の心の中に溜まっていたものを吐き出させてくれる。

 そう思っていた私は、心の油断から来てしまったのか、ある日突然森の恐ろしさを知ることになった。


 その日、いつも通り森に入っていった私はたまたま見かけた綺麗な蝶に誘われて、気付けば自分の知らないエリアまで入り込んでしまっていた。

 不安からなのか、天気が悪かったのかは定かではないが、そこは普段よりも暗く不気味に感じる場所だった。
 私は、まるで自分が世界に一人だけ取り残されてしまったかのような孤独感に襲われた。

 "爺や!エミリー!お父様!お母様!''


 そして、泣き喚きながら森を歩いている私に、さらなる恐怖が舞い降りた。

 狼の群れに遭遇したのだ。

 今までの一度も出会ったことが無かったのに、どうして。この時の私は、城を抜け出した事を初めて後悔していた。

 徐々に距離を詰めてくる殺意のこもった視線と、けたたましい狼達の唸り声。

 すでに腰を抜かして逃げることの出来なかった私は
 身を屈め、目を瞑り、耳を手で塞いで、その恐怖から少しでも逃れようと必死になった。

 ""(お願い!誰か助けて!)''

 手の隙間から、狼達の唸り声と迫ってくる足音が聞こえ、自分の死をとうとう覚悟した時……


 ""グルゥゥゥゥゥゥゥアアアアアア!!''


 私は、狼とは比較にもならない、身の底が震え上がるような唸り声を聞いて、そのまま気を失った。



 ドスン。

 私は体に感じた強い衝撃で目を覚ました。
 どうやら、地面に落下したようだった。

 すぐに、意識を失う前の状況を思い出した私は、辺りを見渡して狼の姿を探そうとした。
 けれど、最初に目に入ってきたのは、城の裏門。
 森の深くにいたはずの私はいつの間に森の入口にいたのだ。

 そして、

 ドス、ドス、ドス。

 背後から聞こえる重い足音。その音はどんどん遠くなっていく。

 私が咄嗟に振り返る。

 すると……



 そこには1匹の熊がいた。

 それを見て、私はすぐに理解した。

 あの熊が運んできてくれたんだ。
 あの時、大きな唸り声をあげて狼たちを追い払い、私を助けてくれたんだ。あの熊が。

 その時の私は、ゆっくりと去っていく熊に何をする事も出来ず、ただ

 ""あの、くまさん!……ありがと!!''

 と言って、その日はそのまま城に戻った。

 その日は当然のこと、こってりと爺やとエミリーに叱られた。でもその時の私は全くその言葉が耳に入ってこなかった。

 すでに、頭の中はあの熊のことでいっぱいになっていた。


 次の日。私は早速城を抜け出した。

 昨日の反省なんて知らない。私の目的はただ一つ。

 あの熊にもう一度、会いたい。

 今思えば良く見つけられたと思う。もしかしたらこの時からそういう運命にあったのかもしれない。

 私は宛もなく、けれどどこか確信めいた気持ちで森の中を突き進んでいった。

 そして、私は見つけた。

 そこは幻想的な場所だった。

 一種類の花が一面に咲き誇り、木漏れ日でそこだけがライトアップされていた。

 その場所はまるで花で出来たステージのようだった。

 そして、そのステージの中央で丸くなって眠っているのは1匹の熊。

 私を助けてくれた熊だ。

 私は、見つけられた嬉しさから大声で挨拶をした。

 "くまさん!こんにちわ!''

 これが、ある意味初めての出会いだった。


 この日を境に、私とこの熊との楽しい日々が始まった。

 私は、行ける時は必ずその花のステージへ向かった。
 最初は、無視されることも多かったけれど、何度も通ううちに打ち解けていくのが分かった。 

 追いかけっこをしたり、上に跨って散歩をしたり、悪い狼の退治をしたりもした。後、歌うことが好きな私の歌をずっと聞かせたりもした。ほとんど聞かずに寝ていたけれど、たまに好きな曲があるのか体を揺らして反応していたことはとても嬉しかった。

 あの頃の私の日々は、充実していてとても明るく輝いていた。

 しばらくして、私は熊に名前をつける事にした。

『ファーラ』

 このステージに咲く花の名前だ。

 "くまさんはね、これからファーラね!見てこれ、あたしが作ったの。キレイでしょーえへへ!''

 私は、自分で作った『ファーラの花飾り』を熊、ファーラの頭の上に乗せてそう言った。

 ファーラは最初、焦れったそうにしていて頭を振って振り落とした。 

 私は、それを特別な思い・・・・で渡していた。なので、それを見た私は大泣きして帰った。

 でも、

 次の日、その花飾りを頭に乗せて寝ているのを見た時は、顔が緩むのを止められなかった。


 私はある日、城の宝物庫に父様に一緒に連れていってもらった。
 私は、その時たまたま見つけた『貝殻のイヤリング』に惹かれて、「ちょうだい」と父様に頼み込んだ。

 けれど、それは伝承で、

 国を守る【守護獣】の言葉を、イヤリングをつける事で理解する事が出来る

 と云われている大事なモノだったらしく、なかなか許してもらえなかった。

 でも、その伝承を聞いた後では、尚更諦めるわけにもいかなかった。

 "(それぜったいファーラのことだよ!やった!ファーラとしゃべれる!)''

 そう信じて止まなかった私は、数日間に渡り駄々をコネてやっと貰うことが出来た。

 興奮を抑えきれず、私は早速イヤリングを着けて、ファーラに会いにいった。

 "なーんだ、おくにのしゅごじゅうじゃないんだ。''

 結論から言うと、ファーラの声を聞くことは出来なかった。どうやら国を守る守護獣ではなかったらしい。

 あと、その時勝手に期待をして勝手に落胆した私を見て、ファーラが機嫌を損ねてしまったのは良く覚えている。

 お詫びにと、次の日私は貝殻のイヤリングの片方をチェーンに通してネックレスを作ってあげた。

 "ファーラはね、おくにのしゅごじゅうじゃなくても、あたしのしゅごじゅうなの!これで、おそろいだね!''

 サイズを間違えてしまい、ファーラの首にぴったりすぎて、毛で隠れて見えなかったけれど、

 あの時のファーラが、もの凄く嬉しそうな顔をしていたのは見間違いでは無いと思う。  


 しかし、そんなファーラとの日々は突然に終わりを告げた。

 貝殻のイヤリングを渡した次の日、私はいつも通りファーラに会いに行った。

 けれどその日はいつもとはちょっと違った。

 普段なら私が花のステージに眠るファーラを起こすところから始まるのだが、何故か、その日はファーラが道中までやって来ていたのだ。

 "ファーラ!もしかして迎えに来てくれたの?嬉しい!''

 いつも寝て待っているファーラに、もしかして来て欲しくないのかな?

 なんて思った事もあった私は、それを見て大喜びをした。
 そして、私はファーラの鼻先に抱きつこうとした。


 けれど、それは叶わなかった。

 ファーラが迷惑そうに私を押し退けたからだ。
 あれ?と不思議に思った私はもう一度抱きつこうとしたが、同じように押し退けられる。

 今日は抱きつかれたくない日なのかもしれない。

 そう思った私は、

 "もう、どうしたのファーラ?それじゃいつもの所に行こ?''

 抱きつくのを諦めて、先に向かおうとした。


 けれど……

 "ちょっとファーラ。どうしたの?''

 ファーラは私を鼻っ面で押し返したのだ。まるで、これより先には行かせないと言うかのように。

 そこからはさっきと同じ。何度通ろうとしてもひたすら押し返される。

 だんだんとムキになって来た私は意地になり、なんとかして花のステージへ向かおうとしたが、遂には


 "グルゥゥゥゥアア!!''


 ファーラから大きな唸り声を上げられた。それは初めての経験だった。 
 それに沢山遊んだ私だからこそ、唸り声をあげるファーラの顔を見て、

 ああ本当に来てほしくないんだ。

 と分かった。

 嫌われた。
 理由は分からないけれど、明確に拒絶された。


 私もその時は訳が分からずカンカンに怒り、去り際に思い切りファーラの鼻っ面をパシンと叩いて城に戻った。

 そしてそれを機に、私の足は森から、ファーラから、遠のいていった。

 きまずさ。意地。王女としての事情。

 会いにいかなくなった理由は、自分でもどれなのかは分らない。



 ……今もなお、私とファーラの時間は止まったままだ。


 ◆◆◆


「はぁ。はぁ。はぁ。だから、……もしもう一度会えたなら、あの日なんで私を拒絶したのか教えてよ、ファーラ。」

 私は、膝に手を付き息を荒らげる。そして、視線を前に向けた。

 私がファーラと過ごした大切な場所、花のステージに辿りついた。

 いや、花のステージだった・・の方が正しいかも知れない。

「…………これは。」

 久しぶりに見たそこは、ファーラと出逢ってから好きになった花『ファーラ』が全く生えていなかった。

 代わりにあったのは、なにも生えていない暗い色の土だけ。
 一瞬、場所を間違えたかとも思った。

 けど、その土だけを照らす月明かりは間違いなくそれ・・だった。

 その風景がどこか不気味で、あの日、狼に襲われた時の事が思い出された。

 そして、なによりも……


 そこにファーラはいなかった。

 私は、辺りを見渡した。たまたま眠っていないだけかもしれない。きっと散歩に出かけているんだ。

 私は心の中で、『死』の文字が浮かび上がってくるのを必死に抑えようとした。あれから十年。もしかしたら、もう……。

「あたしを一人にしないでよ。……ファーラ。」

 カサカサ。カサカサ。

 その時、背後の茂みから音がした。

 私は咄嗟に振り返る。

 それを見て、私の心臓は大きく跳ね上がった。 


 そこには、目の前にいたのは、私が探していたおおきな信頼を寄せている存在、ファーラだった。


「ファーラ……だよね?」

 けれど、なにか様子がおかしい。
 今の目の前にいるファーラは、私が成長したからなのか心無しか小さく見えなくもないが、体はあの頃の記憶とほとんど変化はない。毛の色だって記憶のまんまだ。

 けれど……

「グルゥゥア。」

 その唸り声と、私を見つめているその瞳は、
  
 私の知っているファーラのものでは無かった。

 その唸り声は、低く威圧的で、ただただ相手を恐怖させるもの。
 その瞳は、ひどく濁っていて、無感情な、まるで虫ケラを見るかのようなもの。

 私は、ずっと会いたかったファーラを目の前にして思わず後ずさってしまう。

 今、目の前にいるファーラを見て

 私は、あの日私を救ってくれた優しく強いファーラ……ではなく、

 私という獲物を前にしたあの狼達の姿が思い浮かんだ。

 私は必死に頭を振って、現実から目を逸らす。

「ファーラ。ファーラなのよね?助けて。お願い。またあの時みたいにキャッッ!?」

 私は、目の前で起きたことに呆然とした。

 声を掛けながら近づいていった私に、ファーラが腕を振り下ろしたのだ。

 私は、尻餅をつく形でその腕をギリギリで避けることが出来た。完全にたまたまだった。

 遅れた私の髪が、爪で切り裂かれてハラリと宙を舞うのが見える。スローモーションに見えるそれを、ぼんやりと眺めながら、私は気付いてしまった。

 ああ、私を殺す気だったんだ。
 あの頃のファーラはもういないんだ。
 何かを境にして。
 私が何かをしてしまったから。
 ファーラは変わってしまった。
 再びあの関係を取り戻す事なんてもう出来ない。

 すべて、すべては手遅れだったんだ。


 目の前が、涙によって徐々にぼやけていくのが分かった。

 目の前が暗くなっていく。最後の希望が崩れ落ちた。
 弱い私を、頼りない私を

 助けてくれるファーラはもういない。

 狼に襲われた時と同じように、私は目を瞑り、耳を塞ぎ、現実から逃れようとした。
 あわよくば、その時と同じように何かが起こりますように、と。


 その時、私は耳に何かの音が入ってくるのが分かった。そしてその音が何なのかはすぐに理解した。

 私とファーラしか知らないはずの
 私とファーラだけの
 この不気味花のなステージに、

 誰かの拍手が鳴り響いた。



 私は、場違いなその拍手によって現実に引き戻される。

 いったい誰が?

 私は、その拍手をする人物を突き止めようと下に向けていた顔を上に上げようとした。

 ……けれど、私が顔をあげる前に、私はそれが誰なのかを気付かされた。

「いやぁ、すばらしいねぇ。最高の絵がとれたよ。」

 それは、幾分か声変わりによって低くなってはいたが、間違えようも無い声だった。
 血濡れた手で頬を撫でられたあの感触が甦り、思わず手で頬を押さえる。

「私達の秘密の場所で、その大切な友に殺される王女。ははは!なんてすばらしい結末なんだ!」

 あの日以来。
 倉庫で初めて聞いた時以来の、狂気に満ちたその声が私の体に纏わりついていく。

 そして、

 私は、さっきまで攻撃的だったファーラが襲ってこないという事に違和感を感じて顔を上げた。

 そこには、口が裂けるぐらいにニヤァと笑っている兄の姿と……

 その横で静かに座るファーラの姿があった。

「あなた、…………どうして兄様の横に。」
「あらあら、まだ兄様って呼んでくれてたの?……あ!それとも、追い詰められて幼児退行でもしちゃったかな?」

 兄は腰を下ろし、ファーラを見て呆然としている私の顔をのぞき込みながらそう言った。
 背筋が凍るような猟奇的な表情だ。
 けれど、私は目の前の、ファーラが大人しくしているという事実に理解が追いつかなくてそれどころでは無かった。

「あー、やっぱり気になる?ファーラ・・・の・こ・と。」
「なっ!?なんでその名前を!」

 私がつけた大事な名前をなぜこの人が知っているの!?

 私は、兄の口から出た言葉に驚きを隠せなかった。

 あからさまに動揺を見せた私を見て嬉しくなったのか、兄は私の顔をのぞき込みながら喋りつづける。

「いやー、さ?ある日、僕は研究・・材料が無くなって森に収穫にいったんだよ。」
「け、研究?なんのことだ?」
「まあまあ。とりあえず聞きなよ。……で、たまたま見つけちゃったわけ。リーゼが森を走っていくのをね。そして、その後をつけたら……」

 そこで兄は、立ち上がり横に座るファーラの頭を撫でながら続けた。

「この熊さんを見つけたんだよ。君がファーラと呼ぶこの熊をね。いやー、あの時、歓喜したよ僕は。最高のシナリオを思いついたからね。まずは母様を事故を偽装して殺してー」
「なっ!?」

 母様を……殺した?兄が?
 どういうこと?
  
「ふふふ、見せたかったな~リーゼにも。あの完璧かつ美しい事故を。誰も事件だなんて疑いすらしなかったよ。」
「じゃ、じゃあ、父様も」
「僕だよ。あ、でも勘違いしないでよ。病気については僕は関与してないよ。僕が関与しているのは父様の言動のほう。長年の研究成果が上手く実った時はそれはもう最高の瞬間だったよ。薬を少しづつ服用させるだけで事が足りるんだ。」
「な、なにを言って」
「【呪い】だよ。相手を意のままに操れる呪い。僕が書庫に篭っていたのは知っているだろう。そこで得た情報がまさか本物だとは思わなかったけど……あの倉庫・・・・では、沢山の命を使ったからね。兎さん、犬さん、……ああ、後侍女も何人か使ったかな?いずれにせよ、みんなの命が報われて良かったよ。」

 兄は、

 私の目の前に立っているこの男は何を言っているんだ。

 母様と父様の事は全てがこの男が手引きをしていた。

 それに、侍女を使った?研究に?あの血塗れの倉庫は、人間の血も混ざっていたの?

 私は、頭の理解が追いつかずにただただ話を聞き続ける。

「でね、話は戻るんだけど。僕の計画では、まず母様を。次に、君、リーゼを。そして最後は父様を殺す計画だったんだ。父様は呪いで操ってしばらくは利用したいからね。最後になるのは当然として、問題はリーゼだったんだ。君の良い殺し方がなかなか思いつかなくてね。いや~困ったものだよ。」

 兄は大げさに苦悩の様子を見せた、あと突然笑顔を作りながら、バッと大きく手を広げた。

「そこで、ここが!この熊が見つかった!君が大好きなこの熊をね!」
「……!?まさかファーラにも呪いを!?」

 そこで、私は理解してしまった。

 なぜファーラがこの男の言いなりになっているのかを。

 私は、目の前が真っ赤になっていった。

「大変だったよ。呪いが完全に効くまでは十年もかかった。抵抗力が強かったのかなー?ついこの間のことだしね。」

 そんな前から?まだ私がファーラと会っていた時から既に呪いをかけられていたのか?

「日々、自分に掛けられ始めている呪いと闘ってたんだろうねぇ。初期の段階で既に自分の制御が稀に効かなくなっていたみたいだからね。」

 そして、私は自分が一番知りたかった事をこの男から言われた言葉で気付かされることになった。

「あの辺りからリーゼも森に行かなくなったよね?勉強が忙しかったみたいだけど。行かなくて良かったよ。たぶん近いうちに殺されていた・・・・と思うよ?そうなったら僕の計画が台無しになっちゃうもん。」

 私は、その言葉を聞いた瞬間、この男に殴りかかっていた。

 あの日、ファーラが私を拒絶したのは……すべてこの男のせいだった。ファーラは私を殺してしまうかもしれないから……

「お前のせいでっ!」
「おっと。なんだい急に?」

 私は、躱されても兄に殴り掛かりつづけた。けれど、一向に当たる気配がない。

 どうして?この男は武道なんかそっちのけで禄に運動もしていないはずなのに?

 私は、自分の記憶との差異に違和感を感じながらも殴り掛かり続ける。

「くそっ!くそっ!」
「あはは、そんなに怖い顔しないでくれよ。そもほも君じゃ僕には……勝てない、よっ!!」
「ぐっ!かはぁッ!」

 私は腹部に兄の殴打をくらい、吹き飛ばされた。
 文字通りのままだ。本当に吹き飛ばされた。
 私はそのまま木に叩きつけられ、血を吐き出す。

「あのさぁ~、ちょっとは考えなよ?このファーラって熊。相当な強さだよ?何も無い弱い僕がその
 熊を易々と呪いに掛けられるわけないだ、ろっ!!」
「ギャン!!」

 そう言って、兄は横にいたファーラを蹴り飛ばした。

「ファ、ファー……ラ。」

 何なの、この力は。ファーラを蹴り飛ばした?

 私は、吹き飛ばされて同様に木に叩きつけられたファーラに視線を移す。

 それはあきらかに人間技じゃなかった。それもあの男が、兄が。意味が分らない。

「研究っていうのはさ、面白いものでね?主目的ではない、それ以上にすごい副産物を生むことがあるんだよ。それがこの怪力ってわけ。まあ、それでもこの熊には手こずったんだけどね。」

 男は、楽しそうにしゃべりながらゆっくりとこちらに近づいてくる。

「そんな訳で、やろうと思えば一瞬で君を殺すことも出来るんだけどさ……」

 男は私の頭を掴んでファーラの所まで投げつける。

「ぐっ!」
「それじゃあ、意味がないじゃん?僕があの時思い描いたシナリオが無駄になっちゃうしね。……政戦に負けて城を逃げ出す。最後の希望だー!って言ってこの熊に会いに向かう。そして……」

 兄は私とファーラを見つめて、口を大きく歪めながらこう言った。

「その愛しの熊に殺される。……ね?分かった?最高に熱く、最高に悲劇的なシナリオでしょ?あー、僕って天才なのかな!」
「は、はじめからそのつもりで。」
「ん?あたり前じゃん、そんなの。じゃなきゃあんなゴミみたいな警備隊作らないって。ね?無事ここに来れたでしょ?……さあ。それじゃ結構話し込んじゃったし。終わりにしようか。」

 兄は、ファーラに指示を出した。制御を完全にコントロールしているのは本当のようだった。
 蹴られたにも関わらず、言う事を素直に聞いたファーラは立ち上がり私を見据えてくる。

「うーん。すぐに殺しちゃ味気ないからなぁ。ゆーっくりと、じわじわと殺しなよファーラ。君の大切なと・も・だ・ちを、ね?」

 その言葉を合図に、本当にファーラは私を攻撃し始めた。言われた通り、肌をかするようにじわじわ攻めてくる。

 私は、ここで死んだら全てが終わってしまう。

 必死に避け続けるしか無かった。

 どうしてこんな事になったの?。
 なぜ、あんなに仲良く遊んだファーラと闘わなきゃいけないの?
 なぜ大切な友達があんな奴に操られなきゃいけないの?

 もしかして……


「はぁ、はぁ。私が……ファーラに会わなけれ、くっ!」

 私は、認めたくないけど認めざる負えないその事実を口に出そうとした所でファーラの頭突きで飛ばされ、そのまま茂みに突っ込んだ。

「……ごめんね。」

 私は、息を荒くし、茂みの中で視界に映った夜空を見て呟いた。



 その時、私は十年前のある日の記憶が突然蘇ってきた。

 "もう!ファーラなんてしらない!どうせあたしのことなんてキライなんで、キャッ!''

 "グルゥ''

 "ちょっと、なにするのよ!やっぱりあたしのこと、キャッ!''

 "………グルゥ。''

 "…………。あたしのこと、キライじゃないの?''

 "…………。''

 "あ~!目そらした!……ふふふ!そっかー!ファーラはあたしのことすきなんだね~!''


 それは、私がファーラと喧嘩した時の事だった。と言っても私が勝手に怒ったのだけど。

 こんな状況にも関わらず、昔の事が鮮明に思い出される。あの時、受けたどこか優しさの感じる頭突きの感触も……。

「さっきの突き。そんなに痛くなかったな。……っ!ファーラ!!」

 私は、茂みからガバッと起き上がってファーラを見つめる。

 その目はやはりどこか濁っていて、光を感じない冷たい目。唸り声も変わらず威圧的のまま。

 気のせい?
 いや、でも確かにさっきの頭突きはあの時のと……。

 もしかして、まだどこかにファーラとしての意識があるのかもしれない。

 半ば強引な判断で、私はファーラに近づいていった。

「ね、ねぇ。ファーラ、あなたまだ意識が残っているんでしょ?」

 私は縋るようにファーラに近づいていく。ファーラはこっちを見たまま動かない。
   
 言葉が通じてるの?
 ……いけるかもしれない。

「はははっ!何を血迷ったんだい?その熊に意識なんてある訳ないだろう。」

 うるさい。まだ分らない。あの時、確かに感じたの。

「ファーラ。ね?元にもどっ……ぐっ!」

 私は、ファーラの頭を撫でようとしたところで、振られた腕によって吹き飛ばされた。

「かはっ!」

 男の立っている反対方向に飛ばされた私は、あまりの衝撃に呼吸が出来なくなる。遠くで高笑いをしているあの男の声が聞こえてくる。

 仰向けの状態で、私は動けずに、いよいよ夜空を見ていることしか出来なくなってしまった。

 足元からはファーラが歩いてくる音が聞こえる。

 私に留めを刺しに来るのだろう。

 もう無理かもしれない。

 ここまでだ。

 ………はぁ。


 そう言えば、爺やにもエミリアにも、ちゃんと別れの言葉が言えなかったんだよね。まあ、最後はそんな状況でもなかったんだけど。

 いつも城を抜け出す私に、懲りずに毎回怒ってくれて。
 実は、それが楽しみでもあったの。
 私が城を抜け出していたのは、あなたたちのせいでもあるんだよ?

 まぁでも。これからゆっくり話せばいいよね。すぐに会えるんだし。
 ふふ、会ったらまた怒られちゃうかな?

 ……爺や、エリシアごめんなさい。期待に応えられなくて。


「グルゥゥゥ!」
「ふふ。これで本当のお別れねファーラも。……でも少しだけ話させて頂戴。」

 顔をのぞき込む位置まで来たファーラに私は声を掛ける。
 爺やとエリシアには別れの言葉を掛けられなかったけど、ファーラにぐらいは言わせて欲しい。


「ファーラ……あの頃は楽しかったわね。一緒に散歩して、おいかけっこして、沢山歌を聴かせて。でもあの時あなたが好きな歌以外は寝てたでしょ?知ってたのよ?後は……あれね。最初に助けてもらった時。あの時もう少し優しく下ろしてくれても良かったんじゃない?帰ったら痣になっていたのよ?……ははっ、まあそれは今話す事でもないかな。」


 ファーラは、私の顔を見つめたまま。
 何もしてくる様子がない。

 もしかしたらこの言葉が届いているのかな?

 それともどうやって私を殺すのか考えてるのかな?

 できれば前がいいかなぁ。
 でも、とにかく今しか伝えるチャンスはないからね。

「ねぇ、ファーラ?あなたは、私が泣いてる時はいつも優しく抱きしめてくれた、私がエリシアや爺やの愚痴を言うといつも最後まで聞いてくれた。私が、嬉しいことがあった時……は一緒に喜んでくっれ……たよっ……ね。私ね、あなたの事が大好きだったのよ?だ……から、あの時。あなっ……たに、追い……返さっれた時は、ほんとに辛か、うぅっ……たのよ?」


 私は、涙でぼやけたファーラの頬に手を伸ばす。


「……でも、でも。そのっ……と……き、あな……たっ、……は、もっと。……うぅ、もっと、辛かったんだよね。ごめっ、ん……ねぇ、あの時、気付いて……あげられ無……くてっ。今まで……の、あ……りがっ、とうを言え……無くて。」  


 私は、涙を拭ってファーラを見つめる。


「ファーラ。今までほんとに…………ありがとう。」


「いや~、すばらしい!すばらしいよ!感動した!」

 私がファーラに伝えたかった事をいい終えると、男が拍手をしながら歩いてきた。

「あら。わさわざ待っていてくれてありがとう。おかげで全部言えたわ。」
「ははは、そんなに目を腫らして強がられてもねぇ。」

 精一杯の虚勢を張ったつもりだったけど無意味だったみたいだ。
 男は、私を見下ろして、ニタァっと笑顔になった。

「それじゃあ、ファーラ。こいつを殺そう。」

 私は、ついにきてしまったと覚悟を決めて目を瞑る。

 すると、胸元の服を引っ張られる感覚が合った直後、浮遊感に襲われた。

「えっ?」
「あれぇどうしたの?もしかして、まだ痛ぶりたいとか?さっさと殺しちゃってよ。もう充分楽しんだし。」

 どうやらまた遠くに投げられたようだ。
 まだ殺さないのかな?

 ……もしかして?

 ファーラ!

 私は、思わず期待してファーラのほうを見る。

 でも、それはただの期待。ファーラは私を鋭い眼光で見据え、「グルゥア!」と短く唸ったあと、私に向かって走り出していた。



 そう……だよね。はは、ちょっと期待しちゃった。

 ファーラは、私の5メートル程前から飛び上がり、右手を振りかぶっていた。あの右手が振り下ろされたら本当に死んじゃうな。

 そして、いよいよ死を覚悟した私は目を瞑り……


 プチンッ。


 何かが切れる音が私の耳に届いた。
     
 ……なにも痛みを感じない。手先も感覚がある。まだ生きてるの?

 死が訪れない事に疑問を感じて、私はおそるおそる目を開けた。

 ◆

「どーだい?親友を殺した気分は?」

 男が恍惚とした表情でこちらに近づいてくる。まだ私が生きていることに気付いていないみたいだ。

「グルゥ。」

 私は、ファーラの影に隠れながらなんとか態勢を立て直す。

「あれぇ。言葉もでないかなぁ?ははは。ねえねえどんな気持ちなの?くまさん?」

 私は、男の言葉に我慢出来ず、思わず飛び掛りそうになった。

 けれど

 ファーラが私の体を頭で押し返してきた。
 ファーラがこちらをまっすぐ見つめている。光の篭った、私の知っている目で。

 私は、そんなファーラの顔を見て本当に今のファーラは、前のファーラなのか確認したくなった。

 先ほど思い出した記憶から、私はファーラに声を掛ける。

「……私の事、キライじゃない?」

 すると……



 ファーラはわざとらしく顔をそらした。



「あれぇ?まだ死んでないじゃぐぅっ!?っっ!」

 ファーラは、すぐ後ろに来ていた男を思い切り振り向きざまに殴り飛ばした。
 予想もしていなかったのか男はそれがもろに直撃し、遠くへ吹き飛ばされる。

 おそらく死んではいない。絶対にまだ生きている。

 けど、私は今、そんな事よりもファーラが意識を取り戻したことに嬉しくて堪らなくなっていた。

 私は勢いよく、ファーラに抱きつこうとした。

「ファーラ!」
「グルゥゥァァァァアアア!!」

 だけど、ファーラは私に向かって大きな唸り声を上げた。
 それは、あの時……なにも分からないまま会わなくなったあの時の唸り声と似ていた。

 "はやくにげろ。しぬな。りーぜはぼくがまもる''

 私は、この時なぜかファーラの気持ちが伝わってきた。……もしかしたら気のせいかもしれない。

 けれど、私は光の篭ったあの日の眼差しでこちらを見つめるファーラを見て、決心した。


「ファーラ……また明日ね。今度は絶対抱きつかせてよ!」
「グルゥゥ。」

 私は、いつも・・・の言葉と、一つの約束をして、森の中へ駆け出しす。

 絶対、絶対死なないで。ファーラ!

 背中に聞こえる激しい戦いの音を聞きながら、私は_____

 ___貝殻のイヤリングで作ったネックレスを握り締めながら走り続けた。



 ◆◆◆



「女王様がいらっしゃらないぞ!」
「なに!?今日は大事な戴冠式なのに!」

 ふふっ、私やっぱり脱出の才能があるのかな。

 私は、久しぶり・・・・城を抜け出して森の中の散歩に出かけていた。


「やっと元通りになったね。」

 私の視線の先に映るのは、『ファーラ』が一面に咲き誇る、木漏れ日によってライトアップされたステージ。

 私の親友、ファーラとの思い出の場所だ。

「ねぇ。ファーラ。私ついに女王様だよ?すごくない?今日戴冠式があるの。」

 私は、ステージの中心で眠っているファーラに話しかける。

 私は、ファーラが嫌がらないように優しくブラシを掛けていく。

「あ!そうだ!私今日大勢の前で歌を歌うの。ファーラが好きだった曲。練習ついでに歌ってあげる!」

 私は、昔もここでファーラと一緒に歌ったななぁ、と思いながら丁寧に、音色を紡いでいく。

 この歌を歌うと、すべての思い出が頭の中を駆け巡る。
 この歌を歌うと、ファーラが体を揺すっているがする。


「ふぅ。どうだった?……って。ついに、この曲でも寝るようになっちゃったんだね。しょーがないなぁファーラは。」

 歌い終わった私は、独り言を言いながらファーラを撫でていると、ファーラの後ろに何か輪っかのような物を見つけた。

「なんだろこれ?」

 私は、それを手に取って眺める。

 輪っかのようなそれは、ところどころ解れていて、どこか不格好で、だけどとても綺麗な花飾りだった。


 それは……『ファーラ』で出来た花飾りだった。

「へったくそな花飾りだな~。誰が作ったんだろうね?」

 私はファーラを撫でながらそう問いかける。

 ありえないけれど
 そんなことあるはずがないけれど

 私には、それを頑張って苦労しながら作っている大きな手が想像出来た。

 私は、それを頭の上に載せる。

「……サイズはぴったりだね。……そういえばファーラには教えてなかったね、この花の花言葉。あの時は恥ずかしくて言えなかったからなぁ。」

 私は、空を見上げて懐かしむ。

 あの時は、振り落とされたのを見て、私がすぐに帰っちゃったからね。
 しっかりと伝えておけば良かったかな。

「……『一番大好きな人』、だよ。」

 私は泣きに来るつもりは無かったのに、涙が目から溢れ出してきた。
 こぼれ落ちた涙がファーラへと落ちて染みになる。そして木漏れ日に照らされて徐々に乾いていった。

「あなたの名前も……そういうことだよ。……この花飾りはファーラも私の事をそう思ってる。って事でいいのかな?」

 私は、涙を拭いながらファーラをしばらく見つめていた。



「……そろそろ行かなきゃ。大臣に怒られちゃう。またね、ファーラ。」

 私は立ち上がり、帰る準備を始める。

 そして、最後に

「ファーラ、大好きだよ!」

 そう言って城に向かって歩き出した。



 "僕もだよ。リーゼ。''



「えっ!?」 

 私は、突然聞こえた声に咄嗟に振り返って、花のステージを見た。

 そこには、少し顔を逸らしたファーラの姿があった。

 ファーラ。本当にファーラなの!?

 一気に視界がぼやけていく。

 私はファーラを見ようと必死に涙を拭い、もう一度花のステージに目を向ける。


 そこには…………



 綺麗な花に囲まれて、暖かい木漏れ日に照らされた   【ラーファ】と刻まれた石碑があった。

「気のせい……か。でも、そっか。ふふ。そっかそっか。」

 私は、思わず笑みを零しながら、「ありがと。」と小さく呟いて城に戻って行った。



 ◆◆◆



「あっ!女王様!どこにいらっしゃったのですか!今日は大事な戴冠式なのですぞ!」

 私が、部屋に入ると大臣がグチグチと言ってくる。

「ごめんなさい、でも間に合ってるんでしょ?」
「な、なんですかそのニヤっとした顔は!確かに間に合ってますが……あと一分ですぞ一分!!ちゃんと演説の内容も覚えておいでですか!」
「あー、分かった。分かったよ。これ以上言うと…………'爺や'みたいになるよ?」

 その時ちょうど、バルコニーから「お願いします。」と声がかかった。

「私が側におりますから、忘れたらこっそり教えるので、なにか合図してくだされ。」
「大丈夫大丈夫。完璧だから。」


 私は、バルコニーに立つと、何百万人もの人々にる大歓声が起きる。

 ""それでは女王様''''

 声をかけられた私は、さらに一歩前に出た。

 そして、大きく息を吸って、私は喋り出す_____


『みなさま、私が今日から女王になったリーゼです。』

(ちょ、なんですかその子供みたいな言い出しは!)

『みなさまには、女王としての抱負をいう前に、ある一人の少女が体験した物語を紹介したいと思います。』

(な、な!な!そんなこと聞いてませ……バタ。)


『少女は、ある日…………森の中でくまさんに出会いました___』

                                    ____ラーファと大切な思い出を。

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