高貴なる人質 〜ステュムパーリデスの鳥〜

ましら佳

文字の大きさ
52 / 62
⌘3章 征服されざる眼差し 《せいふくされざるまなざし》

52.雲雀東風《ひばりこち》

しおりを挟む
 十一じゅういち橄欖かんらんに呼ばれて、朝方宮城に向かった。
宮城から皇帝陛下よりお召しありと知らせを受けた執事バトラーが、残雪ざんせつの部屋で一夜を過ごした主人に遠慮がちに告げたのに、十一じゅういちは後で行くと伝えるようにと返した。
「すぐに行ってさし上げて。緊急でしょう」
困り果てた様子の執事しつじを見かねて、残雪ざんせつがそう声をかけると、十一じゅういちは渋々準備を始めた。
執事バトラーが、感謝しますと残雪ざんせつに会釈をした。
残雪ざんせつは多少、いや、かなり気まずい気持ちでガウンを着込んで、銀青色のブランケットを引き寄せてベッドの端で静かにしていた。
どう見ても、自分とこの屋敷の主人に何かあったのかが一目瞭然の状態だろう。
王族や貴族の人間はこうした時も気にせず堂々としているそうだ。
そう言えば、蛍石ほたるいしもそうだった。
私生活を晒すのを大して気に留めない。
着替えも、裸のままでいて家令や女官にやらせるようなところがあった。
自分が裸なのは平気なのに、家令の子供達が裸なのを、恥ずかしいわね、不躾ぶしつけねと咎めてみたり。
それは、歴然とした上下関係から来る感覚なのだろうけど、残雪ざんせつには理解し難いものだ。
十一じゅういちも上半身裸のまま、執事バトラーにあれこれ指示していた。
棕梠しゅろ様、まだ早いので、お茶を用意させるので、またお休みください」
「・・・大丈夫。私、お茶自分でいれますので。お気遣いいただいてすみません・・・」
コックやメイドも叩き起こされては気の毒だ。
「雪は、どうせ茶も酒も食い物のたぐいもリスのようにあちこちにしまってあるんだから」
十一じゅういちが茶化したのに残雪ざんせつも口を開いた。
「そうなの。災害が来ても大丈夫よ。缶詰も瓶詰も沢山あるから。・・・ただ全部果物のだから、毎日三食、みかんと桃よ」
残雪ざんせつがそう言ったのに、執事もつい笑みを浮かべた。
そうは言ったが、十一じゅういち残雪ざんせつにも軽食を用意するように指示して出かけて言った。

 翌日の午後近くになって、残雪ざんせつは、やっとベッドから起き上がれるようになった。
なかなか起きれない様子の残雪ざんせつを心配したメイドが医師を呼ぶかと聞いていたが、大丈夫、疲れただけだから少し休みますと言うと、それ以上は踏み込んで来なかった。
あの執事は勿論だが、メイド達も教育が行き届いているのには感心する。
自分と主人の関係についても特に何の感情も表に見せない。
十一じゅういちは貴族の令嬢と離婚してまだ日が浅いだろうし、更には現在、妹弟子の家令と婚約中なのは知っているだろうに。
前の結婚では別に邸宅を構えて、新婚生活はそちらで過ごしたそうだ。
残雪ざんせつは部屋に残る情事の跡を眺めていた。
十一じゅういちの情熱に飲まれてしまって、自分もそれに応えたけれど。
山雀やまがらには申し訳ない事をした。
純粋に伯爵夫人という立場に憧れて食指を動かしたのもあるだろうが、あの子は昔から十一じゅういちの事が大好きなのだ。
日雀ひがらが死んだ時、その身に成り代わろうと即断できたのは、きっとそれまでも日雀ひがらのように、自分も将来において十一じゅういちと生きていける理由があればと何度も考えた事があったからに違いない。
体はどうにでもなるが、気力が湧かなかった。
蛍石ほたるいし五位鷺ごいさぎの訃報を知った時は、あんなに必死になれたのに。
銀星ぎんせい春北斗はるほくとを殺させない為に夢中だった。
身動き出来ない時期もあり、彼等の存在を恨んだ事もある。
だが、だからこそ短慮に走らず、生きてこれたとも言える。
でも、結局、自分が出来た事と言えば。
蛍石ほたるいしの子供達から、夫達から、母であり妻である彼女を奪い。
それだけの事をさせた夫と恋人も亡くし。
復讐の為かどうなのか、確かに千人殺したそうだ。
もう一度手に入れたかもしれないと思った愛する人も失った。
残雪ざんせつはデスクの書類に目を落とした。
なんと固い守備であろう。
もはやほぼ攻撃だ。
自分の進退がそのままあの父を殺された少年の生死を左右する。
自分だけでなく、フィンもまた担保にされては、短気はは起こせない。
十一じゅういちの抜かり無い仕事につい笑いが込み上げる。
これでは、どんなに自分が太刀打ちしても逃げられない。
なぜか、愛してくれると貴方は言うけど。
でも、十一じゅういち
私、もう人の都合で便利に使われるなんて、真っ平ごめんだわ。
自分や自分の生死や身の安全を担保に、何か迫られるなんてこりごり。
私に連なるものは、人も物も自分自身も、私が守ってみせよう。
でもさて。意欲はあるけど、どうしたものだろう。
あの家令に太刀打ちできるものなんて、もはや自分には何もない。
いっそ死んでしまうか。
何もかもわずらわしい。面倒だ。
けれど、くじけてしまうには、何か違う、まだ違う、と、どこかで声がする。
残雪ざんせつは窓を開け放ち、風を入れた。
雲雀東風ひばりこちと言えば何だか穏やかな気がするが、時に時化しけ、季節を替える春の嵐ともなる。
残雪ざんせつは、希望の星と名付けられたワインの初搾りの最後の1本を開けて飲み干した。

 週に一度くらいの頻度で、花鶏あとり東目張ひがしめばる邸を訪れるようになっていた。
他の家令は許されないが、まだ若い彼ならば他の家令よりはマシ、と許されたのだろう。
勿論、余計な情報を与えるなと指示されているのだろうが。
誰から、と言えば。
宮廷の意思と言うより、おそらく十一じゅういちだろう。
良かった事と言えば、この邸宅で、花鶏あとり春北斗はるほくとが再会し、たまに姉弟のように楽し気に過ごす事が出来た事。
離宮に居た時も、銀星ぎんせい春北斗はるほくとは一番小さな花鶏あとりを可愛がっていた。
花鶏あとりは、"オランジュリーの薔薇バラ”の状況確認の為の宮廷からの遣いという名目で、残雪ざんせつと会える、それだけでも嬉しい。
「雪様、蜂鳥はちどり姉上が女官と喧嘩したんですよ。蜂鳥はちどり姉上、蓮角れんかく姉上に人道支援だと言われてお仕置きで血を抜かれたんです」
「聞いたわ。献血したって」
「500cc抜かれて、頭来たって言ってそのまま休暇申請して、海外にヴァカンスに行きましたよ。・・・血の気が多すぎるわけだ」
「500cc?普通400までよ?・・・蜂鳥はちどり、大丈夫なの・・・?」
花鶏あとりが小さな包みを取り出した。
「・・・雪様、これは最近、宮廷で流行っているお菓子なんです」
「まあ、すてき。・・・貴方、まだ若いのにこんなに気が利いて。それはそれで心配だわ・・・」
小包みに見覚えのある封蝋があった。
尾白鷲おじろわしが好んで使っていたものだった。
ではこれは、あの女家令からか。
きっと、菓子だけではあるまい。
残雪ざんせつは包みを開けた。
小さなすみれの砂糖菓子と、カードが入っていた。
牡鹿おじか生存。どうぞ希望をお持ちになって』とだけ書いてあった。
残雪ざんせつはそれを読むと、泣き出した。
「・・・まあ、どうしましょう。・・・泣いちゃったわ・・・ごめんなさいね」
何よりも嬉しい知らせだった。
何が何だかわからないけれど、でも、あの女家令がそう伝えて寄越したのだ。
確実、もしくはそれに限りなく近い事実なのだろう。
あの不思議な青菫あおすみれ色の瞳をした、一人残された最後の牡鹿おじかが殺されずに生きていたのかと思うだけで、胸がいっぱいになった。
「・・・あなたのお姉さんにありがとうと伝えてね。・・・そうね、こうして。私、嬉しくて何と言ってお礼を伝えればいいのかわからないほどだから」
そう言って、残雪ざんせつは少年を抱きしめた。
 
 花鶏あとりには、この女性に何があったのか実のところはよくわからないし、この先、何が起きるのか兄弟子や姉弟子達が何をしようとしているのか、はっきりとはわからない。
でも、この先、どうか彼女が幸せになってくれるようにと願った。
『ねえ、あなた。これからいいこといっぱいよ』
幼い頃、辛く、苦しい日々の果てに、彼女がそう自分に言ってくれた言葉を頼りに生きて来た。
どれほど救われたか。
きっとそれに報いてみせる。
少年家令はそっと呟いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

私の守護霊さん

Masa&G
キャラ文芸
大学生活を送る彩音には、誰にも言えない秘密がある。 彼女のそばには、他人には姿の見えない“守護霊さん”がずっと寄り添っていた。 これは——二人で過ごした最後の一年を描く、かけがえのない物語。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

処理中です...