絶対に人を屠る魔剣が(スレイヤー)、虫をも殺さぬ思想(アヒンサー

寳田 タラバ

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エルフの国 エリオン

Ⅰ.1.目覚め

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「起きろ!!」

 銀髪の頭に鞭のような痛みが走り、夢の世界から引き戻されたアレンは、反射的に顔を机から引き剥がす。

 その拍子に、口の端から涎が垂れ、腕にぺたりと落ちた。頭の自重で圧迫されていたため、目はかすんでいた。まだぼんやりとした視界の中で、彼の目には先生の顔が映っている。

 端正な顔だと思っている先生のその顔は、今や鬼のように歪んでいた。

「うわ、あのドアホ」
「またカスレンかよ」
「ふぇ…ユイ先生の授業で寝るなんて勇敢というか無謀。ですぅ…」
「寝る子は育つの通り、背が高えよな。俺も授業中寝よ」
「えこひいき王子」

 教室中の目が、アレンに集まっていた。その中には、嘲りや憐憫、好奇心が入り混じった視線が混ざっていた。アレンは顔を真っ赤にして、恥ずかしさを必死に隠そうとするが、それを許さないのが目の前の鬼のような先生だった。

 鬼面は腰を折って、顔の前までやってきた。怒りで燃えたような臭いが、鼻腔をかすめていく。
 
「テメェ随分うなされていたなァ?連日の文化祭の準備だろぉ?午後の最後の一コマだろ?……窓からは心地よい風がふいちゃって……強さを失った西陽が暖かく君を照らしている。一人の美少年が寝るには、うってつけだわな」

 ユイ先生は手を広げ、まるで舞台俳優のように大袈裟な身振りで続けた。クスクスとどこかから笑いが漏れ、それが少し先生の怒りを和らげたようだ。再びアレンの耳元に近づき、低く、ねっとりと囁く。

「王太子殿下。忙しいのは分かるが、だからと言って最前列で寝るなんてなあ……」

アレンの耳にその声が突き刺さる。ユイ先生の声が、怒りを込めつつも不思議な魅力を持っているせいか、アレンの心はなかなか落ち着かない。

「私の授業はそんなに退屈か?アレン!」

 ユイ先生は、手に持った愛杖を床に軽く叩きつけ、その反動で背筋を正す。その仕草がまた堂々として美しい。胸元にたわわに揺れる二房と、ブロンドのハーフアップの髪型が微かに乱れるのを見て、アレンはつい目を奪われてしまう。

 ──いやいや、いま目を奪われる場合じゃない。

 先生は、妖艶な雰囲気を漂わせながらも、教務用の白いブラウスと黒いパンツスカートにきっちりと身を包んでいる。怒りの気配を湛えているはずなのに、声も姿も目を見張るほどの美しさだった。

「全く……授業の準備がどれだけ大変か、分かっているのか?カリキュラムを考えるのも、クラス全員の進度を調整するのも、骨が折れるんだぞ!ましてやお前は、いずれこの国を背負う王だろう?そんな調子で良いはずがない!」

 ユイ先生の声が高まる。内容そのものは手厳しい叱責であるはずなのに、寝起きのアレンにはうまく頭に入ってこない。むしろその艶やかな声にぼんやりと意識を引っ張られてしまう。

 何とか言い返そうと口を開けた瞬間、不意に窓から吹き込んだ熱風が、細かい砂を伴ってアレンの口内に飛び込んできた。

「──ごふっ!」

 苦い飴を砕いたようなザラつきが舌に広がり、さらに寝起きの口内の粘つきが重なって、不快感が一気に押し寄せる。アレンは慌ててちり紙にそれを吐き出し、涎の通った顎先をなんとか拭い取った。

 クラス中の視線が一斉に自分へと注がれているのを感じた。教室に漂う微妙な空気──王太子である自分のこの失態、さてどう収めるべきか。アレンは深く息を吸い、何とか平静を装って口を開いた。

「ズッ……いばせ……エンッ!……ダァッくっカッ……ッピイイイ」

何とか体勢を立て直したつもりだったが、緊張からか言葉がどもり、さらに砂の一粒が喉に残っていたせいで咳き込んでしまう。

 ──笑うなよ、誰も笑うな……!

 祈るような思いだったが、その静けさを破るかのように、教室のあちこちでくすくすと笑い声が漏れ始めた。それは次第に膨らみ、とうとうクラス中に広がる笑いの渦となった。

 アレンは顔が熱くなるのを感じながら、ぎゅっと拳を握りしめた。笑い声の中には、明らかに嘲笑の色も混じっている。王宮での育ちを指摘されることは少なくなかったが、今の自分はただの失態を晒した生徒に過ぎない。

 胸の中のぐるぐるとしたヘドロのような感情をなんとか収めようとした時だった。

「ユイせんせ。俺ら、王立学院の選ばれし秀才っすよ。高等部三年にもなって、歯の授業とか正直、退屈でしゃあないっすわ。もっと派手なの、やりましょうよ」

 ハーフエルフでありながら、クラスのリーダー格を務めるラッツの声が、静まり返った教室に大きく響いた。短く切り揃えられた銀髪を指でかき上げながら、彼は翡翠色の目を細め、悪戯っぽくアレンに目配せをする。

「ほう。ラッツ君は、歯学が地味だと言うのかね」

 ユイ先生が杖を地面に軽く突き立てると、かすかな音が響く。その仕草は次なる「獲物」を見つけた狩人のようだ。杖を握り直してラッツに近づく彼女の姿を見て、アレンは脳裏に蘇る記憶を抑えきれなかった。あの杖が振り下ろされる予備動作だと、ラッツ自身から教わったことを。

 ユイ先生──この国どころか、世界でも指折りの治癒術師と名高い彼女は、重傷を負った兵士をも救い出す奇跡の術式を操ると噂されている。だが、そんな彼女が好んで振るうのは物理攻撃だった。その杖は、筋骨隆々の男の右腕と左腕を無理やり接着剤で貼り付けたような異様なデザインをしている。しかも、独りでに動くという不気味な噂まである。

 ユイ先生の注目がラッツに移ったおかげで、アレンはようやく胸をなでおろした。額やうなじに浮かんだ汗をそっと拭いながら、彼はほっと息をつく。つい笑みを浮かべてしまったが、隣の席の女子と目が合い、慌てて真顔に戻そうとした。しかし、それも一瞬遅かったようだ。

 隣の女子は、アレンの表情を見て軽く白い目を向けると、何かつぶやいてから再びラッツの方に視線を戻した。物理的には手を伸ばせば届く距離だが、そのわずかな空間がとても遠く感じられる。それでも、アレンはラッツを心の中で応援しつつ椅子に腰を落ち着けた。どうやら、ユイ先生がラッツの机にたどり着いたようだ。

「だって、ちまちましてるやないですか」

 ラッツは頭の後ろで手を組み、体を大きく反らせて見せる。その瞬間、ユイ先生の杖に取り付けられた「右腕」が襲いかかったが、ラッツはそれを紙一重でかわし、余裕の笑みを浮かべてみせた。

 教室内の誰もがその光景を息を呑んで見守る中、アレンは内心で思う。「さすが、我がパーティのタンクだな」と。回避技術を身につけたラッツの姿に、いつか回避型タンクとして成長してほしいという勝手な将来設計まで描いてしまう。

 机の下で足を組み、椅子の後脚だけで器用にバランスを取るラッツ。その誇らしげな姿を、ユイ先生の鋭い視線がじっと捉えていた。

 ユイ先生は、薄く笑みを浮かべたまま、杖の勢いを緩めることなく、手首を滑らかに返した。その動きは水面を流れる魚のように滑らかで、杖の反対側に取り付けられた「左手」がラッツの顔面を正確に捉えようと襲いかかった。

「解剖を学び、記憶すること──それは、治癒術師としての極みに至るための第一歩だ」

「……なんすか、それ?」

 急に飛んできた攻撃と意識外の言葉に、ラッツはぽかんと口を開けたまま、まるで豆鉄砲を食らった鳩のような顔をする。

 その瞬間、杖の左手が正確に彼の頬を打ち抜き、ラッツの体は椅子ごと後ろに大きく揺れた。後ろの机に後頭部をぶつけた彼は、そのままぐらりと仰け反り、後ろの女子生徒に「アヘ顔」とも言える表情を見せつける羽目になった。後ろの席の女子はわずかに眉をひそめつつも、椅子の背をしっかりと支え、足で座面を固定してラッツを支えた。その見事な対応に、アレンは心の中で感謝の意を送る。

 もしラッツが崩れ落ちてしまったら、事の発端の自分も無事では済まないだろう。

「今、思いついた言葉だがな」

 ユイ先生は杖の回転をふっと止め、音もなく床に下ろした。そして鋭い目を教室全体に向けると、淡々と続けた。

「解剖学を覚えなければ、いくら術式で身体を再構築したところで、出来損ないが生まれる可能性がある。それこそ、前歯の代わりに奥歯が並ぶような事態がな」

 その言葉を聞いて、アレンは思わず背筋を伸ばした。ラッツはというと、椅子ごと後ろの席から押し戻されると、痛みを感じるそぶりを見せながら左頬をさすった。あの一撃を受けた後も平然としているのは、さすが「タンク」を自称するだけある。

「先生、歯が何本か抜けた気がするんですけど」

 痛みに耐えかねたのか、ラッツは情けない声を漏らしながら口を半開きにする。その仕草に、教室中の視線が集まった。

「気のせいだ。それより聞こう、ラッツ君」

 ユイ先生は杖をゆっくりと構え直し、ラッツの顔を覗き込むようにした。

「顔面を魔族に吹き飛ばされた後、前歯の代わりに奥歯が生えたらどうする?」

「……今まさに、魔族にやられた気分なんやけど……」

「どうした?」

 杖が再び構えられるや否や、ラッツは椅子に座ったまま背筋をぴんと伸ばした。その姿は、背中に鉄板を仕込んだかのように硬直している。

「いや……それは、嫌っす。正直、キショいっすわ……てか、先生って一応ヒーラーっすよね?」

 ラッツの言葉に、ユイ先生は無言で答えた。杖を握り直し、ゆっくりとそれを抱きかかえるようにすると、教壇へと体を向け直した。その間も彼女の視線は、ラッツの頬にわずかに残されている。

 すると、ラッツの頬が淡い緑色に光り始めた。

「ほら、緑に光っただろう?もし失敗して、前歯に奥歯が生えていたら、赤色に光る仕組みになっている。ということは、ラッツ君の歯並びは正常というわけだ。よかったな」

 そう言うと、ユイ先生は教室全体を見渡し、朗々と宣言する。

「さて、授業を続けるぞ。アレン、後で職員室な」

 ユイ先生はラッツに当たった杖を丁寧に撫でながら、まるで悪戯を企む子どものような笑顔でアレンを見た。その仕草が何を意味するかは火を見るより明らかで、アレンはわずかに顔を歪めた。

 気配を消していたはずなのに、どうして見つかるんだ……。
 思いもよらぬ矛先の変更に、アレンは小さくため息をついた。

「ん?何か不満か?ならこうしよう。問題に答えられたら、職員室行きはナシだ。どうだ、挑戦するか?」

 振り返りもせず歩きながら、ユイ先生は片手を軽くひらひらと振ってみせる。その無防備な背中には、どこか罠を仕掛けた猟師のような余裕が漂っていた。

「……拒否権は?」

 アレンは自分でも驚くほど小さな声で尋ねる。意を決して聞いたつもりだったが、返ってきたのはあっさりとした答えだった。

「そんなもん、あるわけないだろ」

「じゃあ……なんで聞いたんですか」

 つい口を滑らせてしまった自分に驚きながら、アレンは顔をしかめた。普段なら心の中だけで呟く悪態が、どうしてか声になってしまう。焦る彼に構う様子もなく、ユイ先生は肩をすくめた。

「お前、遊び心って知ってるか?教育には大事なスパイスなんだよ」

 その言葉に、アレンはぐっと口を噤んだ。遊び心どころか、ただの加虐心じゃないか──そう心の中で毒づきながら。

 ユイ先生は教壇の端に到着すると、両手を軽くついて身体を支えた。そして目だけをアレンに向けると、ふと満足そうな笑みを浮かべる。

「では、問題だ。ドラゴンよりでかい口を持つって言われてる、かつての大魔王。その歯の中で、特に特徴的だったのは?」

 アレンは思わず心の中で小さくガッツポーズをした。昨日読んだ本の内容が鮮明に思い浮かぶ。これなら自信を持って答えられる!

「上の二本の糸切り歯、いわゆる上顎両側犬歯です。その見た目があまりに恐ろしくて、笑顔を見ただけで人が気絶した、って言われています」

 少し得意げに胸を張ってみせるアレン。しかし、教室全体の空気は冷ややかだった。黒板にはその答えが書かれており、どうやら既に授業で話された内容だったらしい。アレンはそのことに気づき、ドヤ顔を引っ込めた。

「うんうん、まあこれは寝てても答えられるだろうな。じゃ、次だ。その歯って、何層構造になってる?」

「えっと……三層構造です。我々エルフや人間と同じで、外側からエナメル質、象牙質、歯髄ですね。最外層のエナメル質は、その生物の中で一番硬い部分で……魔王の場合、その硬さは伝説の魔石『オルハレイコン』でも敵わなかったとか」

 黒板には書かれていない情報だったため、教室は一瞬でざわついた。さっきまでの冷めた反応が一転、クラスメイトの視線がアレンに集まる。その中には、少なからず尊敬の色が混じっていた。

「へえ、なかなかやるじゃねえか。お前、本当に十四歳か?顔も態度も達者すぎてムカつくわ」

 ユイ先生はそう言って笑ったが、その声に少し感心の響きが混ざっていた。そして、すかさず次の問いを投げる。

「じゃ、その歯をお前ならどうやって砕く?」

「えっ……それは、さすがに思いつきません」

 アレンは即座に首を振り、困ったように口をつぐんだ。

「だよな!」
 ユイ先生は得意げに胸を張った。

「これは私の持論だが、あの時代の技術は現代以上に発展してたって話だろ?そんだけ進んでりゃ、魔王だって歯科治療くらい受けてたんじゃないかと思うんだ。例えば──」


「そろそろ、そのへんにしといてやらんか、ユイくん」

 その声に振り向くと、目に飛び込んできたのは、レースのツインテカフスと桃色のツインリングヘア。そして、その真ん中に挟まれた小さな顔がこちらを覗き込んでいる。声の主は、肩から足首まであるくすんだ緑色のローブをまとい、教室の扉にもたれかかっていた。

「ちょうどこれからがいいとこなんですから、邪魔しないでくださいよ──って、ええっ!? アロポス相公様!!」

「堅い堅い。呼び捨てでええ言うとるじゃろ。みんなもな、ワシのことは適当に呼びゃええ。敬語なんぞ、タイパ悪いだけじゃからのう」

 教室がざわつき出す。「アロポス様!」「相公様!」と生徒たちが口々に叫び始めた。その様子はまるで学園のアイドルの登場だ。実際、彼女はアイドルそのものと言ってもいい。端正な顔立ちに、どこか独特な喋り方──そのギャップが生徒たちを虜にしている。

「申し訳ございません、アロポス様。でも、最長老の政を司るお方で──しかもご自身でも何歳か分からないと仰るほどのご長寿じゃないですか。エルフ族の習わしとしても、敬意を──」

 先生が平身低頭で言い訳をしている間に、桃色のツインリングが音もなく動いて先生の横へと滑り込み、明るい声で笑い出した。

「はっはっは!まだ堅いのう。外様だの、内様だの、そんなの関係ないわ!ほれ、近年の改革で外の種族もこの学園に来とるじゃろ。それに、ユイくんがエリオンにもたらした功績、ワシも見とるぞ。立派なもんじゃ!」

 笑いに合わせてツインリングがふわりと揺れる。その様子に生徒たちはますます盛り上がった。

「ま、確かにな。年かぁ──千年は軽く超えとるじゃろうよ。数えるのが面倒くさいてのもあるがな。それより、ユイくん」

 アロポスはひょいと手招きをすると、ユイを軽く屈ませて耳打ちする。ひそひそと囁かれたユイは、ちらりとこちらを見た。

「──というわけじゃ、ユイくん」

 アロポスは咳払いを一つすると、生徒たちに向き直った。

「ほれ、エルフ族の子らも、これから皆そうなる。長命じゃからな。ワシに言わせれば、みんなまだ卵よ、卵。可愛いもんじゃ。ま、そこのは別じゃがな」

 そう言いながら、アレンの方へウィンクを飛ばす。

「おかえりロポおばあちゃん!帰ってきてたんだ?何かあったの?」

 アレンが興奮気味に声をかける。彼にとってアロポスは最高の師であり、気心の知れた友だ。その存在が教室にいるだけで、居心地の悪さが霧散する感覚があった。

「ほれ、この通りじゃ。あだ名までつけてくれた。って、誰がババアじゃ!しばくぞこら。──ま、用件はここでは話せん。ユイくん、ちと借りるぞ」

 またか、と教室から不満の声が漏れる。「なんでユイばっかり」「ズルい」──そんなひそひそ話がちらほら聞こえたが、アロポスは気にも留めない。すでにアレンの席の横に移動して彼の腕をつかむと、二人まとめて窓の外へと転移してしまった。

「ちょっ、アロポス様!授業の進行が──それに、文化祭のクラス演劇のヒロインまで連れていかれたら、練習にならないんですけど!!」

「あー、補講はワシがやっとく!任せろ!それに、演劇の代役くらいユイくんで十分じゃろ。じゃあの!」

 教室の中の抗議もどこ吹く風。転移を繰り返しながら、アロポスはアレンを連れ去った。


 先生の絶叫と、みんなの歓声は、風にさらわれるように遠のいていった。かわりに、青空がどんどん広がって近づいてくる。

 二人は空の中で浮かび上がり、瞬いては消え、また現れる。アロポスの転移魔法のリズムは、どこか音楽のような心地よさを伴っていた。

「こうして上から見ると、僕らの国って本当に丸いんだね」

 空から国を見下ろすなんてことは、アレンにとって初めての体験だ。興奮を隠せず、声にまで弾みが出る。

「そりゃそうじゃ。ほれ、ど真ん中にあるのが、さっきまでおった学園都市じゃろ。ええご身分じゃのお前さんたちは」

 アロポスは軽い口調で言いながら、指先で下を指した。そこには直径10キロメートルにも及ぶ学園都市が広がっている。建物が迷路のように並び、その中心には象徴的な塔がそびえ立つ。

 アレンは思わず父から教えられた話を思い出す。「識字率が高く、学問の発展が国家の誇りである」「世界的にも高水準の教育制度を持つ国」──そんな言葉が脳裏をよぎった。

「でもさ、真ん中にあるせいで、どこに行くにも同じくらいの時間がかかるんだよな。近くも遠くもないって感じ」

 晴れ渡った空の下、北側に見える海が透き通るように青く輝いている。東西南の地平線はそれぞれ他国と接していて、国境の線が微かに見える気がした。

「それを贅沢な悩みと言うんじゃよ。それにな、学園祭の時期以外、部外者は学園都市に入れん。ショートカットもできんからのう。卒業したら、その便利さに甘えられんぞ?」

「そん時は、ロポのコネを最大限利用させてもらいます!」

 アレンが満面の笑みで言うと、アロポスは目を丸くして大声で笑い出した。

「なっは!小賢しいやっちゃの!でもまあ、そのくらい図太い方がこの先、生きやすいかもしれんのう」

 二人の声は風に溶けていく。青空の下、転移を繰り返しながら、彼らの旅はまだ続いていく。



次に瞬きをしたときには、そこは薄暗い木造のホールの中央だった。
ホールといっても、落ち着いた静けさとはほど遠く、混沌とした様相を呈している。

天井はおそらく十メートルはあるだろうか。その半分ほどの高さの本棚が、左右に幾重にも連なり、さらに天井からも同じように本棚が吊り下げられるように幻想的に浮かんでいる。

その中心に、ひっそりと置かれた一人用の木製の机と椅子。机の上には、花の蕾のような形をしたランタンが一つ、控えめな光を灯している。そのランタンが唯一の明かりだった。

周囲には、本棚からあふれ出した本が、所狭しと積み上げられている。本の塔は背丈を優に超える高さに達し、今にも倒れそうで倒れない、絶妙なバランスを保っている。その間にできた細い隙間から、人が通るのがやっとというところだ。

足元には、アプヤヤ産の手織りの絨毯が敷かれている。その繊細な模様が、ランタンの灯りで浮かび上がったり、闇に溶け込んだりを繰り返していた。何とも神聖で、不思議な空気を醸し出している。

世間一般から見れば異様な光景かもしれないが、驚きはしなかった。何しろ、ここには自室以上の頻度で通っている。ここは「ロポのダンジョン」、つまり彼女が管理する図書館なのだ。

ふと、どこからともなくアロポスが現れた。彼女はアレンの前を通り過ぎ、机の方へと歩いていく。

「何を語るにも、ここが一番じゃ。落ち着くのう、ここは。アレン殿下もそう思うじゃろ?」

桃色のツインリングからピンと飛び出たアホ毛を指に絡ませながら、彼女は満足そうな顔をして言った。その様子は、どこか自慢げな子供のようにも見える。

「殿下とかやめてよね。それにしても、ほんと小綺麗で、素敵な部屋だよね。僕も、この国ではここが一番好きかも」

「はん!?馬鹿にしたな?」

アロポスはぷくっと頬を膨らませ、腰に手を当てて睨みつけてくる。その姿はどう見ても子供そのものだったが、実際は御老体なのだから妙なものだ。

「してないしてない。それで、話って何?」

アレンは彼女の頭をぽんと軽く叩くように触れる。身長差があるせいで、遠目に見ればまるで年齢が逆のようだ。

「あっ、そうじゃった!すまねえ、すまねえ。最近忘れっぽくてな。認知症かのう」

アロポスは大げさにとぼけながら、机の近くに腰掛けた。

「やだなあ、おばあちゃん。夕飯ならおととい食べたじゃない?この国一番の頭脳が何言ってるのさ」

 調子を合わせて、顔を伏せつつやれやれと手を広げてみせる。

「むう、また馬鹿にしおってからに!」

アロポスは再びぷりぷりと怒るふりをしてみせたが、ふと真剣な顔になり、声を落とした。

「実はな、エリオン近郊で、侵入者がおったのじゃ」
 視線を戻した時には、机の上にいたアロポスの姿は消えていた。どうやら本の塔の中に潜り込んでしまったらしい。

「学園祭の関係者じゃない侵入者が二人おってな。捕まえようとしたんじゃが、奴ら、火炎魔法で自死しおったわ。危うくわしまで巻き込まれるところじゃった。相当なやり手じゃぞ。はあ……悩みが尽きんわい。最近はタンラン周辺もきな臭いしのう。また戦争じゃなきゃいいが。……ところで、夕飯は毎日出せよな。ボケが古典的じゃの、どこで覚えた?」

アロポスの声だけが本の塔の陰から響き、唐突にツッコミを入れてきた。

「物騒だね。その侵入者ってどんなやつだったの?それとタンランって、西の大国だよね?あのお金にうるさい国?ボケはロポの本棚にあった小説に書いてたよ」

「二体とも、頭から足の先までまるでわからん。死体を見ても、炭化しすぎて男か女かも判別できんかった。……そうじゃ、タンランは西方の国。金の亡者の巣窟と言われるだけある。奴らは魔物の使役具を独占しとるから、金なら腐るほどあるはずなんじゃが、それでも足りんらしいわ。……それにしても、有害図書はロックをかけているはずじゃが?」

「手がかりなしってことか。らしいね、父様も言ってたよ。『歩けば銭の音がする国』だって。それにタンランと交渉するなら、まずコストの話をしろ、ともね。……あ、そうだ。規制って突破するためにあるんだって偉い人が言ってたっけ」

「やかましいわい。一応、一体は国の鑑定治癒術師に依頼をかけておるが、あの有様では望み薄じゃろうな。それにしても、もう一体は……。まあ、あの国のネームドの噂も絡んでおるようじゃがの」

「ネームド?」

思わずぽかんとしていると、アロポスが机の反対側から呆れた顔をこちらに向けてきた。

「む?ユイ先生に習わんかったのか?」

「最近忙しくて……寝ちゃったんだよね。それにロポの話が面白すぎて」

「感心せんのう。それに、わしを言い訳に使うでないわ」

「言い訳じゃないよ!本当に楽しくてさ、夢中になっちゃうんだ」

アロポスは一瞬困ったような顔をしたが、やがて肩をすくめた。

「……仕方ないのう。ネームドというのは、諱付きの武具のことじゃ。プラド、ニエフ、タンラン、アプヤヤ、グラニト、ヴァジ、バルバイトの七つの国が一つずつ持っておる。どれも国の礎となるほどの力を有しており、知性まで備えとるとされる。一説では、創世記の時代から存在するとかのう」

「エリオンにはないの?」

「わしの知る限り、ないのう。……まあ、わしがネームドみたいなものかもしれんがな!」

「それはどうかな」

軽口を叩こうとした時には、アロポスはまたいつの間にか本の塔の中に姿を消していた。

「ちなみにじゃが、当のタンランのネームドは『ゴルド卿』と称されとる。黄金を操るとかなんとか言われとるんじゃ。お主もいずれ王子として外交するじゃろうから、知っとけ。とはいえ、ネームドの詳細はどの国も国家機密じゃが、あのタンランだけは妙に情報が出回っとる。内部からリーク情報を売る輩がいるらしいわ」

 どこにどう隠れたのか、声だけが届く。アレンは仕方なく椅子に腰掛けて、また戻ってくるのを待つことにした。

「やだねえ、金、金ってさ。そんなに金が大事?」

 半ば独り言のように問いかけた。アレンは本棚の隙間を覗き込んでみたが、中はびっしりと本で埋まっていて、どうにも手を出す気にはならない。これを触って崩したら、確実にアロポスに文句を言われるだろう。

「金が全てじゃとは言わんが、ある側面ではそれもまた事実じゃ。タンランは特にその典型じゃろう。我らがエリオンに近いこともあって、あの国の動きは見過ごせん」

 今度は後方から声がした。どうやらアロポスは、寸分違わず空間転移を繰り返しているらしい。あまりの高度な技術に少し眩暈を感じたアレンは、机に手をついた。その先にあった一冊の本にふと目が留まる。表紙には薄着の女性がポーズを決めている。

「……これも大事な資料ってやつ?ロポ、こんな本まで読んでるの?」

「ん?ああ、それか。参考資料じゃよ……隠しておいたんじゃが、忘れとったな。あ、あったあった!これがその手がかりじゃ!って、うわあっ!」

 突然、アロポスの悲鳴が響いた。同時に右前方の本の塔が派手に崩れ落ちる。

「ロポ、大丈夫!?」

 アレンは慌てて読んでいた本を机に叩きつけるように置き、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

「ふう、危ないとこじゃった……。む?椅子はちゃんと起こしておけ。それから、本は丁寧に扱え。この部屋の資料はどれも貴重なんじゃからな」

 下敷きになったはずのピンク髪が、いつの間にかアレンの真横に立っていた。あまりの瞬間移動ぶりに驚いて声を上げてしまう。

「うわっ!もう、いいけどさ!とにかく気をつけてよ、ロポ!」

「む?まあ後で積み直すからええわ。それより、これを見てくれ」

 アロポスが手元の紙束をひらりと宙に放ると、それはゆっくりとばらけて、一枚ずつ目の前の空間に整然と並んだ。焦げ跡が残る紙が何枚かある。アロポスがその中の一枚を指差すと、そこにはタンラン語でこんな記述があった。

『エルフの国、エリオン周辺で瞬間的に極大な魔力反応を検知。数秒で消失。』

「極大な魔力……?それが消えた?まさか……」

「ああ、そのまさかじゃと、わしも睨んでいる。このタンラン語の紙は、さっきの侵入者から唯一回収できたんじゃ。一緒にこれも焼こうとしたんじゃろうが、熱風で飛ばされて逃れたようじゃわ。ただ、ところどころ焼け落ちとる。ある程度復元に時間がかかっての。読了次第、ワシの独断で、すぐさまタンランとエリオンの間をくまなく捜索したのじゃが、特に得るものはなくての。タンラン側が何を企んでいるかわからぬ。が、よからぬことじゃろうて、悟られんように戻ってきた」

アロポスは、人差し指を何度も、紙に叩きつける。イライラしているときのロポの癖だ。

「謝ることがある。殿下、申し訳ない。先ほど一体の遺体は鑑定治癒術師に依頼をかけたと言ったが、もう一体は何故か跡形もなく消えとった。誰かを使わしてなんとしてでも周辺を探索し、回収するべきじゃったが、殿下も分かっとるように最近国内も信じれるものが少ない」

「え、誰がどうやって……。見間違いじゃないの、ロポ。実は一人だったとか」

「ワシが駆けつけた時は、すでに爆炎魔法の詠唱中で、詠唱時の光が二人分のシルエットをしていた。あまりに光の苛烈さに、魔法の威力を鑑みて、少し離れた物陰から観察していたんじゃが、見間違いではないはずじゃ」

「そうか。でもそれを聞く分には、侵入者の同士討ちってこと?」

「殿下。シルエットしか見えなかったのじゃ。他国同士の小競り合いも可能性がある。周辺施設の管理者の可能性も考慮して、連絡はしているが、今の所返事はない」

「いずれにしても、良いことはないって話ね」

「ああ。至急調査せねば。して、その紙の続きじゃが、その魔力は、各国が有する最大の軍事兵器⦅ネームド》に匹敵、またはそれ以上じゃったとつづられている」」


「そんな魔力!我々が気づかないわけがない!」

「それが、そうでもないんじゃ。観測された日付を見とくれ」

 観測日は、四年前の八月一日だった。

「ボクが十歳の時の夏、そうか。お父様が」

を思い出し、声が上擦ってしまう。

「そうじゃ。国王が、凶刃に抗った日じゃ。辛い思い出をぶり返して申し訳ない。ワシもあの時、不在にしていたとこを、今でも悔やんでいる。あの日ワシさえいれば、ルイスは今も前線に立っとるじゃろうに」

 アロポスは、肩を落とし、顔を伏せて、いつになく落ち込んでしまった。

「大丈夫だよ。父様は、他国の使者とも会話できる様なくらいには精神面、肉体面ともに快復してきているしさ。たまたま現場近くにいたからって、国連平装から除隊してでも駆けつけてくれたユイ先生のおかげでもあるけどね」

 両手をアロポスの肩に置き、努めて気丈に振る舞った。ユイ先生は、ニエフが立ち上げた国際連合平和維持装置の元医務総監だった。立場が上すぎて現場担当ではなかったそうだが、エリオン国周辺にたまたま出張しており、エリオン国王暗殺未遂の報をきき、いち早く駆けつけてくれた。

「そうじゃな。医務総監という立場を捨ててまで来てくれたユイちゃんに改めて感謝せねば」

 きらりと目の淵に光るものを溜めながら、アロポスは笑顔を作ってみせた。国の砦、要など言われてきた彼女だ。責任を感じているのだろう。

「確かにこの日なら、国中、いや世界中が混乱していたからね。気づかなくても、訳はないか」

 アレンは無意識に、ため息を漏らしていた。

「そうなんじゃ。そしてこの魔力の正体だがおそらく」

「「封牢か」じゃ」

 二人の声が。一つの単語でユニゾンする。

 その響きは、薄明かりの図書館に仄かな暗い影を落とした。





 数刻の後、アレンとアロポスは、エリオン王城の謁見の間で玉座の前に跪いていた。二人とも面を伏せたまま、アロポスは神妙な顔をして、アレンは浮かない顔を貼り付けてる。

 アレンは、内心ではどこか嵐がやってくる時の様な気分で浮き立っていた。玉座には、希少な毛皮で作られたマントを大きく広げたでエリオン国王陛下──父様が座している。

「──して?その話は確かか?アロポス」

複数の輸液パックを頭上にぶら下げ、生気は少ないが威容のある声で父様はアロポスを問い詰めた。輸液パックは虚空にまるで水に揺蕩う様にぷかぷかとしている。

 金細工の意匠が施された大きな椅子は、病床の父でも無理のないように、ニエフの凍土に住まうとされるネームド級の魔物の毛皮を誂えている。それは、どんなにぐずる赤子でもたちまち眠りにつくと言われている幻の逸品だ。

「試行回数が極端に少ない。推論に過ぎんがね」

アロポスは無い髭を撫でてアレンに目配せした。

「陛下、ご提言よろしいでしょうか」

 跪いたままおずおずと右手を挙げた後、父様に顔を向けてしっかりと目を見据える。

「…なんだ。申してみよ」 

父様は、我々を睥睨した。

「恐れながら、少数精鋭で禁足地、並びに封牢への巡検、及び当該区域との番人との面会を進言いたします」

「ならん。先祖代々より、何人たりとて封牢の調査は行わせなかった。あそこには厄災が眠っているという言い伝えがある。パンドラの箱は開かなければ、パンドラの箱、足り得んのだ」

 父様は、睥睨したまま、わずかに憐れみの表情を浮かべた。封牢を抱えたまま国王にならんとするアレンに対する憂慮なのか。

「頭が固いぞ、アラリック。結局、この年になるまで、問題を先送りにきてきただけじゃ」

 父様の側近が、アロポスの無礼さに、鞘に手を当て身を乗り出すが、父様が横目をやり手を軽くあげ、遮る。

 そのやりとりを懐かしげに見たロポが、息を大きく吸ってさらに続ける。

「タンランだけでなく諸外国が、虎視眈々と、封牢に眠るネームド級のを狙っている。先んずれば人を制す。川越えて宿取れ。旨いものは宵に食えというだろ」 

「旨いものではなく、不味いかもしれん。それに、川は涸れ川かもしれん」

「それこそパンドラの箱は、ギフト・ボックスかも知れんしな。今日の一針、明日の十針じゃ」

 われわれを飲み込まんばかりに大きくみえていた父様は、みるみるうちに縮こまっていった。

「体調が悪化しそうか?まぁ大事な、加えて、予言の子、だしな」

「予言って」
アレンが発言しようとすると、父様は声を張り上げた
「あの予言は関係ない!!!」

父様は立ちあがろうとして大きく咳き込んだ。

臣下たちがささえようと姿勢を崩すが、父様は手で制して、話を続けた。

「アレンは、嫡男たるアレンには、我々、エルフの王になってもらうのだ……。いずれエルフが世界を統べるためにも、各国の七つの柱と共に……。人類に任せていては、いずれ世界は滅ぶ。人は愚かだ……。賢者たる我々が、持つものが、持たざる者に、尽くさねばならぬのだ」

父様の顔色は明らかに悪くなっていった。

「ノブレスオブリージュの精神はご立派だが、人が我々より劣っていると?たかたが何千年か長生きなだけで、それは傲慢とは言わないのか?短命種は我々にはない進化を遂げるぞ。一世代の時間が短く、個体数も多い。短期間で新しい形質をもつものが突然変異で生まれでる確率は、我々よりも非常に高いのじゃ。独自の発展をとげるかもしれん。彼ら、ならではのな」

「……ぐッ!!いくら相公様といえど!それ以上は許さぬ!」

側近が抜剣しようと、構えて、隊列を乱した。

「もう、いいでしょう」

黙って父様の側に控えていた母様が鶴の一声でその場を収めた。

「もう十分だわ、アロポス。アレン、私たちはお前が大事なの。よく分かって」

母様の隣で、アレンの弟である四男がしかめ面をしてこちらを睨んでいるのが目に入ったが、目線はくれずにじっと母様を、みつめた。

「十二分に。承知しております。ですが、やらねばやられると口酸っぱく私にご教示にしてくださったのは母様たちでは。強くあれと」

「それは…」

「そろそろ子離れする時間だ。二人とも」

「この子じゃなきゃいけない理由はあるのか」

「いくつかワシが読んでいる線がある。その一つであればあるいは」

ふーっと長いため息を、父様が謁見の間に吐き出した。

「……アレン、アロポス、両名に禁足地への巡検ならびに、封牢の調査を許可する」

「やった!父様ありが……あ!……陛下。感謝申し上げます」

「もうよい。くずせアレン。そなたたちには負けた。病が悪化してしまうわ。はっはっは」

「あなた…」

わずかに、場の空気が明るくなった。

「ふふ、アレンに感化されたかね。アラリックたちよ」

「まぁ、我々を字名で呼ぶのは世界広しといえど貴方だけよ。アロポス」

「お前らの息子も、唯一ワシをあだ名で呼ぶよ」

「似たもの同士だね。ロポ」

「なっはっは。敵わんのう」

ひとしきり笑い合ったあと、父様は顔を作り直し、兵達に厳しい顔を向ける。

「水面下で進めよ。箝口令を敷く。お前たちここでの会話は他言無用だ。無論一字一句な」

「ハッ!!!ブラッドオブエリオン!!」
兵たちは姿勢を正して、掛け声を出し、最敬礼をした。




────────────────





「──であるからして、お前ら駆け出しの生徒どもでは、太刀打ちは絶対に不可能だ。俺でさえ、逃げるのがやっとだ。封牢には、絶対に近づくな以上だ」

図書館でのアロポスとの会合、王との謁見が昨日のことである。

 講壇では深緑のショートボブの女性が、マイクに齧り付き、演台の両端を掴むようにして両手を置いてる。そして、鋭い眼光を両目から放ち、我々生徒に睨みをきかせていた。

 ここは特別講堂であり、高等部の全校生徒千人が余裕を持って座ることのできるキャパシティを有する。はるか昔から存在し、今もなお文化遺産として厳重に管理されており、厳かな雰囲気である。

 アレンとアロポスは、国王から認可がおりて、すぐに封牢の赴き、封牢の第一人者である彼女に接触した。アロポスがいう周辺施設は封牢のことであり、管理者とは彼女のことだった。

「彼女が無事で、良かったには良かったんじゃが……」

講義をしてくれとは頼んだが、生徒を恫喝してくれとは一言も伝えていない。

「あ、あのう…ふぇ」

講堂の左前方から、おそるおそる震える手が挙がる。マイクランナーが即座に駆け寄り、さっとマイクが手渡される。

「そこの。なんだ」

 演台を今にも握り潰そうとしている彼女は、目線だけ一瞥をして、演台から垣間見える柔和なボディラインとは別のものにみえ、ちぐはぐにみえた。

「ふぇ!?……あの、三回生、熾組しぐみセシルと申します。なんの講義にもなっていなかったんですが。結局封牢には何が封印されているんでしょうか……ふぇ」

 質問をした彼女の言葉で、講堂全体に一気に緊張が走る。今にも消え入りそうな声で、核心を突く質問をした彼女は、高等部三回生の次期⦅エレメンタラー》と期待されているセシルだ。なかなかに厳しい一撃だが、教卓の女ヤクザはどう出るのか生徒が注目した。明日の朝日を拝めず、近くの湖に沈められやしないかみな固唾を飲んだ。この場の全てが、セシルの双肩にかかっているように思えた。

「んな!な!なんで!セシルちゃん、わかりやすかっただろう!?それに何が封印されているかは、国家機密!トップシークレットなんだ!」

 張り詰めていた緊張の糸は、思いがけない変な方向に切れていった。今にも折れそうになっていた演台は、彼女から解き放たれ安堵するように音を立てた。

 手を離し、その両手を頬にあて、先ほどのヤクザはどこへやら、彼女は赤面し、慌てふためいた。セシルは、そこに容赦ない言葉を浴びせる。

「このニ時間で伝わったのは、次の四つですぅ…。ひとつめはぁ…、【封牢にはネームド級の何かが、エリオン発足と同期間封印されており、世界戦争の抑止力となっている】。ふたつめはぁ…、【封牢は、禁足地のさらに奥にある岩山のどこか】。みっつめはぁ…、ふぇえ【外国からの侵入は不可能であり、中に入るにはエリオン国内からでないといけない】あとはぁ…【封牢には世界でトップクラスの強さをもつ番人がおり、癒着を防ぐために三年に一回、各国から派遣され交代している。貴方はそこの番人であり、何人たりとも封牢には近づけさせない】ですぅ」

 伝えたいことはシャキッと言いなさいとセシルは周りからこっぴどく怒られているため、要点だけは別人のようにスラスラと淡々と話す。要点以外は腑抜けた声のため、初めてセシルと話す人は面を食らうだろう。赤面した彼女も例外ではなかった。

「え、ちょっと!でも!セシルちゃん、私は先生でもなんでもない!ただの番人なんだ!仕方ないだろう!?」

 両手をバタバタさせ、髪の毛を振り乱し、目の涙を溜めながら、今度は我々に慈悲を訴えるように懇願する。決着の時だった。

「慣れない先生役をかってくれてありがとのう、キャミィ!また、上手くまとめてくれたのう、セシル!とういうわけじゃ!みんな封牢には近づいてはならんぞ!何かあってからでは遅いからの!では各自解散じゃ!」

 いつのまにか講壇に立っていたアロポスが、パンパンと手を叩き講義の終わりを合図した。

 なんだか狐につままれたようだが、ニ時間強の講義にほとほと疲れた生徒たちは、ぶつぶつとなにか文句を垂らしながら各々離席していった。

「なんでこんな長時間の枠にしたんだ!ロポ!」
生徒があらかたいなくなったことを確認してから、唾を飛ばす勢いでキャミィは喚いた。

 キャミィを労うためと、アロポスを怪力から守るために、アレンも講壇に登った。

「話したいことが沢山あると思っての。ワシの早とちりじゃて。堪忍じゃ」

 アロポスはべろをちろりとだし、ウィンクする。このあざとさは、封牢周辺の恐ろしい魔物ですら許さざるを得ないだろう。

「……ハァ……セシルちゃん怖すぎ。山籠りする百倍は疲れた。そもそも普段一人きりで、独り言もままならないのに。こんな大勢の前で話すなんてできなかったんだ」
 
 先ほどのキレはどこへやら、キャミィは講壇の隅っこに向かい体育座りをしてしまった。封牢の番人が纏う強者の雰囲気はそこには無く、まるでアロポスより小さな少女がいるように錯覚する。

「ぼ、ボクはすごくわかりやすかったですよ。封牢の位置とか大まかにあそこかなあって検討つきましたし」

 あまりにキャミィが不憫で見てられなくなったアレンは、顳顬《こめかみ》に人差し指をおき、フォローの言葉をどうにかして絞り出す。額の汗が垂れてくるのを眉毛を持ち上げて、落ちないようにした。

「それはむしろ分かってはいけない気がするんじゃが…」

アロポスが虚空に呟く。余計なことを言わないでくれと目で訴えた。

 すると、講壇の隅にいたはずのキャミィが顔を、目で追えない速度で上げて、距離を一瞬にしてつめてアレンの目の前で満面の笑みを振りまいた。

「ほ、それは本当か!だろう!昨日寝ずに原稿を考えたんだ!その甲斐があったよ!!」

「あれで寝ずに考えたんだ……素敵な講義でしたよ……はは…はははは」

まさかあの内容で徹夜かよとは口が裂けてもいえず、目が泳いでしまった。だが、そんなことには気づきもせず、調子を得たキャミィは見るからにはしゃいでいた。

「だよな!だよな!お前、わかってるガワだな!」

 女性らしいグラマラスな体型とは裏腹に、がははと笑いながらアレンの背中を粗雑にバンバンと強く叩くキャミィは、封牢の番人の名に相応しい力をアレンの体にこれでもかと示した。

 アレンの背中の、手の形をした発赤は、ヒリヒリとした灼熱感とともに、数日間消えることはなかった。

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