【完結】狼は吠えない ー元アルファの少佐、副官のつがいにされるー

隙間ちほ

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16.情報部

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 今日も部下達は不自然によそよそしい。ロルフの苦虫を噛み潰したような顔は、当分元に戻らなさそうだった。
 眉間に皺を寄せたままのロルフは、一人貴賓棟に向かって歩いていた。将校用の執務室が連なる場所であり、兵站司令部の玄関口でもあり、ロルフの居る一般棟とは渡り廊下で繋がっている。廊下の先は、床の材質まで変わる。革靴の響きもどこか穏やかで優雅にすら聞こえた。
 大佐の部屋に入室したロルフは、すぐさまきっちりとドアを閉めた。無用で無意味な気遣いなんてもう十分だ。大佐はわずかに眉を上げたが、何も言わなかった。開けておけなんて言わないでくれ、というロルフの無言の意思表示を汲み取ったのだろう。
「お呼びですか」
 直立し、敢えてそっけなく尋ねたロルフに対し、ミュラー大佐は頷く。
「ああ、わざわざすまない。人伝てで話せるような事じゃなくてな」
 それから大佐は、ロルフに向かって小さく手招きした。怪訝な顔のロルフが執務机のすぐそばまで寄ると、大佐がわずかに身を乗り出す。
「先日、情報部から君について聞かれた」
「……!」
 ひそめた声で告げられ、ロルフは息を呑んだ。
 情報部とは言わずもがな、参謀本部においての情報管理及び調査分析の担当部署である。要するに諜報機関だ。長年軍にいるロルフを今更調べる理由など、夏の初めに起きた『転化』の件――と、それに付随した少尉との件――しか考えられない。しかし、まさかそんなことで諜報機関までもが動くなんて、さすがのロルフも想像していなかった。
「……なぜ……聴取はもう終わって、処遇も既に決定したはずでは?」
 背中にイヤな汗がつたう。搾り出すようなロルフの疑問に対し、大佐は首を振った。
「出頭命令でなくてわざわざこちらに来た、ということはおそらく非公式な調査だ」
「非公式? なぜ? なんのために?」
 ますます混乱するロルフへ、ほんのわずかに痛ましそうな視線を向け、大佐は続けた。
「……こんな事が可能なのは、上層部よりもさらにだ。そうする理由がある、となるとさらに限られる。つまりは十中八九、参謀総長閣下の手回しだろうな」
「……」
 ロルフは、知らず拳を握っていた。参謀総長、すなわち軍の実質的な最高司令官、そして他でもない、ファルケンハウゼン少尉の祖父である。
「君とは付き合いが長いからな。入隊してからだからもう10年、いや15年以上か。まったく、あれこれ掘り返すように尋問されて、参ったよ」
 心底うんざりしたように大佐は頬杖をついた。あれこれとは何か、ロルフは問いただす気にもなれず黙って目を伏せた。
「あー、ところでその、いつから『そう』だったのか、聞いても?」
 ミュラー大佐がさりげなく、という風を醸し出しながら聞いてくる。それが無性にカチンと来て、ロルフは眉間に皺を寄せた。なんだそのあからさまな質問は。どうせ情報部から何か言われたんだろう。
「いつから? どういう意味ですか」
 ロルフは自然と声が低くなった。
「あ、いやあの、……」
 少しだけ誤魔化すように白々しい笑みを浮かべたミュラー大佐だったが、結局諦めたらしい。大仰に肩をすくめて息を吐いた。
「実を言うと、前から知ってたんじゃないかって随分詰められた」
 ほらみろ、やっぱりな、とロルフは思った。
「……もし昔からなら、発……、、とかいうやつがあるはずです。貴方の副官をやってた頃、自分が何日も寝込んだことがありましたか?」
「ええっと……」
「いつもいつも仕事を丸投げされて、まとめて休めた事なんかありませんよ」
「ハハ……そうだったかな、ちょっと記憶が……」
 話の雲行きが怪しくなったことに気づいた大佐が下手な誤魔化しを口にするので、ロルフは余計に腹が立ってきた。
「いつもそうだ、変な話を拾ってきては人に押し付けて。俺がどれだけ苦労したと思ってるんですか?」
 一度口を開くと止まらなくなってしまった。大佐の失敗したような薄笑いを見ていると余計に。
「今だって購買課にかかりきりで支援課の業務なんかほとんど確認せずにサインだけしてるの知ってますからね! 大体、貴族の教育係だって元は貴方が勝手に請け負った話だったじゃないですか! そんなんだから……!!」
 次第に声は大きくなり、気がつくと大佐の執務机に両手をついて身を乗り出していた。
「すまん、すまない、いやー君が優秀だからつい……」
「つい?!」
 この野郎、いっそ襟首掴んで揺さぶってやろうか。目の前のヘラヘラした顔のせいで、長年叶わなかった衝動が再び顔を出しそうになる。ロルフの形相をどう思ったのか、大佐は椅子ごと後退り、両手を上げた。
「えー、この件は後で話し合おう。ごめん。ごめんって」
「……」
 いい加減な謝罪だったが、なんとかロルフは衝動を飲み込んだ。を拾う悪癖のある大佐は、しかしながらそれゆえに、『アルファであり貴族の端くれ』という肩書きだけで敬遠され、中々配属の決まらなかったロルフを自分の副官にしたのだ。大佐がこういう性格だからこそ、今ロルフはここにいる。それを思い返せば多少の苛立ちも積年の無理難題に対する恨みつらみも押し込められる……はずだ。
 何度か深呼吸してからロルフは頭を下げた。
「……すみません、口が過ぎました」
 構わない、と手を振り大佐はため息をついた。
「少なくとも、君自身も体質について知らなかったというのはよくわかった……君は、隠し事があればに隠そうとするからわかりやすい……あー、まぁ、なんだ、とにかく。君、怒って煙に巻こうなんて手段は取らないだろ」
 ロルフは口を引き結んで奥歯を噛んだ。これだからこの人は油断ならないのだ。
「……だからって、わざと怒らせようとするのはやめてください」
「悪かったよ、君に関してはこれが一番手っ取り早くてね」
 大して悪びれた風もなく、大佐はニヤニヤとこちらを見上げる。また乗せられてしまった、という苦い気持ちと、潔白を信じてもらえた安堵感が同時に湧き上がる。自分がどんな顔をしていたのか、わからない。ただ、大佐が微かに同情を滲ませた目をしているのはわかった。奥に押し込めようとした不安の影を見られてしまったようで、ロルフは居た堪れなくなった。
「ま、どうせまた来るだろうから、その時はちゃんと証言しておくよ。君は別に何か隠してたわけじゃないって」
「……はい」
 絞り出した声が、少し震えてしまった。

 ◇
 
 自分の来歴を探られているというのは、存外に気持ち悪さがあるものだ。うんざりした心持ちでロルフはため息をついた。
 司令部の玄関口は吹き抜けになっている。大佐の部屋から出てすぐの場所にあるそこを通りかかったロルフは、ふと階下を見た。一階の受付前に見慣れない軍人が二人、連れ立っているのが見える。一人は受付で入館手続きでもしているのだろう。もう一人はそのすぐ後ろで、周囲を眺めるようにして立っている。そのズボンの脇、腰からくるぶしまでまっすぐ降りた赤のラインがこの距離でもよくわかった。
 ――紛れもなく、参謀本部勤めの証だ。
「……!」
 ゾッとした。背筋が一気に冷たくなって、ロルフは息を詰めた。
 参謀本部の人間が兵站司令部を尋ねて来るなんて、別に珍しい事じゃない。第一、参謀本部の人間だからって全員が情報部員というわけではない。そう頭ではわかっているのに。今聞いたばかりの話のせいだ。
 人の気配に気づいたのか、手持ち無沙汰に待機していた方の軍人が不意にこちらを見上げてきた。目が合った気がしてロルフは慌てて吹き抜けから離れた。そのまま早足で一般棟に続く道を帰っていく。
 何も考えないようにひたすらに足を進ませる。渡り廊下を超えたところでようやく詰まるような心地から解放された気分になる。ロルフは足を止め、壁に手を付いて深く息を吐いた。
「なにやってるんだか……」
 自嘲気味に呟く声に覇気がない自覚はあった。
 ――探られて困るようなことなどない。好きに嗅ぎまわればいい。後ろ暗いものなんて出てくるわけないのだから。
 開き直るようにロルフは思い直して顔を上げた。
 見慣れた廊下を歩く途中、ロルフは向こうから来る輸送課長補佐……ヴァグナー少佐に気がついた。相手もロルフに気づいたのか、一瞬動きを止める。
 何を言われるだろうか、とロルフが身構えた途端、予想を超えてヴァグナー少佐はロルフの方へ突進してきた。
「おい! 下半期の予定表、なんだあれは! 余白だらけじゃないか!!」
 手にした書類がバサバサと風に煽られる音がうるさい。肩を怒らせて早足で寄ってくる輸送課長補佐を前に、ロルフは目を瞬かせた。
「またお得意の『あとは現場の采配で』ってやつか?! ふざけんなよいつもいつも……」
「ヴァグナー少佐」
「なんだ!」
 今にも噛みつかんばかりの態度は、以前と何も変わらない。ロルフはそれが無性に嬉しかった。突きつけられた紙面を見下ろし、ロルフはポツリとつぶやいた。
「……いや、ありがとう」
「何?! な、なんだ、急に……」
 思わぬ反応にヴァグナー少佐は狼狽え、それからハッと顔色を明るくした。
「予定表は修正してくれるのか?」
 しんみりした顔のままで、ロルフは首を振った。
「修正はしない」
「はっ?!」
 目を剥くヴァグナー少佐を無視してロルフはペラ、と紙を捲る。
「こことここは毎年前線からの横槍が入るから開けてる、あとこの件はまだ上が揉めてたって聞いたしどうせ後ろ倒しになるだろうから開けてる。ついでにここは……棚卸しと不明物資の再調査で毎年長引くから開けてる。この辺とかもまぁ似た様な理由だな。我ながら素晴らしい采配だ。以上」
 淡々説明し終えたロルフは、手の中の紙束を突き返した。神妙な顔で付け加える。
「あとは現場の判断に任せる」
 紙を受け取ってぱくぱくと口を開け閉めしていたヴァグナー少佐だったが、ロルフが踵を返した途端に息を吹き返し、ぐわっと眉を吊り上げて怒鳴った。
「この野郎!!!」
 さっさと歩き出したロルフは、小さく笑いながら背中越しに手を振った。
 ヴァグナー少佐の罵倒で気分が軽くなるなんて、おかしな話だ。それでも行きよりずっと胸の支えが取れたように感じた。
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