上 下
1 / 2

前編

しおりを挟む
 ――テンプレ、とは。
 一般的には雛形と呼ばれ、文書などを作成する際の決まった形式を指す。

 ……まあ物語的には、古くはシンデレラストーリー、昨今流行の悪役令嬢ヒロインビッチざまあ物なんてものが、有名だけど。
 まさか自分がテンプレ騒動に巻き込まれる事になろうとは、全く予想だにしていなかった……。

***

 キラキラと輝くシャンデリア。優雅に流れる音楽。シェフが腕によりをかけて作ったご馳走の数々。着飾った生徒たちが華やかに踊る学校の大広間。デメルテ魔法学院の卒業パーティーは、つつがなく終わるはず――だった。
「ジェシカ=アルカイド公爵令嬢。貴女との婚約は破棄させてもらう」
(来た来た来た来た来た来たキターッ!)
 私は思わずごくんと生唾を呑み込み、目を見張る群衆の中すすすと観察しやすい位置に移動した。目の前で展開されているのは、悪役令嬢弾劾の場。朗々とした声で宣言したのは、煌く金髪に青い瞳、白い詰襟の礼服を着たすらりと背の高い男子生徒。今日卒業するフィリップ=ローンディア第一王子殿下。彼の後ろに立つ数人の男子生徒は、宰相の息子や王室騎士団長の息子やら、美形エリートばっかり。その中に、ふわふわ金色巻き毛の小柄な女子生徒がいた。あれはミレイ=ダルトン男爵令嬢だよね。成績優秀でフィリップ殿下と会話してるの、よく見かけたなあ。そして、彼らの前で一人凛と立つのは、艶やかな銀髪を縦ロールにし、一目で高そうと分かる美しい青いドレスを身に纏った公爵令嬢、ジェシカ=アルカイド様。整った容姿が人形のようで、『氷の令嬢』なんてあだ名があるくらいのお方だ。その彼女が、翡翠色の目を細め、フィリップ殿下を見上げた。
「そう、ですの。理由を伺ってもよろしいかしら?」
 僅かな声の震えに気が付いた人はいるのかいないのか。彼女は白い手を身体の前で組んでいる。ああ、握り締めた私の手にも、じんわりと汗が滲む。
 にやり、とフィリップ殿下が口端を上げた時、私の背筋は北極圏並みに寒くなった。あ、この世界には北極って言葉はないけど。
「……ああ。公爵令嬢という立場を利用した数々の所業、私の耳にも入っている。それに、私は見つけてしまったのだ――真実の愛というものを」
 静まり返った群衆がざわりと揺らめいた。私ももちろん身を乗り出した。真実の愛って……やっぱり……
(身分違いの恋よね!? やっぱりミレイさんとあんな事やこんな事をっ……!)
 ミレイさんは明るくて可愛らしく、女子力高い令嬢である。身分こそ低いけれど、殿下の取り巻き達の間でも人気者で、みな彼女を水面下で取り合ってたのは有名な話だ。ただ、殿下がいるから、表立って動く人はいなかったけれど。
(閉ざされた生徒会室で、二人は愛を育み……)
『きゃあ! やっ……誰か、来たら』
『誰も来ない。お前の肌は甘いな……』
『あ、はあんっ! そんな、トコ、汚いっ……!』
『お前の身体に汚い所などない。……ああ、甘い蜜が溢れてきたぞ』
『あ、ああああんっ』
(あああ、生徒会室の備品になりたかったーっ!)
 じゅる、おっと思わずヨダレが。私は手の甲で口元を拭い、大きく目を見開いて、殿下の言葉を聞き取ろうと耳をダンボにした。
(本当にこの世界の婚約破棄の現場に立ち会えるなんて!)
 ここが自分の好きだった乙女ゲーの世界だと気付いてから十年。私はモブとしての役割を全うしてきた。ヒーロー役の殿下にも、その他華麗な取り巻きの皆さまにも、悪役令嬢のジェシカ様にも、ヒロインミレイさんにも、当たり障りのない関係を築いている。というより、彼らとの接触を積極的に避けていたおかげで、これと言った関係もないのが実情だ。陰からそっと観察してたけどね。
(ミレイさんとは同級生だから、そこそこの会話はあったけれど)
 上級生の殿下やその他さん達、そしてジェシカ様は、私の事なんて記憶にもないだろう。元商人が成り上がった歴史の浅い伯爵家、ブラウンの髪と目でぽっちゃり体型の平々凡々なこの私――アンナ=ブラウン伯爵令嬢の事など。
 ゲームではその他モブだったに違いない。だって登場人物に名前出てこなかったもん。きっとバックの顔無しイラストだったのよ。
(これぬるゲーだったし、ジェシカ様もそこまで酷い目には遭わないはずなんだよね)
 殿下とミレイさんは身分の差を乗り越えて結婚、ジェシカ様は確か隣国の王子に嫁いで終わり、だった。修道院行ったり、暗殺されたり、娼館に売り飛ばされたりする未来もないから、安心して結末を見届ける事が出来るはず――

「真実の愛、ですって? 貴方が?」
 眉を顰めそう言ったジェシカ様に、殿下は綺麗に笑った。
「ああ。これほど愛しく思う相手に巡り合えるとは思わなかった」
(ここで、ミレイさんの肩を抱いて、『私は彼女を王妃とする!』って宣言するのよねっ)
 みなの視線が殿下に集まる。私も息をひそめて殿下がミレイ嬢を振り向くのを待った。
(……ん?)
 かつかつかつ。殿下の足音が大理石の床に響く。
(あれ?)
 なんだか殿下がこちらに近付いて来てる――ような気が。え、誰に向かってるんだろ。きょろきょろと辺りを見回していた私の両肩が、がしっと掴まれた。
「へ?」
 顔を上げると――そこには。

 綺麗に綺麗に微笑む――悪魔が、いた。

 え、と声を上げかけた私の身体は、一瞬で殿下の腕の中に囚われた。周囲から悲鳴に近い声が上がるのが聞こえる。何が何だか分からない私を抱き締めながら、殿下が高らかに宣言した。
「私はアンナ=ブラウン伯爵令嬢を妻に迎える。愛しい彼女と添い遂げられるなら、第一王子の座も捨てる」
「え」
 え
 え
 え
「えええええええええええーっ!? ……うむむむむむんんんっ!?」
 誰よりも大声で叫んだ私の口は、あっさりと殿下の唇に塞がれた。そのまま彼の唇は私の右耳に移った。
「黙っていろ」
 ぴきと身体が凍る。『逆らったら……どうなるか、分かっているよな?』って副音声が聞こえたああああああ!
(なんで!? どうして!? こうなったの!?)
 口をぱくぱくさせた私を半ば引き摺ったまま、殿下はジェシカ様の前に戻った。殿下の右腕が私のウェストに巻き付いている。動けない。あああ、そんな私を見るジェシカ様の視線が……痛いっ……!
「そう、ですの。彼女が……」
 貴方の犠牲者ですのね。いいい、今そうおっしゃいましたよね、ジェシカ様!?
 ジェシカ様はふうと溜息をついた後、淑女らしくお辞儀をした。
「分かりましたわ。父には私から話をします――では、これで失礼いたします」
「ジェ、ジェシカ様!?」
 くるりと踵を返して立ち去るジェシカ様。え、どういう事!? 私は焦って、取り巻きの皆さまの方を見た。
(え、うそ!?)
 ちょっと、どうしてみんな目を逸らすの!? ミレイさんまで!?
「ああ、中断して悪かったな。私達はこれで退出するから、後は皆で楽しんでくれ」
 そう言った殿下は、私をひょいと抱き上げた。私重いのに、お姫様抱っこ!? こんなみんなの前で!?
「ででで、殿下っ!」
「……フィリップ、だろう、愛しい人?」
 ちゅ、とリップ音を立ててキスされた私のHPは一気にマイナスポイントになった。ひいい、ブリザードが殿下の背後に見えるううううう! かたかたと歯が鳴るのを止められない。
「あ、は、は、い……」
 全校生徒が注目する中、何が何だか分からない状態の私は、第一王子様にしっかりと抱き抱えられたまま、大広間を後にしたのだった――

***

 ――何がどうして、こうなったの!?
(聞きたいけど……聞きたいんだけど……っ!)
 怖い。その一言に尽きた。第一王子がぽちゃめ女子をお姫様抱っこしたまま、廊下をすたすた歩き、そのまま外に出てすたすた歩き、そうして待たせてあった王家の紋章が付き馬車に乗り込み、そのまま出発……って、これって拉致だよね!?
(し、しかも)
 豪華な馬車の広い座席の上、殿下が座り、そしてその膝の上に私が横向き抱っこ状態で乗ってるんですけど!? がらがらと馬車が軽快に進む。身体はがっちりとホールドされているせいで、揺れないけど。揺れないけどぉぉぉ
「ああああ、あの、私重いのでっ」
 ん? と小首を傾げた殿下のかんばせが麗しすぎて、目が潰れそうですっ……! 金髪は輝いてるし、青い瞳は宝石の様だし、目鼻立ちの整った美形っぷりが半端ない! おまけに結構胸筋発達してる気が。
「こんなに軽いのだから、心配ないよ、アンナ。それに」
「ひゃあああ」
 ぺろん、と右頬を舐められた後、甘くて低い声が右耳を襲って来た。
「貴女をじっくりと味わいたいからね。柔らかな身体も、甘い匂いも、艶やかな髪も、その全てを」
 間近で見る殿下の青い瞳には禍々しい気配が宿っていた。逃げられる気がしない。だから、どうしてなの!?
「そ、その、どうして私を!? 殿下とは個人的にお話した事もなくてって」
 ふふふと黒く微笑む殿下が怖いです……。
「そうだろうね。私を避けていたようだから……でも、じっと見ていたよね? 陰から」
「うぐ」
(気付かれてたー!)
 視線を逸らしたくても逸らせない。身体が硬直して言う事を聞かない。強張った私の顔を、大きな手が優しくゆっくりと撫でる。
「最初視線を感じた時、他の女生徒と同じかと思っていた。だが、我先にと傍に寄って来る事もなく、目を合わそうともせず、つかず離れずの立ち位置にいつもいて――何だろうと興味を惹かれた」
 だってモブですから。目立っちゃだめじゃないですか!
(結局見抜かれてたけど)
「皆に聞いてみたが、『ただ見ているだけで害はない』という意見が圧倒的に多かったな。ああ、ミレイが虐められていた時、そっと匿名の手紙で知らせてくれたのはアンナだろう?」
「うぐ」
「筆跡も確認した。商人上がりの伯爵家の娘だと、高位貴族達は馬鹿にしていたが、誰に対しても分け隔てない態度を取る貴女を慕う者も多かった。ミレイも助けられたと言っていたぞ。仲間外れにならないよう根回ししたり、ミレイを目の敵にしている女生徒をさりげなく遠ざけたりしてくれたと」
「う」
 こっそり助けたつもりだったのに。バレバレだったとは……。優しく笑う殿下にダメージを受けた私は、多分真っ赤っ赤のほっぺをしているに違いない。
「陰から見てばかりの貴女が気になって仕方がなくて……その大きな瞳で私を見つめて欲しいと思うようになって、ようやく自分の気持ちに気が付いた」
「あ、あのっ、でも、ジェシカ様はっ、それにミレイさんもっ」
 ちゅっと軽くキスをされて、言葉が出なくなってしまった。
「ミレイはジェイリッドと恋仲だし、そもそもジェシカは隣国のレオナルド王子に嫁ぐ約束が幼少の頃からあった。かの国で王位争いが表面化したため、落ち着くまでジェシカとの話をなかったことにされていただけだ。だが、晴れて彼の兄が王太子となることが決まったからな、ジェシカもようやく嫁ぐことが出来ると喜んでいた。学校にいる間は、お互い相手がいないと何かと不便だと、協定を結んで仮に私と婚約していたが――まあ、あれだけ派手に婚約破棄を演じたのだから、嫁ぎやすくなっただろう」
「へ」
 あんぐりと口が開いた。ジェイリッド様って、殿下の取り巻きで宰相の息子の!? んで、ジェシカ様が仮婚約者!? んで、演技!?
(そそそ、そんな設定、なかったはずっ……!)
「で、でもっ、ででで殿下は」
「フィリップ、だ」
 ……瞳の威圧感に負けました。気力を振り絞って声を出す。
「ふぃ、フィリップ……さま……は、ジェシカ様をお好きだったのでは」
「いや、全く」
 うわ、ばっさり切り捨てた! あんな美人なのに!
「ジェシカは欠点のない人形のような女性で面白みがなかった。ああ、彼女も私の事をそう言っていたな。お互い何とも思っていなかったからこそ、仮婚約者になったのだから」
「じゃあ、ミレイさんは!? 可愛くて成績優秀で!」
 そう言っても、殿下は首を捻るばかりだった。
「好みじゃないな。配下としては優秀だが、恋人にしたいとは思わない」
 うわあ、もったいない。もったいないよーっ! だってヒロインだよ!? 超可愛いのに!?
(これってテンプレなんだよね!? なのに何故、この展開!?)
「私は見ているだけで癒される、柔らかくて可愛い女性が好みなんだ。そう――」
 殿下の口元がうっすらと弧を描いた。背筋がぞぞぞと寒くなる。
 ――アンナのように、ね?
(……あ、もうダメかも……) 
 耳元にキスをされながら超美麗な低音で囁かれた私は、口から魂が飛び出てしまい……そのまま気を失ってしまったのだった。
しおりを挟む

処理中です...