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第三章 政争の導火線、監獄の鼓動
CHAPTER44『深海監獄、決壊前夜』
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廃墟の瓦礫と血煙にまみれた第二階層
ドカンッ!!
轟音と共に、沈黙の牙の兵が吹き飛ばされ、ドゥームの眼前へと転がり落ちた。
周囲が一瞬ざわめく中、その後ろから、全身に傷を負った獣が現れる。
血に濡れた鱗が鈍く光り、肩で荒く息を吐きながら、堂々とその場に歩を進めていた。
バシリスク――深海の狂気の首領。
「……ドゥーム!」
濁った声が戦場に響く。
「てめぇを喰らいに来てやったぜ!」
ドゥームは口元を吊り上げ、低く笑った。
「ククク……ずいぶんと派手にやってくれたな。うちの兵を、いったい何人潰した?」
その瞬間、バシリスクの背後から沈黙の牙の兵の一人が、槍を構えて飛びかかる。
「死ねっ!バシリスク!!」
しかし――
「……邪魔だ」
バシリスクの尻尾がうねり、鋭く振るわれる。
「ドガッ!!」という音と共に、跳びかかった兵は地を滑るように吹き飛び、廃材の山に叩きつけられた。
バシリスクは目を細め、ドゥームをまっすぐに見据えた。
その獣の目に宿っているのは、怒りでも敵意でもない――狩人の冷たい闘志だった。
タイタンが肩を揺らして笑う。
「おう、久しぶりじゃのう、バシリスク。相変わらず暴れまくっとるのう。ハッハッハ!」
その豪快な声に、バシリスクは舌打ちしながら顔をしかめた。
「……チッ、タイタンか。邪魔するなよ。今はこいつ(ドゥーム)だけで手一杯だ」
少し離れた位置からそれを見ていたアルデンは、目を細めて息を飲む。
(……こいつが“バシリスク”か。なんつー威圧感だ。強ぇ奴が次から次へと出てくるな)
そのやり取りを見ながら、ドゥームは口角を吊り上げ、不敵に告げる。
「バシリスク……お仲間の心配をしたほうがいいんじゃないのか?」
その言葉と同時に、ドゥームの背後から何かが音を立てて投げ込まれた。
――ズサァッ!
地面に転がったのは、血まみれで全身を傷めつけられた男だった。
両目は半ば閉じ、呼吸も荒く、それでも狂気を宿した笑みを浮かべていた。
デューガンがその場に現れ、投げ捨てた男を見下ろしながら吐き捨てるように言った。
「……死なねぇのが取り柄みてぇだな、こいつは」
「……ヒャ…ハハ……ハ……俺は…死なねえ……ぜ……」
それは、魚人兵器と化した――ドロマだった。
バシリスクの瞳に、怒りの色がにじむ。
「……ドロマ……チッ…頭が半分潰れてやがる、クソッ…!」
拳をギリ、と握りしめるその様は、戦場の空気をさらに凍りつかせた。
一方、その頃――後方の戦場では
「クラーケン! 大丈夫か!」
イェーガーが沈黙の牙の兵士を背後から蹴り飛ばしながら駆け寄る。
クラーケンは荒く息を吐きつつ、足元の敵兵を踏みつけて答える。
「ああ……十数人は仕留めた。ここらに残ってるのは、あと十人ってとこか。たぶん……あのハンマー野郎が幹部だろうな」
「……ハンマー?」
その言葉に、ハンスの肩がピクリと跳ねた。
「ああ……ドレッドか」
鋭く睨みながら、ハンスは唇を噛むように言い捨てた。
「俺は、あいつの横暴に嫌気が差してアンタの誘いに乗ったんだ。あいつだけは、絶対に許せねぇ」
イェーガーの瞳にも、怒りの色が宿る。
「……奇遇だな。俺の仲間も……あいつに殺された。絶対、潰すぞ!」
その瞬間――
「……あん? テメェ、ハンスか?」
鈍く唸るような声が背後から響いた。
沈黙の牙の幹部・ドレッドが、血に染まったスレッジハンマーを肩に担いで睨みつけてくる。
「裏切り者は、許さ――」
――バゴンッ!
その言葉を遮るように、イェーガーの蹴りがドレッドの顔面に炸裂した。
「グッ、テメェッ……ぶち殺すぞッ!!」
怒声を上げて反撃に転じようとしたドレッドの足元に、ハンスの鉄縄が飛んだ。
ガッ!と足首に絡みつき、バランスを崩す。
「へへへ……ダチの仇だ!」
イェーガーが腰から引き抜いた短剣を、迷いなく突き出した。
鋭い刃が、ドレッドの腹部に深々と突き刺さる。
「……ぐぅ……!」
ドレッドが呻きながら崩れ落ちた。
すかさず、ハンスとイェーガーは拳を軽く合わせる。
互いの怒りと覚悟が、無言のまま伝わり合った。
その傍らでは、クラーケンが最後の雑兵を蹴り飛ばしながら息を吐く。
「……弱ぇ野郎は逃げ出した。ここは片付いたぜ」
イェーガーが視線を上げ、戦場の奥――
ドゥームと対峙するバシリスクの巨体を見つける。
「バシリスクは……もうドゥームと向き合ってる。急ぐぞ!」
ハンスとクラーケンも頷き、深海の狂気の残党たちは戦線を駆け上がっていった――。
無数の怒号と衝撃音が交錯する中、
ジルたち蒼海の解放軍は、沈黙の牙の猛攻に必死で抗っていた。
ギルバートはその光景を見下ろし、静かに呟く。
「……ヒヨッコどもは、すぐに潰されるかと思っていたが。――確かな“力”を持った者たちもいるようだな」
視線の先では、巨躯のタイタンがウルスをなぎ倒し、ジルとモーリスの一撃でカイゼルに膝をつけていた。
レインハルトは目を細め、戦場を見つめる。
沈黙の牙という巨獣に対し、若き反逆者たちはなお拳を振るい、牙を剥き続けている。
「……力なき者は蹂躙される。だが――牙を剥く意志を持つ者は、時に運命すら変える」
ギルバートはわずかに口元をほころばせ、戦場に立つ若者たちへと視線を流した。
「……未来を切り開く者、というわけですか」
レインハルトは無言で頷き、再び混迷の戦場を見据えた。
彼らの拳はまだ不格好だ。
だがその中には、確かに――
時代を動かす力の“萌芽”が、確かに芽吹いていた。
レインハルトは腕を組み、視線を戦場に向けたまま静かに尋ねた。
「ゼルファード。――こやつらの戦いをどう見る?」
ゼルファードはわずかに眉をひそめ、慎重に答える。
「……数人は、私でも手こずりそうな猛者がいます。中でも――あのドゥームという男は、力も技も底が見えません」
レインハルトはふむ、と小さく頷き、目を細めた。
「あれはやはり……恐ろしい男だということか。…我らの力になってくれれば頼もしいのだが……とても人の下に付くような器ではなさそうだな」
ゼルファードは無言で同意するかのように、ゆっくりと頷いた。
レインハルトは腕を組み直し、じっと戦場を見つめたまま問うた。
「――では、あの小僧。ジル・レイヴンはどうだ?」
ゼルファードは一拍置いてから、慎重に答えた。
「俺なら一瞬で制圧できるでしょうが……あの“鉄の力”が完全に覚醒した時、どうなるかはわかりません。潜在的な危険性は高いかと」
レインハルトはふむ、と再び小さく頷くと、隣に立つギルバートに視線を移した。
「……なるほど。ギルバート。お前がこの監獄の中を見てほしいと言った意味――ようやく理解できた気がする…この者たちの力を借りれば、バルデマーを駆逐できるかもしれんな」
ギルバートは深く頭を垂れた。
「……わかっていただけて、ありがたい限りです。この視察が終われば、速やかにアビスロック兵団の編成に取り掛かりましょう」
レインハルトは静かに微笑むと、短く言った。
「……頼んだぞ、ギルバート」
ギルバートは重々しく頷き、鋭い眼差しで戦場を見渡した。
「――では、そろそろこの混乱を収めに参りましょうか」
そう言うや、ギルバートは静かに歩み出し、前線へと向かっていった。
視察団の後方――廃屋の影
混迷の戦場に意識が集中する中、誰にも気づかれぬまま、数体の人影が静かに蠢いていた。
暗がりの中、ひそやかに息を潜める二人の男――ガルヴォスとベルク。視線の先には、ドゥームとジルたち、視察団の姿があった。
ガルヴォスは戦場を見渡し、目を細める。
「……大乱戦になっているな。これは我々にとって都合がいい…しかしドゥームめ…何故レインハルトを殺りに動かない」
隣で膝を抱えるように屈んでいたベルクが、不機嫌そうに呟いた。
「……あの野郎、裏切りやがったのか?」
ガルヴォスはわずかに首を振り、低く答える。
「……わからない。奴は一体何を考えているんだ…」
ベルクは苛立ちを隠さず、拳を膝に叩きつける。
「クソッ、ドゥームの野郎、チンタラしやがって……この混乱に紛れて、俺たちだけでレインハルトを仕留めちまおうぜ。このまま海路へ逃げる算段もつけてあるんだ」
そして低く付け加えるように呟いた。
「囚人と看守の中にも、十数人は俺たちの兵が紛れてるはずだ……やるなら今しかねえ」
ガルヴォスは少し思案するように視線を落とし、やがてぽつりと漏らす。
「待て……シェイドの姿が見えないということは、奴はまだ第三階層にいて、我々の素性は割れていない可能性が高い。ならば、看守のフリをして接近し、一撃でレインハルトを葬るほうが確実だ」
ベルクはにやりと口の端を歪める。
「……いいねぇ。で、こいつはどうする?」
そう言って視線を横に向ける。そこには無言で静かに座るノーザンが、薄暗い闇の中で剣を握っていた。
ガルヴォスが声をかける。
「……ノーザン。おまえはここで待機しろ。俺が“合図”したら…あの狼みたいな奴をやってくれ。わかったな?」
ノーザンはゆっくりと立ち上がり、淡々と剣を構える。
「……うん…あの狼みたいなやつを…やればいいんだな」
無表情のまま一歩、また一歩と前へ進み始める。鈍重に見える巨体が地を揺らしながら、まっすぐ標的へと向かおうとする。
ガルヴォスがぎょっとして小声で止める。
「……待て、今じゃない!“俺が合図したら”だ。わかるな?この薙刀の柄でドン、ドンと地面を叩く」
ノーザンは振り上げた剣を下ろし、静かに頷いた。
「……うん…わかった」
ベルクが少し呆れたように鼻を鳴らしながら、笑う。
「……ふぅ。まったく手のかかる奴だ。だが、実力は本物だからな。頼んだぞ、ノーザン」
ノーザンは静かに答える。
「……まかせろ…俺は…強い」
ガルヴォスが隣のベルクに目をやり、声を潜めて言う。
「……ゼルファードの守りは鉄壁だ。真正面からじゃ突破は難しい。ノーザンに撹乱させるのがいい」
そして視線を前に戻し、表情を引き締める。
「――では、行くぞ」
二人の影が、沈黙の闇へと溶けるように動き出した。
視察団の背後――
ガルヴォスとベルクが血相を変えて駆け寄ってきた。顔には焦りを滲ませ、武器も手にしたままだ。
「監獄長! 第三階層にて、シャドウレギオンの兵が出現! 現在、シェイド殿とルードヴィヒ殿が交戦中です!」
ガルヴォスの声が響き渡る。
騒乱の渦中に足を踏み出しかけたギルバートだったが、背後の報告に足を止め、眉をひそめた。
「……何? なにゆえ、第三階層に?」
グレンダルが歯噛みするように唸った。
「……クソッ、こっちに戦力を集中させておいて――C-7を狙ったか!」
喧騒の中、場の空気が静まり返る。誰もが何が起こっているのか読み切れず、硬直する中――
ドゥームだけが、低く含み笑いを漏らしていた。
「……クククク」
その異様な笑みを背に、ガルヴォスとベルクがさりげなく目配せを交わす。
次の瞬間、ガルヴォスは手にした薙刀の柄を――ドン、ドン、と静かに地面に二度叩きつけた。
それは、あらかじめ取り決められていた“合図”。
ゼルファードの眉がわずかに動く。
(……今の音は?)
鋭い視線が一瞬、廃屋の奥へと向けられる。だが、気配は薄く、視認には至らない。
その直後、少し離れた廃屋の影で待機していたノーザンが、ピクリと反応し、ゆっくりと立ち上がる。
同時に、ガルヴォスは視察団の前方から、ベルクは後方から、すっとザルバド・レインハルトの方へと歩み寄っていった。
「――レインハルト、死んでもらうぞ」
ガルヴォスがそう呟いた瞬間、ナギナタが空気を裂き、鋭く軌道を描く。
続けざまに、ベルクの鉄杭が重い唸りをあげて襲いかかった。
「……何?! 貴様ら!!」
ギルバートが叫ぶ間もなく――
二つの殺意を孕んだ一撃がレインハルトに迫る!
混迷の戦場のただ中で、幾重もの策謀が絡み合う。
正義も、信念も、復讐も、そのすべてが――ただ一人の命を奪うために収束していた。
今、深海監獄アビスロックの第二階層で、歴史を動かす刃が振るわれようとしている。
――この一撃が、未来を決する。
ドカンッ!!
轟音と共に、沈黙の牙の兵が吹き飛ばされ、ドゥームの眼前へと転がり落ちた。
周囲が一瞬ざわめく中、その後ろから、全身に傷を負った獣が現れる。
血に濡れた鱗が鈍く光り、肩で荒く息を吐きながら、堂々とその場に歩を進めていた。
バシリスク――深海の狂気の首領。
「……ドゥーム!」
濁った声が戦場に響く。
「てめぇを喰らいに来てやったぜ!」
ドゥームは口元を吊り上げ、低く笑った。
「ククク……ずいぶんと派手にやってくれたな。うちの兵を、いったい何人潰した?」
その瞬間、バシリスクの背後から沈黙の牙の兵の一人が、槍を構えて飛びかかる。
「死ねっ!バシリスク!!」
しかし――
「……邪魔だ」
バシリスクの尻尾がうねり、鋭く振るわれる。
「ドガッ!!」という音と共に、跳びかかった兵は地を滑るように吹き飛び、廃材の山に叩きつけられた。
バシリスクは目を細め、ドゥームをまっすぐに見据えた。
その獣の目に宿っているのは、怒りでも敵意でもない――狩人の冷たい闘志だった。
タイタンが肩を揺らして笑う。
「おう、久しぶりじゃのう、バシリスク。相変わらず暴れまくっとるのう。ハッハッハ!」
その豪快な声に、バシリスクは舌打ちしながら顔をしかめた。
「……チッ、タイタンか。邪魔するなよ。今はこいつ(ドゥーム)だけで手一杯だ」
少し離れた位置からそれを見ていたアルデンは、目を細めて息を飲む。
(……こいつが“バシリスク”か。なんつー威圧感だ。強ぇ奴が次から次へと出てくるな)
そのやり取りを見ながら、ドゥームは口角を吊り上げ、不敵に告げる。
「バシリスク……お仲間の心配をしたほうがいいんじゃないのか?」
その言葉と同時に、ドゥームの背後から何かが音を立てて投げ込まれた。
――ズサァッ!
地面に転がったのは、血まみれで全身を傷めつけられた男だった。
両目は半ば閉じ、呼吸も荒く、それでも狂気を宿した笑みを浮かべていた。
デューガンがその場に現れ、投げ捨てた男を見下ろしながら吐き捨てるように言った。
「……死なねぇのが取り柄みてぇだな、こいつは」
「……ヒャ…ハハ……ハ……俺は…死なねえ……ぜ……」
それは、魚人兵器と化した――ドロマだった。
バシリスクの瞳に、怒りの色がにじむ。
「……ドロマ……チッ…頭が半分潰れてやがる、クソッ…!」
拳をギリ、と握りしめるその様は、戦場の空気をさらに凍りつかせた。
一方、その頃――後方の戦場では
「クラーケン! 大丈夫か!」
イェーガーが沈黙の牙の兵士を背後から蹴り飛ばしながら駆け寄る。
クラーケンは荒く息を吐きつつ、足元の敵兵を踏みつけて答える。
「ああ……十数人は仕留めた。ここらに残ってるのは、あと十人ってとこか。たぶん……あのハンマー野郎が幹部だろうな」
「……ハンマー?」
その言葉に、ハンスの肩がピクリと跳ねた。
「ああ……ドレッドか」
鋭く睨みながら、ハンスは唇を噛むように言い捨てた。
「俺は、あいつの横暴に嫌気が差してアンタの誘いに乗ったんだ。あいつだけは、絶対に許せねぇ」
イェーガーの瞳にも、怒りの色が宿る。
「……奇遇だな。俺の仲間も……あいつに殺された。絶対、潰すぞ!」
その瞬間――
「……あん? テメェ、ハンスか?」
鈍く唸るような声が背後から響いた。
沈黙の牙の幹部・ドレッドが、血に染まったスレッジハンマーを肩に担いで睨みつけてくる。
「裏切り者は、許さ――」
――バゴンッ!
その言葉を遮るように、イェーガーの蹴りがドレッドの顔面に炸裂した。
「グッ、テメェッ……ぶち殺すぞッ!!」
怒声を上げて反撃に転じようとしたドレッドの足元に、ハンスの鉄縄が飛んだ。
ガッ!と足首に絡みつき、バランスを崩す。
「へへへ……ダチの仇だ!」
イェーガーが腰から引き抜いた短剣を、迷いなく突き出した。
鋭い刃が、ドレッドの腹部に深々と突き刺さる。
「……ぐぅ……!」
ドレッドが呻きながら崩れ落ちた。
すかさず、ハンスとイェーガーは拳を軽く合わせる。
互いの怒りと覚悟が、無言のまま伝わり合った。
その傍らでは、クラーケンが最後の雑兵を蹴り飛ばしながら息を吐く。
「……弱ぇ野郎は逃げ出した。ここは片付いたぜ」
イェーガーが視線を上げ、戦場の奥――
ドゥームと対峙するバシリスクの巨体を見つける。
「バシリスクは……もうドゥームと向き合ってる。急ぐぞ!」
ハンスとクラーケンも頷き、深海の狂気の残党たちは戦線を駆け上がっていった――。
無数の怒号と衝撃音が交錯する中、
ジルたち蒼海の解放軍は、沈黙の牙の猛攻に必死で抗っていた。
ギルバートはその光景を見下ろし、静かに呟く。
「……ヒヨッコどもは、すぐに潰されるかと思っていたが。――確かな“力”を持った者たちもいるようだな」
視線の先では、巨躯のタイタンがウルスをなぎ倒し、ジルとモーリスの一撃でカイゼルに膝をつけていた。
レインハルトは目を細め、戦場を見つめる。
沈黙の牙という巨獣に対し、若き反逆者たちはなお拳を振るい、牙を剥き続けている。
「……力なき者は蹂躙される。だが――牙を剥く意志を持つ者は、時に運命すら変える」
ギルバートはわずかに口元をほころばせ、戦場に立つ若者たちへと視線を流した。
「……未来を切り開く者、というわけですか」
レインハルトは無言で頷き、再び混迷の戦場を見据えた。
彼らの拳はまだ不格好だ。
だがその中には、確かに――
時代を動かす力の“萌芽”が、確かに芽吹いていた。
レインハルトは腕を組み、視線を戦場に向けたまま静かに尋ねた。
「ゼルファード。――こやつらの戦いをどう見る?」
ゼルファードはわずかに眉をひそめ、慎重に答える。
「……数人は、私でも手こずりそうな猛者がいます。中でも――あのドゥームという男は、力も技も底が見えません」
レインハルトはふむ、と小さく頷き、目を細めた。
「あれはやはり……恐ろしい男だということか。…我らの力になってくれれば頼もしいのだが……とても人の下に付くような器ではなさそうだな」
ゼルファードは無言で同意するかのように、ゆっくりと頷いた。
レインハルトは腕を組み直し、じっと戦場を見つめたまま問うた。
「――では、あの小僧。ジル・レイヴンはどうだ?」
ゼルファードは一拍置いてから、慎重に答えた。
「俺なら一瞬で制圧できるでしょうが……あの“鉄の力”が完全に覚醒した時、どうなるかはわかりません。潜在的な危険性は高いかと」
レインハルトはふむ、と再び小さく頷くと、隣に立つギルバートに視線を移した。
「……なるほど。ギルバート。お前がこの監獄の中を見てほしいと言った意味――ようやく理解できた気がする…この者たちの力を借りれば、バルデマーを駆逐できるかもしれんな」
ギルバートは深く頭を垂れた。
「……わかっていただけて、ありがたい限りです。この視察が終われば、速やかにアビスロック兵団の編成に取り掛かりましょう」
レインハルトは静かに微笑むと、短く言った。
「……頼んだぞ、ギルバート」
ギルバートは重々しく頷き、鋭い眼差しで戦場を見渡した。
「――では、そろそろこの混乱を収めに参りましょうか」
そう言うや、ギルバートは静かに歩み出し、前線へと向かっていった。
視察団の後方――廃屋の影
混迷の戦場に意識が集中する中、誰にも気づかれぬまま、数体の人影が静かに蠢いていた。
暗がりの中、ひそやかに息を潜める二人の男――ガルヴォスとベルク。視線の先には、ドゥームとジルたち、視察団の姿があった。
ガルヴォスは戦場を見渡し、目を細める。
「……大乱戦になっているな。これは我々にとって都合がいい…しかしドゥームめ…何故レインハルトを殺りに動かない」
隣で膝を抱えるように屈んでいたベルクが、不機嫌そうに呟いた。
「……あの野郎、裏切りやがったのか?」
ガルヴォスはわずかに首を振り、低く答える。
「……わからない。奴は一体何を考えているんだ…」
ベルクは苛立ちを隠さず、拳を膝に叩きつける。
「クソッ、ドゥームの野郎、チンタラしやがって……この混乱に紛れて、俺たちだけでレインハルトを仕留めちまおうぜ。このまま海路へ逃げる算段もつけてあるんだ」
そして低く付け加えるように呟いた。
「囚人と看守の中にも、十数人は俺たちの兵が紛れてるはずだ……やるなら今しかねえ」
ガルヴォスは少し思案するように視線を落とし、やがてぽつりと漏らす。
「待て……シェイドの姿が見えないということは、奴はまだ第三階層にいて、我々の素性は割れていない可能性が高い。ならば、看守のフリをして接近し、一撃でレインハルトを葬るほうが確実だ」
ベルクはにやりと口の端を歪める。
「……いいねぇ。で、こいつはどうする?」
そう言って視線を横に向ける。そこには無言で静かに座るノーザンが、薄暗い闇の中で剣を握っていた。
ガルヴォスが声をかける。
「……ノーザン。おまえはここで待機しろ。俺が“合図”したら…あの狼みたいな奴をやってくれ。わかったな?」
ノーザンはゆっくりと立ち上がり、淡々と剣を構える。
「……うん…あの狼みたいなやつを…やればいいんだな」
無表情のまま一歩、また一歩と前へ進み始める。鈍重に見える巨体が地を揺らしながら、まっすぐ標的へと向かおうとする。
ガルヴォスがぎょっとして小声で止める。
「……待て、今じゃない!“俺が合図したら”だ。わかるな?この薙刀の柄でドン、ドンと地面を叩く」
ノーザンは振り上げた剣を下ろし、静かに頷いた。
「……うん…わかった」
ベルクが少し呆れたように鼻を鳴らしながら、笑う。
「……ふぅ。まったく手のかかる奴だ。だが、実力は本物だからな。頼んだぞ、ノーザン」
ノーザンは静かに答える。
「……まかせろ…俺は…強い」
ガルヴォスが隣のベルクに目をやり、声を潜めて言う。
「……ゼルファードの守りは鉄壁だ。真正面からじゃ突破は難しい。ノーザンに撹乱させるのがいい」
そして視線を前に戻し、表情を引き締める。
「――では、行くぞ」
二人の影が、沈黙の闇へと溶けるように動き出した。
視察団の背後――
ガルヴォスとベルクが血相を変えて駆け寄ってきた。顔には焦りを滲ませ、武器も手にしたままだ。
「監獄長! 第三階層にて、シャドウレギオンの兵が出現! 現在、シェイド殿とルードヴィヒ殿が交戦中です!」
ガルヴォスの声が響き渡る。
騒乱の渦中に足を踏み出しかけたギルバートだったが、背後の報告に足を止め、眉をひそめた。
「……何? なにゆえ、第三階層に?」
グレンダルが歯噛みするように唸った。
「……クソッ、こっちに戦力を集中させておいて――C-7を狙ったか!」
喧騒の中、場の空気が静まり返る。誰もが何が起こっているのか読み切れず、硬直する中――
ドゥームだけが、低く含み笑いを漏らしていた。
「……クククク」
その異様な笑みを背に、ガルヴォスとベルクがさりげなく目配せを交わす。
次の瞬間、ガルヴォスは手にした薙刀の柄を――ドン、ドン、と静かに地面に二度叩きつけた。
それは、あらかじめ取り決められていた“合図”。
ゼルファードの眉がわずかに動く。
(……今の音は?)
鋭い視線が一瞬、廃屋の奥へと向けられる。だが、気配は薄く、視認には至らない。
その直後、少し離れた廃屋の影で待機していたノーザンが、ピクリと反応し、ゆっくりと立ち上がる。
同時に、ガルヴォスは視察団の前方から、ベルクは後方から、すっとザルバド・レインハルトの方へと歩み寄っていった。
「――レインハルト、死んでもらうぞ」
ガルヴォスがそう呟いた瞬間、ナギナタが空気を裂き、鋭く軌道を描く。
続けざまに、ベルクの鉄杭が重い唸りをあげて襲いかかった。
「……何?! 貴様ら!!」
ギルバートが叫ぶ間もなく――
二つの殺意を孕んだ一撃がレインハルトに迫る!
混迷の戦場のただ中で、幾重もの策謀が絡み合う。
正義も、信念も、復讐も、そのすべてが――ただ一人の命を奪うために収束していた。
今、深海監獄アビスロックの第二階層で、歴史を動かす刃が振るわれようとしている。
――この一撃が、未来を決する。
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