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酒吞童子⑨
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伊吹は縺れる足で外に出ると水を求めてさ迷った。
ふらり、月の光を浴びながら道らしきものを下っていくと、清流に巡りあった。
僅かに開けられた口元の切れ目から水を貪るように流し込む。
潤いを取り戻し、落ち着いて清流を見やれば、映るのは赤い鬼面。
嫌でも現実を突きつけられる。
水鏡に映る己の像を叩き壊し、伊吹は山を下った。
叡山には戻れない。
戻ったら、またあの暗闇にに逆戻りしてしまう。
伊吹は、故郷に帰ることにした。
血を分けた母ならば、姿の変わった息子も受け入れてくれるはずだと期待して。
着ていた水干を頭から深く被り、人に尋ねるとそう遠くはないことがわかっった。
木の実を拾い砕いて口の隙間に押し込み、幹にもたれて休みながら懐かしい故郷へと帰った。
「伊吹、どうしたの?」
突然の帰還に、母は喜色を浮かべながらも少し戸惑っていた。
伊吹は答えず、笑う。
とはいえ、面で隠れた表情が伝わるはずもないのだが。
「まぁ、いいわ。
とりあえずその気色の悪い面を外しなさい。
母を驚かせようとつけてきたんでしょうけど」
伊吹は頭を振った。
「母上、取りたくても取れないのです。
肉に食らいついて離れません」
その言葉に母は口を手で覆った。
瞳にはあの冷たさが見え隠れしている。
小さくそう、とだけ言い残して母は奥の部屋へ行ってしまい伊吹に不安が襲い掛かった。
ここでも、疎外されてしまうのだろうか。
肩を落とし、床を見つめていると侍女がやって来て、離れに案内された。
そこには温かな食事と、酒が置かれ、寝具も敷いてあった。
「玉姫様がよくもてなすように、と仰っていました」
「母上が……?」
その言葉を受けて面の内で、伊吹は勝ち誇ったように笑った。
怨霊め、見たか。
この世は悪になどまみれていない。
こうして受け入れてくれてるじゃないか。
上機嫌に伊吹は二度目の酒を流し込む。
食事も僅かずつだが、口に入れることが出来た。
久しぶりに満たされて床についた。
その夜更け、衣擦れの音で伊吹は目を覚ました。
きっと、侍女が燭の油でも足しに来たのだろう。
気にもとめずに、襲い来る睡魔に身を委ねることにした。
けれど。
次第に衣擦れの音に混じる金属の擦れる音。
初めは僅かだったのが、あっという間に衣の音を凌駕し始めた。
さすがにただならぬ気配を感じ体を起こして耳をそばだてると、粗忽な男の声に混じり聞こえた母の声。
「──……どうぞ宜しくお願いいたしますね」
「しかしあの伊吹が……」
躊躇う男の声。
名を知っている事からして、親類なのだろうか。
「息子など、おりません。
わたくしは妖を産んだ覚えなど、ありませんもの」
母の声が冷たく言い捨てた。
耳を疑いたくなった。
これもあの怨霊が見せている夢か幻ではないのか。
「母上ッ!?」
勢いよく御簾を払いのけ、並び立つ人影を見た。
出来の悪い面のような、色もあたたかみもない似たような顔。
「嘘ですよね?
伊吹はあなたの──……」
言い終わる前に、目の前を光が遮った。
それは手燭の灯りに反射した刀身。
「え……?」
無機質な母の顔と、己の体を交互に見た。
母の手には、隣に立つ男から奪い取った太刀。
ポタ、ポタリ、
切っ先と、伊吹の胸から腹にかけて血が滴り落ちていく。
痛みが襲う。
涙が溢れる。
「母上……、伊吹は……伊吹は……」
「お黙りなさい!
わたくしには人の子しかおらぬ!」
再度襲いかかってくる刃に今度は右手を落とされる。
駄目だ。
もう、言葉が届かない。
残る左腕で母を突き飛ばし、庭に出た。
胸が、腹が、腕が、
――心が、痛い。
「追えッ!
捕らえて、殺せッ!
鬼は我等に仇をなすものだ!」
違う!鬼なんかじゃないッ!
決めつけるな!
伊吹は必死に逃げた。
さがない声や、迫り来る白刃を振り払い。
庭を抜け、村を抜け、森を抜けた。
息を切らし何度も振り返りながら走った。
必死に逃げているうちに無数にあった松明の灯りもまばらになり、やがて闇に消えた。
撒けたのかと安堵した途端に体から力が抜け落ち、一歩足を前に出すことですら途方もない労力を要した。
それでも足を進め、人気のない破れ寺の本堂の陰に回り込み、崩れるように倒れた。
血があまりに流れすぎた。
このまま、死んでしまうんだろうか。
「深紫……、あんたの言っていたことは……」
正しかった。
この世は、悪にまみれている。
今まで気づいてなかっただけだった。
蔑みの目を向けられる立場にいなかったから。
些細な事で人の目はこんなにも変わる。
大部分は元のままなのにほんの僅か異質な部分があると弾き出されてしまう。
本質など、誰も目を向けない。
一度、異形と決められたら耳を傾けることすらしてくれない。
違うものは、悪。
忌むべき存在。
こんな世の中、間違ってる。
憎い、
憎い、
憎くて堪らない。
「深……紫…………」
朦朧とする意識の中で、その名を呼ぶ。
あんたを異形とみなし、耳を貸そうとしなかった。
……あんたが、真実だったのに。
『我の言った通りだったろう?』
――あの、笑いを含んだ声がする。
声のする足元に目を向けると、袍が見えた。
相変わらず、目を覆いたくなるような容姿。
けれど今はあたたかみさえ感じる。
血の気を失った唇を必死に動かす。
声は消え入りそうに小さく、途切れ途切れの撥音。
「……あんた…………の、なか、ま………に」
最後まで声にはならなかったが、伝わったのだろう。
深紫が伊吹の首の裏にその蒼白い手を回し、抱き起こした。
最早指先すら動かすことも出来ない伊吹はされるがままになる。
深紫がもう片方の手を袍の上から自分の胸にずぶりと差し込みゆったりとした動作で手を引き抜いた。
開いた掌の上にあったのは、月の光のように輝く珠。
その珠を伊吹の口元に押し当てると、それは面をすり抜け口内に入っていった。
冷たいのに、熱い。
矛盾した感覚。
その不思議な感触を朦朧とした中で感じながら、伊吹は視線で空を仰いだ。
何も、見えない。
深紫がそこにいるのはわかったというのに。
……今日は、朔月だったのか。
生まれ変わるにはうってつけの日だな。
ゴクリと珠を飲み下し、伊吹は目を閉じて意識を手放した。
悪とされるもの、それが真実だと誰が決めたのだろう。
立つ位置や視点が違えば、くるりと入れ替わってしまうものなのに。
ふらり、月の光を浴びながら道らしきものを下っていくと、清流に巡りあった。
僅かに開けられた口元の切れ目から水を貪るように流し込む。
潤いを取り戻し、落ち着いて清流を見やれば、映るのは赤い鬼面。
嫌でも現実を突きつけられる。
水鏡に映る己の像を叩き壊し、伊吹は山を下った。
叡山には戻れない。
戻ったら、またあの暗闇にに逆戻りしてしまう。
伊吹は、故郷に帰ることにした。
血を分けた母ならば、姿の変わった息子も受け入れてくれるはずだと期待して。
着ていた水干を頭から深く被り、人に尋ねるとそう遠くはないことがわかっった。
木の実を拾い砕いて口の隙間に押し込み、幹にもたれて休みながら懐かしい故郷へと帰った。
「伊吹、どうしたの?」
突然の帰還に、母は喜色を浮かべながらも少し戸惑っていた。
伊吹は答えず、笑う。
とはいえ、面で隠れた表情が伝わるはずもないのだが。
「まぁ、いいわ。
とりあえずその気色の悪い面を外しなさい。
母を驚かせようとつけてきたんでしょうけど」
伊吹は頭を振った。
「母上、取りたくても取れないのです。
肉に食らいついて離れません」
その言葉に母は口を手で覆った。
瞳にはあの冷たさが見え隠れしている。
小さくそう、とだけ言い残して母は奥の部屋へ行ってしまい伊吹に不安が襲い掛かった。
ここでも、疎外されてしまうのだろうか。
肩を落とし、床を見つめていると侍女がやって来て、離れに案内された。
そこには温かな食事と、酒が置かれ、寝具も敷いてあった。
「玉姫様がよくもてなすように、と仰っていました」
「母上が……?」
その言葉を受けて面の内で、伊吹は勝ち誇ったように笑った。
怨霊め、見たか。
この世は悪になどまみれていない。
こうして受け入れてくれてるじゃないか。
上機嫌に伊吹は二度目の酒を流し込む。
食事も僅かずつだが、口に入れることが出来た。
久しぶりに満たされて床についた。
その夜更け、衣擦れの音で伊吹は目を覚ました。
きっと、侍女が燭の油でも足しに来たのだろう。
気にもとめずに、襲い来る睡魔に身を委ねることにした。
けれど。
次第に衣擦れの音に混じる金属の擦れる音。
初めは僅かだったのが、あっという間に衣の音を凌駕し始めた。
さすがにただならぬ気配を感じ体を起こして耳をそばだてると、粗忽な男の声に混じり聞こえた母の声。
「──……どうぞ宜しくお願いいたしますね」
「しかしあの伊吹が……」
躊躇う男の声。
名を知っている事からして、親類なのだろうか。
「息子など、おりません。
わたくしは妖を産んだ覚えなど、ありませんもの」
母の声が冷たく言い捨てた。
耳を疑いたくなった。
これもあの怨霊が見せている夢か幻ではないのか。
「母上ッ!?」
勢いよく御簾を払いのけ、並び立つ人影を見た。
出来の悪い面のような、色もあたたかみもない似たような顔。
「嘘ですよね?
伊吹はあなたの──……」
言い終わる前に、目の前を光が遮った。
それは手燭の灯りに反射した刀身。
「え……?」
無機質な母の顔と、己の体を交互に見た。
母の手には、隣に立つ男から奪い取った太刀。
ポタ、ポタリ、
切っ先と、伊吹の胸から腹にかけて血が滴り落ちていく。
痛みが襲う。
涙が溢れる。
「母上……、伊吹は……伊吹は……」
「お黙りなさい!
わたくしには人の子しかおらぬ!」
再度襲いかかってくる刃に今度は右手を落とされる。
駄目だ。
もう、言葉が届かない。
残る左腕で母を突き飛ばし、庭に出た。
胸が、腹が、腕が、
――心が、痛い。
「追えッ!
捕らえて、殺せッ!
鬼は我等に仇をなすものだ!」
違う!鬼なんかじゃないッ!
決めつけるな!
伊吹は必死に逃げた。
さがない声や、迫り来る白刃を振り払い。
庭を抜け、村を抜け、森を抜けた。
息を切らし何度も振り返りながら走った。
必死に逃げているうちに無数にあった松明の灯りもまばらになり、やがて闇に消えた。
撒けたのかと安堵した途端に体から力が抜け落ち、一歩足を前に出すことですら途方もない労力を要した。
それでも足を進め、人気のない破れ寺の本堂の陰に回り込み、崩れるように倒れた。
血があまりに流れすぎた。
このまま、死んでしまうんだろうか。
「深紫……、あんたの言っていたことは……」
正しかった。
この世は、悪にまみれている。
今まで気づいてなかっただけだった。
蔑みの目を向けられる立場にいなかったから。
些細な事で人の目はこんなにも変わる。
大部分は元のままなのにほんの僅か異質な部分があると弾き出されてしまう。
本質など、誰も目を向けない。
一度、異形と決められたら耳を傾けることすらしてくれない。
違うものは、悪。
忌むべき存在。
こんな世の中、間違ってる。
憎い、
憎い、
憎くて堪らない。
「深……紫…………」
朦朧とする意識の中で、その名を呼ぶ。
あんたを異形とみなし、耳を貸そうとしなかった。
……あんたが、真実だったのに。
『我の言った通りだったろう?』
――あの、笑いを含んだ声がする。
声のする足元に目を向けると、袍が見えた。
相変わらず、目を覆いたくなるような容姿。
けれど今はあたたかみさえ感じる。
血の気を失った唇を必死に動かす。
声は消え入りそうに小さく、途切れ途切れの撥音。
「……あんた…………の、なか、ま………に」
最後まで声にはならなかったが、伝わったのだろう。
深紫が伊吹の首の裏にその蒼白い手を回し、抱き起こした。
最早指先すら動かすことも出来ない伊吹はされるがままになる。
深紫がもう片方の手を袍の上から自分の胸にずぶりと差し込みゆったりとした動作で手を引き抜いた。
開いた掌の上にあったのは、月の光のように輝く珠。
その珠を伊吹の口元に押し当てると、それは面をすり抜け口内に入っていった。
冷たいのに、熱い。
矛盾した感覚。
その不思議な感触を朦朧とした中で感じながら、伊吹は視線で空を仰いだ。
何も、見えない。
深紫がそこにいるのはわかったというのに。
……今日は、朔月だったのか。
生まれ変わるにはうってつけの日だな。
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