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4.セピア色の物語
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レイ夫妻は朝から晩まで働いていてキティが大学に行ってしまうといよいよ桜は暇だった。
自由に使ってと言われたキティの兄の部屋は手狭ながらも個室でありがたかった。
キティが言うには、香港の住宅事情は最悪で一人当たり世界で1番の狭さと家賃の高さらしい。
桜はマリアが心配するのを宥めて、街に出る事にした。
マリアから見ると自分はよっぽど頼りなく見えるらしい。
右曲がるのよ、右ってわかる?こっちの手よ?!なんて本気で指導されるのだ。
三月末だが、日本の六月くらいなのかもしれない。
気温もだが雨季の降ったり止んだりの雨の為に湿度も高く、薄手の長袖でも暑いくらいだ。
桜は先日世話になった乾物屋のブチ猫に挨拶をした。
猫は昼寝中だったが桜が近寄ると少し目を開けて、あんたみたいな田舎者知らないと言うようにぷいと顔を背けた。
都会の猫は気取っている。
それでも耳の後ろを掻いてやると気持ちよさそうにもっと掻けと指示された。
気づいたおじいさんが、奥から出てきた。
桜は、キティに教えてもらったお礼の言葉を言うと、リュックから日本から持ってきてまだ残っていたクッキーを取り出して手渡して頭を下げた。
柔らかいクッキーだからきっとおじいさんでも食べれる。
おじいさんもありがとうと日本語で言うと頭を下げた。
ちょっと散歩のつもりがすっかり探検になってしまった。
東北の地方都市育ちの自分にとったら、のんびり池で鯉あたりやって来たのに、突然、魚群の群れや大洋を行き来する大型魚類の通行する大きな海流に放り込まれたようなもので。
人の波に乗って横断歩道を渡るのにも達成感を感じた。
ビルの殆どを覆う巨大なブランドの看板に圧倒されつつ歩いて行く。
宝石店のショーウィンドウには様々なデザインの金のネックレスが飾られて、アクセサリーのチェーンと言うより、素麺やうどんなんかよりも更に太い、もはや建築資材のような存在感。
こんなの誰が買うの?と驚いたが、観光客らしき人々が次々店に入って行く。
更に、この街の食べ物屋の多さには驚く。
麺や粥、飲茶、香港デザートの店が並び、他にもアメリカのコーヒーチェーンのカフェ、馴染みある日本の牛丼屋や回転寿司屋もあった。
他にも道のあちこちに屋台未満のような小さな売店がある。
おでんのようなものや、丸いボールが繋がっているようなワッフル、アイスクリームを売っている車。
鮮やかなフルーツの写真に惹かれて、マンゴージュースを買ってみると、生のマンゴーをミキサーにかけた濃厚なものを渡された。
興奮と緊張と疲れが吹っ飛んで行く程の鮮烈な甘味。
外国に来たんだなあと改めて実感した。
ドラッグストアに入って見ると、日本の化粧品やシャンプーや洗剤も沢山売られており、日本の食品も多い。
お上りさん丸出しのまま帰宅したのは夕方過ぎで、桜は百回雷が落ちてもこんなに明るくはないだろうと思えるような電飾だらけの通りから、レストランに入った。
「おかえりなさい。チェリー、迷子にならなかった?」
フロントのグレースが話しかけてきた。
彼女は今日はキティも友達と外出中なのだと言った。
香港の大学生は何をして遊ぶの?と聞くと、グレースは「女の子だもの。日本と同じよ。お茶したり、お買い物したり、お喋りしたり」と笑った。
五階に寄る事にした。
「おばあちゃん、こんばんは」
ドアベルを押すと、マリアではなく祖母が出てきた。
「桜子ちゃん。お散歩に行ったんですか」
「はい。眩しくて戻ってきました」
「そうね。本当。でも昔はもっと眩しかったのよ」
ええと、と、片手で指を開いたり閉じたりした。
昔は電飾が点滅するものが多かったそうだ。
飛行機が行き交うので、混乱しないように今は点滅は禁止だ。
そうか。だからくらくらする程眩しいけれど、どこか静かな印象がするのだ。
どうぞ、と言われて桜は部屋に入った。
植木鉢がいくつも置かれた窓際で、祖母はコップで水をあげていた。
丹念に、まるで熟練のバリスタのように少しずつ。
「ふふ。桜子ちゃん。木がお水を飲む音が聞こえますよ」
「本当?」
と言って桜は近寄った。
「・・・・聞こえない」
「おばあちゃんくらいになれば聞こえます」
大真面目に断言された。
「・・・桜子ちゃんのお友達は、誰も地震で怪我をしませんでしたか?」
頷いた。
幸いな事に、誰も怪我もしていない。
だが、友達の親戚の何人かは津波に攫われてまだ見つかっていないと聞いた。
「・・・そう。かわいそうです。・・・日本は地震があるから怖いですね」
「そういえば、香港に地震はないんですか?こんなに高いビルばっかりで、人は沢山いるし、海が近いし・・・地震が来たら大変」
「無いんです。私も日本に行って初めて地震に遭ってびっくりしました」
彼女は情感たっぷりに胸の前で両手を握りしめた。
「おばあちゃんは、日本に居たことがあるんですか。だから日本語が上手なの?」
祖母は照れたように笑った。
「グッドスピーカーではないですよ。少し、ね。忘れてしまったし。私のパパは日本人でした。それから、シャーロットのハズバンド、桜子ちゃんのママのパパも日本人ですね」
「おばあちゃんのお父さんも日本人?おばあちゃん、お母さんから聞いた事ないから知らなかった」
そうでしょうとも、と彼女は頷いた。
「シャーロットはパパを知りません」
「・・・知らないの?」
なんだかよく分からない。
語彙力の問題ではないようだ。
桜の様子に、祖母は頷いた。
ちょっと考えてから、祖母は寝室の大きな鏡台に向かった。
イタリア製だというそのローズウッドの鏡台は、桜には随分と大袈裟で時代がかったものに見えて、どこか都会的な雰囲気のある祖母の部屋にあるのが不思議に感じる。
彼女は、一冊の本を手に持って来た。
しっかりとした厚手の小花模様の背景に市松人形のような女の子が鞠をついている縮緬細工の赤い表紙。
縮緬生地の色は褪せていたり、擦り切れたりしているけれど、大切にしているのが良く分かる。
「かわいいでしょう。アルバムですよ。昔、日本で買ったものです」
「日本で?」
「はい。神戸。神戸って知っていますか」
桜は頷いた。
行ったことはないが、古くから栄えた貿易港だ。
過去にやはり大きな震災があり、沢山の被害が出た。
「・・・私が覚えているのは昔の姿ですよ。坂が多くて海が見える、とてもきれいな街でした。震災の時には心配で悲しくて・・・。でもとてもまたきれいになりましたね。さすがです。神戸の人はとっても強くて、優しい」
と呟いた。
「私は、神戸で育ったんです」
意外だった。
少し遠くを見るような祖母の目が、これ、と指差した写真できらりと輝いた。
セピア色の写真に、気取ったポーズのチャイナドレスの女性が写っていた。
不自然な程の大きな大輪の笑顔。
今の時代、こんな笑顔を浮かべる女性はいないだろう。
カラーではない写真が物珍しく、桜は写真を見つめた。
「・・・・これ、おばあちゃん?」
「まさか!いくらなんでもこんなに大昔ではありません。おばあちゃんのママです。少し、桜子ちゃんに似ているかもしれない。不思議」
不思議ではないかもしれないが。
桜はもう一度写真をよくと見た。
解像度が低くて、カラーでもないし、かなり化粧が濃いので余計素顔が分かりづらい。
これに似ていると言われてもよく分からない。
「桜子ちゃんのママのパパのお話をするには、私のママの話をしなければなりません」
おばあちゃんのお母さん。
きっとカラー写真だったなら、きらきらした宝石に鮮やかな服だったのだろう。
どうなっているのか不思議な作り込んだ化粧や髪型も当時の流行なのかもしれない。
桜は頷いた。
「聞きたいですか?」
「はい」
祖母は、にっこりと微笑んだ。
写真の女性に似た、うっとりとした微笑みだった。
じゃあその前に、と彼女は立ち上がった。
「お茶の用意をしましょう」
桜はなら私が、と言った。
「紅茶でいいですか?」
「・・・桜子ちゃん、紅茶を入れられるの?」
本気で驚いているのが可笑しかった。
「学校で習いましたよ」
調理実習で教師である栄養士の先生が指導して、きっちり習ったのだ。
「テストまであったんですよ」
厳しい顔で教師と生徒がストップウォッチを睨んで、きっちり時間を計り、茶を淹れている姿は思い出すとまるで科学の実験のようだった。
「まあ、日本の学校は、そんなことまで教えるんですか・・・」
感心したように彼女はつぶやいた。
その様子を見たいと祖母がキッチンに入ってきて少し緊張した。
祖母が好きだというお気に入りのロイヤルコペンハーゲンのティーセット。
「いつも飲む、好きな紅茶はどれですか」
「いつもはね、これです」
棚の奥から缶を一つ大事そうに取り出す。
「でも、本当に好きなのはこれです。高いから、特別なときだけってマリアが言うの。でも今日は、いいと思います。だって桜子ちゃんとお話するんだもの」
そう言うと、彼女は特別だと言う缶を差し出した。
携帯の時計を見てきっちり時間を計ってから、ソファに戻ると、桜はティーポットを傾けてカップに注いだ。
「本当、いい香り・・・・」
酔ってしまいそうな馥郁たる芳香。
学校で用意された紅茶とは品質も値段も違うようだ。
「でしょう?・・・・桜子ちゃんは、本当に紅茶を入れるのが上手ですね」
「習ったとおりにやっただけですよ」
「それができないものなんです」
リュックから、クッキーを取り出す。
「こんないいお茶には合わないけど・・・・」
遠慮気味に差し出したが、嬉しそうに祖母は受け取った。
「日本のお菓子はどれもとってもおいしいんでしょ。キティが自慢していたもの」
紅茶を飲むと、夢のように美味しくて。
紅茶ってこんなにおいしかったのか。
まるで全く癖のない上等の香水でも飲んだかのようだ。
在りし日のセピア色に似た紅茶の色合い。
カップを覗き込むと、写真が動き出して、当時の情景が浮かんできそうに感じて面白かった。
「・・・・ああ、おいしい」
祖母もため息をついた。
では、とアルバムをまた開く。
「・・・・・この写真の女の人は、私のママ。彼女は女優でした」
驚いた。まさか芸能人が自分の身内にいたとは。
「女優さん?!」
「はい。ああ、でも、映画やテレビにも出ましたけど、本当は・・・」
祖母はテレビをつけた。
いくつかチャンネルを回す。
白黒で時代劇のような衣装で歌ったり踊ったりの映像を見せる。
突き抜けるような歌声と、打楽器のような鈴のような音。
「粵劇と、言います」
「歌舞伎みたいな・・・?」
「そう!北京の京劇が有名ですけど、昔は男の人しか舞台に立てなかったです。日本の歌舞伎もそうですよね。でも、粵劇は女の人もいます」
そして、もう一口、カップに口をつけて、彼女は夢見るように語り始めた。
自由に使ってと言われたキティの兄の部屋は手狭ながらも個室でありがたかった。
キティが言うには、香港の住宅事情は最悪で一人当たり世界で1番の狭さと家賃の高さらしい。
桜はマリアが心配するのを宥めて、街に出る事にした。
マリアから見ると自分はよっぽど頼りなく見えるらしい。
右曲がるのよ、右ってわかる?こっちの手よ?!なんて本気で指導されるのだ。
三月末だが、日本の六月くらいなのかもしれない。
気温もだが雨季の降ったり止んだりの雨の為に湿度も高く、薄手の長袖でも暑いくらいだ。
桜は先日世話になった乾物屋のブチ猫に挨拶をした。
猫は昼寝中だったが桜が近寄ると少し目を開けて、あんたみたいな田舎者知らないと言うようにぷいと顔を背けた。
都会の猫は気取っている。
それでも耳の後ろを掻いてやると気持ちよさそうにもっと掻けと指示された。
気づいたおじいさんが、奥から出てきた。
桜は、キティに教えてもらったお礼の言葉を言うと、リュックから日本から持ってきてまだ残っていたクッキーを取り出して手渡して頭を下げた。
柔らかいクッキーだからきっとおじいさんでも食べれる。
おじいさんもありがとうと日本語で言うと頭を下げた。
ちょっと散歩のつもりがすっかり探検になってしまった。
東北の地方都市育ちの自分にとったら、のんびり池で鯉あたりやって来たのに、突然、魚群の群れや大洋を行き来する大型魚類の通行する大きな海流に放り込まれたようなもので。
人の波に乗って横断歩道を渡るのにも達成感を感じた。
ビルの殆どを覆う巨大なブランドの看板に圧倒されつつ歩いて行く。
宝石店のショーウィンドウには様々なデザインの金のネックレスが飾られて、アクセサリーのチェーンと言うより、素麺やうどんなんかよりも更に太い、もはや建築資材のような存在感。
こんなの誰が買うの?と驚いたが、観光客らしき人々が次々店に入って行く。
更に、この街の食べ物屋の多さには驚く。
麺や粥、飲茶、香港デザートの店が並び、他にもアメリカのコーヒーチェーンのカフェ、馴染みある日本の牛丼屋や回転寿司屋もあった。
他にも道のあちこちに屋台未満のような小さな売店がある。
おでんのようなものや、丸いボールが繋がっているようなワッフル、アイスクリームを売っている車。
鮮やかなフルーツの写真に惹かれて、マンゴージュースを買ってみると、生のマンゴーをミキサーにかけた濃厚なものを渡された。
興奮と緊張と疲れが吹っ飛んで行く程の鮮烈な甘味。
外国に来たんだなあと改めて実感した。
ドラッグストアに入って見ると、日本の化粧品やシャンプーや洗剤も沢山売られており、日本の食品も多い。
お上りさん丸出しのまま帰宅したのは夕方過ぎで、桜は百回雷が落ちてもこんなに明るくはないだろうと思えるような電飾だらけの通りから、レストランに入った。
「おかえりなさい。チェリー、迷子にならなかった?」
フロントのグレースが話しかけてきた。
彼女は今日はキティも友達と外出中なのだと言った。
香港の大学生は何をして遊ぶの?と聞くと、グレースは「女の子だもの。日本と同じよ。お茶したり、お買い物したり、お喋りしたり」と笑った。
五階に寄る事にした。
「おばあちゃん、こんばんは」
ドアベルを押すと、マリアではなく祖母が出てきた。
「桜子ちゃん。お散歩に行ったんですか」
「はい。眩しくて戻ってきました」
「そうね。本当。でも昔はもっと眩しかったのよ」
ええと、と、片手で指を開いたり閉じたりした。
昔は電飾が点滅するものが多かったそうだ。
飛行機が行き交うので、混乱しないように今は点滅は禁止だ。
そうか。だからくらくらする程眩しいけれど、どこか静かな印象がするのだ。
どうぞ、と言われて桜は部屋に入った。
植木鉢がいくつも置かれた窓際で、祖母はコップで水をあげていた。
丹念に、まるで熟練のバリスタのように少しずつ。
「ふふ。桜子ちゃん。木がお水を飲む音が聞こえますよ」
「本当?」
と言って桜は近寄った。
「・・・・聞こえない」
「おばあちゃんくらいになれば聞こえます」
大真面目に断言された。
「・・・桜子ちゃんのお友達は、誰も地震で怪我をしませんでしたか?」
頷いた。
幸いな事に、誰も怪我もしていない。
だが、友達の親戚の何人かは津波に攫われてまだ見つかっていないと聞いた。
「・・・そう。かわいそうです。・・・日本は地震があるから怖いですね」
「そういえば、香港に地震はないんですか?こんなに高いビルばっかりで、人は沢山いるし、海が近いし・・・地震が来たら大変」
「無いんです。私も日本に行って初めて地震に遭ってびっくりしました」
彼女は情感たっぷりに胸の前で両手を握りしめた。
「おばあちゃんは、日本に居たことがあるんですか。だから日本語が上手なの?」
祖母は照れたように笑った。
「グッドスピーカーではないですよ。少し、ね。忘れてしまったし。私のパパは日本人でした。それから、シャーロットのハズバンド、桜子ちゃんのママのパパも日本人ですね」
「おばあちゃんのお父さんも日本人?おばあちゃん、お母さんから聞いた事ないから知らなかった」
そうでしょうとも、と彼女は頷いた。
「シャーロットはパパを知りません」
「・・・知らないの?」
なんだかよく分からない。
語彙力の問題ではないようだ。
桜の様子に、祖母は頷いた。
ちょっと考えてから、祖母は寝室の大きな鏡台に向かった。
イタリア製だというそのローズウッドの鏡台は、桜には随分と大袈裟で時代がかったものに見えて、どこか都会的な雰囲気のある祖母の部屋にあるのが不思議に感じる。
彼女は、一冊の本を手に持って来た。
しっかりとした厚手の小花模様の背景に市松人形のような女の子が鞠をついている縮緬細工の赤い表紙。
縮緬生地の色は褪せていたり、擦り切れたりしているけれど、大切にしているのが良く分かる。
「かわいいでしょう。アルバムですよ。昔、日本で買ったものです」
「日本で?」
「はい。神戸。神戸って知っていますか」
桜は頷いた。
行ったことはないが、古くから栄えた貿易港だ。
過去にやはり大きな震災があり、沢山の被害が出た。
「・・・私が覚えているのは昔の姿ですよ。坂が多くて海が見える、とてもきれいな街でした。震災の時には心配で悲しくて・・・。でもとてもまたきれいになりましたね。さすがです。神戸の人はとっても強くて、優しい」
と呟いた。
「私は、神戸で育ったんです」
意外だった。
少し遠くを見るような祖母の目が、これ、と指差した写真できらりと輝いた。
セピア色の写真に、気取ったポーズのチャイナドレスの女性が写っていた。
不自然な程の大きな大輪の笑顔。
今の時代、こんな笑顔を浮かべる女性はいないだろう。
カラーではない写真が物珍しく、桜は写真を見つめた。
「・・・・これ、おばあちゃん?」
「まさか!いくらなんでもこんなに大昔ではありません。おばあちゃんのママです。少し、桜子ちゃんに似ているかもしれない。不思議」
不思議ではないかもしれないが。
桜はもう一度写真をよくと見た。
解像度が低くて、カラーでもないし、かなり化粧が濃いので余計素顔が分かりづらい。
これに似ていると言われてもよく分からない。
「桜子ちゃんのママのパパのお話をするには、私のママの話をしなければなりません」
おばあちゃんのお母さん。
きっとカラー写真だったなら、きらきらした宝石に鮮やかな服だったのだろう。
どうなっているのか不思議な作り込んだ化粧や髪型も当時の流行なのかもしれない。
桜は頷いた。
「聞きたいですか?」
「はい」
祖母は、にっこりと微笑んだ。
写真の女性に似た、うっとりとした微笑みだった。
じゃあその前に、と彼女は立ち上がった。
「お茶の用意をしましょう」
桜はなら私が、と言った。
「紅茶でいいですか?」
「・・・桜子ちゃん、紅茶を入れられるの?」
本気で驚いているのが可笑しかった。
「学校で習いましたよ」
調理実習で教師である栄養士の先生が指導して、きっちり習ったのだ。
「テストまであったんですよ」
厳しい顔で教師と生徒がストップウォッチを睨んで、きっちり時間を計り、茶を淹れている姿は思い出すとまるで科学の実験のようだった。
「まあ、日本の学校は、そんなことまで教えるんですか・・・」
感心したように彼女はつぶやいた。
その様子を見たいと祖母がキッチンに入ってきて少し緊張した。
祖母が好きだというお気に入りのロイヤルコペンハーゲンのティーセット。
「いつも飲む、好きな紅茶はどれですか」
「いつもはね、これです」
棚の奥から缶を一つ大事そうに取り出す。
「でも、本当に好きなのはこれです。高いから、特別なときだけってマリアが言うの。でも今日は、いいと思います。だって桜子ちゃんとお話するんだもの」
そう言うと、彼女は特別だと言う缶を差し出した。
携帯の時計を見てきっちり時間を計ってから、ソファに戻ると、桜はティーポットを傾けてカップに注いだ。
「本当、いい香り・・・・」
酔ってしまいそうな馥郁たる芳香。
学校で用意された紅茶とは品質も値段も違うようだ。
「でしょう?・・・・桜子ちゃんは、本当に紅茶を入れるのが上手ですね」
「習ったとおりにやっただけですよ」
「それができないものなんです」
リュックから、クッキーを取り出す。
「こんないいお茶には合わないけど・・・・」
遠慮気味に差し出したが、嬉しそうに祖母は受け取った。
「日本のお菓子はどれもとってもおいしいんでしょ。キティが自慢していたもの」
紅茶を飲むと、夢のように美味しくて。
紅茶ってこんなにおいしかったのか。
まるで全く癖のない上等の香水でも飲んだかのようだ。
在りし日のセピア色に似た紅茶の色合い。
カップを覗き込むと、写真が動き出して、当時の情景が浮かんできそうに感じて面白かった。
「・・・・ああ、おいしい」
祖母もため息をついた。
では、とアルバムをまた開く。
「・・・・・この写真の女の人は、私のママ。彼女は女優でした」
驚いた。まさか芸能人が自分の身内にいたとは。
「女優さん?!」
「はい。ああ、でも、映画やテレビにも出ましたけど、本当は・・・」
祖母はテレビをつけた。
いくつかチャンネルを回す。
白黒で時代劇のような衣装で歌ったり踊ったりの映像を見せる。
突き抜けるような歌声と、打楽器のような鈴のような音。
「粵劇と、言います」
「歌舞伎みたいな・・・?」
「そう!北京の京劇が有名ですけど、昔は男の人しか舞台に立てなかったです。日本の歌舞伎もそうですよね。でも、粵劇は女の人もいます」
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