未来への選択

するめ

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8.雨の午後、ほどける誤解

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中間テストを翌日に控えた放課後。
朝の快晴はどこへやら、午後の空はどこか重たく、街全体が淡い灰色に染まっていた。
しとしとと降り続く雨が、校舎の窓を静かに叩き、紫陽花の花びらに水滴を落としていた。
遠くの景色は霞み、季節がまたひとつ進んでいく気配を感じさせる。

掃除当番を終えた淳平は、教室で帰り支度をしていた。
窓の外では、雨粒が次第に強さを増していた。

(……もう、梅雨かな)

鞄から折りたたみ傘を取り出し、靴箱で靴を履き替えて昇降口を出たそのとき――
風に揺れる髪を耳にかける、見慣れた後ろ姿が目に入った。

流伽だった。

「あっ……」

思わず声が漏れる。
流伽もこちらを振り返り、二人の視線が重なった。

「雨、すごいね……あの、昨日のことなんだけど……」

流伽が口を開いた瞬間、淳平は思わず言葉をかぶせてしまった。

「誰か、待ってるの?」

「……淳平君を」

「え……?」

その言葉に、思考が一瞬止まった。
(彼氏がいるのに、僕を待っていた?)
理解が追いつかず、淳平は苦笑いを浮かべながら傘を開き、歩き出そうとした。

「……あの、傘、忘れたんだ」

流伽の声が背中から届く。
ずるい。
彼女が自分の優しさを知っていて、こうして引き止めていることが、淳平には分かっていた。

(走って帰れば?……なんて言えるわけないよな)

結局、淳平は傘を閉じ、校舎の軒下で雨宿りをすることにした。

激しい雨がアスファルトを叩きつける中、ふたりの間には沈黙が流れた。
わずか十五分。
けれど、その時間はふたりにとって、とてつもなく長く感じられた。

やがて、痺れを切らしたように、流伽がぽつりとつぶやいた。

「……やみそうもないね」

「明日からテストなのに、ごめんね……」

謝るくらいなら、引き止めないでほしい。
そう思いながらも、淳平は黙っていた。

「昨日の電話なんだけど……あれ、テニス部の大会のことなんだ。私と巧君、キャプテン同士だから、男女の連携は私たちがやってて……それで、仕方なく……」

流伽の声は、どこか必死だった。
誤解を解こうと、言葉を重ねていく。

「たまに、遊びに行こうとか……も、あるけど……でもね、きちんと断ってるんだ。本当だよ」

その言葉を言い終えると、流伽は傘も差さずに雨の中へ飛び出そうとした。

「……待って!」

淳平は咄嗟に、流伽の右腕を掴んだ。
ふたりの間に、再び沈黙が流れる。

頬から耳まで、真っ赤になっていた。
流伽の左肩が、雨に濡れている。

(……もう、どうでもいいや)

巧のことをどう思っていようが、彼氏ではない。
それだけで、十分だった。

(僕の……誤解だったんだ)

そう思った淳平は、そっとハンカチを取り出し、流伽の肩を拭いた。
その手つきは、どこまでもやさしかった。

******

雨が小雨に変わり、空気が少しだけ軽くなった頃。
校舎の裏手を通る渡り廊下に、革靴の音が響いた。

「……あ、流伽」

職員室から出てきた巧が、ふたりの姿を見つけて声をかけた。
その声は、どこか探るような響きを含んでいた。

少し間を置いて、巧の視線が淳平に向けられる。

「……相沢もいるのか」

その言い方には、明らかな敵意が滲んでいた。
言葉は丁寧でも、目が語っていた。
“なぜお前が、そこにいる?”

流伽は、どこか不満げな表情で言った。

「……淳平君と、雨宿りしてたの」

その一言に、巧の眉がわずかに動いた。

「巧君は?」

「次の大会のことで、コーチにお願いしてたんだ」

そう答えながらも、巧の視線は再び淳平に向けられた。
その目は、まるで「ここから消えろ」と言っているようだった。

(割り込んできたのは、そっちじゃないか)

そう思いながらも、淳平はその場を離れようとした。
だが、そのとき――

キュッ。

流伽が、巧に見えないように、そっと淳平のポロシャツの裾を掴んだ。

(……帰らないで)

普段は鈍感な淳平だったが、そのときばかりは、流伽の気持ちが伝わった。
いや、たとえ勘違いでも、そう思いたかった。

「……コーチにお願いって?」

流伽が問いかける。
巧は一向に動かない淳平に苛立ちを覚えながらも、答えた。

「今回の大会、シングル一本に絞ろうと思ってる。すべては、全国へ行くために」

その言葉には、過去の痛みと決意が滲んでいた。

2年の頃、巧はシングル・ダブルスともに都大会ベスト4まで進んだ。
だが、ダブルスの試合中に足首を負傷し、ダブルスは敗退、シングルは棄権。
“怪我さえなければ全国へ行けた”――誰もがそう言った。
その悔しさが、今も彼の中で燻っていた。

「……本気なんだね」

「……ああ、本気だ」

その言葉は、なぜか淳平を睨みつけるように放たれた。
まるで、彼にだけ伝えたい何かがあるかのように。

巧は傘を開き、流伽に向かって言った。

「入って行けよ。家まで送る」

けれど、流伽はまっすぐ巧を見つめ、ゆっくりと首を横に振った。

「……そうか」

巧は鼻を鳴らし、踵を返した。
その背中に、淳平の視線が刺さる。
巧は唇をきつく噛みしめながら、雨の中へと消えていった。

「……雨もやんできたし、そろそろ帰ろうか」

淳平の声は、静かだった。
けれど、その響きには、どこかあたたかさがあった。

流伽は、小さくうなずいた。

淳平は一人用の折りたたみ傘を開き、そっと流伽の方へ傾けた。
自分の肩が濡れるのも構わず、彼女が濡れないように。

そのさりげない優しさに、流伽の胸がじんわりと熱くなった。

(……この人の隣は、あたたかい)

雨上がりの道を、ふたりは静かに歩いていった。
傘の下、寄り添うようにして。

******

「ありがとう、淳平君」

流伽の家の前にたどり着いたとき、彼女はふと立ち止まり、そう言った。
その声には、ほんの少しの照れと、たしかな感謝が込められていた。

淳平の左肩は、すっかり濡れていた。
一人用の折りたたみ傘を、ずっと流伽のほうへ傾けていたからだ。

「私のせいで……ごめんね。風邪、ひかないでね……」

流伽が心配そうに覗き込む。
そのまなざしに、淳平は思わず笑った。

「大丈夫!」

にかっと笑って、濡れた髪をかき上げる。
その笑顔に、流伽の頬がふわりと赤く染まった。

「……あのね」

流伽はポケットからスマホを取り出し、画面を開いて淳平に差し出した。
そこには、LINEのQRコードが表示されていた。

「昨日の……つづき、しよ?」

その言葉に、淳平の胸が少しだけ高鳴った。
彼もポケットからスマホを取り出し、そっと流伽の画面にかざす。

ピッという音とともに、画面に「白石流伽」の名前が表示された。
同時に、流伽のスマホにも「相沢淳平」の名前が浮かぶ。

ふたりの名前が、ようやくつながった瞬間だった。

「それじゃ、また明日。……今晩、LINEするね」

流伽は照れたように笑いながら、玄関の扉を開けて中へ入っていった。
その後ろ姿を見送りながら、淳平はスマホの画面を見つめたまま、しばらくその場から動けずにいた。

画面に表示された「白石流伽」の名前が、どこか夢のように感じられた。

そのとき――

「どなた?うちに何か用?」

突然、背後から声がして、淳平はびくりと肩を跳ねさせた。

振り返ると、そこにはスーツ姿の女性が立っていた。
肩には仕事用のかばん、右手には傘、左手にはスーパーの袋。
すらりとした立ち姿に、どこか流伽と似た雰囲気を感じた。

「あ、いえ……!」

慌てて頭を下げる淳平。
女性はそんな彼を見て、ふっと微笑んだ。

「流伽の……お友達かしら?」

「め、め、め、滅相もございませんっ!」

顔を真っ赤にしながら、淳平はスマホを落としそうになりつつ、慌ててその場を駆け出した。

(し、白石さんのお母さん……!?)

背中に視線を感じながら、角を曲がるまで全力で走った。

その場に残された流伽の母は、ふと空を見上げ、そして小さくつぶやいた。

「……かわいい子」

その目は、どこかあたたかく、優しく笑っていた。
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