向日葵と恋文

ベンジャミン・スミス

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第一話

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 一九四五年 一月 
 ある冷え込む朝の事だった。まさは、火鉢を突く徹司てつじを眺めていた。見られていることに気が付いて微笑む徹司の横顔が愛しい。
 玄関の方で来客を知らせる音がする。
「こんな朝早くに誰だ」
 重い腰を上げた徹司は、音がした玄関の方へ。嫌な予感がした昌は、心臓を高鳴らせながら聞き耳を立てた。
「……の為にっ!……て……ます!」
 所々途切れて聞こえる溌剌とした背筋の伸びる声に、深くため息が漏れ、さらに足の付け根が痛む。きっと今から聞きたくない事を聞いてしまう。その現実から逃げたくて昌は布団を頭まで被った。
 ほどなくして戻ってき徹司。
「昌、起きてるよな?」
 こっそり布団の中から覗く。つま先、寝間着の浴衣から伸びる逞しい脹脛……そして………手に握られている嫌な用紙。
 徹司の顔は先程聞こえてきた凛々しい声とは裏腹に強ばっている。血の気を失った唇は震え、やっとの事で声を紡いだ。
「行ってくるよ」
 徹司に赤紙招集がかかったのだ。それは戦争への片道切符。
 昌は無理矢理身体を起こし、布団の上であぐらをかきながら、背中を向けた。そして両腕を高々と上げる。
「天皇陛下万歳!」
 声を発してすぐ、昌の腕はだらりと下がった。その昌を後ろから徹司が強く抱き締める。
「万歳」
 赤紙を持ってきた軍人に「お国の為に精一杯戦ってきます」と強く進言していたはずなのに、それとは真逆の空気を背中に感じる。しかし口にすることは許されない。みな国の為に散ることが美徳だと教え込まされ、それをおかしいと思う事は死よりも重い罪なのだ。
「この関係も終いだな」
「昌、俺は……」
 幼馴染と肉体関係になって数年が経つ。いつの間にか第二次世界大戦は激化し、日本の戦局は傾きだしていた。まだ降伏の色を見せず、男たちは戦地へと駆り出されていく。昌のような人間を除く全ての男たちが──昌はある戦線で足を負傷し、切断は免れたものの思ったように動かすことが出来ない。特にこういった冷え込んだ日には付け根が痛み、ずっと横になっているのが常だった。付け根をさすり、その手を腰に当てる。昨日の熱は消えていたが、微かな鈍痛が再びあの快楽を思い出させる。初めて身体を重ねた日から変わらぬ痛み、思えば最初にした日も戦争と切っても切り離せない日だった。

***

 初めて招集されたのは一九四一年の太平洋戦争の時。亜細亜アジアにまで戦火が広がり、二人は戦線へと赴くことになった。「一緒に戦えるな」「お国の為に全身全霊を尽くそう」とお互い戦地での勝利を祈って撤司の家で酒盛りに興じることになった。
 だが、酒が回るとお互いの本音がほろほろと漏れ出したのだ。日本の第二次世界大戦参戦への不満、「命を無駄に散らして何の美徳があるというのだ」と。徹司の家で良かった。この話を誰かに聞かれていたらと思うと今でも背筋が凍る。
 そしてあの時は、燃える様に身体が熱かった。
「お前に死んでほしくない」
 そう言って手を重ねてきた徹司の欲しがるような視線に全てを奪われた。昌もつい、本音を漏らしてしまう。
「私も……君に生きて欲しい」
 昌の言葉が、ここまでなら普通の返答だったのに「ずっと君と生きていたい」だなんて言ってしまったものだから、徹司の秘めていた思いに火をつけてしまった。
「昌ッ!」
 お猪口が倒れて畳に染みを作っていくのが視界に入る。
「徹司……」
 徹司が、押し倒した昌の身体を強く抱き締める。
「今から俺が言うことに、何も言わないでくれ……お願いだ……」
「……」
 昌は、黙って徹司の首に腕を回す。覚悟をしたように息を吐く音が聞こえる。
「俺はこの大戦で日本は負けると思っている。相手は大国亜米利加アメリカだ。それに、どうせ戦争で人を殺めて地獄行きになる………だから今、極楽浄土に行かせてくれないか?」
 徹司のあまりにも回りくどく拙い申し入れに、プッと息を吐いてしまった。
「笑うな」
「いや、御免。君らしいなと」
「そうか?」
 頬を掻いて照れ隠しする徹司の手を払いのけ、そこに唇を重ねる。
 父母を既に失いもう誰もいなくなる徹司の家で二人、雄の本能を剥き出しにし身体を重ねる。今から敵へ向けるはずの闘争心を淡く熱い想いに変えて何も言わずに、想いも告げずにただひたすらお互いを求めあう。それは出兵の日まで毎日続いた。
 そして命を懸けた戦争で、昌は足を負傷し強制的に帰国。ほどなくして戦線が落ち着いた徹司も無傷で帰国した。
帰国後、死別を覚悟し身体を重ねた徹司の家で今度は生の喜びを噛みしめながら性を絡ませあったのだ。何も言わずに。

 そしてまた徹司は招集された。今度は昌を置いて。
 
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