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第14章 導くもの

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 「メグルか? おいらだよ。聞こえるか?」

 受話器から聞こえてきたのは、モグラの声だった。

 「この電話、壊れていたんじゃないのか……」

 「こいつは『顔見知り電話』だ。この電話を持った者同士で、一度でも顔を見た相手なら電話が繋がる。お前さんにどうしても言いたいことがあってな……」

 メグルの返事は聞こえなかったが、構わずモグラは話を続けた。

 「なあメグル、サヤカは救われたぜ。最期さいごにお前さんがサヤカにかけた言葉。サヤカは気付いてたんじゃねぇかな? あれは母親じゃなく、お前自身の言葉だって……」

 うつむいた顔をわずかにあげて、メグルがつぶやく。

 「ぼくの言葉……」

 「ああ。……きっとサヤカは感謝してるぜ。最期さいごに一番求めていたものを、お前さんにもらったんだからな」

 「一番、求めていたもの……?」

 「自分のことをなによりも大事に想ってくれるっていう、つまりその……愛情だよ」

 「愛情……。ぼくの……」

 「サヤカはお前さんの愛情をしっかり受け取ったぜ。あの試練で何度転生てんせいを繰り返したか知らねぇが、サヤカは二度と自殺なんか考えたりしねぇよ。自分を愛してくれる人を、悲しませたくねぇもんな……。
 おいら、いままで沢山の管理人を見てきたけどよ。お前さん、立派な管理人だぜ」

 メグルは部屋から飛び出した。
 どこへ行ったのかもわからない煉獄れんごく長の姿を探して、階段を駈け下りようとしたとき、握りしめている『顔見知り電話』を見てはっとした。

 「モグラ! この電話、どうやってかけるんだ?」
 「どうやってって……、相手の顔を思い浮かべて、もしもしって言うだけだよ」
 「切るときは?」
 「切るときは、失礼しますって……」
 「失礼しますっ!」

 一方的に電話を切ると、受話器を耳に当てたまま、ささやく。

 「もしもし……」


 ジリリリリ……。ジリリリリ……。


 メグルがふり返る。その音は、廊下の奥の暗闇から聞こえてきた。

 「煉獄れんごく長様!」メグルは暗闇に向かって叫んだ。

 「ぼくは管理人を続けます! サヤカのような人間を、ひとりでも多く救います! それがぼくの進むべき道だから……!」

 何も返事は聞こえなかった。
 メグルはベルの音に向かって走った。
 廊下の奥はあかりがひとつもなく、闇に包まれている。

 と、闇のなか、並んだドアのひとつからベルが鳴っている事に気が付いた。
 手探りで、そっとドアを開ける。
 部屋の中もまた、漆黒の闇に包まれていた。

 足を踏み入れ、辺り構わず両手をふり回したが、何も触ることができない。
 狭い部屋のはずなのに、いくら歩いても突き当たりの壁に行き着かなかった。
 いつのまにか、ベルの音さえ消えている。

 「何も見えないんじゃない、何もないんだ。一体、ここは何処どこなんだ……」

 目を閉じても開けても何も変化のない暗闇に、メグルは急に心細くなって、崩れるようにその場に膝をついた。

 ついには自分の体まで闇に溶けて消えるような感覚に襲われたとき、その声が暗闇にこだました。

 「来てしまったかメグルよ。ここは迂闊うかつに近づいてはならぬ世界。仕方のないやつだ」

 メグルは懸命に煉獄れんごく長の姿を探して辺りを見まわした。
 すると暗闇のなかに、小さな赤い光が見えてきた。
 それは黒い布地を燃やす炎のように広がって、ついにはメグルを包み込む。


 気が付けば、メグルは血で染まったような真っ赤な空に浮かんでいた。

 遥か眼下には黒く焼け焦げた大地が広がり、その中に泡をたてて煮えたぎる、赤黒い泥の沼が見える。

 「ここは一体……」

 誰ともなくつぶやいたメグルの声に、煉獄れんごく長がこたえた。



 「お前はいま『地獄界』におる」

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