こいじまい。 -Ep.the British-

ベンジャミン・スミス

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番外編

番外編3 社員旅行①

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 村崎は支社長室で、窓の外の青空の様に晴れやかな男の採決をまった。

「うん、ばっちり! いつもありがとうね、村崎君」

 門司支社に新しく赴任した矢加部支社長はとてもフレンドリーで寛容な男だ。そんな男だからこそ、勤続年数が長い村崎にあることを尋ねた。

「ここって社員旅行とかないの?」
「ここ数年はありませんね。少し前はバスでいけるような近場のところに泊まりに行ってましたけど」

 社員旅行に関しては社内の雰囲気や支社長の好みで分かれる。前任者はあまり仕事にそういったものを持ち込む性格ではなかったためいつしか社員旅行は消え去った行事だった。

「もし復活させるっていったら、村崎君は来る? 正直に言ってよ。嘘は嫌いだからね」

 矢加部の部下を大切にする性格は村崎も重々承知している。

「俺は行きますよ。若い奴はどうでしょう。来る人は来ると思いますけど、家庭がある人は難しいかもしれませんね」
「化学事業部とか来ないよね? 田中君は接待目的で来てくれそうだけど、それに巻き込まれる部下は可哀そうだし」
「それ抜きでも松田や門田は来ると思いますよ。むしろ企画を率先してやってくれそうです」
「……そうか」

 支社長室から門司港を見つめる矢加部は、頭の天秤を必死に動かしていた。

「希望者だけ募れば大丈夫でしょう。無理に行かせる必要もありません。あまりそこを強調すれば、逆に圧になってしまいますが、とりあえずインテリア事業部はそれなりの信頼関係はできているので断りやすいとは思います」
「君のところはね」
「やんわりで良いと思いますよ。掲示板に張るとかで」

 それでもまだ矢加部の天秤は迷っている。優しい男だと村崎は微笑み助け船を出した。

「では、若い者に起案させるというのはどうでしょうか。それなら今風に楽しくできると思いますよ。俺も手伝いますから負担もそこまでかからないと思います」
「えー! それじゃ、村崎君に負担かかっちゃうでしょお。俺もするよ。バスの手配とかさ、旅館の手配も!」
「それならほぼ支社長が仕事していることになりますよ。もしなにかあればお願いします」
「うんうん! いつでもなんでも言って!」
「はい。では、失礼します」

 オフィスへ戻る村崎は浮足立っていた。じつは社員旅行のようなものが好きで仕方がないのだ。それなりの仕事や階級についてからというもの、どうも上司と部下という壁ができてしまい、窮屈に思うことがあった。そういった壁を取り払おうと努力しているおかげで、インテリア事業部は基本村崎にもフレンドリーな人間が多い。社員旅行はスーツを脱ぎ去り、素で関係を築ける絶好のチャンスだ。だが、仕事の延長線上ととらえる人間が多いのも事実で、起案の人物を慎重に選ばねばと思案する。
 オフィスへ戻ると「お疲れ様です!」と部下たちは口々に言う。その中でひときわ笑顔で労ってくれた男に、村崎は声をかけた。

「月嶋、ちょっといいか?」
「はい! なんでしょうか?」

 村崎は春人をミーティング室に呼び出し社員旅行の話をした。

「俺も手伝うから、ぜひ若手で企画してほしんだ。俺たちは古い人間だからな、今どきのが分からん」
「いいですね、社員旅行! うわあ、どこにしようかな。近場がいいですよね?」

 思った以上に乗り気の春人に村崎も嬉しくなる。

「バスで行けるところがいいな。それと他に企画に入れたい社員はいるか?」
「んー、こういうのはやっぱり松田さんが適任な気がしますよね」
「それは俺も思った。わかった。田中部長にかけあって、松田をかりられないか聞いてみるよ」
「いいですか?」

 田中の性格を心配した春人が目じりを下げるが、村崎は「頼み方一つで変わるもんだ」と揚々と言った。
 その後、無事に松田を借りることに成功し、なぜか門田まで担当することになり、三人で社員旅行の企画が進んだ。
 行先は長崎県。春人は主に、旅行前の人数把握や期日の設定を担当し、松田と門田は当日のコース設定と盛り上げ役、ホテルの手配やバスの手配は村崎と矢加部が行った。一番楽しみにしている大人を目の前に春人も楽しみになってきた。
 それよりも楽しみなのは……

「アル行くんだね」

 参加者のリストを作成しながら春人は呟いた。アルバートの家の書斎で借りているパソコンに恋人の名前を打ち込む。企画を頑張る春人に紅茶を淹れていたアルバートはティーカップをデスクに置きながら頷いた。

「ああ。とても楽しみだ」
「意外。こういうの参加しないと思ってた」
「そうかい? 結構好きなほうだよ」

 楽しい気持ちなど微塵も出さない紳士は紅茶で温まった指で春人の顎をなぞり、気持ちよさそうに顔を上げた春人に覆いかぶさりキスをした。

「それに君が企画してくれたのなら行かない手はない」
「当日のコース設定は松田さん達だよ」
「それでも長崎を選んだのは君だろ? 村崎さんに聞いたけど、話し合いの段階で大分と意見が分かれていたそうじゃないか」
「うん。でも大分は前にアルといったし。あっ!」

 しまったと口を覆う春人に紳士は口元を緩め、もう一度キスを落とした。

「可愛い公私混同をしてしまった春人のおかげで楽しめそうだ」

 愉快に笑うアルバートは「邪魔してはいけないから」と書斎を出て行った。その揺れる肩を頬を膨らませて見送る春人は、革張りのすわり心地の良い椅子をくるりと回し、深く腰を掛けなおした。

「部屋割りあれでいいのかなあ」

 予算の関係上、全員が一人部屋とはいかなかった。基本は二人部屋だ。部屋割りに関しては企画者三人で決めると当初から言っており、これが予想以上に困窮を極めていた。

「まさか佐久間さんで揉めるなんて思わなかった」

 門田と松田が佐久間と同じ部屋を巡って喧嘩を始めてしまったのだ。先輩二人の攻防は一時間近くにも及び、しかも食堂で行っていたため、話の中心になっている佐久間が現れる始末だった。
 その佐久間は……

「俺、ミラー副部長とでいいよ。門田君は経理の同期と同じで、松田君は月嶋君と同じ部屋にすれば? 参加者で月嶋君と年齢が近くて仲がいいの君しかいないでしょ」

と言い、松田と門田は二人して絶叫していた。春人も目を瞬いたが「夜、変わってあげるね」と囁かれ何も異論はなかった。
 社員旅行とはいえ旅行。しかも夜には恋人と二人きりになれる状況に春人は両手で顔を覆った。佐久間の優しさに感謝しながら、春人はパソコンのキーボードをタイプした。

 旅行当日。天気は快晴で、大型バスの前で、いつもとおなじみのメンバーが私服でそろう。女性は普段よりおしゃれに磨きがかかり、男性はいつものスーツと違い私服のせいか、女性からの吟味する視線を浴びせられていた。相変わらずアルバートの周りには女性が集る。前と違うことは、恋人がいることが知れ渡っているため

「彼女さんがうらやましいです」

と、声をかけられている。最近恋愛のなんたるかが分かってきた春人にはこの発言の真意に気が付き始めていた。恋人とまだ付き合っているかのさぐりなのだ。その証拠に、アルバートが

「伝えておくよ。だが、私の恋人こそ、私にはもったいない人で、あの子に見合う男になるために必死だよ」

と、惚気ると、良い顔をしない。近くで聞いている春人は真っ赤になりそうな顔を隠すために俯くほかない発言は、彼女たちが一番ほしくない返事なのだ。
 顔が紅潮しているせいで春人とアルバートは一度も会話することなく、バスが出発する時間になった。ここからは先輩二人にすべてを委ねてある。事前の作業が多かった春人はここでお役御免。あとは旅行を楽しむだけだ。
 深く腰を沈めた春人の横には……

「横、いいですか?」
「え? は、はい……副部長……」

 まさかのアルバートが来た。深く沈めていた腰を上げ、頭上の荷物置きに頭をぶつけそうになる。しかし、それは柔らかいもので遮られた。

「痛くなかったかい?」

 アルバートの大きな手が、春人の頭上の荷物置きに添えられていて、春人に衝撃を与えなかった。頭頂部に触れる大きな手の甲は冷たい。

「大丈夫、です」

 シュウっと音がしそうなほど縮こまった春人は、座席に膝を抱えて丸まってしまう。低く笑うアルバートが横に座ると、バラの香りが舞い上がる。前を見つめるアルバート。その形のいい口が開く。

「赤澤さん、それは狭いだろ。荷物は上にあげたらどうだ?」
「そうか? 俺はかまねえけど」

 春人の前の座席には赤澤が座ろうとしていた。その隣に座ろうとしているのは村崎。

「お前は構わないかもしれないが、俺は構うぞ赤澤。何が入ってるんだそのカバン」

 村崎の追及に、赤澤はいたずらっぽく笑いながら、リュックを荷物棚に上げた。トランクとは別に持ってきたであろうそれは、荷物の多い女性より大きい。

「備えあれば憂えなしっていうだろ」

 子育て中の男は、もしもに備えてなんでも持ち歩くようになったのだと思った。だが、リュックからは軽い音がする。

「どうせお菓子だろ」
「おお、さすがだな村崎。俺のことよくわかってるじゃないか」
「お前は社員旅行のたびに──」

 久しぶりの社員旅行の復活に二人が喜んでいることが手に取るように分かり、春人は嬉しくなった。だが、恋人が横に座っている状況は変わらない。さすがに何もしてこないとわかっていても、横にその存在がいるだけで春人にはピンチなのだ。

──抱きつきたい

 甘えたい衝動に襲われる。二メートル近い大きな体は、小さな春人の横でも狭そうだ。おのずと距離も近くなり、プライベートの距離とほぼ変わらない。

「では、只今より東亜日本貿易会社社員旅行へ──」

 バスガイドよろしくマイクを持った松田の声掛けで、バスは出発した。発車の揺れで、春人はアルバートの方にもたれる。同じ方向に揺れるため、必然的にアルバートが離れるはずなのに、お互い寄り添って肩を重ねた。甲は冷たかったのに方は熱い。毛布のようなぬくもりに春人は目を閉じかけた。

「月嶋、これ食うか?」

 前の席の赤澤に声をかけられ、あわててバスの揺れで体が跳ねたふりをする。

「え? あ、いただきます」

 赤澤から渡されたのは一口ドーナツ。それを受け取る。

「アルバートは?」
「私は遠慮しておく」
「じゃ、月嶋が食っとけ!」

 二つ目を貰う。その指は震えていた。赤澤が気付いていたとしても、二人の関係は知られているので問題ない。それでもこんなところでくっついているのがばれるのは、とてつもなく恥ずかしかった。
 赤澤の後頭部が春人たちのほうを向く。一難去って、春人は小さく息を吐いた。震える指でドーナツの袋を開けようとするが上手くいかない。

「かして」

 アルバートが指ごと包み込む。そして、指を包みこんだまま、開け方を知らない子に教えるように一緒に開封した。最後に手を握られ、春人は額を窓にわざとぶつけた。

「ずるいよ……」

 消え入りそうな声がガラスを温める。ちらりとアルバートを見ると、何食わぬ顔で前を見ていた。松田の声に耳を傾けているように見えるその横顔は、赤澤や村崎、そして春人以上に今日を楽しんでいる顔だった。

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