オーバーフロー・エゴイスト

端野ゼロ

文字の大きさ
3 / 3

シュレッダーの儀式

しおりを挟む

午前9時27分。

オフィスフロアの二酸化炭素濃度は720ppmまで上昇していた。
それは、出社してきた同僚たちが吐き出す「安堵」と「期待」が混ざり合った、粘り気のある気体の集合体だった。

私の視界には、彼らのバイタルデータが熱源として表示されている。
「厄介者が消える」という共通の認識が、フロア全体の平均体温を0.2度上昇させていた。
私という「異物」が排除されることで、この組織のホメオスタシス(恒常性)が維持されようとしているのだ。

私は私物の整理を開始した。
段ボール箱の容積は0.03立方メートル。
そこへ収めるのは、最小限の機能を持つ文房具と、数冊の専門書のみ。
思い出や愛着といった非論理的な変数は、私の持ち物リストには存在しない。

    [動作ログ:機密廃棄プロセス開始]
    [対象:過去半年の全演算ログ及び構成案]
    [廃棄手段:物理細断(シュレッダー)]

私はデスクの袖から、大量の機密書類を取り出した。
フロアの隅に設置されたシュレッダー、モデル名『MS-500』へと歩を進める。
定格細断速度は毎分約4.5メートル。
刃の回転音は68デシベル。
先程の空調音とは異なり、この破壊の音には一貫した周期性があり、私の聴覚を逆なですることはない。

私は書類を投入口へと滑り込ませた。
ただ捨てるのではない。
特定の「順番」と、給紙口に対して正確に15.8度の角度を維持しながら 。
さらに投入の間隔を1.2秒刻みで調整し、クロスカットされる紙片の重なりを制御する 。

傍目には、退職前の人間が義務的に行っているシュレッダー作業にしか見えないだろう。
しかし、私の脳内では、細断された紙片がゴミ袋の中で形成する幾何学的な堆積パターンがシミュレートされていた。
それは、特定のアルゴリズムを用いれば**復元可能な「因果の断片」**として、袋の底に積み上がっていく 。

その時、背後に気配を感じた。
距離1.2メートル。
清掃員、斉藤さんだ。
彼女はこの組織において「透明人間」として扱われているが、私にとっては「清掃という機能を完璧に遂行する構成員」として唯一の敬意対象だった。

私は彼女と視線が交差した瞬間、42度の角度で会釈を返した 。
言葉は不要だ。
彼女が私の「機械的な敬意」を理解していることは、彼女の瞳孔がわずかに散大し、口角の筋肉が1ミリ上昇したことで確認できた 。

「……まだ、ゴミを散らかしているのかね。茅野君」

背後から届いたのは、佐伯常務の「脂っぽい」声だった。
彼の歩行周期は乱れ、カフェイン過剰摂取による微細な手震えが、カップの中でコーヒーの液面を波立たせている。

私は最後の一束をシュレッダーに送り込み、デスクに残った最後の一枚を手に取った。
そこには、私が今朝まで取り組んでいた「STR戦略研究所」を救うための、わずか3行の数式が記されている。

    Optimize(System) = min ∑ (Redundancy + Error_Rate) 1. input = Observe(Reality) - Human_Bias; 2. pure_logic = Filter(input, is_noise); 3. return Optimize(pure_logic); 

「それは何だ? また私の判断にケチをつけるための、意味不明な落書きか」
佐伯が私の手元をのぞき込み、鼻で笑った。

「……いえ。この組織から『感情』という名のバグを濾過し、処理速度を15%向上させるための最適化関数です」 

「フン、相変わらず可愛げのない女だ。そんな紙切れ、この会社には必要ない。さっさと捨てろ。ゴミを残していくな」 

佐伯は私の手からそのメモをひったくると、くしゃくしゃに丸め、足元のゴミ箱へ投げ捨てた。
丸められた紙がプラスチックの底に当たる乾いた音が、フロアに響く。

「……ええ。それはゴミですね。価値を理解できないあなたには、不要なものです」 

私は淡々と答えた。
脳内では、捨てられたメモの座標が確定される。
座標(X:142, Y:88, Z:12)。
ゴミ箱の底に横たわるその「最適化の種」は、いずれこの会社を、そして佐伯自身を解体するための**「論理の死刑宣告」**として機能することになる 。

私は段ボール箱を抱え、静かに立ち上がった。
背後で佐伯が、勝利を確信したような「低解像度な笑い声」を上げている。

オフィスを出る間際、私は一度だけシュレッダーのゴミ袋を振り返った。
そこには、不自然な角度で結ばれた袋の結び目と、誰にも気づかれないまま捨てられた最強の武器がある。

「デバッグ、フェーズ1。完了」 

私は、世界を正しい形に書き換えるための戦場へと、足を踏み出した。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他

猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。 大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

処理中です...