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[5] 試験

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 その日、朝目覚めてりっちゃんはいつも通りに遊びに出かけようとしてたので、私は腕をつかんでとめた。
「ちょっと待って、今日は試験の日だよ」
 りっちゃんは私の言葉を聞くと、とりあえず抜け出そうとするのをやめてから、そんな単語生まれて初めて耳にしたとでも言うように顔をしかめて言った。
「しけん……?」
 ひょっとして何も覚えてないのか。
 まさかそんなことがありえるだろうか。だってじゃありっちゃんはこの2年間なんのために努力をしていたのか。何の目標もなしにひたすらに修行の日々を繰り返していたのか。
 ちょっとどうかしている。まあただ楽しんでただけだったという可能性はある。

 説明するのが面倒だったのでそのまま院長先生のところまでひっぱっていく。例によって例のごとく、院長先生は裏庭にいて、芋畑に水をやっていた。
 おはようの挨拶をかわしてから、私は言った。
「今日は試験の日ですよ」
 院長先生はゆっくりと振り返ると怪訝そうな顔をしてそれにこたえた。
「しけん……?」
 どいつもこいつも!

 むしろ部外者と言っていい私は当事者2人相手にいちから説明してやって、それでようやく思い出した2人は結局その日にそのまま試験を行うことになった。
 試験内容はその場の思いつきで森の洞窟の奥に生えてる揺々苔をとってくることに決まった(ふりかけにするとおいしいやつ、今日の晩御飯にでてくるんだろう、多分)。
 なんかもうぐだぐだすぎる。

「洞窟に入るにあたって必要なものは?」
「おやつ!」
「300円までならよし」
「さんびゃくえん?」
「大量に持ち込んじゃダメってこと。他にいるのは?」
「えーと」
「洞窟に入ると暗いから」
「ランプだ!」
「正解。納屋に入ってすぐ左の足元に置いてあるから」
 なし崩し的に監視役として私がついてくことになってて、それは実に都合がよかったのだけれど、いろいろパターン考えてたのに全部無駄になって私はちょっとがっかりした。

 格好はいつもの軽装で、といっても毎日それで森をかけまわってるので問題ないはず、違うのはりっちゃんは左手にランプをもっていて、それから腰に古びた短剣を1本ぶらさげている。あと背中にリュックサック。
 なんだか締まらない、いつもと変わらない、特別感のないテンションで森に入って、まっすぐ目当ての洞窟まで歩いていく。その洞窟のことはよく知っている、浅いところまでしか入ったことはないけれど。
 ランプをともせばりっちゃんを先頭に暗闇へと分け入る。私はあくまで監視役、積極的に手を貸すつもりはない。どころか場合によってはひそかに妨害する予定。

 考えは変わってない、冒険者になんてなるもんじゃないと思う。
 私はそっと魔力をこめて風を洞窟全体にいきわたらせた。通常の魔力量なら考えられないことだが私にとってはなんら疲れることもない。
 おおよその構造を把握する。なるほど特に危険はないようだ。りっちゃんなら難なくやれるだろう。私は――どうすればいいんだろう?
 いざその時が近づいて不安になる。私は間違ってない……はず。

 いきなりくるりとりっちゃんは私の方を振り返った。
「スー、どしたん? なんかあった?」
「なんにもないよ。だいじょうぶ」
「そっか、なんか苦しそうだったから。だいじょうぶならいいや」
 りっちゃんはまた前を向くと暗闇の中をすたすたと迷いなく歩き出した。
 胸が痛んだ。

 私の幼なじみは何にも考えてないようで周りのことをちゃんとよく見てる。今だってそうだ。
 警戒なんてしてるように見えなかったのに、とびかかってきたコウモリに反応するとあっさり切り捨てた。あるいは単に規格外の速さで魔法を展開しただけかもしれないけど。
 どっちだ? 判断が難しい。
 分かれ道にでくわす。どちらに進めばいいのか、迷ったそぶりも見せずにりっちゃんは進んでいく。
 理由を尋ねれば「なんかこっちのほうがじめじめしてるから」と教えてくれた。水の魔力適性が恐ろしく高いりっちゃんならそのぐらい読み取るのは簡単なことなんだろう。

 大きな水たまりに出くわした。あるいは地底湖と呼んでしまってもいいのかもしれない。
 その違いは私にはわからない。わかるのはこれ以上進むには水の中を進んでいかなければならないということ。そんな準備はしていない、いやでも消耗する。
 りっちゃんの出した答えはシンプルだった。水たまりの表面に幅一メートルほどの氷の橋を作る。
 2人がのっても崩れない強度で。そういう繊細な制御もりっちゃんは得意だ。
 絶対にちゃんと計算とかそういうのはしてないけど。カンだけでそれを成り立たせてる。大丈夫なら大丈夫というやり方。

 強くなった。りっちゃんはこの2年でものすごく強くなった。
 多分、今住んでる街で一番強いんじゃないか。まあちょっとどうかしてる私を除いたとして。
 都会に出ればもっと強い人はいるかもしれないけど、それでも十分やってけるはずだ。問題なく。
 洞窟の奥底までたどりつく。私は最後まで答えを出せずじまいだった。
 壁面にはそこかしこに揺々苔が生えている。あとはこれを削り取ってもってきた壜に入れてしまえばおしまい。
 もうなんら難しいところは残っていない。苔を集めようと手を伸ばすりっちゃんを私はぼんやり眺めていた。眺めていることしかできなかった。

 するり――天井から素早く真っ赤な色をした長い舌がりっちゃんへと襲いかかった。
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