金魚の記憶

ましら佳

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1.

33.ウィステリア

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数日、出血が止まらなかった。
もしやようやく遅れて生理が来たのかとも思ったが、そうではないだろう。
二日後には病院の予約だしと、様子を見るという放置を決め込んでいた。
しかし、桃は貧血を起こし大学の保健管理センターに連れて行かれ、そのまま提携の病院にタクシーを手配されて運び込まれた。

内科、整形外科、皮膚科、産婦人科、婦人レディース科、とやたら診療科目が多い、レストランのように華やかな病院にちょっと驚きながらも、すぐに診察されて、入院と言われた。
結局、つまりは早期流産という事らしい。
体に良いことをしていたと言う自覚も、悪いことをしていたと言う自覚もない。

妙齢の女医に、この時点での流産は胎児側の問題があると言う可能性が多かったのだと思うが、退院後もしばらく通院するようにと言われた。

桃としては、その、まだ赤ちゃんにもなっていないような小さなつぼみのような命に、こっちがダメだと見切られたのだろうなあと思っていた。

だってそうじゃない?
私、これじゃ。

派手なブドウ柄のムームーのようなワンピースの入院服を頭から被せられて、部屋に戻ると、思わぬ人物の姿があった。
公太郎だった。
驚いて声も出なかった。

「・・・桃、大丈夫か。・・・何で黙ってたんだ」
「・・・うん・・・。なんで?連絡、してないよね?」
「ああ。ここ、叔母の病院なんだ」
「・・・叔母さん?」
「そう。もともとはじいさんの病院。で、4人子供がいたんだけど、末っ子の娘以外は全員逃げ出したわけだ。その末っ子が唯一医者になった叔母。長男の俺の父さんはさっさと造り酒屋に婿に行った」

確かに、この病院は、“ウィステリア・クリニック“だった。
なんだって今時は小洒落た病院名なんだなあなんて思っていたが、そうか、英語でウィステリアと藤の花の事だ。
姓の藤枝、と掛けたのか。
入り口の看板にも同じような紫色のイラストが描いてあったし、そしてこの患者服も、ブドウではなく藤の花か、と合点がいった。

「・・・そうなの・・・」

ああ、そうなの。
・・・悪いことって出来ないものだなあ。
桃は、体の力が抜けるようだった。

「・・・いや昔はな、全く当たり前に藤枝医院っつたんだよ。だけど、おばちゃんが、ダセェとか言い出してな・・・。・・・おばちゃん、頭は良いんだけど、絵心センスがイマヒトツなんだよなあ・・・」

公太郎は派手な患者服を着せられた桃を気の毒そうに見た。
この服にプリントしてある花のデザインもその叔母のプロデュースらしい。
画伯本人は会心の出来だと信じているのだが。
桃がずっと黙っているのに、公太郎は慌てた。

「・・・守秘義務があるのは知ってるけどな。桃、大学の保健管理センター経由でここ来たろ?・・・大学から紹介で変わった名前の子が来たけど、お前が言ってた彼女じゃないのか、お前何やってんだって叔母さんからお怒りの電話が来まして・・・。あー・・・桃、ごめん・・・悪かった・・・気をつけていたつもりなんだけど・・・」

同じことを言って、叔母に怒鳴りつけられたが。
桃は、首を振った。

「・・・そうじゃない・・・悪いのは私」
「いや、そんなことない・・・」
「・・・違う・・・」

桃は、公太郎の襟首を掴んで顔を上げた。
その表情のなんとも言えない必死さと、不思議な色の瞳が淡くかすんでいるのに、公太郎はたまらない不安を覚えた。



桃は、片付ける時間だから早く食べろと急かされて、やたら豪華な食事を食べていた。
産婦人科のお祝い御前と同じメニューらしい。

「こんな時、お祝いなんて変な気持ちだろうけど。・・・美味しいの食べて体力つけてね」

看護師ナースが声をかけてくれた。

公太郎に、食べながらでいいから話を聞けと言われて、桃は俯《うつむ》きながらデザートの、オーガニックらしき露路物のまだ少し早い時期の酸っぱい苺《いちご》を飲み込んだ。

「・・・つまり、父親がわからない、ということだよな」

桃が頷いた。

「その前の、婚約してた奴には連絡したのか?」

桃は首をふった。

「・・・必要ないもの」
「なんで?!お前ね、そういうとこある・・・」
「違う。・・・違う、・・・あのね・・・私、その人と関係してないもの」
「・・・はあ?だって。・・・ああ・・・そりゃ・・なんつうか・・・。真面目というか・・・」

さっさと手を出した自分と比べて、と公太郎は多少気まづくなった。

「じゃ、だったら・・・」

自分との子供で間違いないじゃないか。
でも、それでも違う、というのなら。
別の誰か。
公太郎は絶句した。

「・・・だから、結婚止めたのか・・・」

桃は頷いた。

「・・・その相手の男には言ったのか」

桃は首を振った。

「・・・桃!」

耐え兼ねたように公太郎が声を荒げた。

「・・・だから、必要ない・・・。悪いのは、私」

怒るなら怒れ、殴るなら殴れ、とばかりに桃は公太郎をまっすぐ見据えた。

あまりにも静かで強い視線に、公太郎は一瞬怯んだ。

・・・ああ、拒絶されているのは、男の方だ。
この女はきっと、どんな相手でも、心の底から男を受け入れる事はないのではないか。


公太郎はそれでも別れるつもりはないと言い、ならば結婚すると言い募ったが、桃が頑として受け入れなかった。

「・・・拒否するなんて立場わかってないと思うかもしれないけど。ちゃんと立場わかってるから、そんな事しないで。・・・ごめん。結局、ママと私で、二人してハム太郎の事、傷付けちゃったね・・・」

自分が彼と交際したのは短い間だったけど、彼にとってちっともいい結果にならなかった。
むしろ、心配と、不快感と、面倒事と、傷を増やしただけ。


「・・・桃、いいから、もう。・・・なあ、俺の子かもしれないじゃないか」
「かもしれないという状況を作った私に問題がある」
「問題なんか言い出せばキリないぞ」
「それでも、ひどいじゃない、私」

こうなると桃は頑固だ。


「ごめんと言って泣きついてくれるような女が良かった。そしたら俺、なんでも許すからな」
「・・・わかってる」

この人は、優しくて、心が広い人だ。
自分が傷ついても、相手を守ろうとする。
優しいだけじゃダメなのよ、優柔不断ね。
ママはそう言っていたけど。
確かに、昔はそうだったかもしれないけど。
もう、今はそうじゃない。


「・・・桃、自分を低く置いて相手には相応しく無いというのなら、それは違う。それは、自分を遠くに置いてる。・・・それはお前が拒否しているということだ」
お前何様のつもりだ。傲慢だ、と。
公太郎に言われて、桃は切り裂かれたような気持ちになった。
こうやってお前は、保真智ほまちも傷つけたんだろうと見透かされたような気がして。

「・・・そうじゃなくて、本当に、私・・・最低なのよ」

婚約している人がいて、半分だけとは言え弟であるはるかと関係して。それで婚約を解消して貰って。
そう間も置かずに、縁かもしれないなんて浮かれて公太郎と付き合って。
どちらの子かも分からない子を妊娠して。
どうする事も出来ないうちに、ただ自分にも妊娠した事にもガッカリして。
そのうち、流産だなんて。
きっと、赤ちゃんになるかもしれなかった小さな卵は、呆れて去ってしまったのだ。
正解よ。こんなのがママだなんて。嫌になって当たり前。
そして周りを振り回すだけ振り回して。

「・・・ごめんね。私、もういいや・・・」

自分も誰かも。
誰かを振り回す自分にも、振り回される自分にも。

疲れちゃった。

今回は、こたえた。

桃は黙って頭を下げた。
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