43 / 44
第六章
第十二話 愛憎-4
しおりを挟む
女が死んだのは、彼女が樽に閉じ込められてから四十日後のことだった。漆の樹液を飲ませていたにもかかわらず、湿気のせいで死体は腐っていた。
死体処理を済ませた冴木は、鶴井が淹れた茶を啜る。
向かいに座っている鶴井は、普段に比べて大人しい。口を動かしていないと、がらんどうの彼はもはや死人同然だった。
冴木は初めて彼と出会った三年前のことをふと思い出した。
大切な人を失い、強い愛情と悲しみのあまり、魂の全てを生霊にしてしまった鶴井。人ではなくなった彼は、その時から生霊を目に映すようになった。
そんな彼を『叶え哉』にスカウトした彼女もまた、空っぽの肉人形。
「これで終わりか」
「はい。彼女の生霊を全て回収できました」
頷く鶴井に、冴木が目を細める。
「そうかな。あと一つ残っているようだが」
「御心配なく。ちゃんと返します」
「……そうか」
小さくため息を吐いた冴木に、鶴井は満面の笑みを向ける。
「あれ? もしかして冴木さん、僕のこと心配してくれてるんですか?」
「なんでそうなる。違う」
しばしの沈黙。冴木も鶴井も、部屋を駆け回る生霊を眺めた。恨みが晴れた彼女たちは、喜び、はしゃぎ、そして泣く。
鶴井は生霊に目を向けたまま、冴木に問うた。
「冴木さんは不思議に思いますか」
「何をだ」
「愛する人を恨み、恨む相手を愛することを」
「〝愛憎相半ばする〟という言葉を知らんのかお前は。そんなこと、よくある話だ」
「幸せを願った人の死を望むことは」
「同じことだ。人は誰しも相反する感情を抱いている。それは矛盾なんかではない。どちらも本物の感情だ。おかしなことでは何一つない。誰でもそうだ。それに気付くか、気付かないかというだけだ」
鶴井は満足げに背もたれにもたれかかり、優雅に足を組んだ。
「やはり冴木さんとは話が合いますねえ。魂を失った者同士だからでしょうか」
「私はお前と一緒にされたくはないがな」
だが、と冴木は口元を緩める。
「大切な人の心を殺された者の気持ちは、分かっているつもりだ」
涙を滲ませ抱きつこうとしてきた鶴井に、冴木は銃口を向けて制止させた。
「そうだ、冴木さん。お願いがあります」
「なんだ。まだ何かあるのか」
鶴井は生霊と戯れていた黒猫を抱きかかえ、冴木に差し出した。
「この子の面倒、頼めませんか」
「どうしてだ。生き物の面倒は最後まで自分で見ろ」
「いやあ。そうしたいのはやまやまなんですが、そういうわけにもいかなくて」
冴木は鶴井を見据え、尋ねた。
「もう行くのか」
「はい。生霊も集まりましたし」
今までの恨みを買った大量の生霊に憑かれた鶴井が、まるで憑き物が落ちたような爽やかな表情をしているものだから、冴木は思わず噴き出した。
「……そうか。仕方ないな」
「ありがとうございます」
冴木の視線に気付いた鶴井は、背後で恨みつらみを吐いている生霊を指さした。
「御心配なく。この子たちが食い潰す〝人として大切なもの〟など、僕の体には入っていませんから。全くの無害です」
「何度言ったら分かる。心配などしていない」
そして鶴井は、その日のうちに八〇六号室をあとにした。
死体処理を済ませた冴木は、鶴井が淹れた茶を啜る。
向かいに座っている鶴井は、普段に比べて大人しい。口を動かしていないと、がらんどうの彼はもはや死人同然だった。
冴木は初めて彼と出会った三年前のことをふと思い出した。
大切な人を失い、強い愛情と悲しみのあまり、魂の全てを生霊にしてしまった鶴井。人ではなくなった彼は、その時から生霊を目に映すようになった。
そんな彼を『叶え哉』にスカウトした彼女もまた、空っぽの肉人形。
「これで終わりか」
「はい。彼女の生霊を全て回収できました」
頷く鶴井に、冴木が目を細める。
「そうかな。あと一つ残っているようだが」
「御心配なく。ちゃんと返します」
「……そうか」
小さくため息を吐いた冴木に、鶴井は満面の笑みを向ける。
「あれ? もしかして冴木さん、僕のこと心配してくれてるんですか?」
「なんでそうなる。違う」
しばしの沈黙。冴木も鶴井も、部屋を駆け回る生霊を眺めた。恨みが晴れた彼女たちは、喜び、はしゃぎ、そして泣く。
鶴井は生霊に目を向けたまま、冴木に問うた。
「冴木さんは不思議に思いますか」
「何をだ」
「愛する人を恨み、恨む相手を愛することを」
「〝愛憎相半ばする〟という言葉を知らんのかお前は。そんなこと、よくある話だ」
「幸せを願った人の死を望むことは」
「同じことだ。人は誰しも相反する感情を抱いている。それは矛盾なんかではない。どちらも本物の感情だ。おかしなことでは何一つない。誰でもそうだ。それに気付くか、気付かないかというだけだ」
鶴井は満足げに背もたれにもたれかかり、優雅に足を組んだ。
「やはり冴木さんとは話が合いますねえ。魂を失った者同士だからでしょうか」
「私はお前と一緒にされたくはないがな」
だが、と冴木は口元を緩める。
「大切な人の心を殺された者の気持ちは、分かっているつもりだ」
涙を滲ませ抱きつこうとしてきた鶴井に、冴木は銃口を向けて制止させた。
「そうだ、冴木さん。お願いがあります」
「なんだ。まだ何かあるのか」
鶴井は生霊と戯れていた黒猫を抱きかかえ、冴木に差し出した。
「この子の面倒、頼めませんか」
「どうしてだ。生き物の面倒は最後まで自分で見ろ」
「いやあ。そうしたいのはやまやまなんですが、そういうわけにもいかなくて」
冴木は鶴井を見据え、尋ねた。
「もう行くのか」
「はい。生霊も集まりましたし」
今までの恨みを買った大量の生霊に憑かれた鶴井が、まるで憑き物が落ちたような爽やかな表情をしているものだから、冴木は思わず噴き出した。
「……そうか。仕方ないな」
「ありがとうございます」
冴木の視線に気付いた鶴井は、背後で恨みつらみを吐いている生霊を指さした。
「御心配なく。この子たちが食い潰す〝人として大切なもの〟など、僕の体には入っていませんから。全くの無害です」
「何度言ったら分かる。心配などしていない」
そして鶴井は、その日のうちに八〇六号室をあとにした。
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる