歪な思考

九時木

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夢遊

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 朝、僕は絶望した。
僕の衣服が部屋中に散らばっている。
部屋の入口から机の下まで、ベッドの下まで。
スーツケースが開いたまま、まるで昨夜誰かが暴れ倒したような痕跡を残している。

 靴下をつまみ上げると、湿気った感触が指にべとりと張り付き、雨水がまだ蒸発してないことを知らせた。昨日ゲリラ豪雨に見舞われた誰かが、湿気から逃れるようにした脱ぎ捨てた一組の靴下だ。僕は靴下を床に戻す。

 半開きのバスルームを恐る恐る覗き込むと、案の定目を背けたくなるような光景が広がっていた。しわくちゃになったタオルが床に放り出され、水を含んだまま辺りを濡らしている。浴槽の底には歯ブラシやコップが転がり落ちており、今日着るはずだったシャツが、何故かびしょ濡れになって浴槽に掛けられている。

 何ということだろう。僕はもう手がつけられない。浴室のドアも、机の引き出しも、カーテンも、部屋のドア以外の全てが開きっぱなしだ。衣服の方も大惨事で、僕は今日分の着替えを道端で失くしたも同然のようになってしまった。僕は頭を抱える。もう一度眠ろう。もう一度眠り、部屋を散らかした僕に元戻りにしてもらった方がいい…

 完全に眠っていたのか、寝ぼけていたのか。昨夜、僕はシャワーを浴びようとしたのかもしれない。浴びようとしたが、失敗したのだ。溺れかけ、全てを台無しにしたのだ。ところで、僕は本当に溺れかけていたのだろうか。何処までが夢で現実なのか、まるで判断がつかない。
 全ては眠れぬ夜のおかげだ。僕は眠れていない。夜に眠れていないために、日中起きている間も眠っているように感じる。信号を待つ間も、横断歩道を歩く間も、いつも目をつむっているような気がしている。店で商品を見回っている時でさえ、僕は本当に商品の詳細を吟味しているのか、商品を眺めているのかでさえわからなくなっている。わからない。僕は本当に、眠いのだろうか。この眠気も、実は全くのはったりではないだろうか。そうだ。僕は今、不眠症患者の振りをしているのではないか…

 健全で、健全でしかない僕は今、築地場外市場を見回っている。人混みが溢れ、大勢の観光客で賑わうその場所は、僕の眠気が嘘偽りであることを示してくれる。市場に並ぶ店には、ランチの海鮮丼のメニュー表が暖簾のように垂れ下がり、魚介類の干物や出汁袋が持ち帰り用に販売されている。市場の至る所で行列ができており、何十人もの人々が順番を待っている。道端には、卵焼きの串刺しを頬張る人や、巨大なカニの蒸した足を食べる人がいる。ある通りでは、カツオだしのにおいが鼻腔をくすぐり、別の通りでは、つるりとした刺身の塊が人々の目を惹く。僕は健全なほどに市場を見渡し、市場の賑わいを記憶しようと試みている。眠ってなどいない。このような活き活きとした通りで眠れるはずがない。

 まぶたを全開にした僕は、築地駅から徒歩で東銀座まで歩き、地下鉄に乗ることで銀座までの道のりをショートカットする。降りた銀座駅は格式高く、高級感に溢れ、僕は金の縁が艷めく漆黒の階段をうやうやしく上る。たどり着いた地上には、ブランド店や高級なカフェが並び、心做しか歩く人々も落ち着き払っているように見える。僕はというと、店の出入りを繰り返し、何とか店の質感に馴染もうとはしてみたのだが、結局何処に居座るということもなく、地下鉄へ引き返すこととなった。ただ、歩くだけで心が洗われるような気がしたことは否めない。

 何処からどう疑いかかっても起きているようにしか見えない僕は、銀座から地下鉄を利用し、更に六本木へ向かう。家族連れが多く、穏やかな時間が流れるこの場所で、僕はようやく一息つく。僕が座るその場所は、52階の展望台で、高層ビルや東京タワーなど、都会の街並みを一望できる東京シティビューだ。屋内は涼しく、外の蒸し暑い空気で湿気った皮膚をきれいさっぱり元通りにしてくれた。展望台から降り、辺りを歩き回れば、有名なテレビ局の門を通りかかることになる。もし僕が番組を放送できるのならば、今ここで伝える情報があるとすれば、それはきっと僕の眠気についてだろう。僕は眠くなどない。

 僕が本当に眠くなかったことを示すための最後の根拠として、僕は浅草を訪れたことを話さなければならない。雷門を目にした時、僕は背を向け、その場を引き返した。酔った。人に酔ってしまったのだ。あまりに人が多いためか、歩行者の進行方向が混ざり合い、自身の方位磁針を見失ってしまった。また見る物が多いためか、互いの肩や腕がぶつかり合い、意識が摩耗してしまった。歩行者の間にできた僅かな隙間を通り抜ける自転車が、突然速度を変える歩行者が、最早芸術的で、手に負えないような絶望感をもたらし、僕は逃避した。もし僕が本当に眠気に呑まれていれば、僕は雷門をそのまま直進し、人混みに揉まれていただろう。しかし、実際の僕は逃避し、いつの間にか吾妻橋でクルーズ船を眺めていた。
 乗客の一人がこちらに向かって手を振り、僕も心の中で手を振る。僕の意識も隅田川の上を流れることができるのならば、浅草の脅威から目を逸らすことができるのならば。はらはらと振られたその手のひらの中に、僕の意識が収まり、目の前の乗客と旅を共にすることができたのならば。僕が観光地でそのような戯言を呟いていることを、こちらに笑顔を向ける乗客は知る由もない。知られては格好が悪すぎて困る。

 僕は起きていた。一日中目を覚ましていた。目を覚ましすぎていた僕は、ホテルの共同スペースで眠っていた。椅子に座り、上半身を机に置き去りにするように眠り込んでいた。外はすっかり暗い。もう暗いのだ。しかし、気のせいだろうか。僕の隣の席に、インド人のような宿泊客が座り、インドのような曲を垂れ流している。不可解なリズムが右から左へと通り過ぎ、不可解な心地になる。僕はその曲のおかげで、催眠がかかったような、異空間に身を投じられたような、捉えがたい空気に包まれていた。インド人はじっと座り、流れる曲に耳を澄ませている。そうして、しばらく聴き込んでいたかと思うと、立ち上がり、そのまま部屋へと去っていった。そして、僕の頭の中には、何故かインドのような曲が延々と流れ続け、僕を更なる深い眠りへと誘っていた。あのインド人のような誰かは、何やらとんでもないものを僕のもとに置いていったようだ。僕はこのひたすら謎に満ちた時間をどう扱えば良いのかわからず、あのインド人のような誰かがただ僕を途方に暮れさせただけのことを考えると、あの宿泊客には琴か三味線の早弾きを聴かせてやらねばならないと、そう強く思わないわけにはいかなかった。

 僕が開いた二枚貝のようなスーツケースに絶望してから、一体何時間が経ったのだろうか。辺りはしんと静まり返っている。共同スペースの電子レンジが、蛇口とシンクが、僕に家で眠るような感覚を与えている。僕はきっとホテルにいるのだろうが、まるでそのような実感が湧かず、身体がすっかりくつろいでしまっている。眠い。眠いのだが、眠りたくないような心地良さが勝り、眠れずにいる。僕はどう抗えど、眠ることを後回しにしてしまうようだ。僕の最初の犠牲者。僕が疲れの木を生やすための立派な肥やし。もう撒かれるべき種ではない。別の種に芽を生やすための肥やしとなっている。一に旅行、二に睡眠なのだ。僕は僕という一人の対象者にアンケートを取る。この旅は満足ですか。

1、満足
2、おおむね満足
3、アンケートに回答しない

 あのインド人が本当にインド人であるかを問うのと同じくらいには、このアンケートは愚問を呈している。僕はアンケートを放棄した。その先は、記憶にない。
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