破れた手帖

九時木

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絶望の最中で

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 感情の平坦化。僕の感情は「カレンダー」によって加工され、表面を滑らかに仕上げられた。
 ページ数が残り僅かとなっていた。それは避け難い事実として、魂の暴走を抑止するだけの力を持っていた。
 僕は焦燥を取り戻そうと、魂に訴えた。しかし、魂の方は頑としてそれを認めなかった。
 今、身体は机に向かって姿勢を正し、残された余白に淡々と言葉を綴っている。
 動作は自発的でなく、自動的だった。できるだけ余白を使うまいと、文字をぴったりとページに敷き詰めた。


 ここでは余計な言葉を使い、余白を埋めないために、物事の重要性を判断するだけの注意力と思慮分別が求められている。
 僕は以前よりもずっと慎重に物事について考える必要があるようだ。
 今に至るまで、数え切れないほどの問題に直面した。ページはいくらあっても足りず、その限られた資源を活用するどころか、次から次へとページを破り、ほとんどを無駄にしてしまったことを、今更ながら後悔している。
 しかし、悔いた所で何も新しいものは生まれない。今最も肝心な問題として、今後いかにして残されたページを使うかということ以外には何もないだろう。
 残された時間の中で、意識を研ぎ澄ませながら、物事を仮定するだけの自由を、自らに与えねばならない。


 これまで、物事に対する様々な考えを記してきたが、何一つとして、確かな答えを見出だすことはできなかった。
 そもそも問題とは、決して常に解決できるものではない。決められた手段によって解決できるものもあれば、どのような考えをもってしても、解決したとは言い切れない問題もある。
 しかし、真なる問題とは、決して解決できぬものにこそ呼べる名ではないだろうか。
 問題とは、未だに対処が成されていないような、未開拓の悪とは限らない。また、常に特定された悪であるとも限らない。
 いかなる手を打とうとも、善悪の判断が容易につかず、こちらを疑念の渦に陥れさえするような、そのような問題こそが、真なる問題である。そう信じることは、愚かだろうか。

 真なる問題に対して、ある人はほとんど礼儀のように、それから遠ざかろうとする。またある人は、必ず解いてみせようと、自ら接近する。
 しかし、どれほど引っ込んでみようとも、反対に手を伸ばしてみようとも、問題は相も変わらず遥か彼方に存在し、まるで互いの距離が縮まる気配がしない。
 どれだけ時間を掛けようとも、自らの位置を変えようとも、真なる問題は、変わらずこちらが目視不可能な位置に調整し、人々と距離を置き続けるのである。
 真なる問題とは、沈黙の鏡、物言わぬ偶像、不動の存在、青い惑星における水、そして、目に見えぬ魂。
 すなわち、直視できないために、直視以外の手段によって表現しざるを得ず、「何か」として示されるような対象である。


「君は正しく書くことを止められない」

 何をもって、正しい書き方と見なすのか。それは解決され得ない、真なる問題である可能性がある。
 書くことには、一定の世界を確立することが求められている。ことによると、それは1つの条件として了解されているのかもしれない。
 快と善を区別し、善をもって、悪に打ち勝つこと。
 反対に、快を善とし、悪を奨励すること。
 物事の成り立ちを整理し、要素と要素が絡み合うことによって生じた関係を紐解くこと。
 日々の出来事を捉えたままに書き記すこと。
 現実とは異なる、自らの想像した世界において、新たな発見や出会いを描き出すこと。
 反対に、想像世界を断ち切り、現実世界の仕組みについて、具体的な数値や統計に基づきながら説明すること。
 あるいは、それら全ての世界に対する憧憬を記すこと。

 果たして、僕は一体どのような考えをもって、自らのペンの動きを正しいとするのか。
 ペンは絶え間なくページの上を走り続けている。しかし、一体何のためにそうなるのか。
 解決を放棄したくなるような問題が迫っている。しかし、ここでページを破るわけにもいかなかった。
 意識が、残された空白ばかりに目を向ける。そうして、

「それなのに、君は何も知らずにいる」

 と、メモ書きのように、ページの端に言葉を残すのを、僕はただ呆然と眺めていた。

 防衛としての正しさの追求。物事を鮮やかに描くことができない理由を、このようにして正当化することは、果たして許された行為なのだろうか。
 僕はただ、「何か」から身を隠すために、物事について記している。
 それは、黒いもやであり、ウィトルウィウス的人体図であり、書くことそのものであった。
 僕は書くことを回避したいにも関わらず、書くことに接近している。全くの矛盾であるにも関わらず、僕はそれを拒むことができない。

 何かのせいにしなければならなかった。もし全ての物事が、意識や真なる問題から生じたものとすれば、それ以上に期待する答えはなかった。
 しかし、それらとは近すぎるか、遠すぎるかして、適切な距離を保つことができなかった。
 内部は、無知をさらすだけの無法地帯となりつつあった。魂は毒され、意識は制御外にあり、ペンは独りでに動き続けた。
 その動きは、ほとんど半永久的な機関を作ろうとやけになっているような忙しなさを呈しており、腹の底から笑いさえ込み上げてくるような、何とも滑稽な有り様であった。
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