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炎と竜の記録
闇夜に息を潜めて
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市壁の上には沢山の松明が並べられ炎がパチパチと爆ぜる音だけが闇夜に響く。
日が暮れて、その残光すら大地に飲み込まれた後の闇夜。
欠けた月の投げ掛ける心許ない明かりと松明の弱々しい光では、暗闇に何が潜んでいるのかを暴き出すことは難しい。
もしも、そこに霧が薄っすらとでも立ち込めたのなら尚更だ。
リオンは肥大化した名残である、複数ある井戸のうちで最も外側にある井戸。それも昼間に盗賊たちが現れた側とは逆の方角にあるものの前に立って意識を集中させていた。
気分は最悪で、自分への嫌悪感で吐き気がする。
これからやる事は命を繋ぐことだと言い聞かせてみても、少なからぬ命を見捨てて逃げるのだと責め立てるもう1人の自分が嘲笑う声がいつまでも消えて無くならない。
大きく深呼吸して、もう一度集中をいちからやり直す。
任された以上は最大限の力で行わなければいけない。
それは自分のためにではなく、信じて任せた者たちの為である。
「水よ」
静かに命令する。
触媒も制御陣も使わずに精霊の力を呼び起こすなど前代未聞で危険極まりない行いであるが、既に一度成功しているのだから上手くいくはずだ。
ただ深く深く、深淵の底へ沈んでいくが如き集中を持って魔力の流れを制御し、望んだ形へ精霊の力が活性化するよう繊細に形を整えていく。それは永遠と錯覚するような一瞬の時間の中で行われる。
――霧だ。本当に霧だ。
そう驚きに呟く声が上がるが、リオンには聞こえない。
ただ現れ始めた力をコントロールし、これを外へ外へと広げていく。
井戸の水は無限とも思えるほどの水の精霊の力に満ちてる。
故に少しでも集中を緩めれば、たちまちに注ぐ魔力の全てを飲み込んでしまうだろう。
だから慎重に、必要な量だけの精霊の力に飲み魔力を注ぎ込んでいく。
まだだ、まだ足りない。
霧の範囲を広げる事に精神は擦り減り、失われる魔力の量も急激に増大していく。
あと少し――。
「……終わりました」
滝のような汗をかきながらリオンは目を開ける。
そして逸れないよう全員の手がしっかりと握られた事を確認して、最後に自分もそこへと加わり歩き出した。
前とは違う均一な濃度の霧の中で、もしも互いの場所を見失えば逸れることは必至。
リオンはただ一人、霧の影響が薄いため先導役を務めた。
門の手前まで来て一度立ち止まる。
――まだ早い。
――まだだ。
――まだ。
焦れる気持ちを押さえ、その時を待つ。
『うおおおおおおおおおおおおおお!!!!』
遠くで聞き覚えのある声の雄叫びが上がった。
それは戦いに己を鼓舞するためではなく、合図のためにブレイスが行ったものだ。
「行きましょう」
門を数人がかりで押し開ける。
十分に通れる隙間を開けたところで一度止まり、耳を澄ませて伏兵がいない事を確認する。自分たち以外の息遣いや衣服の擦れる音が聞こえない事を確認して、リオンは外へと足を踏み出す。
村は草原のど真ん中だが、暫く歩けば山の麓に広がる森へ入る事が出来る。
勿論、魔物などの危険がないわけではないが過去の人々が安全に山と行き来するために手を尽くしたおかげで、それほど脅威になる魔物は滅多な事では姿を現さなくなっているらしい。
そこまで辿り着ければ盗賊たちが追ってくることは無いだろうと村長は言っていた。
ただ、リオンの魔力ではそこまでの道のりを霧で隠すことは不可能である。
だから町を出て少しのところからは、闇夜に身を隠して進むしかない。つまり夜のうちに移動を終わらせなければいけないという時間制限があった。
この人数となるとどうしても進行が遅くなるため、日が昇る前に目的地へ辿り着けるか不安だ。
だから少しだけ足を速める。
本当は今にも駆け出したい気持ちだが、それで後ろに続く者たちとはぐれてしまっては元も子もない。
リオンは少し振り返ってその手に繋がっていく者たちを見る。
多くは霧の中で薄っすらとした影にしか見えない。しかし小さな子供の影、腰の曲がった老人、それら戦う力の無い者たちが不安に我慢しながらついてきているというのは分かる。
前へ歩く。今自分に出来るのはそれだけだ。
「っ?! 皆さん止まって……!」
小声で、しかしハッキリと後ろへ伝える。
伝言ゲームの要領で指示が流れていく中、リオンは息を殺して前方を睨む。
揺らると動く影が三つ。
それは人の形をしており、ブツブツと互いに文句を言いあっているようだった。
「たく、これじゃ何も見えやしねぇ」
「でも逃がしたらお頭が煩いぜ?」
「わーってるよ。しかし楽な仕事が当てられたと思ったのに災難だ」
「やっぱり外の方で待ったらどうだ? あっちの方が霧が薄いだろ?」
「そうだな。待ち伏せならココがベストだと思ったんだが、こんなならソッチの方がよさそうだ」
影は方向転換したようで、徐々に薄く消えていった。
やはり待ち伏せていた。
背中が嫌な汗でグッショリと濡れていく。
まだまだ目的の森までは距離があるのだが、この辺に盗賊たちがいるとなると容易に動くわけにもいかない。少しずつ、安全であることを確認しながら時間をかけて進むしかないか。
幸いな事に霧の維持そのものには魔力はそれほど要らない。
霧を作るのに多くを失っていても、まだしばらくはこの霧の世界は持ちこたえられる。
重要なのは霧を抜けるタイミングで、盗賊たちが近くにいない瞬間を狙わなければならない。
彼らは外側に待ち伏せていると言ったが、霧の範囲は広い。多くの戦力は村の方に割かれているであろうから、少数の巡回するような監視、或いは決めた場所に張り込むようにしているはずだ。
霧の影響が少ないリオンは、他者からは見えないが自分はそれなりに見渡すことができるギリギリの縁に立って目を細める。
巡回している影はおそらく3グループ。流石に少なすぎるため、他はどこかに隠れて機をうかがっているのだろう。
リオンの目から見て潜伏による待ち伏せに絶好のポイントは右に2つと左に1つ。
右はゴツゴツとした岩場があり、その物陰になら身を隠すのに最適だ。左は窪地になっており、仮に地面に伏せられていたらこちらからその姿を見ることはできないだろう。
さて、どうする。
時間には制限があり、ずっと霧の中に隠れているわけにはいかない。
霧が無くなれば闇夜だけが唯一の身を隠す道具となるから、夜明けが訪れても時間切れだ。
今までに背負った事のないほどの重責に気持ちが押しつぶされそうになる。
リオンは静かに深呼吸をして不安に叫びたくなる心を落ち着けた。
巡回する影が散った。
右の岩場の影で僅かに動くものを見た。
リオンは霧から一歩踏み出す。
通るのは左寄りのルート。
そこなら距離からして岩場にいる者たちはコチラに気がつけない。
音を立てないよう、しかし可能な限り早く。
十分に離れさえすれば、荒野の真ん中であっても闇が姿を隠してくれる。
だから急いでこの場所を離れるのだ。
繋いだ手の先が石のように重い。それはリオンの急ぐ気持ちと、移動の開始に誤差のある後方との距離が引き起こしている事象。
リオンは気持ちに自制をかけ、速度を緩めながら進む。
窪地の脇を通り過ぎる。
一瞬、その向こうから嬉々として飛び出してくる者たちが現れるような錯覚を覚えたが幸運にも杞憂で、窪地に這い蹲っている者など一人もいなかった。
――これなら行ける。
リオンの不安が確信に変わる。
その時だった。
「う、うええええええええええええええええええええん!」
それは泣き声だった。赤ん坊が、お腹が空いたと親へ嘆く声。
リオンは叫んだ。
「全員走れ!」
既に霧からは出ている。ならば明後日の方角へ迷子になってしまう事もないだろう。
ドタドタと慌ただしい足音を響かせながら逃亡者たちは走り出す。しかし、その足音は当然ながら自分たちのものだけではない。
「いたぞー!!」
「さっさと追え! 1人でも逃がしたらお頭に殺されるぞ!!」
リオンは全員に向かう先を指示しつつ最後の一人が横を通り過ぎるのを待って最後尾につく。
霧の魔法は解除した。
あとは、僅かに残った魔力とこの状況でどこまで集中力を高められるか。
月の光を冷たく宿す刃が、すぐ後ろの空気を切り裂く音が聞こえた。
日が暮れて、その残光すら大地に飲み込まれた後の闇夜。
欠けた月の投げ掛ける心許ない明かりと松明の弱々しい光では、暗闇に何が潜んでいるのかを暴き出すことは難しい。
もしも、そこに霧が薄っすらとでも立ち込めたのなら尚更だ。
リオンは肥大化した名残である、複数ある井戸のうちで最も外側にある井戸。それも昼間に盗賊たちが現れた側とは逆の方角にあるものの前に立って意識を集中させていた。
気分は最悪で、自分への嫌悪感で吐き気がする。
これからやる事は命を繋ぐことだと言い聞かせてみても、少なからぬ命を見捨てて逃げるのだと責め立てるもう1人の自分が嘲笑う声がいつまでも消えて無くならない。
大きく深呼吸して、もう一度集中をいちからやり直す。
任された以上は最大限の力で行わなければいけない。
それは自分のためにではなく、信じて任せた者たちの為である。
「水よ」
静かに命令する。
触媒も制御陣も使わずに精霊の力を呼び起こすなど前代未聞で危険極まりない行いであるが、既に一度成功しているのだから上手くいくはずだ。
ただ深く深く、深淵の底へ沈んでいくが如き集中を持って魔力の流れを制御し、望んだ形へ精霊の力が活性化するよう繊細に形を整えていく。それは永遠と錯覚するような一瞬の時間の中で行われる。
――霧だ。本当に霧だ。
そう驚きに呟く声が上がるが、リオンには聞こえない。
ただ現れ始めた力をコントロールし、これを外へ外へと広げていく。
井戸の水は無限とも思えるほどの水の精霊の力に満ちてる。
故に少しでも集中を緩めれば、たちまちに注ぐ魔力の全てを飲み込んでしまうだろう。
だから慎重に、必要な量だけの精霊の力に飲み魔力を注ぎ込んでいく。
まだだ、まだ足りない。
霧の範囲を広げる事に精神は擦り減り、失われる魔力の量も急激に増大していく。
あと少し――。
「……終わりました」
滝のような汗をかきながらリオンは目を開ける。
そして逸れないよう全員の手がしっかりと握られた事を確認して、最後に自分もそこへと加わり歩き出した。
前とは違う均一な濃度の霧の中で、もしも互いの場所を見失えば逸れることは必至。
リオンはただ一人、霧の影響が薄いため先導役を務めた。
門の手前まで来て一度立ち止まる。
――まだ早い。
――まだだ。
――まだ。
焦れる気持ちを押さえ、その時を待つ。
『うおおおおおおおおおおおおおお!!!!』
遠くで聞き覚えのある声の雄叫びが上がった。
それは戦いに己を鼓舞するためではなく、合図のためにブレイスが行ったものだ。
「行きましょう」
門を数人がかりで押し開ける。
十分に通れる隙間を開けたところで一度止まり、耳を澄ませて伏兵がいない事を確認する。自分たち以外の息遣いや衣服の擦れる音が聞こえない事を確認して、リオンは外へと足を踏み出す。
村は草原のど真ん中だが、暫く歩けば山の麓に広がる森へ入る事が出来る。
勿論、魔物などの危険がないわけではないが過去の人々が安全に山と行き来するために手を尽くしたおかげで、それほど脅威になる魔物は滅多な事では姿を現さなくなっているらしい。
そこまで辿り着ければ盗賊たちが追ってくることは無いだろうと村長は言っていた。
ただ、リオンの魔力ではそこまでの道のりを霧で隠すことは不可能である。
だから町を出て少しのところからは、闇夜に身を隠して進むしかない。つまり夜のうちに移動を終わらせなければいけないという時間制限があった。
この人数となるとどうしても進行が遅くなるため、日が昇る前に目的地へ辿り着けるか不安だ。
だから少しだけ足を速める。
本当は今にも駆け出したい気持ちだが、それで後ろに続く者たちとはぐれてしまっては元も子もない。
リオンは少し振り返ってその手に繋がっていく者たちを見る。
多くは霧の中で薄っすらとした影にしか見えない。しかし小さな子供の影、腰の曲がった老人、それら戦う力の無い者たちが不安に我慢しながらついてきているというのは分かる。
前へ歩く。今自分に出来るのはそれだけだ。
「っ?! 皆さん止まって……!」
小声で、しかしハッキリと後ろへ伝える。
伝言ゲームの要領で指示が流れていく中、リオンは息を殺して前方を睨む。
揺らると動く影が三つ。
それは人の形をしており、ブツブツと互いに文句を言いあっているようだった。
「たく、これじゃ何も見えやしねぇ」
「でも逃がしたらお頭が煩いぜ?」
「わーってるよ。しかし楽な仕事が当てられたと思ったのに災難だ」
「やっぱり外の方で待ったらどうだ? あっちの方が霧が薄いだろ?」
「そうだな。待ち伏せならココがベストだと思ったんだが、こんなならソッチの方がよさそうだ」
影は方向転換したようで、徐々に薄く消えていった。
やはり待ち伏せていた。
背中が嫌な汗でグッショリと濡れていく。
まだまだ目的の森までは距離があるのだが、この辺に盗賊たちがいるとなると容易に動くわけにもいかない。少しずつ、安全であることを確認しながら時間をかけて進むしかないか。
幸いな事に霧の維持そのものには魔力はそれほど要らない。
霧を作るのに多くを失っていても、まだしばらくはこの霧の世界は持ちこたえられる。
重要なのは霧を抜けるタイミングで、盗賊たちが近くにいない瞬間を狙わなければならない。
彼らは外側に待ち伏せていると言ったが、霧の範囲は広い。多くの戦力は村の方に割かれているであろうから、少数の巡回するような監視、或いは決めた場所に張り込むようにしているはずだ。
霧の影響が少ないリオンは、他者からは見えないが自分はそれなりに見渡すことができるギリギリの縁に立って目を細める。
巡回している影はおそらく3グループ。流石に少なすぎるため、他はどこかに隠れて機をうかがっているのだろう。
リオンの目から見て潜伏による待ち伏せに絶好のポイントは右に2つと左に1つ。
右はゴツゴツとした岩場があり、その物陰になら身を隠すのに最適だ。左は窪地になっており、仮に地面に伏せられていたらこちらからその姿を見ることはできないだろう。
さて、どうする。
時間には制限があり、ずっと霧の中に隠れているわけにはいかない。
霧が無くなれば闇夜だけが唯一の身を隠す道具となるから、夜明けが訪れても時間切れだ。
今までに背負った事のないほどの重責に気持ちが押しつぶされそうになる。
リオンは静かに深呼吸をして不安に叫びたくなる心を落ち着けた。
巡回する影が散った。
右の岩場の影で僅かに動くものを見た。
リオンは霧から一歩踏み出す。
通るのは左寄りのルート。
そこなら距離からして岩場にいる者たちはコチラに気がつけない。
音を立てないよう、しかし可能な限り早く。
十分に離れさえすれば、荒野の真ん中であっても闇が姿を隠してくれる。
だから急いでこの場所を離れるのだ。
繋いだ手の先が石のように重い。それはリオンの急ぐ気持ちと、移動の開始に誤差のある後方との距離が引き起こしている事象。
リオンは気持ちに自制をかけ、速度を緩めながら進む。
窪地の脇を通り過ぎる。
一瞬、その向こうから嬉々として飛び出してくる者たちが現れるような錯覚を覚えたが幸運にも杞憂で、窪地に這い蹲っている者など一人もいなかった。
――これなら行ける。
リオンの不安が確信に変わる。
その時だった。
「う、うええええええええええええええええええええん!」
それは泣き声だった。赤ん坊が、お腹が空いたと親へ嘆く声。
リオンは叫んだ。
「全員走れ!」
既に霧からは出ている。ならば明後日の方角へ迷子になってしまう事もないだろう。
ドタドタと慌ただしい足音を響かせながら逃亡者たちは走り出す。しかし、その足音は当然ながら自分たちのものだけではない。
「いたぞー!!」
「さっさと追え! 1人でも逃がしたらお頭に殺されるぞ!!」
リオンは全員に向かう先を指示しつつ最後の一人が横を通り過ぎるのを待って最後尾につく。
霧の魔法は解除した。
あとは、僅かに残った魔力とこの状況でどこまで集中力を高められるか。
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