金蘭大夜総会 GoldenOrchidClub

ましら佳

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10.星とアライグマ

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 ここのところ続けて聞いている祖母の昔話で興奮しているのか、夜中に目が覚めてしまった。
何度かごろごろベッドの上で寝返りを打っているうち、隣室にキティがそうっと部屋に入ってきたのが分かった。
いつもはドタバタ元気がいい従姉妹だから、どうしたのだろうと不思議に思った。
そのうち、小さな声が聞こえた。
電話でもしているのだろうか。
大学生だから、きっと大学の友達と飲み会に行ったりもするのだろうか。
自分の数年後の姿なのかもしれないが、桜はそのイメージを全く掴めないでいた。
中・高校一貫校だからかもしれない。
ほぼエスカレーター式で高校には入学してしまったので、真剣に進路を考えたことがないのだ。
その上、大地震が来てしまって、未来に対する展望など、全く具体的に想像できなくなってしまった。
ああ、世界はこうやって終わるのか。と、あの長い長い大揺れの中、そう思っていたのだ。
あの日、日本の多くの学校がそうであるように、自分も卒業式だった。
卒業証書を受け取ると、保護者席は大号泣だが、泣いている生徒など誰もいない名物卒業式。
だって、春からは隣の校舎に移るだけ。
制服も運動着も全く同じなのだ。
高校・中学校共に教職を持っている教職員も多いので、教師陣の面子も変わらない。
それでも、新しい生活にわくわくしていたのだ。
そう。自分はこの春から高校生のはずだったのだ。
学校からは、とにかく暫定的に春休みを延長という連絡が来ていた。
母からは、度々メールが来ていた。
市内のライフラインもほぼ元に戻りつつあるそうだ。
電気、水道、ガス。こんなに全てが一気にストップするなんて思わなかった。
あれから一ヶ月以上たつなんて、信じられない。
成田空港で買ったよくある旅行ガイドブックを開くと、地図が載っていて、日本から香港までの距離はたった指三本分程だ。
それなのに、まるで地球の裏側で起きたことのよう。
ただ、テレビをつければ毎日、震災の、特に津波と原発事故の映像は流れてきた。
その度に、誰かがチャンネルをそっと変えてくれる。
きっと自分が泣きそうな顔をするからだ。
普段は、ひっきりなしに誰かが喋り、お菓子を食べている騒々しい家族なのに、彼らはとにかく優しい。
昼間、祖母にそう言うと彼女はそっと桜のおでこに触れた。
老人の手というのはもっと硬くてシワシワなのだと思っていたが、さらりと乾いてとても柔らかかった。
「香港人は、たくさんの混乱や動乱を経験していますから。ここは誰しも人生を求めて何かから逃げてきた人達が多いの」と彼女は言った。
「人間は愚かだから。辛いことや悲しいことからしか優しさを学べないことがある。でも、それは希望。だから、桜子ちゃん。日本人も、きっともっと優しくなりますよ」
よくわからなかったけれど、桜は頷いた。
はっとした。
壁の向こうから、悲しげな声が聞こえてきたから。
・・・・キティの声だ。誰かと話していたはずなのに・・・。
泣いているような、声。
桜は迷ったが、そっとベッドから降りた。
キティの部屋のドアには、本当にハローキティのぬいぐるみが飾ってある。
桜はノックをした。
「キティ」
と呼びかけた。
反応がなければ、そのまま部屋に戻ればいい。
すぐに、ドアが開いた。
笑顔だったが、泣いていたとわかる真っ赤な顔で、キティが顔を出した。
「・・・・ごめん、起こした?」
なるだけ簡単な英語で話してくれる。
「起きていたの。でも・・・」
そう言うと、キティはありがとう、と言った。
自分の部屋のベッドに桜を座らせると、自分も座る。
「・・・・チェリー、あなたの国やご家族が大変な時に、こんな私の個人的な話をしてもいいか、とっても難しいんだけど・・・」
ううん、と桜は首を振った。
「ああ。もう、よくある話なの。私、恋人がいたんだけど。・・・チェリーは、いる?」
桜はぶんぶん首を振った。
だってこの間まで中学生だった。もしかしたら、同じ学年の子の何人かには仲の良い男子の友達はいるのかもしれないけれど。
そもそもそういう話に疎かったのだ。
「私、幼稚園からずっと、女の子しかいない学校で・・・」
家から徒歩10分の一番近い幼稚園だった。
それがそのまま同じ敷地にある小学校、中学校、高校という進路。
そう言うと、キティは、ああ?と不思議な悲鳴をあげた。
「うっそ!嘘でしょ?百年前じゃないのよ?!・・・信じられないわ。日本ってもっと・・・男女の関係、というか、そういう、自由な国だと思っていたの」
キティはやっぱり日本の女性が抑圧されているというのは本当の話なのねと言った。
「今は二十一世紀なのよ?!信じられないわ!」
と義憤に燃える従姉妹を桜は宥めるのに苦労した。
「キティ、それでほら、どうしたの?」
「ああ、そう。・・・そうよ。私ね、フラれたの」
桜は何も言えなくて、ただキティを見上げた。
こういう時、なんて言っていいか、わからない。
自分の経験もないし、友達の話を参考にしようにも、そんな話題は無かった。
キティは、いつも鍋から上げたての昆布のようにとろとろとなるまでブラッシングしている自慢の長い髪をぐちゃぐちゃに振り乱して叫んだ。
「そう!ひどいのよ。あっちから好きって言って来たくせに、留学するから別れてって」
持っていたクマのぬいぐるみを壁に投げつける。
「・・・・その人のこと、好きだったの?」
我ながら間の抜けた質問だとは思う。だから付き合っていたのだろうに。
だが、キティはちょっと眉を寄せた。
「えぇ?」
「だから。その人の事が好きだったんでしょ?だから、お別れが辛くて泣いてたんでしょ?」
キティはずっと変な、妙な表情をしたままだ。
なんて当たり前の事を聞く、失礼な子供だと思っているのだろうか。
桜は不安になりながらキティの言葉を待った。
「・・・そうでもないわ」
「え?」
「そうでもない」
「でも泣いていたでしょ?」
「だからそれは・・・。勝手に好きになられて勝手に嫌われた不条理に対しての怒り、とか、プライドの問題よ」
なんだか整理されたらすっきりしたわ、とキティはけろっとして笑った。
桜はなんだか狐につままれたような気分で。
「・・・・ねえ、チェリー。お腹すかない?ねえねえ、おばあちゃんに聞いたんだけど、チェリーのつくる烏冬うどんがすごくおいしいって。私ね、いつか作って貰おうと思って、買ってあるの」
元気よくベッドから立ち上がると桜の腕を引っ張りダイニングに向かった。

 キティは、さっきまでめそめそしていたくせに、今は夢中でうどんを啜っている。
桜もまた丼からレンゲでスープをすすった。
あり合わせのものだから、冷蔵庫にあった野菜を切って簡単なかき揚げを作って、うどんに乗せたものだ。
この家は、レストランを経営している為か食事はほぼ厨房から運んでもらうか、外食が多い。
なので、冷蔵庫には常にそれほど食材があるわけではないが、グレースがたまにスープを煮るので、それなりの材料はあった。
「てんぷらが家で食べれるなんて!」
「うちね、金曜日にてんぷらとか串揚げ、冷蔵庫にある野菜とかエビとか小さく切って串に刺したものね、それを皆で揚げながら食べたりするんだよ。ほら、フライデーだから」
「あはは!スペルが違うわ!・・・パーティみたいね!いいなあ・・・」
そういう家庭の食卓に憧れがあるのだとキティは言った。
「ほら、うち、レストランでしょ?だから家族で旅行とか行ったことないし。ごはんもバラバラだもん」
「でもほら、毎週末は皆で飲茶でしょ。あれいいよねえ」
大食堂のような広い飲茶レストランで、家族や親戚皆で飲茶を食べる習慣があるようだ。
顔見知りばかりのようで、親戚以外でもあっちの席こっちの席と皆おしゃべりをしながら賑やかにしている。
「ねえ、チェリー。シャーロットおばさんってどんなひと?」
桜は吹き出した。
何回聞いても笑ってしまう。
「ごめん。だって、あのお母さんがシャーロットだなんて・・・。別に普通の日本人のお母さんに近いんじゃないかなあ」
「仕事は?」
「昔は東京の会社で通訳したり語学学校に勤めてたって聞いたけど。今はたまにどっかの学校とかカルチャーセンターの語学教室で英語を教えたり。あと、公民館で和食教えたりしてる」
「へえー。お料理するんだ?」
「するよ。けっこうおいしいの!私、学校が毎日お弁当だしね。お弁当、凝ってるのよ」
桜は携帯電話に保存していた画像を見せた。
キャンディ型にしてリボンを結んだ一口サイズのおにぎりやサンドイッチ、キャラクターの形にしたオムライスのお弁当。
「かわいい!」
若い娘らしく、キティもかわいいものが大好きなのだ。
「へえ。いいなあ・・・。そっか。意外。私が聞いていたシャーロットおばさんって、もっとすっごいキャリアウーマンのイメージ」
「ええ?!」
あのお母さんが?!
のんびりして、ぼんやりして、ペンケースと間違って家のテレビのリモコンを職場に持って行くようなうっかりおばさんなのに?
「そうよー。だって。シャーロットおばさんって、中環セントラルにあるおっきいビルに入ってる外資系の会社で秘書してたんだから」
「ええ?!」
そんな姿、全く想像できない。 
「いつもシャネルの・・・仕立て直しじゃないわよ。本物のシャネルのスーツを着て、ハイヒールを履いて。すっごいカッコよかったんですって。お誕生日には彼氏達からバラの花束がオフィスに入りきらないほど届いたらしいもん。でも全然誰にもなびかなくて。クールビューティーとかシャイニングスターって噂されてたって。パパが言っていたもの」
桜はそれは誰か別の人の話ではないかと首を傾げた。
シャネルのスーツ?
母の最近の一番のお気に入りは、大手衣料品店で二千円で買ったごろごろしているクマのキャラクターが描いてあるセーターだし、バラの花束なんかより、近所の親戚のおばあちゃんに株分けしてもらったサボテンの植木鉢の写真を携帯のカメラで撮るのが趣味で。
「それきっと誰かと勘違いしてない?それかレイおじさんの記憶違い・・・」
「違うわよ!絶対そう!だから、クールビューティーのシャーロットのハズバンドになった人はどういう人なんだろうって、近所の人やら親戚がすごく聞きたがったって。チェリーのパパってどんなひと?お金持ち?社長さん?スポーツとかやるの?ゴルフとか?」
「だから。絶対違うひとだって。だってパパは田舎の消防士さんだし。趣味は釣りだし。そんなバリバリのキャリアウーマンと何の話するの?接点ないもん。違う人よ」
ええ?!と今度はキティは信じられないと言うように首をかしげた。
「・・・なら、チェリーのパパを、芸能人で例えると誰・・・?!」
「芸能人?!」
あの父を芸能人に例える!?
「私結構日本の芸能人に詳しいの!ね、誰?」
桜は考え込んだ。
芸能人・・・。俳優、アナウンサー、お笑い芸人まで考えて・・・。
「芸能人にはちょっといないけど・・・。動物に例えると、タヌキとか、アライグマっぽい感じ・・・?」
まるで月とすっぽんならぬ、星とアライグマ。
ハア?!とキティがうどんを吹き出した。
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