流れ星と暮らすワンルーム

尾松傘

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闇に一筋の光を

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 ホシミンは私が意地でも立ち直らせると約束し、陽太っちにはステラちゃんの捜索を頼んだ。
 しかし、本音を言うと、私の力でどうにかできるか不安だ。心を閉ざした人間に話を聞かせるのは、そう簡単なことではない。一度壊れた人間関係は、どうやっても元に戻せないこともある。
 実際、私は失敗した。間違い続けてきた。私が壊したもので、何一つ元通りにできたものはない。本来なら他人に説教していいような真っ当な人間ではない。
 私は自分の力だけで不安に打ち勝てない。強がってみせても、余裕ぶってみせても、やっぱり弱いままだ。
 でも、その弱さを補う術を今の私は知っている。私を変えてくれた人。いつも勇気をくれる人。

「先生、今いいですか?」

 木原先生は突然の電話に驚く様子もなく「どうしたんだい?」と温かみのある声を返してくれた。腹の底から出た汚い叫びも優しく包み込んでくれるような包容力のある声。私を救ってくれたあの日のままの先生だ。

「私、できると思いますか……? 先生のようになれますか……?」

 ひとつずつ順に説明する言葉を考えていたはずだったのに、不安が口を勝手に動かした。

「大変なんです。ホシミンが……私やるって言ったのに、怖くて……また駄目にしそうで。どうしたらいいですか? どうやったら先生みたいに――」
「私の真似はしなくていい。金森は金森のやり方でやってみなさい。私は信じてる」

 長く会話を続けることも、状況を説明することさえも必要はなかった。私の支離滅裂な言葉の羅列から、先生は私の気持ちを正確に汲み取り、私の不安を払拭するだけの力強い言葉をくれた。たった一言「信じてる」と先生が言ってくれれば、私はそれだけで無限の勇気が湧いた。

「ありがとうございます」
「じゃあ、いってきなさい」
「はい!」

 私は、ホシミンのアパートの前に戻った。心が決まらず、何度か通り過ぎて、近くをうろついたが、先生のおかげでやっと決心がついた。
 ここで彼を助けられなければ、私はきっと一生悔やむことになる。だから、怖くても不安でも、やらねばならないのだ。
 アパート横の階段を1段ずつ踏みしめて2階へ上がり、勇気を出して角部屋のインターホンを押した。しばらく待っても返事はなく、陽太っちから借りた合鍵を使って中に入った。
 カーテンを閉めているからか部屋は昼間にもかかわらず真っ暗だった。それと鼻をツンとつく臭いもある。
 入ってすぐに何かを蹴飛ばして、それはカラカラと音を鳴らして転がった。どうやら空き缶のようだ。空き缶は部屋の隅まで転がっていき、コン、と黒い塊にぶつかり軽い音を鳴らして止まった。
 黒い塊がモゾリと動き、低い声を上げた。

「なんで来たんですか?」

 それはうずくまったホシミンだった。寝巻きだろうか、黒いジャージを着ていて、髪は暗闇のシルエットでもわかるくらい酷い寝癖がついている。
 私はホシミンに声をかけるより先に、部屋をまっすぐに行き、カーテンを開けた。暗闇が裂かれ、部屋の中が見えるようになる。
 布団は敷かれたまま、脱いだ服やカップラーメンの残骸なんかがそこかしらに散らかっていた。荒れた部屋の中で、さっき蹴飛ばした空き缶が目についた。

「お酒、弱いんじゃなかったの?」
「むしろ弱いおかげで便利です。飲めばすぐに頭を軽くできる」

 見渡すと、酒は空き缶一つだけじゃなくて、焼酎の瓶やウイスキーのボトルなど、何種類も散らかっていた。どうりで部屋が臭うわけだ。

「母親みたいに酒に溺れてたまるかって思ってたのに……血の繋がりって強いですね。俺はやっぱり父と母と両方の性質を受け継いで生まれた子です。特に悪いところを色濃く継いでいます」
「悪いけど、私は両親とは似てないってよく言われるから共感してあげられないや」
「そうですか」

 私の話なんて興味なさそうな空返事だった。

「で、なんで来たんですか?」

 ホシミンは嫌悪感を露わに私を睨んだ。

「部員の面倒を見るのは、部長の勤めだからね」
「だったら退部届ください。もう籍を置く意味もないので」
「それは困るよ。ホシミンもステラちゃんもいてくれないとつまらないもの」
「俺なんて、いてもいなくても同じですよ。それにステラはもういません」
「……家出したんだってね。聞いたよ」

 ホシミンは溜息を吐いた。

「あいつ、話したんですね。なんて聞きました?」
「ステラちゃんがホシミンに迫って、ホシミンはそれを拒んだ」
「他人の話をペラペラと……まあ、もうどうだっていいか」

 何もかも諦めたといった具合にホシミンはヘラヘラとした笑みを浮かべている。この顔には覚えがある。問題を解決する努力を放棄して、他人の気持ちも自分の人生すらもどうなったっていいと考える人間はこうやって笑う。

「ねぇ、もうやめなよ」
「……何をですか?」
「嘘つくのやめなよ」
「嘘?」
「うん、本当はどうでも良くなんかないんでしょ? ステラちゃんも陽太っちも、ホシミンにとってまだ大切なもののはずだよ」

 自分を騙す嘘は他人を騙す嘘以上に厄介だ。何が自分の本心がわからなくなってしまうから。大切なものを失ったとき、最初から要らないものだったと思い込んでしまえば、一時的に楽になれるかもしれない。けれど、そうやって自分の中にある気持ちを捨て続けていけば、やがては自分が空っぽになる。ホシミンにはそうなってほしくない。

「あなたに僕の何がわかるんですか?」
「わからないよ」
「だったら――」
「だったら構っちゃ駄目?」
「……ええ、迷惑です」

 やはり、ホシミンは固く心を閉ざしている。ただ話しかけているだけでは、ずっと心を開いてくれないだろう。カウンセラーとかそういうプロの人なら上手くやれるのかもしれないけど、私にそんな力はない。
 こうなると、いよいよ強硬手段に出るしかない。できるのならお互いに傷つくことなく解決させるのが一番だけど、背に腹は替えられない。ホシミンを立ち直らせるためなら、私は使えるものはなんでも使ってやる。

「ねぇ、ステラちゃんはどうやったの? こういう感じ?」
 
 私は、そっと腕を伸ばしてホシミンの首筋を指で撫でた。

「触れるな!」

 頬に添えた私の手を払おうとホシミンは乱暴に腕を振ったが、私はそれを掴んで止めた。ぐっと身を寄せてみせると、ホシミンは縮こまった。健気に私の胸に体が触れないように避けている。
 
「ふうん、そんな風になるんだ。ホシミンみたいな男の子、初めて見たよ。可愛いね」
「馬鹿にするな……!」
「私から見れば、ホシミンは可愛いよ。意地張って悪ぶってるとことか」
「悪ぶってるだって?」
「そう、大切な人を傷つけた痛みに正面から耐えられないから、自分は元からクズな人間だと思い込んで、仕方がないと納得させようとしてる。好きでもないのに酒なんて飲んで、遺伝じゃなくてホシミンの思う悪い大人像を真似してるだけでしょ、違う?」
「違う! 俺は実際クズだ! ステラと一緒にいる権利なんてない最低な人間だ! だから、構うなよ……陽太もあんたも鬱陶しいんだよ。俺はもう俺だけで生きるから、頼むから放っといてくれよ……」

 怒りはもっとも純粋な感情だ。固く閉ざされた心の殻を破るには、ホシミンの急所を突いて、怒らせる必要があった。
 でも、ホシミンの心を裸にするには、まだ足りない。ホシミンに心を開かせるには、私が先に全てを晒さなければならない。

「私だってクズだよ。たくさんの人を傷つけてきたんだ」

 本当の私を見せて、ホシミンに嫌われないだろうか。そんな考えが脳裏をよぎり声が震えそうになるが、必死に耐える。

「私、セックスが好きなの」

 体育座りで顔を埋めた姿勢のホシミンの体がピクリと動いた。
 
「E.T.研にビッチがいるって結構噂になってるんだけど、聞いたことない?」

 ホシミンは、俯いたまま小さく首を縦に動かした。

「知ってるなら話が早い……私、恋人でもない人といっぱいヤッて、病原菌みたいに関わった人を次々と不幸にしていったの。歩く性病なんて言われたこともあったな。実際に罹ったことはそんなにないけど」

 きっと、ホシミンはまだやり直せる。もっと酷かった私が少しはましな人間になれたのだから。

「黙ったままでいいから、聞いてくれる? 悪い女の子の話を」

 どうか、私の過ちがホシミンの道を拓いてくれますように。
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