こいじまい。-Ep.smoking-

ベンジャミン・スミス

文字の大きさ
31 / 97
第六章 佐久間仁と旅人

第一話 片道切符

しおりを挟む
 各部署の部長が集まり定期的に行われる部長会議。この時期の部長会議は長丁場になる。何故なら来月10月から、本社で半年間にも及ぶ研修を終えた新入社員が各支社へと配属されるからだった。村崎のインテリア事業部への新入社員の配属は、二年前の月嶋以来だった。新しい人材が来ることは大いに結構だが村崎は腑に落ちていなかった。
 
 なぜなら、今年度インテリア事業部内で異動や退職等で出て行った社員がいないからだ。このままだとデスクを増やす羽目になる。村崎部長の考えでは、新人の教育係りを月嶋に任せようと考えているため、月嶋の列にデスクを増やそうかと考えていた。

(となれば、あそこの列は少し配置を……)

と、会議後も会議室で椅子に座ったまま、脳内で試行錯誤していた。しかし、そんな彼に話しかけてくる人物がいた。

「村崎部長、ちょっといいですか?」
「はい」

人事・広報部の部長・赤澤だ。話しかけ方は丁寧だったが村崎とは同い年で、同じ時期に入社した同期だ。もちろん赤澤が丁寧に村崎に話しかけるのは仕事中のみ。周りに人がいなくなれば、途端に同期の赤澤修一に戻る。

 赤澤について隣の会議室へ行けば、人事・広報部副部長のアルバート・ミラーがいた。この二人と同じ空間にいるのは居心地が悪い。もちろんそれは今だけだ。この三人は歳が同じなため、仲良く飲みに行くこともしばしばある。 だが職場では別だ。
人事関係の管理職二人に呼ばれれば誰でもいい気分はしないだろう。ドアを丁寧に閉める赤澤が、村崎のその気持ちに拍車をかける。

「悪いな、呼び出して」

先ほどとは打って変わって同期の顔を見せる赤澤だったが、その接し方でも村崎の気持ちは晴れなかった。それは赤澤が神妙な面持ちにすぐさま変化したからだった。ゆっくりと口を開く赤澤に思わず目を瞑りたくなる。

「さっさとしてくれ、居心地が悪い」
「急なことで悪いんだけど……」

次の言葉を待つ。

「村崎、お前出向になったから」
「はっ?」

足元から崩れ落ちそうになるのをグッと耐える。未だかつて転勤を経験していない村崎からすれば始めての気持ちだった。

「俺が……出向?」

これを聞いて良いイメージを浮かべる人はあまりいないだろう。子会社や関連会社への異動で、転勤のように支社や本社への異動とは異なる。彼らの中では、出向=左遷というイメージが強い。
 何かしでかしか社員が対象になったりする事が多い。それ以外だと、経営難に会社が陥ってしまった際に人件費削減のために出向を行う。給料や退職金の安い会社に出向させるのだ。席は元の会社のままだが、もちろん元の会社に戻れる確率はほぼ無いため、そのままその会社に定着するか、自主退職させる方向に持っていかせる寸法になっている。

(それにしてもなぜこの時期に俺が?)

東亜日本貿易会社の運営は順風満帆で、むしろグローバル化推進のためにミラー副部長を呼ぶ余裕すらある。経営難などという話も聞いた事はない。
全く検討がつかない村崎は二人をチラリと見る。

「あっ」

ミラーは困った顔で赤澤を見ているし、その赤澤は笑いをこらえて頬が痙攣している。

 「嘘か」
 「ぷははははは!」
 「はあ……」

40代とは思えない無邪気な笑い声と、呆れたため息が三人しかいない広い会議室にこだまする。ミラーが「すまない」といったように手を顔の前に持っていく。きっとミラーの静止も聞かずに、このしょうもない、しかし心臓に悪い悪戯を決行した同期は未だに笑っている。

 「あのな!」
 「悪い、悪い!」

ひぃ、ひぃ言いながらようやく落ち着きを見せた赤澤。

「まさかこのためだけに呼んだんじゃないだろな」
「まさか。俺、そんなに暇じゃないし」

 村崎とミラーが同じタイミングで眉間に皺を寄せ赤澤を見た。きっと今、二人の気持ちは同じだろう。

「で? 要件は?」
「だから、出向!」
「しつこいぞ」

同じ悪ふざけを繰り返すやつではないし、何より今の赤澤の目は真剣な目になっていた。

「嘘じゃない……お前じゃないけどな。」
「はっ?誰?」
「お前のとこの……」

自分ではない、しかしインテリア事業部の誰かが、可愛い部下の誰かが出向になる。仕事が出来るだけでなく、部下に優しいと定評のある村崎には、この話はかなり衝撃的だった。会議室に入ったときは二人の存在で気が付かなかったが、テーブルに茶封筒が置かれていて、それが何なのか今、瞬時に理解した。
村崎の視線に気が付いた赤澤が、茶封筒を彼に渡す。それを受け取り、中からやたらと白い書類を出す。紙の擦れる音や、手触りがいつも異常に敏感に感じる。全く摩擦のない用紙なのに、ささくれているかのようにカサカサ、チクチクする。

書類を見たとき、直ぐに部下の名前を見つけた。それと同時に赤澤部長が

「松田要」

と、重苦しい声で伝えてきた。あまりにも重くて視線を上げることができなかった。どれほど固まっていたか分からない、そんな村崎をおいて、話はどんどん進んでいく。

「アルバート、内線」
「ああ」
「松田、呼び出して」

ミラーが会議室の電話機から内線をかけ始める。その声に重なって、赤澤の声が振ってくる。

「村崎っ!」

ようやく顔をあげた村崎の顔は悲しみに暮れていた。それはもう二十年近くの付き合いがある赤澤が声を詰まらせるほど。

 「……しっかりしろ」
 「あ、ああ」

たった一言だったが、そこに込められている気持ちがどれほど大きいか痛いほど伝わった。

 程なくして現れた要も、この面子に戸惑いを隠せていなかった。俯きかげんになり、瞳が不安に揺れる。その揺れた瞳はあのを見せられた瞬間、動揺の色を隠しきれていなかった。しかし、深呼吸をし、書類から顔を上げた要を見て、村崎は部下の強くなった姿を見た。

「分かりました」

 要の目は既に出向先を見据えていた。何も反論しなかった要に寂しいような、何ともいえない気持ちが溢れる。

「急で悪いけど、よろしく。」
「はい」

あっさり受け入れてしまった要に赤澤の調子も狂う。

「何か質問はあるか?」
「理由は教えていただけるのでしょうか?」
「出向の?」
「はい」

それは村崎も気になっていた。要を呼び出す前に教えてもらえると思っていたが、二人からは何も伝えられなかった。それはあまりにも村崎がショックを受けていたからなのか、それとも……

ため息をついて人事・広報部の二人が顔を見合わせる。

「すまない。こればかりは答えられないのだ」
「と、いうより、俺らも聞いてない」
「聞いてない?」
「ああ。今日、急に上から来た話なんだ……特に理由は聞いていない」

二人ともお手上げ状態だという顔をしている。

 だからこっちが聞きたい。松田に何か心当たりがないか」
「仕事のミスとかですか?」

要が恐る恐る聞くが、それは村崎が自信をもって答える。

「ない」
「村崎部長……」
「それは俺が断言する。松田はよくしている。ミスなんて一度もない」

要の緊張がほぐれるのが分かる。出向する部下への最後の助けになればとはっきりと断言する。

「赤字の可能性はないのか?」
「いや、それはない。そもそも、そうだったとしても松田が出向の対象になることはまずありえない。松田がうちに必要なことぐらいお前が一番分かっているだろ」

こんな状況なのに、部下が高く評価されていることは嬉しい、が、肝心の答えが見つからない。人事としても状況をきちんと把握したいのは必須で、ミラーが要に、今回の出向で一番理由になりそうな質問をぶつけた。

「松田さん……言いにくいかもしれないが、出向先の人物に引き抜きにあったりとかはしていないかい?」
「全くないです」
「会社名を聞いたことは?」
「ありません。出向先なので、知っている会社かと思いましたが、こんな名前始めて見ます」

要がもう一度書類に視線を落とす。そんな要に次は、赤澤部長が質問をする。

「最近、外で一緒に食事をした人物は?」
「……仁かな……化学事業部の佐久間仁です!」
「特に問題なしだな」

全員途方に暮れてしまう。どうしたものかと奇妙な空気が漂う中、一番最初に匙を投げたのは赤澤部長だった。

「わっかんねーなー!」

しかし答えが分かったところで出向なのに変わりはない。それを一番に理解している要は、自分の抜けた穴について考え始めていた。

「俺の代わりはどうすれば?」

(しっかりしているな)

もうあと何回見れるかも分からない部下の凛々しい表情を見つめ、村崎部長も覚悟を決めた。

「新入社員が来る。とりあえず引き継ぎの資料だけ頼めるか?」
「はい。インテリア事業部のフォルダに保存しておきます」
「あと、そのうち分かることだが、インテリア事業部の皆には出向の件伝えるか?」
「いえ!出向してから伝えてください」
「分かった」
「よろしくお願いします。では、急いで取り掛かります。失礼します」

要が出て行った後も三人は会議室に残っていた。

「しっかりしたもんだな」
「ああ、よくできた部下だよ」
「それにしても……本人に心当たりなしか。どうしたもんかねー」

要が出て行った会議室の扉を見つめて赤澤がため息をつく。そして先ほどまで茶封筒があったテーブルを撫でる。

「松田さんの出向先も特に悪い会社じゃない。と、いうより……」
「?」
「出向先としては対象外の会社だ」
「どういうことだ」

首を傾げる村崎に赤澤が書類を差し出した。

「自分で調べろ、ほらよ」

その後、赤澤の言っていた意味が分かった。そして同時に何か良からぬものに部下が巻き込まれたのではと、胸騒ぎがした。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

鈴木さんちの家政夫

ユキヤナギ
BL
「もし家事全般を請け負ってくれるなら、家賃はいらないよ」そう言われて鈴木家の住み込み家政夫になった智樹は、雇い主の彩葉に心惹かれていく。だが彼には、一途に想い続けている相手がいた。彩葉の恋を見守るうちに、智樹は心に芽生えた大切な気持ちに気付いていく。

処理中です...