『半魚囚人ジル』 深海監獄アビスロックからの脱出

アオミ レイ

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第三章 政争の導火線、監獄の鼓動

CHAPTER38『反旗の胎動』

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──第三階層研究施設C-7

ガルヴォスが重たい扉を開くと、ひんやりとした薬品臭が立ち込める薄暗い空間に、数人の研究員と共に白衣をまとった男が現れた。


「おお、珍しいな。……君は確か、ガルヴォス君だったか。何か用かね?」
ゼファーが薄い笑みを浮かべながら振り向く。


だが、ガルヴォスは一言も発さず、すでに手にしたナギナタを構えていた。
「……時間がないので単刀直入に言おう。“魚人兵器”を譲って頂きたい。これからある要人を襲撃する。邪魔が多くなると予想されるのでな」


「……なに?」
ゼファーの表情が凍りつく。
「どういうことだね。……監獄長の許可はとってあるのか?」


その言葉に、ベルクが重々しく一歩前に出る。
「……さっさと渡さないと、頭をかち割るぞ」
鉄杭が肩に担がれ、今にも振り下ろされようとした瞬間。

「――悪いが、それはできんな」
冷静に拒絶するゼファー。


「なら……少し眠っていてもらおうか」
ベルクが鉄杭を振り下ろそうとした瞬間、影がひとつ、ゼファーの前に割って入った。

「……!?その姿……まさか……!」


血と火薬の匂いを残して現れたのは――
かつて死んだとされていた政府高官、バルデマーの側近。
ハイエナ獣人のマーロウだった。


彼は片腕でベルクの鉄杭を受け止め、獰猛な笑みを浮かべる。
「へへへ……おまえら、シャドウレギオンの兵だったよなぁ。俺の敵になったのか?へへへ…」

目を見開くガルヴォスとベルク。
「……!?マーロウ……だと……!」


マーロウは構えることなく、鋭く踏み込み――
獣じみた拳をベルクの胸元に叩き込み、牙をむいて襲いかかる。
「おまえらも……まとめて喰らってやる!」

その後方でゼファーが軽く肩を竦めて言った。
「獣人兵器はまだ数体しか完成してないが、マーロウは上出来だのう。ここは魚人しか入ってこんから、素材には困るんだが……たまにワニが魚人と間違えられて入ってくるぐらいでのう」


「――黙れ」

ガルヴォスがナギナタをゼファーの首筋に構える。
「さっさと……“首飾り”を渡せ」


一方――マーロウの拳は、ベルクの分厚い腕に寸前で止められた。

片手でマーロウの拳を掴むと、ゴリッ――と、骨が軋む音。
「……クッ」

マーロウが呻く間もなく、ベルクの鉄杭が肩口から振りかぶられる。
ためらいの一切ないその一撃が、獣人の頭蓋を叩き潰した。

グシャッ――!

足元から崩れ落ち、マーロウはようやく動かなくなった。

「フンッ……こんなもんか」
ベルクは冷たく吐き捨て、鉄杭の血を振り払った。


ゼファーは後ずさりしながら、ひきつった笑みを浮かべる。
「ほ、ほあっ……やはり、文官は文官か…せっかく再構成したというのに……はぁ、実にもったいない」

ガルヴォスのナギナタの刃が、ゼファーの首筋を押し当てる。
一筋の血が滲み、ゼファーの首筋を伝った。

「……あと動かせる兵器は何体ある?」
ガルヴォスの声は低く冷たい。
刃の角度が、徐々にゼファーの喉にめり込んでいく。

「ひっ、あ、あと…完成したばかりのやつが二体だ、まだ検証すらしてない」


「――そいつを、頂こうか」
ナギナタの刃圧が一瞬強まり、ゼファーの身体がびくりと震えた。


その時、天井に一つの影が蠢いた――
天井に張り付くようにして潜んでいた黒い影が、わずかに身じろいだ。


「……そこまでだ」
冷ややかに響いた声は、まるで闇そのもののように空間を支配した。


ガルヴォスとベルクが同時にハッとし、即座に天井を見上げる。
「……クソッ!」


次の瞬間、天井からスルリと影が降り立つ。

その動きはまるで、重力の概念を無視するように静かで滑らかだった。
全身タコのような弾力のある体躯――

アビスロック特務隊長、シェイドの姿がそこにあった。

彼を見たゼファーは、機を逃さずにスッと後退し、するりと薬品棚の影に身を隠した。
「…おお、助かったぞシェイド君」


ガルヴォスがナギナタを持ったまま睨みつけ、ベルクも無言で鉄杭を構える。

だが、シェイドは冷静なまま、微動だにせず言い放った。
「……やはり、貴様らだったか」

その声音には確信が混じっていた。
「怪しい素振りは……全くと言っていいほどなかった。だが、違和感は残っていた――“静かすぎた”のだ。まるで、“何も起こしていないこと”そのものが演技のようにな」
彼の瞳がわずかに細められ、暗い研究施設に緊張が走る。


ガルヴォスはナギナタを構えたまま、シェイドを正面から睨みつけた。
「……こいつは手強いぞ。だが――勝てない相手ではない」

足元に力を込め、周囲の空気を読む。
「時間がない。三人で一気に畳みかけるぞ」


その言葉が終わるか終わらぬかのうちに――
 シェイドの姿が掻き消えた。

「――!」
ベルクの視界の端に影が揺れる。


次の瞬間、シェイドは音もなく背後に出現。
 その手に握られた短刀が、鋭くベルクの喉元を掠めた。

「チッ……あぶねぇ……!」
ベルクが反射的に鉄杭を振るおうとするが――


「遅い」
 シェイドの触手が空間を裂くように伸び、ベルクの腕と足を同時に絡め取った。

ゴギィ――と、締め上げられる肉と骨の軋み。

「ぐっ……クソッ……!」
ベルクが歯を食いしばる中、ガルヴォスが機を逃さず突進。
 大上段からナギナタを一閃する。


だが――
 その刃が触れる寸前、シェイドは振り返ることすらせず、
 逆手に握った短刀で正確に受け止めた。

キィィンッ!

鋼と鋼がぶつかり合う高音。
その瞬間、シェイドのもう一方の触手が滑るように這い、
 ガルヴォスの足首を的確に巻きつけてくる。

「……ッ!」
動きを封じられ、体勢を崩すガルヴォス。

空間そのものが粘性のある罠と化すような、異様な戦場。
 シェイドの攻防はすべてが一撃必殺の間合いで構築されていた。


そしてシェイドの目が一瞬だけ細くなる。

「……やれ」
その一言と同時に、雷光が走った。

バチィィッ――!!

青白い電撃が研究施設を貫き、ガルヴォス、ベルク、ノーザンの三人を包み込む。

「ぐッ……!」「……チッ!」

ガルヴォスとベルクが呻き、わずかに体勢を崩す。

その奥、薬品棚の陰からゆらりと現れたのは、
鉛色の軍装に身を包んだ副隊長――クロムだった。

腕には電撃を帯びた短剣、そして警棒。

「……おまえらは、ここで終わりだ」
クロムの声は静かだったが、そこに宿る確信は揺るぎなかった。


ガルヴォスは顔をしかめ、歯を食いしばる。
(……クソッ。やっかいな男がもう一人…ここで時間を食っている場合じゃない……!)


その時、ノーザンがゆっくりと顔を上げた。

雷に焼かれた肌から蒸気が立ち上る中、まっすぐにクロムを見据える。
「……きれいな光だな……おまえが……やったのか?…もう一度…見せてくれ…」


クロムは目を細め、警戒を強めた。
(……何だ、こいつは?)


ガルヴォスが叫ぶ。
「おい、ノーザン! 早く戦ってくれ!!」

ノーザンは一拍置き、小さく頷いた。
「……うん…こいつら…敵か。わかった」

次の瞬間、ノーザンの剣が唸りを上げて振るわれた。

剣圧がクロムに向かって走ると同時に、ノーザンの全身の鱗が一瞬きらめき、まるで散弾のように鋭利な鱗片がシェイドに向かって飛び散った。

クロムは短剣で剣撃を受け止める。
「くっ!…なんて力だ!」

足元を滑らせながらも何とか踏みとどまるが、押し込まれつつある。

一方シェイドは、触手を絡ませて飛来する鱗片をすべて受け止める。
だが、その一瞬――防御に意識を割いたその隙を、ガルヴォスが逃さなかった。

「そこだッ!!」

一閃――
ナギナタが走り、シェイドの触手を斬り落とす。

「ぬッ……!」

さらにベルクが踏み込み、
「……もらったッ!」

鉄杭が唸りを上げ、落とされた触手を払いのけつつ、
シェイドの片腕を弾き飛ばすように叩きつけた。


戦況が、わずかに揺らぎ始めた。

「クソッ……!」
クロムが歯を食いしばりながら、ノーザンに電撃を放つ。
短剣から迸る紫電が、ノーザンの胸部を直撃――


だが。
「……ピリピリして……きもちいいな」
ノーザンは、まるで温泉にでも入ったかのように顔をほころばせた。
電撃が肌を焦がしてなお、眉ひとつ動かさず、剣を重々しく押し込む。

「ッ……!」
クロムがたじろいだ、その瞬間。

「――甘いぞ」
シェイドと対峙していたベルクが、音もなく背を向け、鉄杭を携えてクロムへと回り込むように突進した。

「……ッ!?」
横から振るわれたその鉄杭が、
鈍い音と共にクロムの側頭部を捉えた。

ゴッ!!

クロムの身体が弾け飛び、鉄製の棚に激突。
そのまま崩れるように意識を失い、動かなくなる。

「……倒したか」
ベルクが鉄杭を肩に担いだまま、ゆっくりと振り返る。


その光景を見ていたシェイドが、わずかに目を細めて呟いた。
「……何者だ、あいつは……」
シェイドの視線の先、ノーザンは無言で剣を肩に担ぎ直していた。

「……お。こいつに……とどめを刺すか?」
ノーザンが倒れたクロムを見下ろしながら、剣を持ち直す。


だが、ガルヴォスが即座に制止の声をかけた。
「そいつはもういい! 次は――こいつだ!」

ガルヴォスの視線が、シェイドに突き刺さる。

ノーザンは無言で頷き――
「……おもしろい…足だな」
と同時に、剣を振り下ろした。

閃いた刃が、一瞬で三本の触手を切断する。

「……ッ!」

シェイドの身が傾き、僅かによろめいた。
だがその動きは流れるように後方へと下がり、撤退の姿勢に入る。

「……足を失いすぎたな。ここは引くしかあるまい」

その言葉と共に、残った触手がゼファーと倒れたクロムの体を絡め取る。
「おいっ、魚人兵器が奪われるぞ!」
ジタバタと暴れるゼファーだったが、その体はぬるりとした動きで後方へと引き寄せられていく。

「……させるかッ!!」
ガルヴォスがナギナタを振るい、
シェイドとゼファーの間に斬撃を走らせる――


だが、シェイドは間一髪でかわし、
ゼファーとクロムを抱えたまま研究施設の暗がりへと姿を消した。


逃した獲物に、わずかな焦燥が残る。
だが――今、目指すはただ一つ。
反バルデマー派の要――ザルバド・レインハルトの首。

沈黙が戻った研究施設に、再び血の匂いが満ち始めていた。

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