旧鼠の星

来星馬玲

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遺跡の少女

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 冷たい金属がタイル状に敷き詰められている空洞の中。地上から隔離された内部に日光は一切入ってこず、異様なまでに混じりけの無い空気で満たされていた。

 壁面には青白い筋が毛細血管のように張り巡らされており、そこからぼんやりとした薄い明かりが零れていた。

 その無機的な明かりを顔面に受け、うつ伏せに横たわっていたユスチィスは微かな呻き声をもらした。

 頭の裏側が重く、ズキズキと痛んだが、それは時間の経過とともに、徐々に治まりつつある。ユスチィスは額に手を当てたまま、ゆっくりと上体を起こした。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返す、ユスチィス。視力が回復につれ、徐々に朧げな視界が広がっていく。横にある灰色の壁面を青白い発光体が奔り、長い回廊の先の闇の中へと吸い込まれるようにして通り過ぎていく様子が目に入った。

 暗い壁面上を規則的に繰り返し移動する発光体を眺めているうちに、やがて、それまで朦朧としていたユスチィスの意識も徐々に明朗なものになっていった。

 ユスチィスは、この異質な回廊に己が横たわっていたこと、そうなるに至った経緯を思い起こそうと試みる。

 あの時、トンガーソンと共に遺跡の調査に訪れていたユスチィスは大蛇おろちに襲われた。大蛇おろちの生々しく躍動する肢体ははっきりとユスチィスの脳裏に焼き付いており、悍ましい咢をかっと開き、異常な速度で迫り来るその姿を思い出した時、ユスチィスは思わず身震いをしていた。

 ユスチィスは寸でのところで大蛇おろちの突進をかわし、懸命に走った。しかし、旧鼠きゅうその足では、獲物に狙いを定めた大蛇おろちから逃れるなど、極めて困難なことである。

 それでも――自分はまだ、生きている。自らの体内で響く脈の鼓動を聴き取りながら、ユスチィスは己の幸運を噛み締めた。

 ユスチィスはあの時の状況を脳内で反芻する。

 大蛇おろちから逃げていたユスチィスは、踏みしめるべき大地が唐突に喪失した感覚を味わったのだ。そのまま全身が砂の渦に飲み込まれ、圧倒的な無力感と共に深い奈落の底へと沈んでいった。恐慌状態になったユスチィスは必死にもがいたが何の効果もあげられず、やがて呼吸をすることもできなくなり、意識は暗闇の中へと没していった。

 途切れた意識と、今の目覚めの合間の暗黒に何が起こっていたのか――ユスチィスは懸命に思い出そうとしたが、記憶の空白を埋めることは叶わない。

 ただ一つわかるのは、得体の知れない建造物の内部に、自分一人が取り残されているという現状だけであった。

 ユスチィスは改めて、この建造物の内部を顧みる。

 内部の空気はひどく乾燥しており、水分の存在は肌に感じられなかった。それだけなら地上の砂丘と大差ないが、ここでは風がなく、空気の流れというものも全くない。

 空間全体が冷たく、ユスチィスは、全身の熱が奪われていっている感覚がした。一方で、壁の上を走っている光からは物体を焼くような熱が備わってきており、不用意に近づけば火傷をしてしまいそうである。

 トンガーソンは無事だろうか……と、ユスチィスは思いを巡らした。大蛇おろちに襲われたトンガーソンであったが、自分がこうして生存しているのならば、一抹の希望は見出せるのでは、と思い至る。

 ユスチィスは居ても立ってもいられなくなり、重い足取りで回廊を歩き始めた。金属で造られた床の感触が足の裏に押し付けられ、時折、鋭い凍てつきが背筋にまで奔るような感触がした。

 無音の光の信号を頼りに、回廊の先へと進んでいく。外へ向かっているのか、より奥深くへ入りこんでいっているのかは定かでは無かったが、じっとしているよりはマシであろうと、今のユスチィスには思えた。

 延々と続く変わり映えしない道。外界と隔絶された空間。機械的な光の流れだけが時間の流れというものを感じさせる。だが、先ほどまで地上にいた頃から、どれだけの光が過ぎ去っているのかは、見当もつかない。

 不意に、壁面の光が途絶えた。ユスチィスは一瞬慌てたが、前方に僅かな黄色い光の帯のようなものが視認できた。ユスチィスはそれに向かって注意深く近づいていった。

 光の流れが二重線となり、中央の面を取り囲むようにして四角く奔っている壁に行き当たった。どうやらここで行き止まりになっているらしい。

 ユスチィスは落ち着いた様子で眼前の壁面を調べた。他の壁と同じく、冷たい金属でできており、ここの光からは熱が感じられなかった。

 注意深く観察してみると、この壁を奔っている光は透明な管のようなものに包まれており、直接空間に放たれている回廊の光とは異なっていた。光は規則正しく管の中を流れている。

 ユスチィスはもしやと思い、右手の甲で壁を軽く小突いた。こつん、と、高い音が周囲に響く。音の反響は壁の向こう側からも聞こえてくる。

 どうやら、これは扉の類であるらしい。開閉の方法はまだわからないが、ユスチィスの心中に、壁の向こう側に広がる未知に対する好奇心が湧いてきた。

 ユスチィスは壁の端から端までを隈なく調べていった。ふちには壁と壁の境目となる線があり、何らかの手段で動かせそうである。

 悪戯に時間を費やすことに痺れを切らしたユスチィスは、両手を壁面に当て、力いっぱい押した。だが、手ごたえはない。

 壁から手を放し、どうしたものかと途方に暮れるユスチィス。ふと、管の中の光の流れが変わっていることに気がつく。

 それまで規則正しく等速で流れていた黄色い光が急にその速度を増したかと思ったら、唐突にゆったりとした流れとなる。見る見るうちに、光の流れは遅くなっていき、やがて静止した。

 「ぐぅぅぅん」と、獣の唸り声のような重低音が響き、壁が内側に向かって小さく動いた。続けざまに、面全体が右側に吸い込まれるようにして移動していき、ユスチィスの前方の視界が一気に開けた。

 ユスチィスは好奇心に抗えず、一室に足を踏み入れる。内部は外側とは一変して湿った空気に満たされており、内側に込められていた水滴が霧状となってユスチィスの足元を緩やかに通過し、暗い回廊へと流れていった。

 部屋中の至る所でちかちかと明滅する白い光明。内装が視認できるほどの光量があり、暗い青みがかった壁と床の色彩が光によって浮かび上がっている。壁には模様はおろか傷一つなく、異様なほどに整然とした空間が広がっている。

 中央には、大人の旧鼠きゅうそが一人入れそうなほどの大きさの、棺を思わせる金属の塊が置かれていた。

 まさに玄室といった趣の広い一室。足元には気化しかかった水滴が尚も充満しており、凍てついた感触がユスチィスの全身を駆けあがってくる。

 ユスチィスは寒気に身震いをすると、部屋の中央に安置されている棺のような物体に近寄った。

 上面は平たく、まるで鏡のようであった。ユスチィスが覗き込むと、天井から伝わってきた光が物体に当たって反射し、ユスチィスの眼を突いた。ユスチィスは、唐突な強い光の刺激を受けたことで眼球に痛みを覚え、思わず瞳を閉じた。

 少しずつ、慎重に目を開き、改めて物体を見つめる。物体には多量の水滴が集まっており、びちゃびちゃに濡れていた。

 物体の上部と下部の中間部分には境目と言える一つの直線があり、おそらく開閉が可能であると思われた。この物体は何らかの容器であり、中に何かが収めれているのだろう。丁度、大人の旧鼠きゅうそ一人を横たえて入れるのに程よい大きさであり、ユスチィスには、やはりこれが棺としか思えなかった。

 ユスチィスは鋼の棺とも言うべき物体に対して、強く惹かれるものを感じていた。好奇心が不安に勝り、それ以上物体へ接近することへの抵抗が消えていく。やがて、ユスチィスは恐る恐る物体に触れてみた。

 ひやりとした感触が掌に広がる。先ほどまで乾燥しきっていた空気の中にいたユスチィスは、それがとても心地よいものに感じられた。

 ギシリ、と音がした。

 ユスチィスははっとなり、慌てて手を引っ込めた。音は天井の金属面の裏側から聞こえているらしく、何か硬く鋭いものが金属板を引っ掻いているような、聴覚に不快感を催させる音が響いてきた。

 引き返すべきかと思案するユスチィスは、背後の扉が閉じられていることに気がつく。

 ずるずると長いものが引きずられている。ユスチィスは焦った。ユスチィスの脳裏には、地上で自分とトンガーソンを襲った大蛇おろちの姿がはっきりと浮かび上がっていた。

 扉を強く押し、それから横に引っ張った。しかし、扉は固く閉ざされたまま、びくともしない。

 がたん、と天井から何かが落ちてきた。ユスチィスが振り返ると、剥がれ落ちた金属板が床に落ちているのが目に入った。そして、その上の暗闇の中から、長く、黒いものが這い出して来る様子が映る――。

 悲鳴を上げるユスチィス。四方を見回し、逃げ場を探しながら、相手から距離を取ろうと駆けだす。すぐに部屋の角に突き当たり、こちらを囲むようにして長い胴体を引き延ばしている相手に追い詰められた。

 両者の間に、暫しの沈黙があった。悍ましいものと対峙するユスチィスの思考は正気を失いかけていたが、何とかその場に踏み止まろうと懸命になっていた。

 やがて、怯えるユスチィスを見かねたそれは、重く低い声で沈黙を破った。

「聞け。ワタシは、お前を、喰うつもりは、ない」

 不気味な発声器官からこぼれる異質な声。だが、それは旧鼠きゅうそ同士が話す時と同様の言葉であった。

「キミを、ここに、導いたのは、ワタシだ」

 ユスチィスは相手の相貌を凝視していた。大蛇おろち旧鼠きゅうその言語を話している。とても異常な光景であり、ユスチィスの頭は酷く混乱していた。

「……お前が、ぼくをここに連れてきたのか」

 やっと出た言葉であった。

「そう、だ」

 ユスチィスは当惑し、相手の真意を測りかねた。いかに話が通じようとも、眼前にいるのは紛れもない旧鼠きゅうその天敵であり、ユスチィスの命運は、相手の出方次第で決まる風前の灯火と言えた。

「……どこなんだ、ここは。どうして、ぼくを連れてきた」

 ユスチィスは辛うじてそう尋ねた。相手が律儀に答えてくれるかどうかもわからず、それは己の恐怖心から目を背けようとする行為でもあった。

 大蛇おろちに襲い掛かって来る気配はなく、その長い胴体を横たえたまま悠然と構え、やがてゆっくりと語り出した。

「ここは、キミたちが、訪れていた、遺跡の地下、だ。ワタシは、キミの助けが、欲しくて、キミを、この場所に、連れてきた」

 慣れない喋り方で大蛇おろちはそう言うと、重く大きな首をもたげ、冷たい鋼の棺を細長い舌で指し示した。

「ワタシでは、かの者たちは、救えない。真実を、知る者も、少ない。だから、真実に近しいキミを、選んだ」

 ユスチィスにとって、大蛇おろちの言っている言葉は理解できるが、伝えようとしている内容は意味不明であった。

 ユスチィスは尚も問いを続ける。

「トンガーソン……ぼくと一緒にいた仲間はどうした。お前だろう、あの時襲ってきたのは」 

「あの者なら、無事、だ。しばらく、地上で、眠ってもらっている。まだ、ここの存在を気取られるには、早いのだ」

「……わからない、お前は大蛇おろちだ。ぼくたちから何もかも奪っていく怪物。ぼくが何度も何度も恐れ、憎み、嫌い続けてきたもの」

「キミの、考えていること、もっとも、だ。我々とキミたちは、今更、和解できない。だからこそ、ワタシは、キミに、選択する権利を与えない」

 大蛇おろちの巨大な眼がギョロリと蠢き、ユスチィスを睨む。ユスチィスの背筋に悪寒が奔った。全身が麻痺したように動けない。

「キミは、ワタシに、従え。さもなくば、キミは、ワタシに喰われる」

 やはり、大蛇おろちは野蛮で恐ろしく忌まわしい存在だ――そう思うユスチィスであったが、下手なそぶりを見せるわけにもいかず、ただ黙っていた。

「だが、案ずるな。やがて、キミは、キミたちの担う、役割に、気づく」

 大蛇おろちは己が指している棺を向いたまま、ユスチィスに目くばせをした。

「その蓋を、開けろ。キミの手で」

 ユスチィスはなおも戸惑っていた。しかし、こちらを見つめる大蛇おろちの有無を言わさぬ気迫に押され、緊張しながらも鋼の棺へと近づていく。

 ユスチィスは背後に大蛇おろちの視線を感じながら、平たい鏡のような表面に手を添えた。

 側面を調べていくと、先ほどは気づかなかった正方形の二重線が目についた。

 ユスチィスは二重線の内側の境界線に手をかけた。確かな手ごたえがある。

 手に力を込め、引っ張ってみると、「ガタン」と甲高い音が響き、小さな蓋がひっくり返るような勢いで開いた。露わになった内部には、小指一つで動かせそうな、短い棒の先端に楕円形が付随している、二つの赤と青の物体が見て取れる。

 これが何を意味しているのかユスチィスには理解できなかったが、恐る恐る手で触れてみると、容易に動かせるものであるらしいと判別できた。

「それは、キミたちに、操作し易いよう、造られている」

 大蛇おろちの幾分上ずった声が聞こえてきた。大蛇は再び黙すと、ユスチィスの行動を見守る。

 ここにきて、僅かな迷いを覚えたユスチィスは、これ以上得体の知れない装置を動かして良いものかと、心の中で自問した。もっとも、背後の大蛇おろちに逆らえない非力な自分の立場ははっきりしており、次の段階へ移行する前のごく短い抵抗でしかなかった。

 ユスチィスは右側の赤い物体に指を添え、少し力を込めて押し上げた。

 途端に棺全体が青白く明滅し、上半分が音を立て、ゆっくりとした動作で両端へと吸い込まれるようにして折りたたまれていき、内部が露出した。

 ユスチィスは、露わになった棺の中身を覗き込んだ。棺の下半分の境界線の上に張られた曇った透明な板が天井の明かりを反射し、一瞬、ユスチィスの視界を遮った。

 はっと息をのむ、ユスチィス。透明版の向こう側、棺の内部に横たわっている、人物と思しきもの。

 それは一見すると旧鼠きゅうそによく似た形を成していた。それでいて、全身が獣毛で覆われている旧鼠きゅうそとは全く異なる印象を受ける。それには、身体の一部を覗いて、眼につくほどの体毛が生えていなかった。

 白い球のような肌には煌びやかな光沢があり、大蛇おろちの外殻とは違い、暖かい体温が息づいていることを感じさせられた。

 頭皮には豊かな橙色の毛が生えており、露わになった肌との奇妙なコンストラクションを形成している。

 ふくよかな胸の膨らみは何か懐かしいもの想起させる。透明版の隔たりによって触ることができないにもかかわらず、旧鼠きゅうその少女のそれに通じる感触を連想させた。

 中の生き物のまぶたは閉じられたままであり、微動だにする様子も見受けられない。ただ、冷たい密室に閉じ込められていてもなお、今にも動き出しそうな生命力は感じられる。

 おそらく、この生き物は旧鼠きゅうそよりも弱弱しい。筋肉は目立たず、華奢で、大蛇おろちのような硬い皮膚があるわけでもない。ただ、そんな生き物が、まるで悠久の時を過ごしてきたかのような厳かな雰囲気も醸し出していた。

 暫くの間、ユスチィスは背後に大蛇おろちがいることすらも忘れていた。

「パンナカァラ……」

 ユスチィスは無意識のうちにそう呟いた。そして、自分の発した名前に驚き、我に返る。

 これが大蛇おろちの思惑通りなのだろうか――ユスチィスはそうも考えてみたが、正体不明の生き物に寄せる自分の想いは本物である。自分は来るべくしてここに来た――そんな気までしてくる。

 自分は目の前の生き物に魅入られている。加えて、それにはとても懐かしい感情も伴っているのだ。

 ユスチィスは大蛇おろちの方へ振り返り、尋ねた。

「彼女は……いつから、この遺跡に」

 ユスチィスは棺の中の生き物が女性――それも、まだ幼さを残した少女であると疑わなかった。何故、旧鼠きゅうそとは異なる生き物に対して、自分がそう確信できるのか、はっきりと理解はできなかったが。

 暫しの間。やがて、大蛇おろちは大きな眼球を妖しく蠢かすと、厳かな口調で答えた。

「ワタシにも、わからない」

 大蛇おろちは胴体を伸ばし、重い頭部をユスチィスの頭上にかざし、棺の中の少女を見つめながら語り始めた。

「だが、先史文明の、遺した資料。それらを理解するうちに、ワタシたちや、キミたちの……祖先の存在。その関連性。理解するようになった。彼女は、気の遠くなるような昔、滅んだ、先史文明の遺産」

「やっぱり。……先史文明人の生き残りなのか」

「そのもの、とも、限らぬ、が。とうの先史人は、変容したこの星では、生きていけなかった。だから、幾つかの改造が、施されている。ワタシは、長らく、この遺跡に住み着き、調べ続けてきた。そして、知ったのだ」

「…………」

 ユスチィスは大蛇おろちの話に耳を傾けているうちに、まるで遺跡発掘にいそしんでいるトンガーソンの弁論を聞いているような錯覚に陥った。旧鼠きゅうその命を喰らい、その住処を追う血も涙もない怪物として認識していた大蛇おろち。その大蛇おろちとこうして会話をしているだけでも異常な状況と言えたが、大蛇おろちの持つ探究心に旧鼠きゅうそと同じものを感じ、ユスチィスにはこれが現実であるとは信じられなくなっていた。

 だが、目の前にいる少女に対して強く惹かれる想いだけは、何故か一貫している。不思議なことであったが、これが夢であるならば、追い求めていた何かを手に入れたような感情を、夢から覚めたとしても忘れたくない。

 ふと、少女の閉じていたまぶたが動いたような気がした。ユスチィスは、あるいは錯覚だろうかと思い、彼女の綺麗に整った顔を覗き込む。

 少女の口元が微かに動く。何か、声を発したような気がしたが、透明板に遮られている為か、ユスチィスの耳には何も聞こえてこなかった。

「彼女は、つい先ほどまで、眠っていた。……彼女の思考、キミたちに、酷似している。ワタシでは、目覚めたばかりの、少女に、畏怖の念、植え付けかねなかった」

 大蛇おろちの胴体が天井に穿たれた黒い穴に向かって上昇していく。大蛇おろちは首だけを覗かせた姿勢で、己を見上げるユスチィスに向かって言う。

「だから、キミを、連れてきた。今度は、キミが、彼女を、導いてくれ」

 大蛇おろちの気配が暗闇の奥へと遠ざかっていき、途絶えた。

 大蛇おろちの視線から解放されたユスチィスは軽い安堵の念を覚えた。敵意がないと頭で理解したつもりでいても、元来の天敵に睨まれたままでいるというのは、大変心苦しいものであったからだ。

 改めて少女の方を見やるユスチィス。その瞬間、ユスチィスはあっと言った。

 ぱっちりと開かれた濁りの無い栗色の瞳。はっきりと焦点の定まった視線は、正面にあるユスチィスの顔面を正確に捉えている。

 ユスチィスは己の心臓の鼓動がドクドクと早く脈打っているのを感じながら、少女と目を合わせた。旧鼠きゅうそとは異なる風貌をしているが、ユスチィスはそこに、ある幼い旧鼠きゅうその少女の面影を見た。

「パンナカァラ」

 ユスチィスの口から自然にこぼれた、ある者の名。ユスチィスはもう、自分がその名を口にすることに違和感を覚えなかった。

 透明版が音を立て、少女の足元の方へとゆっくりスライドしながら開かれていった。内部を満たしていた凍てついた空気が噴出し、ユスチィスの顔面に無数の水滴が吸いついてきた。

 少女が瞬きをする。緊張し、息をのむユスチィス。

 少女はあどけない表情でユスチィスを眺めていた。とても不思議なものを見る目で。それは、ユスチィスが初めてこの遺跡の中の少女を見た時の目と酷似していた。
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