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第2章 モグラのねぐら

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 もう九月も終盤だというのに、真夏のように強烈な日差しが容赦なく降り注ぐ。草を刈ったばかりの河川敷の土手は、むせるほどの草いきれだ。見渡せば悠然と流れる川の向こうに、のどかな田園風景が広がっている。

 メグルは額の汗をぬぐいながら土手を下った。川沿いには青いビニールシートで覆われた段ボール製の小屋がいくつも並んでいる。狂ったような叫び声に見上げると、都外へ抜ける電車が頭上の鉄橋を通過する音だった。

 『カワノソバ ハシノシタ』

 名刺の裏にはミミズがったような字でそう書かれている。メグルはそこから推察し、あのモグラという男が、この段ボール小屋のどこかにいるはずと踏んだ。

 「おーいモグラぁ、いるかぁ?」

 呼びかけながら、メグルは建ち並ぶ小屋の前を歩いたが、どこからも返事はない。

 「あ、そうか。あいつ自分のことドリュウだと思ってるんだっけ……。お~いドリュー、出ておいで~」

 すると一番端の小屋の扉が開き、中から中年の男が顔を出した。

 「うるせえぞ小僧! 人が気持ちよく寝てんじゃねえか。どっか行け!」
 「あっ、すみません。ここはモグラさんのお宅でしょうか?」
 「な、何ぃ? 誰がモグラだ、この野郎!」

 怒鳴り声を上げるなり中年の男は顔を引っ込めた。すぐにまた飛び出してきた男の手にフライパンが握られているのを見て、メグルはすばやくきびすを返し、土手に向かって転がるように逃げ出した。

 「すみません! モグラじゃなくて、ええと、ドリュウさん知りませんか?」

 怒り狂った中年の男に、メグルの言葉などもはや届かない。
 メグルは必死に河川敷を走り抜け、四つんいになりながら土手を駈け上がった。

 (……もういい加減、追って来ないだろう)

 土手を上り切った直後、確認しようとふり返ったのがいけなかった。
 メグルは目の前にあった腐臭漂う黒い物体に気付かず、正面から思いきりぶつかって尻餅をついてしまった。

 「誰だ、こんなところに生ゴミ袋を置いたやつは!」

 悪態をつきながら見上げたメグルの目に、見覚えのある男が映る。

 「よう兄弟! ガキと一緒に鬼ごっこか?」

 メグルを追いかけてきた中年男に、気さくに声をかける黒ずくめの男。
 その正体は、モグラだった。

 「おう、あんたか……。そこのガキが、俺んちの前でわいわい騒ぐからよう」
 声をかけられた中年男が、ばつが悪そうに頭を掻きながらこたえる。

 「ガキンチョ相手にそう熱くなんなよ。近頃はイジョウキショウだかユズコショウだが知らねえが、ただでさえクソ暑い日が続いてるってのによ」

 「そりゃあ、そうだな。いつまでも暑くてたまらんぜ。またな兄弟!」
 中年男はメグルを睨みつけ、ふんっと鼻を鳴らすと、段ボール小屋に帰っていった。

 「な、なんだ……。やっぱり……知り合いじゃないか……。さっき……お前の名前を出しても……知らない顔……してたぞ……」

 膝に手をつき、乱れた呼吸を懸命に整えているメグルに一瞥いちべつをくれて、モグラが歩き出す。

 「ここらじゃ名前なんかで呼び合わねえの。過去も未来も関係ねえしな……。おいらの家はあっちだぜ。ついてきな」


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