鬼退治

フッシー

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兎鍋

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 小春と晶紀の前に、大府を囲う巨大な石垣が姿を見せたのは、すでに陽が傾いてからのことだった。
 赤い夕陽の光を浴びて黄金のように輝く石の壁は、一分の隙もなく小春たちの前に立ちはだかっていた。
「さて、ここまでは来たが、すぐに中に入るつもりかい?」
 小春が晶紀に尋ねた。晶紀は目の前の石垣に圧倒されているようだ。
「冬音様は、きっとこの囲いの外側にいらっしゃるはずです。周囲を調べてみましょう」
 小春と晶紀は、石垣に沿って反時計回りに一周してみることにした。
 歩きだしてすぐに、大府が予想を遥かに超える大きさであることを痛感した。石垣の際が見通せないのである。
「一周するのに一日は掛かるんじゃないか?」
 その通りであった。一つ目の角を曲がる頃には陽は落ちてあたりが暗くなっていた。
「完全に暗くなれば、誰かがいても気づかないぞ。今夜はこのあたりで夜を明かしたほうがよさそうだ」
 大きな石が椅子代わりになりそうな場所を見つけ、早速たき火を焚いて、携帯していた食料を袋から取り出した。
「贅沢は言えないが、いい加減この食事にも飽きてきたな」
 小麦粉の焼き菓子を食べながら小春はぼやいた。
「大府の中には食材も豊富にあるでしょうから、明日になったら私が見に行きます」
「大府で調達するのもいいけど、このあたりにも食材はあるんじゃないかな?」
「このあたりですか?」
「ああ、木の実や野草が一杯採れそうだ」
「でも、木の実には注意しないと」
「まあ、そうだな」
「調理器具があれば煮炊きできるのですが」
「鍋ならあるよ」
「えっ?」
 小春は森神村で鍋を譲り受けていた。夕夏が使っていたものだ。小さくて携帯しやすく、旅にはぴったりだろうと与一が勧めてくれたのだ。
「小刀もあるから、ある程度は調理できる」
「ならば、明日は食材を探しながら旅をしましょう」
 晶紀は嬉しそうに小春に提案した。
「それはいいが、肝心の冬音探しを忘れないようにな」
 小春は、浮かれている晶紀に釘を刺した。

 夜、月影は大府の門の前に再びたどり着いた。
(来たのはいいが、これからどうするかな)
 小春は妖怪だから、大府には入れない。あきらめて戻るつもりならどこかで出会ったはずだから、この先に進んでしまったか、そうでなければ、まだこの周辺をうろついているはずだ。
(そう言えば、連れがいたな)
 その連れが誰か月影は知らないが、人間であるならば小春の代わりに大府の中にいる可能性はある。
 月影は周囲を見渡してみたが、闇夜の中で人を探すのは無理があった。
(とりあえず、どこかで夜を明かすか)
 月影は左手の方に進んでみた。
 石垣の上の櫓にはかがり火が焚かれ、それが暗い空を背景に等間隔に連なっているのが見える。
 正面には小高い山があるようだ。その山肌にいくつもの灯りが赤く光っていた。
(こんな夜に、人がいるのか?)
 そう思って進んでいるうちに、何人かの見張りがいるのが目に入った。
 月影はこのまま進むべきか、引き返すべきか悩んだが、見張りの一人が気づいたらしく、こちらに近づくのが分かると
(引き返すとかえって怪しまれそうだな)
 と思い、そのまま進み続けた。
「止まれ」
 近づいて来た見張りの命令に従い、月影は歩みを止めた。
「この先に何かあるのですか?」
 月影の質問に
「今、この先は通り抜けができない。大府に用があるのか?」
 と答えてはくれない。
「いや、大府に寄るつもりはない。通り抜けたいんだが」
「それなら悪いが、反対側を通ってくれ」
 通り抜けできないなら、小春もこちら側にはいないと月影は推測し、指示に従うことにした。
「わかったよ」
「すまないな」
 一言詫びた後、見張りは元の持ち場へ戻っていった。
(しかし、いったい何の準備をしているのだろうか)
 月影は、この先で一体何をしているのか気になりながらも、元の道を引き返していった。

 桜雪と紫音が、切り開かれていく山の様子を眺めている。
「こんなに急いで準備しなきゃならないのか?」
 紫音が桜雪に尋ねた。
「年寄衆の命令だからな。止むを得まい」
 桜雪がそれに応えた。
「確かに、すでに鬼が出現している今、できるだけ急いだ方がいいのは分かるが、こんなに夜遅くまで働かせては人足も倒れてしまう」
「我々兵士には口出しはできんよ」
 桜雪の言葉に、紫音もそれ以上は何も言えなかった。
「明日も早いからな、そろそろ戻るとしよう」
 二人は、朝から見張りの仕事で大府の周囲を巡回していた。先程、夜間の担当者に引き継ぎ、今日の仕事を終えたところだった。
 北側の門のある方へと歩きながら、桜雪は紫音に話し掛けた。
「今のところ、このあたりに鬼が出たという話はないな」
「どちらかと言えば、八角村が大丈夫なのかが気になるな。千代殿も心配だろう」
「できれば、また我々が同行できればいいのだがな」
「年寄衆に頼んでみたらどうだ?」
「俺が?」
「当然だろう。こういうのは兵士長の務めだよ」
 桜雪は兵士長という役職だった。兵士たちのリーダー的な存在だが、どちらかと言えば雑用係と言った方が合っているかも知れない。
 紫音と正宗は桜雪の指揮下にあった。しかし、桜雪と紫音は同期であり、お互いに敬語などは使わない。正宗は桜雪に対して敬語を使うが、彼は誰にでも口調が丁寧であるから桜雪だけ特別というわけでもない。
「こういうときだけ兵士長と呼ぶんだな」
「こういうときのための兵士長なんだよ」
 紫音が笑みを浮かべて応えた。
 堀の近くを歩いていると、水を打つ音が聞こえた。魚でも跳ねたのだろう。水面は暗く、静かに波打っていた。
「冬音殿がいう儀式というのは、いったいどんなものなのだろうか」
 桜雪がまた紫音に話し掛けた。
「山を丸ごと使って行うんだ。かなり大掛かりなものなのだろう」
「それだけだろうか」
「どういう意味だ?」
「冬音殿の求めに応じた時の年寄衆は、かなり思い詰めた顔をしておられた」
「儀式のために山を開拓するんだから、簡単に首を縦に振ることはできないだろう」
「応じる前なら分かる。でも、すでに儀式を行うと決めた後だぞ。何も思い悩む必要はないはずだ」
「人足を雇う出費がかさむからな。どこから捻出するか思い悩んでいたんだろうよ」
「年寄衆が毎日遊んでいても心配ないほど財源があるんだぜ。そんなことで悩むはずがないだろう」
 桜雪の言葉に、紫音は桜雪の顔を見て尋ねた。
「すると、何か他の理由があると?」
 桜雪は軽くうなずいた。
「ああ、その理由というのはわからないが。だから、どんな儀式なのか気になるのだ」
「それなら、冬音殿に直接聞いてみたらどうだい」
「直接? 教えてくれるわけないだろう」
「いや、お前が頼めば教えてくれるさ。何せ、冬音殿はお前に惚れているようだからな」
「ばかな」
「誰が見てもわかるよ。あんなに露骨にされてはな」
 桜雪は、ため息をついた。
「正直言って、俺は冬音殿は苦手だ」
「その気持ち、分からんでもないな」
 紫音は苦笑いしながら桜雪の顔を見た。

 朝の日差しを浴びながら、小春と晶紀は目を覚ました。
 いつもより少し起きるのが遅くなったようだ。昨日の一件で疲れていたのかも知れないと小春は思った。
 食事をとり、出発の準備をする。
「さて、それじゃあ、食材を探すか」
 二人は木の香り漂う森の中、冬音を探す目的も忘れて食材探しに没頭した。
 小春は子供の頃から山を駆け回っていただけあって、食材となる木の実や野草を熟知していた。
「小春様、これは食べられますか?」
「ああ、塩で揉んで食べると美味しいぞ」
「この木の実、色が鮮やかで美味しそうですね」
「いや、それは人間が食べると毒だ」
 晶紀は、どれが食べられるのか全く知識がないため、一つずつ確認しながら採取していった。
 そうして、あっという間にたくさんの食材が集まった。
「香草がたくさん採れたな。肉を焼く時に香り付けに使ったり、煮物に入れたりしてもいいな」
「お肉ですか。さすがにそれは無理そうですね。やはり、私が大府に行って手に入れて来ましょうか?」
「いや、もしかしたら手に入るかも知れない。もう少し先へ進んでみよう」
 陽が真上に達した頃、小春が目的の獲物を見つけた。
 小春が素早く身をかがめるのに気づいて、晶紀が小春の目の先を追うと、そこには一匹の兎がいた。
「まあ、かわいい」
 晶紀が思わず声に出すのと、小春が刀を兎に向けて槍のように投げたのがほぼ同時であった。
 刀は見事に兎の首あたりに命中した。
 晶紀は、手に持っていた野草を全て手放し、今見たことが信じられないというような顔で口を押さえた。
 小春は、仕留めた兎の方へと近づいていく。
「よし、これで煮込み料理を作ろう」
 刀を引き抜き、兎の後ろ足を持って晶紀の方へと掲げた。晶紀は、まだ驚いた表情のまま固まっている。
「どうした?」
「小春様、なんてことを」
「兎を食べたことがないのか?」
「・・・あります」
「そのとき食べた兎もこうやって仕留められたんだ」
「そんな、酷すぎます」
 涙ぐむ晶紀に、小春は言った。
「初めて見たのか?」
 晶紀はうなずいた。
 小春は、仕留めた兎の方を見た。首からは血が滴り落ち、その血は地面に吸い込まれていく。
「生きていくためには、残酷なこともしなきゃならない」
 小春は、晶紀の方を見て問い掛けた。
「それに目を背く方がひどいとは思わないか?」

 小春は袋から小刀を取り出すと、慣れた手つきで兎を解体し始めた。
 肉を岩の上に並べたら、次に周りから大きめの石を拾い集めて即席のかまどを作り、火を焚く。
 それから鍋を火に掛けて肉を焼き、火が通ったところで水と兎のももの骨、香草を加えた。
「この香草は、肉の臭みを消してくれるんだ。骨からはいい出汁が出るよ。本当は半日くらい煮込んでおきたいけどね」
 鍋からは湯気が立ち、美味しそうな匂いを漂わせる。晶紀は、まだうつむいたまま膝を抱えて座っていた。
 木の枝で作った即席の箸で、小春は肉を一口頬張った。
「間に合わせの材料で作ったにしてはいいんじゃないかな」
 最後に、野草を彩りよく鍋の中に入れて、兎鍋の完成だ。
「晶紀さん、食べてみなよ。兎なんて、滅多に食べられるものじゃないよ」
 晶紀は、泣いて目を腫らしながら、小春の方をじっと見つめる。
「私には、とても食べられません」
 小春は、そんな晶紀の顔を見て言った。
「せっかくもらった命だ。ちゃんと食べてあげないと、その方がかわいそうじゃないか」
 小春の言葉を聞き、晶紀は小さくうなずいて鍋の方へ近づいていった。
 鍋から兎の肉を箸でつまみ、一口食べてみる。
「・・・おいしい」
 晶紀の顔が少しほころんだ。
 鍋の肉や野草をつまみ、採った果実を食べ、その日の昼食は非常に満足なものになった。
「このあたりは食材が豊富にあるな」
「そうですね。こんなに美味しい野草がいっぱいあるなんて知りませんでした」
 小春は、木の間から見える高い石垣の方に目を遣った。
「あの中にいる人間は、こんなに豊かな自然があることを知らないのかな」
「知っていたら、今頃は全部採られて何も残っていないんじゃないかしら」
「それもそうだな」
 今、小春たちは大府の南西側に位置していた。
「まだ半分も来ていないのだな。本当に大きいな、大府は」
 小春は立ち上がり、大きな伸びをしてから晶紀に向かって言った。
「そろそろ片付けて出発することにしようか」
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