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第7章 クラスメイト

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「桜子先生もクラスのみんなも、ぼくの息子を馬鹿にしすぎだ!」

 ぶつぶつと文句を言いながら保健室へ行くと、いつも通り深川先生はイビキをかいて寝ていて、いつも通りトモルはベッドに座って本を読んでいた。

 (ここは元父親として、理解ある態度でのぞまなければ!)

 メグルはトモルのとなりに座ると、読んでいる本をのぞき込んだ。

 『化学薬品の基礎と応用』……。

 とてもこの難しそうな本から話を広げる自信がないメグルは、仕方なく真正面から攻めてみることにした。

 「ねえトモル、前にいつのまにか、みんなから無視されるようになったって言ってたよね?」

 「うん……」

 「なんでそんなことになったか、心当たりとかある?」

 「ないよ。だって突然、みんなに無視されたんだもん」

 「誰かが先頭に立って、トモルをいじめてるんじゃないの?」

 トモルはしばらく考えていたが、やがて、ぽつりとつぶやいた。

 「誰でもない……」


 メグルは前髪をくるくると指に絡ませながら考えた。

 (いじめというのは、だいたいタカシのようなクラスに影響力を持つ者が先頭に立って始めるものだ。なんのきっかけもなく、しかも同時にクラスのみんながトモルを無視するなんて、あるのだろうか……)

 「原因を探してみよう。トモルが気付いていないだけで、何かきっかけがあるはずだよ」

 しかしトモルは眉間にしわを寄せると、

 「なんでぼくに原因があるみたいに言うのさ! いきなりみんなが無視するようになったんだ! 悪いのはみんなじゃないかっ!」

 と怒鳴って、メグルに背を向け黙り込んでしまった。

 (トモルにはいじめられる心当たりがないし、特定の誰かがいじめを扇動せんどうしているわけでもない……)

 早くもメグルは行き詰まってしまった。

 ならばと今度は、棚の中から筒状に巻かれた包帯をいくつも取り出し、テーブルの上に並べた。

 次に保健室のあかりを消してカーテンを閉め切る。

 トモルのいぶかしげな視線を感じつつも、メグルは薄暗くなった部屋のなか、壁に備え付けられた非常用の懐中電灯を手に取り、トモルの反対方向から、沢山の並べられた包帯に向かって光を当てた。

 「トモルの方向からは、何が見える?」

 「……影になった、沢山の包帯だけど……?」

 テーブルの上の包帯とメグルの顔を、いぶかしげに見つめるトモル。

 「そう。光の当たってない部分は影になって黒く見えるだろ? これがトモルが見ているクラスメイトの姿だよ。みんな黒くて、いかにも意地悪そうだよね。でもこの包帯を、横から見てごらん」

 トモルはベッドからとんっと降りて、包帯を横からのぞいた。光の当たっている半分が明るく、当たっていない半分は暗くなっている。

 「これが、クラスメイトの正体さ」

 何を言っているのかわからない様子のトモルに、メグルが続けた。

 「世の中には良い人間と悪い人間がいるんじゃない。この包帯のように誰もが光と影、良い面と悪い面を持っているんだよ。そしてトモルはいま、クラスメイトの影、つまり悪い面ばかりが見えてしまっているんだ」

 トモルはまだ難しい顔をしている。

 「暗い影ばかりを見せる包帯を、どうしたらいいと思う?」

 「……わかんない」

 メグルはトモルに懐中電灯を持たせて包帯を照らさせた。暗い影を見せていた幾つもの包帯が、光を受けて明るく輝く。

 「トモルが光を当てるんだ。クラスメイトのみんなに! こんなところに引きこもっていないで教室に行ってみんなに笑いかけてごらん。トモルの笑顔がみんなを照らせば、みんなもきっとトモルに笑顔を見せてくれるよ! この沢山の包帯みたいに……」

 光を受けて温かく輝いている包帯を、メグルが指差す。

 包帯を見つめるトモルの目から、ぽろりと一粒、涙が落ちた。しかし、すぐにぶるぶると頭をふって叫んだ。

 「できないよ、いまさらそんなこと! 何でぼくがそんなことしなくちゃいけないのさ! 悪いのは突然ぼくを仲間外れにした、みんなの方じゃないか!」

 懐中電灯をメグルに投げつけ、トモルは保健室から走り去ってしまった。

 (……わかってる。それが簡単にできるなら、とっくに人間界など卒業している……)

 投げつけられた懐中電灯を見つめながら、メグルが肩を落とす。


 「んああ……。が落ちるのが早くなったねえ……」

 目を覚ました深川先生の大きなあくびが、薄暗い保健室のなかを物悲しげに響いた。



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