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第8章 前世の妻

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 あかりのついていない廊下に、トモルの服や靴下が脱いだままに散乱している。

 突き当たりのダイニングキッチンは闇に沈み、隣家の窓から漏れ出た明かりがわずかに差し込んでいた。

 温もりのあるその明かりは、くっきりとした暗い影を生みだし、床に転がるワインの空き瓶やゴミで埋もれたキッチンを、露骨ろこつなまでに浮かび上がらせている。


 「トモルに何か用? あの子、今日もまだ帰ってなくて……」

 清美がキッチンカウンタにもたれながら言った。
 その顔は影に隠れて、表情は見て取れない。

 メグルは『星見鏡ほしみきょう』をかけて清美を見た。
 暗闇のなかに三つの『成就星』が光り、すぐそばに『試練星』がふたつ、闇に紛れるように浮かんでいる。

 メグルは違和感を覚えた。

 本人を目の前にしたせいもあり、煉獄れんごくから見た清美の姿を思い出しつつあったのだ。

 (清美の『試練星』は、残りひとつだったはず……)


 「心配じゃないんですか? もう外は暗いですけど」

 「いいのよ。最近あの子、いつも帰りが遅いの。たまに早く帰ってきても部屋にこもりっきりだし。いまじゃ、ほとんど話もしないわ……。まったく、何考えてるんだかね」

 メグルは確信した。

 (清美は『試練星』を増やしている。あきらかに我が子への無関心が原因だ。この『試練星』はトモルとの絆を取り戻さないかぎり、『成就星』として光ることはないだろう……)


 「トモルくん、学校でいじめられているんですよ」

 メグルの言葉に、清美がびくりと反応した。

 「毎日、保健室にこもったまま、クラスメイトのなかへ入っていけないんです」

 よろめきながら清美が立ち上がる。
 暗闇からのぞかせたその顔は、絶望に染まっていた。

 宙をさまよわせた瞳から、するりと涙が流れ落ちた。

 「なんで……。わたしたちが何をしたって言うのよ……。主人が死んでから、まるで世界が変わってしまった。あんなに仲が良かったご近所の人たちも、みんなわたしを遠ざけるようになった……。勤めていた会社も、突然、理由も告げずに辞めさせられた。どこへ行っても、誰に声をかけても、まるでそこに誰もいないかのように、相手にされなくなった……」    

 涙に顔を歪めながら床にくずおれた清美が、吐き捨てるように叫んだ。

 「わたしたちが、いったい何をしたって言うのよ!」


 「……何も原因がわからないんですか?」

 メグルの質問に、くずおれたままの清美が肩を震わせながらうなずく。

 心に漂う小さな不安をふり払って、メグルは続けた。


 「ぼくは……。いえ、トモルくんのお父さんは、どうして亡くなったんですか……?」



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