椛の花

あおい たまき

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二章・至近距離

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「そういえば狭間は」
 翁がゆっくりともみじを見た。心臓が止まりそうなほど高く脈打つのを感じながら、もみじは返事を急ぐ。

「え。は、はい。なんですか」
「いやあ、俺のこともみ爺っては呼ばないなと」
 翁は、少し残念そうに笑った。

「だ、だって。仮にも先生をあだ名で呼ぶなんて」
「仮にも、ねえ」
 翁にそう言われて、自分の失言に気がついたもみじは慌てて訂正した。

「あ、ちが、違うんですっ。仮にもって……あああ先生は本当は素敵な先生……あ、本当はじゃなくて、ほんとに違っ」
「何が、違うの?」
 言葉を遮って、もみじに向けられたのは、教師らしからぬ笑顔だった。

 こんな笑顔、向けたら女子生徒はみんな先生のとりこだ。もみじは、そんなことを思う。すぐに赤くなってしまうもみじの頬は、きっともうそれこそ。

「本当に狭間は」
ふいに翁が、もみじの頬に触れ
「モミジみたいでかわいいな」と、呟いた。

「せ、せせせせせ先生」
 至近距離。もうどうにかなってしまいそうだ。
「あ、すまん。あんまり可愛いからつい…」
 可愛い、可愛い。翁がもみじをそう言うのは、彼の好きな木に似ているからなのだろう。

 そう思うと、おかしなことに、もみじの心には小さな嫉妬が生まれた。相手は物言わぬ植物なのに、何故だか翁が口にする「モミジ」は人のように思えてならない。

「先生は……どうしてそんなにモミジが好きなの?」
気がつくともみじは、上目遣いで翁を見つめながら尋ねていた。
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