連立スル 夕顔ノ 方程式

ベンジャミン・スミス

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第四章 心満たされぬ九月

第四話 もう1つのバイク窃盗事件

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 何も言えなくなった福山の代わりに宇野が口を開いた。

「辻本先生は……学生時代に背負った罪は消えない。それが大人になっていくお前たちの善悪を形成していくのだ──って言ってました。その時、他の生徒は、人格形成の話と捉えていたと思います。でもあの人はずっと俺を見ていた。たぶん、あの人はあのバイク事件の新犯人は俺だと思っていますよね? 決めつけが凄かったし。だからそういう意味を込めて夕顔だったんじゃないかな」
「考え過ぎじゃないか?」

(いや、あっているな)

あれはどう調べても宇野が犯人ではなかった。辻本は生徒指導主事に成れなかった恨みでおかしくなっていた。自分の非が認められず生徒への嫌がらせだったのだ。

——なんの傷も負わず卒業していく生徒へ罪悪感を植え付ける当てつけだった。

(辻本先生のしそうなことだ。でもその台詞、先生にそのまま返しますよ。貴方の指導ミスが、今の貴方を形成している)

そう思いながらも生徒の前ではもう一度「気にするな勘違いだよ」と念を押す。

「そうかな? 絶対俺の事見てた。だから未だに覚えているんですよ」
「だって宇野は嘘ついてなかったんだろ?」
「バイクに関しては」
「バイクに関しては、だと?」

目じりを吊り上げた福山に、宇野が「もう時効ですよね? 先生は俺がゲイだって知ってるし」と肩を竦めた。

「ちゃんと全て話せ宇野」
「分かりました。でも、答えは変わりませんよ。俺は盗んでいません」
「それは俺がよく知っている」
「それなら……。どこから話したらいいかな……あれは、俺が高校三年生になったばかりの事でした——」

宇野の本日二回目の昔話が始まる。
それは先ほどより重たく、福山も身を乗り出して聞いた。

——10年前の夏

「お前とは別れる」

宇野は固まった。
恋人で同じ三年生の木田は、そんな宇野を置いて家を出て行った。

 進路の話から別れ話に繋がったのはこれで4回目。木田は遠くの大学へ進学、宇野は手あたりしだい公務員試験を受験するつもりでいた。勉強の仕方も、つるむ相手も変わってくる。それが二人の言動を変え、すれ違わせていた。
 窓から眺めると木田は近くのコンビニに入っていった。原付がない事に気が付き、持って行ってやろうと思った。

(ついでに仲直りも……)

親切心だった。それがまさか盗難車だと思わなかった宇野は、原付をひいてコンビニまで駆けた。
 コンビニについた瞬間、「おい! 宇野!」と声がし、首を動かす。

(辻本……)

生徒指導部教師の嫌な笑みに、思わず背中を向け籠に入っていた物は全て鞄に押し込んだ。
 木田はきちんと申請をだして原付での通学をしている為問題ない。それでも教師と言う権力の前ではそんな簡単な思考すら奪われ、反射的に隠してしまったのだ。

 その後、学校の指定シールのない原付という事から調べが進められ、上がってきたのは「盗難車」というとんでもない事実。
指導室で、「ほらよ」と渡されたのは指導日誌。

「これから停学になる。毎日それをつけろ。受験生なのに勉強じゃなくて残念だったな。公務員も諦めろ。お前、警察学校も受けるんだろ? 誰が犯罪者なんか採用したいと思う?」

脳内はパンク寸前だった。全てを話せば恋人の将来が終わる。だが、ここで言わなければ自分の将来が終わる。

「俺は……してません」
「ああん?」

——ガンッ‼

と長机が震える。その上で震える握り拳の圧力は凄まじい。

「他に誰がいるんだ! 俺はあそこで張ってたんだよ! 宇野、お前があの原付を押してくるところ見てたんだ! 分かりきった嘘ついてんじゃねー‼」

一年生の頃から辻本を知っているが、今日の彼は変な熱の籠り方をしている。おかげで顔を上げられず、宇野は俯いた。

(どうしよう……)

そんな時だった。

——ガラッ‼

息せきった担任の福山が入ってきたのだ。
若い数学科教師で、自身の担任。とても生徒に好かれているが、宇野はあまり会話をしたことがなかった。

「せ、先生……」

あまりの担任の剣幕に、宇野は再び飛ぶであろう罵倒を覚悟した。しかし……

「宇野はしていません!」

福山はまだ何も言っていない宇野を信じ切った。その若い背中は生徒を守るのに必死でとても勇敢だった。辻本の罵倒もものともせず、主事である藤沢まで説得した。
 この瞬間、教師として、人として、男として、福山に惚れてしまったのだ。

「──そして俺の10年に渡る片想いが始まるわけです」

と楽そうに両肘をついて話し終えた宇野。

「それってつまりお前と木田は……」
「別れましたよ。そもそも物盗んでいる時点で俺の中では人としてアウトですから」
「そうか……」
「もういいですよ。俺は次の好きな人見つけましたから。俺にとってはもうどうでもいいことです。でも、辻本先生はあのこと根に持ってるんじゃないかな? 警察になって分かったけど、体育会系の掟って厳しいですよね。警察官と教師の縦社会は似てるって聞きました。つまり、年下の福山先生にやられた辻本先生はかなりご立腹だったんじゃないかな?」
「……どうだろうな」

福山は、2杯目のビールに視線を落とす。

「生徒には言えませんか?」
「ははは。とりあえずお前は無罪だった。それが変わらないだけで俺は安心したよ」
「俺も一命をとりとめました。先生、本当にありがとうございました。その後も進路でかなりお世話になったし」
「ああ、そういやお前、連立方程式苦手だったよな」

単語に分かりやすく反応する宇野に苦笑いが零れる。

「うわッ、覚えているんですか?!」
「凄く覚えているよ。今年も苦手な奴いてさ」
「だってあれ文字増えたら意味分からないですよ?!」
「解き方散々教えたのが懐かしいな。まさかもうできないとか言わないよな?」
「え? あーでもほら……警察官には連立方程式いらないから」
「知能犯だったらどうするんだ」
「それは科捜研に丸投げします!」
「お前なあ!」

と宇野の額を小突いた人差し指に、滑らかな指が絡まる。
そして手首へ移動し、テーブル越しに福山を引き寄せた。

「こらッ」

回りを見る。壁は高く、回りからここは見えにくい。

「また、こんな場所をわざと選んだだろ」
「はい」
「悪びれもしないか」
「嘘ついてもばれますから。先生には」

真っ直ぐな瞳が、戸惑う瞳を追いかける。

「キスして」
「付き合っていない」
「付き合おうよ」
「生徒とは付き合えない」
「もう卒業してる……このやり取りも、卒業しようよ先生」

宇野が回り込み、福山の隣に座る。

「好き」
「馬鹿なこと言うな」

宇野が触れている場所が熱い。
握られた手首、触れる太腿、腰に回される腕、とてつもない胸の高鳴りで、欲求不満が伝わってしまいそうだった。

(ダメだ……生徒とは……)

「キスだけ、お願い」
「この前は特別だ」

それでもなお、まだ強請るならキスの一つでも……と考えていたが……

——ブー、ブー、ブー

「先生だよ」
「あっ俺か……え?」

辻本の着信を液晶画面が告げる。

「辻本先生だ。悪い、ちょっと電話してくる」

と席を立つ福山。その背中を見送った宇野は、直ぐに帰り支度を整えた。
会計を済ませ、外に出ると、秋風に熱を吹き込む福山がいた。

「待って下さい! 話をさせてください! お願いします!」

必死に策を考えようと、黒い意志を持った瞳が右往左往している。

「月曜日、早めに出勤します。本人は? はい、はい、分かりました。では、失礼します」

電話を切り、天に吼えそうに口を開いた福山。しかし歯を軋ませ必死に耐える。

「先生? どうしたんですか?」
「大丈夫だ……大丈夫……」

それは宇野にかけられた言葉ではない。どこか遠くを見て福山はブツブツ呟いていた。

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