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第4章 三日目の朝、そしてまた事件が起こる

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 この人たちは、何を意味のない話し合いをしているのだろうか。ここで誰かが藤田さんを殺すような事件が起きるとは思えない。

 しかし、病気や老衰で亡くなったわけではない以上、そのような確認手続きが必要なのは、僕もテレビドラマなどで見た経験がある。

「では、藤田さんはこの部屋で自殺したと言うことで間違いないと」

「昨日も言ったが、それを判断するのはわしじゃないよ。警察の仕事じゃ。しかし、110番が意味のないこの島の特性を考えると、そうは言ってられんからな。警察から意見を求められたら、自殺の可能性が高い、そう証言するしかないじゃろうな。ただ……」

「た、ただ?」竜二さんが身を乗り出した。

「首の索溝が、微妙にズレて見える点が、少し気になる」
「それは、どういう?」
「一度、紐が締まってから緩み、またもう一度、締まった可能性、かな」
「二度、首を吊ったということですか? そんな……。それじゃあ、ドラマで良くある殺人犯の偽装工作じゃないですか」

 大声で竜二さんが叫び、外から覗いていた水戸さんが悲鳴をあげた。「殺人」そんな恐ろしい言葉が、仲間の遺体のある場で発せられたことで、皆に恐怖の感情が走る。そのことに、牧場医師自身も動揺したようだった。

「いやいや、慌てないでくれ。それは違う。ドラマであるのは、首を紐で引き絞るように締めてから、輪を作ったロープで吊るし直す形じゃろう。今回は、もし二回だとしても、どちらも首を吊っている」
「いったい、どう言う意味なんですか?」

 高遠さんの絶叫にも似た質問に、

「わからん。ズレも小さいし、わしの勘違いかもしれん。普通に考えれば自殺じゃろう」

 牧場医師は自信なさげに答えたのだった。

 しかし皆、一度聞いてしまった「殺人」という言葉の魔力に囚われてしまっている。そんなはずはない。それは誰もわかっていた。それでも二人続けて仲間が亡くなったことで、ある種の疑心暗鬼が、ここにいる全員の心に取り憑いてしまったようだ。そんな空気の中で飛び出た殺人という刺激的な単語。竜二さんまでもがブルブルと体を震わせている。

 と、そこに、
「先生。あの聞きたいことがあるんですけどね」
 三輪さんが話題を変えるように口を挟んだ。

「うん、なんだね」
「藤田さんは、その、何時ごろに亡くならはったんでしょうか?」

 この新しい問いかけに、老医師は少しホッとしたような表情を見せた。実際、自分の発した不用意な疑念が、場の空気を緊張させたことを悔やんでいたのだろう。

「ふーむ、死亡推定時刻かね。みんな刑事ドラマを見過ぎじゃよ。わしらが現場で正確に判断できることじゃ無い」
「大まかな時間もわからないのですか?」
「大まかといえば昨夜じゃな。まあそれでは話にならんと言うことであれば、さっき計った体温の数値から推定で、おそらく死後五時間から十一時間といったところか」

「と言うことは、亡くったのは昨夜の一時から今朝の七時の間くらい?」
「そうじゃな。しかし今日は湿度が高い上、夏にしては気温が低い。体温低下からの判断は難しいからな。今すぐに長崎の大学病院へでも連れて行って、専門家が検視をすれば、より詳しい時間がわかるじゃろうが」

 死後五時間から十一時間では六時間も間がある。推理小説などでは、もっと狭い時間を断言していたように思うが、実際はそう簡単に判定できる話では無いらしい。

 ちょうどその時、家の外で再び車が止まる音がし、村上さんと誰かが大声で呼び合うのが聞こえた。どうやら町役場の人たちが到着したようだ。
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