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1st GAME
4th inning : I coUld nOt take eVen One oUt.
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ジャパニーズジョーク、ではなかったらしい。
「姫川 珠姫(たまき)と申すであルます。本日、3Aから合流したであルます。どうぞ皆様、よろしくお願いするであルます」
ぺこりと少女が頭を下げると、グラウンドに集合したチームメイトたちから拍手が起こった。
小さく細い体を包むのは、白地に袖だけが黒いメッシュの上着。
レプリカでも何でもない、正真正銘アルゲニーズのユニフォームである。
「女がメジャーのピッチャーたぁな。世も末だぜ」
人垣の後ろでドビーが唇を尖らせると、隣にいた壮年の男がケビン・コスナーばりの渋い顔を一層渋らせた。
「ドビー、お前彼女と球場前で会ったんだろう。なぜ日本行きのチケットを渡してやらなかったんだ」
「無茶言うなよ、コーチ。俺だってぶったまげたんだから」
「はぁ、ただでさえ投手のコマが足りないというのに……今日からまた胃薬の量が増えるな」
投手コーチのガードナーは、四十代と若いが有能な指導者だ。
昨年別のチームを地区優勝に導いた功績を買われ、アルゲニーズにやってきた。
現在はチーム防御率五点台という惨々たる成績の投手陣を立て直すべく、苦労の日々を送っている。
元投手らしい細長い指が手元のファイルをめくり、
「ええと……タマキ・ヒメカワ。五・一フィート(一五五センチ)、一二一ポンド(五五キロ)。コウシエンの出場経験はなし。高校卒業後、メジャーでのプレーを目指してアメリカに来るも就労ビザが下りず、生活費のため独立リーグの試合に乱入して一つ十ドルで三振を売り歩いていたところを、ウチのスカウトが発見、と」
「どこで笑えばいいのか分からねぇな」
「俺だって上がってきたレポートを読んでいるだけだ。あ、ダメだ頭痛くなってきた」
簡単な挨拶が終わった。
選手たちがランニングのため、ぞろぞろと外野へ移動してゆく。
「どべーサン」
と、後ろから、珠姫が走り寄ってきた。
ドビーは振り向かないまま答えた。
「ドビーだ。ドビー・ジョンソン」
「おウ、すみまセん。覚えにくくて」
珠姫はちっともすまなさそうな顔で頭を下げると、許してもいないのに隣に並んだ。
「みなサンいい人であルますね。憧れのメジャーリーガーにお会いできて、光栄であルます」
俺の顔も知らなかったくせに、とは思ったが口には出さないでおく。
温まりだした体に夕風が涼しい。
空には朱の緞帳が下りかかっている。
夕焼けは見る間に街を染め、外野フェンスの向こうに見える黄色の鉄橋をきらめく琥珀細工のように見せてくれる。
「アナタは他の方と一緒に走らないのであルますか? 他の方は並んでランニングしているようであルますが」
「俺は一人で走る主義なんだよ。それにうちのチームは若いのが多いからな。三十近い俺には話しかけづらいんだろうよ」
「いわゆるハブリであルますね」
「こ、殺すぞ……」
しかし珠姫はてんで悪びれる様子もなく、小首をひねるった。
言葉が分かってないのか単に天然なのか。おそらく両方だろう。
「そういやお前、トシいくつだ? えらく若く見えるが」
「十九才であルます」
「十九!」
思わず大声が出た。
メジャーリーグではどんな大物新人であろうと、入団後数年をマイナーで過ごすのが常識だ。
ましてや体のできていない十代の選手をいきなりメジャーに上げるなど、異例を通り越して異常と言っていい。
「おま、マイナーで何やらかしてきたんだ」
「それが、ひとつもアウトを取れなかったであルます」
「はぁッ?」
「どのチームでも、1球投げただけですぐに『明日から上に行け』と言われてしまったのであルます。ここでも同じことを言われたら、もう上がるところがないので困っているであルます」
どうやら事態は異常を通り越して、異様であるらしい。
この女の英語がおかしい可能性もあるが、少なくともハイスクールを卒業したばかりの日本人少女が一人、メジャーに登録されたというのは事実なのだ。
「お前、まさかマイナーの監督にカラダを売ったとか……」
「来たぞー!」
突然の大声に振り向くと、マイクを手にした男たちが牛追い祭りの勢いで殺到してきた。
「コメントとれコメント!」「カメラぁ! こっちだ! 早く!」「おいどけそこ邪魔!」
血走った目の人々は、地元の記者やカメラマンたちだ。
ランニングするうち、取材可能エリアに近づいていたらしい。
「おいおい、そう慌てなくたってコメントくらいちゃんと……ブゲッ?」
いつものとおり対応しようとしたドビーは、あっとういう間に猛牛の大群に押しつぶされた。
土煙を上げて報道陣の向かうその先にいたのは。
「ミス・ヒメカワ! メジャーに昇格した今の気持ちは?!」「はじめての女性投手であることについてどう思いますか?」「ロッカールームは他の選手と別? トイレは?」
マシンガンのような質問が、メジャーリーグ史上初の女性投手をめった撃ちに撃ちまくる。
彼らの剣幕と早口の英語に、当の珠姫は左右を見回しながら「おウ、のオ」などと戸惑うばかり。すさまじいばかりの反響だった。
――あぁ、そういうことか
砂埃の中、ゆっくりと立ち上がりながら、ドビーは重々しくうなずいた。
つまり、この珍妙な日本人女は、話題作りの客寄せパンダなのだ。
今日、全米で活躍する日本人選手の数は二桁を数える。
彼らにひっついてくる日本のツアー客や地元コミュニティーの落とす金は決してバカにならない。
注目が集まればテレビの放送権料が上がる可能性もあり、日本人は成績以外のリターンがのぞめる優良物件なのである。
しかも、それがメジャーリーグ史上初の女性投手となればなおさらだ。
そう思えば、急激に体が楽になった。さきほどまで愛をとるか仕事をとるか――そんなことで悩んでいたことがバカバカしくなってくる。
――そうだ、後ろめたいことなんざ何もねぇじゃねぇか。
貴重な投手枠を使って客寄せをするようなチームだ。
自分が娘の愛を守るためにヤラセをしたところで、何の文句があろう。
これはあと十年、自分が健全な精神でプレイするためのワクチンなのだ。
――許せ、みんな。明日からは勝とう。今日は、今日だけは俺のために負けてくれ!
「姫川 珠姫(たまき)と申すであルます。本日、3Aから合流したであルます。どうぞ皆様、よろしくお願いするであルます」
ぺこりと少女が頭を下げると、グラウンドに集合したチームメイトたちから拍手が起こった。
小さく細い体を包むのは、白地に袖だけが黒いメッシュの上着。
レプリカでも何でもない、正真正銘アルゲニーズのユニフォームである。
「女がメジャーのピッチャーたぁな。世も末だぜ」
人垣の後ろでドビーが唇を尖らせると、隣にいた壮年の男がケビン・コスナーばりの渋い顔を一層渋らせた。
「ドビー、お前彼女と球場前で会ったんだろう。なぜ日本行きのチケットを渡してやらなかったんだ」
「無茶言うなよ、コーチ。俺だってぶったまげたんだから」
「はぁ、ただでさえ投手のコマが足りないというのに……今日からまた胃薬の量が増えるな」
投手コーチのガードナーは、四十代と若いが有能な指導者だ。
昨年別のチームを地区優勝に導いた功績を買われ、アルゲニーズにやってきた。
現在はチーム防御率五点台という惨々たる成績の投手陣を立て直すべく、苦労の日々を送っている。
元投手らしい細長い指が手元のファイルをめくり、
「ええと……タマキ・ヒメカワ。五・一フィート(一五五センチ)、一二一ポンド(五五キロ)。コウシエンの出場経験はなし。高校卒業後、メジャーでのプレーを目指してアメリカに来るも就労ビザが下りず、生活費のため独立リーグの試合に乱入して一つ十ドルで三振を売り歩いていたところを、ウチのスカウトが発見、と」
「どこで笑えばいいのか分からねぇな」
「俺だって上がってきたレポートを読んでいるだけだ。あ、ダメだ頭痛くなってきた」
簡単な挨拶が終わった。
選手たちがランニングのため、ぞろぞろと外野へ移動してゆく。
「どべーサン」
と、後ろから、珠姫が走り寄ってきた。
ドビーは振り向かないまま答えた。
「ドビーだ。ドビー・ジョンソン」
「おウ、すみまセん。覚えにくくて」
珠姫はちっともすまなさそうな顔で頭を下げると、許してもいないのに隣に並んだ。
「みなサンいい人であルますね。憧れのメジャーリーガーにお会いできて、光栄であルます」
俺の顔も知らなかったくせに、とは思ったが口には出さないでおく。
温まりだした体に夕風が涼しい。
空には朱の緞帳が下りかかっている。
夕焼けは見る間に街を染め、外野フェンスの向こうに見える黄色の鉄橋をきらめく琥珀細工のように見せてくれる。
「アナタは他の方と一緒に走らないのであルますか? 他の方は並んでランニングしているようであルますが」
「俺は一人で走る主義なんだよ。それにうちのチームは若いのが多いからな。三十近い俺には話しかけづらいんだろうよ」
「いわゆるハブリであルますね」
「こ、殺すぞ……」
しかし珠姫はてんで悪びれる様子もなく、小首をひねるった。
言葉が分かってないのか単に天然なのか。おそらく両方だろう。
「そういやお前、トシいくつだ? えらく若く見えるが」
「十九才であルます」
「十九!」
思わず大声が出た。
メジャーリーグではどんな大物新人であろうと、入団後数年をマイナーで過ごすのが常識だ。
ましてや体のできていない十代の選手をいきなりメジャーに上げるなど、異例を通り越して異常と言っていい。
「おま、マイナーで何やらかしてきたんだ」
「それが、ひとつもアウトを取れなかったであルます」
「はぁッ?」
「どのチームでも、1球投げただけですぐに『明日から上に行け』と言われてしまったのであルます。ここでも同じことを言われたら、もう上がるところがないので困っているであルます」
どうやら事態は異常を通り越して、異様であるらしい。
この女の英語がおかしい可能性もあるが、少なくともハイスクールを卒業したばかりの日本人少女が一人、メジャーに登録されたというのは事実なのだ。
「お前、まさかマイナーの監督にカラダを売ったとか……」
「来たぞー!」
突然の大声に振り向くと、マイクを手にした男たちが牛追い祭りの勢いで殺到してきた。
「コメントとれコメント!」「カメラぁ! こっちだ! 早く!」「おいどけそこ邪魔!」
血走った目の人々は、地元の記者やカメラマンたちだ。
ランニングするうち、取材可能エリアに近づいていたらしい。
「おいおい、そう慌てなくたってコメントくらいちゃんと……ブゲッ?」
いつものとおり対応しようとしたドビーは、あっとういう間に猛牛の大群に押しつぶされた。
土煙を上げて報道陣の向かうその先にいたのは。
「ミス・ヒメカワ! メジャーに昇格した今の気持ちは?!」「はじめての女性投手であることについてどう思いますか?」「ロッカールームは他の選手と別? トイレは?」
マシンガンのような質問が、メジャーリーグ史上初の女性投手をめった撃ちに撃ちまくる。
彼らの剣幕と早口の英語に、当の珠姫は左右を見回しながら「おウ、のオ」などと戸惑うばかり。すさまじいばかりの反響だった。
――あぁ、そういうことか
砂埃の中、ゆっくりと立ち上がりながら、ドビーは重々しくうなずいた。
つまり、この珍妙な日本人女は、話題作りの客寄せパンダなのだ。
今日、全米で活躍する日本人選手の数は二桁を数える。
彼らにひっついてくる日本のツアー客や地元コミュニティーの落とす金は決してバカにならない。
注目が集まればテレビの放送権料が上がる可能性もあり、日本人は成績以外のリターンがのぞめる優良物件なのである。
しかも、それがメジャーリーグ史上初の女性投手となればなおさらだ。
そう思えば、急激に体が楽になった。さきほどまで愛をとるか仕事をとるか――そんなことで悩んでいたことがバカバカしくなってくる。
――そうだ、後ろめたいことなんざ何もねぇじゃねぇか。
貴重な投手枠を使って客寄せをするようなチームだ。
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