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side 本郷 みすず

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 白い肌に大きな瞳、艶やかなストレートの黒髪――ありさは、『大和撫子』という言葉がぴったりの控えめな女の子だ。 
 大人しいけれど綺麗な顔立ちで、小さい頃から秘かにモテていた自慢の妹。まあ、ありさ自身は引っ込み思案で、多分モテていた事にも気付いていないと思う。私や幼馴染の賢志が纏わり付く男を影で蹴散らしていたし。
 いつも裏方に回って、損な役回りが多くて。でも一度も不満を言った事のない、本当に優しいいい子なのだ。

 そんなありさが突然結婚相手として実家に連れて来たのは――恐ろしく人目を惹く男だった。
 私も背が高い方だけど、それでも見上げる程の長身。オーダーメイドのグレースーツを着こなし、ブランド品を嫌味なく身に着けているところを見ても、金持ちなのだろうと気が付く。
 さらりと前髪を七三分けにし、涼し気な瞳をした彼は、俳優だと名乗っても通用しそうな美形だった。イケメン好きなお母さんがぽっと頬を赤らめる。
 白いニットのスーツを着たありさをさり気なくエスコートしてる彼を見て、お父さんの眉間に皺が寄った。

 リビングに通した男とありさはソファで隣に座り、お父さんお母さんそして私が、向かい合わせに座った。さっきからお父さん、がちがちに緊張してるじゃない。口元引き攣ってぴくぴく動いてる。
「初めまして、菅山 建吾と申します。ありささんと同じ部署に務めております」
 そう言って私達に頭を下げた男は、すらすらととんでもない事を言い出した。

 伊織コーポレーションっていったら、世界を股に掛けた大企業じゃない。そこの御曹司って。
 しかも財閥当主の座に就くためには、結婚が条件となっている。それでありさに結婚して欲しいと頼み込んで承知してもらった――?
 結婚を認めて欲しいと頭を下げる男に、お父さんよりも私の方が先にキレた。

「ありさと政略結婚するって!? どういう事よ!?」
 左手で翔を抱っこしながら、立ち上がってびしっと男を指さした私に、彼の隣に座ったありさが割って入った。
「お姉ちゃん! 私が決めた事なの! 菅や……建吾さんの力になりたいの」
「ありさ」
 ありさが泣きそうな表情になる。私を見つめる大きな瞳が潤んでる。
「お願い、認めて欲しいの。会社のみんなの為にもそうするって私が決めたから」
(ああもう、ありさのこの顔苦手なのよっ)
 ありさは儚げに見えて、芯が強い。一度決めた事はやり通すし、根性だって据わってる。今だって涙を堪えてるけど、強い意志を込めた目をしていた。
(私が反対したって、絶対無理だわこれは)

 そんな時、男の大きな手がありさの左肩に回った。ありさが彼を見上げて、泣き笑いの表情を浮かべた。優しくありさを見る男の目は、政略結婚の相手に対するものとは思えない。
 改めて両親と私に向き直った男は、姿勢を正して頭を下げた。
「ありささんを巻き込んでしまった事は、本当に申し訳なく思っています。ですが、俺にも彼女しかいないのです。ありささんは必ず俺が守ります。二年後、ありささんが望むなら離婚していただいて構いません。どうか認めて頂きたい。お願いします」

 ――結局、お母さんの「ありさがそうすると決めたんでしょ? もう大人なんだから、好きにさせてあげたらどうかしら?」の一言で、お父さんも二人の結婚を許してしまった。うちじゃ、お母さんの意見が重いのよね。
「本当に、本当にありさを守ってもらえるんだね!?」って、散々念を押す事しか出来なかったお父さんを後で慰めなきゃ。

 ……だけど、ねえ。
 この私まで誤魔化せると思って欲しくないわ。

「ねえ、義弟クン? ちょっと顔貸してくれない?」
 そう言って微笑んだ私に、彼は「ええ」とにこやかな顔を向けて来た。
「お姉ちゃん!?」
 ありさに眠ってしまった翔を渡し、私は彼とリビングを後にする。

「ここならいいかしら」
 リビングと廊下を挟んで向かい側にある、四畳半の和室に彼を招き入れた。ぴしゃりと障子を閉めて、腕を組んで長身の彼を見上げる。
 ……何だか面白そうな顔をしてるのが、気に喰わないわ。

「一つ確認しておきたいんだけど」
「何ですか?」
 微笑みを浮かべてるけど、決して目は笑ってない。ありさは『菅山さんは優しい人』って言ってたけど、この男の冷徹な部分に気が付いてるのかしらね。
 どうあっても自分の望みを通す堅い意志の持ち主だって事は、一目で分かるわよ。

「あなた、二年後――離婚する気、ないわよね」
 彼がすっと目を細めた。そう、彼はこう言ったのだ。

 ――二年後、ありささんが望むなら離婚していただいて構いません――と

「つまり、ありさが・・・・望まなかったら・・・・・・・離婚しないって事でしょ?」
「……」
「妹はあなたの事、かなり信用してるみたいね」
 ありさがこの男を好きかどうか、は微妙なところだと思う。だけど彼に向ける笑顔は、信頼し切ってる感じだった。
「あなたはありさの事、どう思ってるの? 正直に聞かせて欲しいんだけど」
 ふっと口元に浮かんだ笑みに、ぞぞぞと背筋が寒くなった。
(なに、この男っ……!)
 圧倒的な力を持ってる者の笑みだ。狙った獲物は逃さない系の。

「……好きとか愛しているとか、そんな言葉では言い表せないですね。誰の目にも触れないように囲い込んで、俺だけが愛でていたいぐらいには思っていますが」
「っ、あなたねえっ!」
 一気に血の気が引いた。

 ちょっと、ありさ! この男まずいわよ! あなたが対応間違えたら、監禁ルートまっしぐらじゃないの!? しかも財閥の御曹司なのよね!? 金と権力持ってるじゃない!

「まあ、そうする事はありませんよ……ありさが逃げなければ」
(うわあ……) 
 囲い込む気だ。二年の間にありさを囲い込む気なのねっ……! 寒気が酷くなった私は、思わず二の腕を擦ってしまう。

「で? いつからありさを好きなのよ」
 そう聞くと、男は少し遠い目をした。
「……彼女が人目をはばからず、涙をぽろぽろ零して泣いていたのを見た時から、でしょうか」
「何それ」
 ありさが泣いてた? もしかして、それは。
「それまでも、真面目な後輩だと好意は持っていました。あの泣いている姿を見てから、少しずつ気になりだし――ある事件をきっかけに想いを自覚しましたね」
 ある事件? 私は眉を顰めたけれど、それについては話す気はなさそうだった。

「ありさは辛い恋をしたばっかりなのよ。まさか、その傷につけ込んだ訳じゃないでしょうね!?」
 ぴくっと男の口端が動いた。目がすっと細くなり、彼を纏う空気の温度が十度ぐらい下がる。
「……彼なら今頃後悔していますよ。長い間一途に思ってくれていたありさに目を向けなかった事をね」
 その言葉を聞いた私は、思わず彼に詰め寄った。
「っ、あなた、ありさの片思いの相手、誰だか知ってるの!?」
「ええ。片思いだった・・・、と過去形ですが。彼女からは彼に対する未練は感じられません」
 俺にとっては幸運でした、と薄い笑みを浮かべたまま、彼が話す。
「……もし俺が政略結婚ではなく、普通に結婚を申し込んでいたら、多分断られていましたよ」
「え」
 私が目を見開くと、彼は「ああ、そんな表情は彼女に似てますね」と微笑んだ。
「辛い恋をしたありさは今、恋愛を避けてる。だから、俺が『好きだ』と言えば信用しなかったでしょう。『単なる政略結婚』だから承諾したんです――もっとも」
 一見爽やかに思える彼の微笑みが、凍り付きそうなくらい怖ろしく感じるのは何故だろう。

「いつまでも『政略結婚』のままで終わらせる気はありませんが」

 この男の背中から、禍々しいオーラが立ち昇っている。魔王だ。魔王がここにいるっ……!

「あなた……本っ当に腹黒ねっ!」
「よく言われます」
 さらりと言い返してきた男を睨みつけたところで、声と同時に障子が開いた。

「お姉ちゃん! あまり建吾さんを責めないで。私も納得してる事だから」
 ありさの声を聴いた瞬間、男の表情ががらりと変わった。さっきまでの黒々しい気配が消え、優しそうな笑みを浮かべている。
 部屋に入って来たありさの肩を、大きな手がさり気なく抱く。
「ありさ。お義姉さんは、ありさの事を心配しているだけだ」
「でも」
 私は頭を抱えてしまった。ありさがこの男を優しいと言ったのは、嘘でも何でもないのだろう。
(ありさにだけ・・優しいって事じゃない……!)
 ありさが今すぐ好きだという気持ちを受け入れられないと判断して、様子を見ながら攻略していく気なんだ。
(なまじハイスペックなだけに、隙がないわ……)
 ありさに相応しい度量は持ち合わせているようだけど。はああと溜息をついた私は、再び男の胸に人差し指を突き付けた。

「とにかく! ありさを守るって約束したんだから、それは守って頂戴。それが出来なきゃ、二年待たずに私が乗り込んで、別れさせるから」
「お姉ちゃん!?」
 目を丸くするありさの隣で、腹黒い男はそれはそれは綺麗に笑った。

「ええ、もちろんです。お義姉さんのお眼鏡に適うよう、努力します」

 心配そうに男を見上げるありさの表情を見て、私はまた溜息をついた。

 ……ったく、ありさったら全然気が付いてないみたいじゃない。この男の闇の部分に。
(この魔王に惚れさせたありさが凄いのかもねえ……)

 ――ちゃんと正攻法で惚れさせなさいよ、と私は目で圧力をかけた。
 その視線を受け止めた男は、また見惚れるような笑顔を浮かべて頷いたのだった。
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