リオン・アーカイブス ~休職になった魔法学院の先生は気の向くままフィールドワークに励む(はずだったのに……)~

狐囃子星

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炎と竜の記録

カウントダウン 3

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 巨大な筆を手にクリフは外の大地に立つ。
 もっとも筆というには些か語弊のある代物かもしてない。
 棒を数本束ね、その先に幾つもの布を紐で固定しただけの代物で毛先のようなものは無く、ただインクを吸い込んで塗りつける事が出来る程度の道具でしかないのだ。
 しかし、今は贅沢を言っている暇はない。
 インクの入ったバケツを持つのは錯乱していた見張り台の男で、冒険者たちの持っていた薬はシッカリと効いたようである。話によるとテルミスの要望によりだいぶ薄めて服用したらしいが、問題はなかったようだ。
 これは嬉しい誤算である。
 薬の量は多くないので、多く必要となった時にどうするかというのは作戦会議の時に問題として挙げられていた。効果のある範囲で薄めかさ増しした量であれば、計算上は少なくとも防衛に当たる者たち全員の分を確保できる。
 錯乱した仲間たちによる同士討ちの危険が格段に減ったと考えれば、それがどれほど大きい事か分かりやすい。
「間に合いますか?」
 背中にかけられた不安そうな声にクリフはニッと笑みを浮かべて振り返る。
「間に合わなかったら全員仲良く死ぬだけさ」
「そんな……」
「だから、間に合わせるしかないだろう?」
 そう言って肩に担いだ筆の先を、地面に置かれたバケツの一つへ乱暴に突っ込む。
 ボタボタと黒い液体を滴らせながら豪快に叩きつけた先は村を取り囲む壁だ。
 急遽作られた足場を使ってクリフは壁の上から下へ駆け回るようにして、風化により赤色の禿げて来ていた壁に黒い紋様を描いて行く。
 視界の端では突貫工事で足場を組んでいる男たちと、もう使わない部分の足場を崩して資材を運ぶ男たち。
 彼らは守備隊の者たちではない。
 女性もいれば老人もいる。子供はいないが、明らかに怪我をしているような歩き方をしている者が一心不乱に釘を打って、その逆に抜く者がいる。
 守備隊や戦える者たちは今、村の中で防衛準備を進めながら冒険者たちに指揮などを叩きこまれている真っ最中だ。盗賊の時には時間が無くできなかったが、付け焼刃であろうとない方がマシというブレイスの判断により行われている。
 この場にいる足場を組む者たちは誰も外を見ない。
 全員が壁と手元、足元だけを見るようにと厳しく言いつけられているからだ。
 数人の志願者により調べられて分かった中に、あの森の影を長く見たり、なんであるかを見極めようとすると錯乱するというものがある。
 つまり自ら何を見るか意識していれば、外でも安全に作業できるのだ。
 クリフが平気だった理由についてはよく分かっていないが、恐らくはキュリウスという精神的に強くつながった存在が支えとなっているからだろうと仮説を立てて納得することになっていた。
「バケツの中がもうすぐなくなるよ!」
「はい、直ぐに!!」
 クリフの怒鳴り声に空になったバケツを持って慌てて走っていく男。
 演武を舞うように筆を振るうクリフの姿につい見惚れてしまったのだ。
 遂にインクが無くなったので、クリフは筆を担ぎ暫し乱れた呼吸を整える。足場の早さは問題なく、インクの補充速度も余所見をしていなければ十分、つまり最終的に間に合うかは自分の筆の早さ次第という事だ。
「まったく、だいぶ歳だってのに酷使させてくれるよ」
 世界に対して不満を上げるも、その目に諦めの色は無い。
「お待たせしました!」
「ようし、再開だ!」
 自らに気合を入れてクリフは再び力強く筆を振るい始める。
 その背中に希望と絶望の二つの視線を受けながら。
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