願いと欲望

秋赤音

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願いと幸せ

見守る者(3)

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一国の姫であることを羨ましく思う人が周囲には大勢いるが、私には苦痛でしかなかった。
小さな失敗も許されない振舞いを求められる辛さを、彼らはいつだって当たり前だと笑うだけ。
三歳の生誕祭が終わると、未来の民の命を預かる重い責任を抱えられるように教育が始まった。
楽器や教養のための教育で埋まる時間に自由はなかった。
両親や民が求めるのは『一国の姫に相応しい存在』であり、
偶然に生まれた子供が『エルディナ・ローザ』と名乗っているだけ。
誰も『ありふれた人』を求めてはいないし、
一瞬でも『何者でもないエルディナ』になることをを許さない。
「万が一にも備え、毒に耐性をつけましょう」と綺麗な笑顔で出されるのは、
ごく微量に何かの毒が混ざった食事。
何もない食事と不規則に与えられ、五感を使い見極めながら食べる料理を美味しいと思ったことはない。

ある日、原因不明の高熱で死の淵をさ迷い、奇跡のような目覚めと回復で命を繋いだ。
幸いにも悪化する気配無く回復し、安堵する両親。

「本当によかったわ。大切な娘がいなくなると思うと辛かったのよ」

「よかった。また子供を作り直すの、大変だもの」

微笑む母親から二つの声が聞こえた。
初めてのことに驚き返事をしないまま母親を見ていると、
笑みを浮かべた父親が母親の隣にきて腰を抱いた。

「よかった。心配したんだ。
これからは、何かあれば小さなことでも言いなさい」

「死んでくれてもよかったが、まあいいか」

口の動きを見るが、心配する言葉だった。
ならば、もう一つはなに?
返事に困る私を見る両親の従者も笑みを絶やさない。

「本当によかったです」

「これで面倒な看病しなくていいのね」

声から伝わってくる感情は、まるで反対のようだった。

「ご心配をおかけして、申し訳ありません」

悩んだ末に出した答えに皆は笑う。
二つの声に悩む日々は、私に気づかないまま雑談をする従者が晴らしてくれた。
見えないところでは快く思われていないと知ると同時に、一つの予想をした。
口から出ていない言葉は、心の声だと。
貴族の親子、家庭教師、庭師や世話人まで、
出会う人の全てが私を快く思っていないようだった。
口から出す言葉ではない言葉を心に秘めたまま過ごす彼らに、
今までの全ては大人の優しさでできた穏やかな暮らしだと思い知る。
誰も本心で話をすることはないのだと。
それが、あるべき姿だと。
『エルディナ・ローザ』でない『私』には、誰も関心を示さない。
私は、求められていない『私』を隠して『エルディナ・ローザ』であり続けるため、
上辺を綺麗にする術を身につけた。
告げられる褒め言葉に何とか覚えた愛想笑いを返すが、まだ足りないらしかった。
「真に受けて、かわいそう」と。
「まだまだ成っていない」と心で告げる人たち。
苦労の末に『エルディナ・ローザ』が良い評価をされ始めたが、
『私』は、辛かった。
一人でもいいから誰かに『私』に振り向いてほしかった。

そんなとき現れたのが婚約者だった。
アイリス家の三男リーフレン様は、すべての時間で『エルディナ・ローザ』を求めることはなかった。
失敗しても優しい言葉をくれた。
一緒に解決する方法を考えてくれた。
実力を磨きながら、時には共に悔しさを慰めあった。
繋いだ手から伝わってきたフレンの魔力は、とても温かかった。
「ディナ。私のことはフレンと呼んで」と優しい眼差しを向けながら私を呼ぶ赤い瞳は、濁りの無い澄んだ色だった。
言葉と心の言葉は違ったが、どれも不快になる言葉はなかった。
だからだったのだろう。
大人が強いる嘘に心が折れてしまった。
儚い笑みが消えないままのフレンは四歳になり、意識が戻らないまま五歳を迎えた。
フレンを祝う四歳の生誕祭で、出された食事を食べて倒れたまま。
香りですぐに分かるような毒だった。
貴族なら誰でも分かるような代物だった。
おそらく、毒入りだと知っていて食べたのだ。
私は、フレンが目覚める日を待ちたい。
幸いにも体は回復していて、目が覚めればいいだけ。
お願いしたこともあり、婚約は続いている。
会いに行くことは許されていない。
私は、また共に過ごす日のためにできることをするだけ。
積もる寂しさは、目覚めたフレンに消してもらうのだ。


私ももうすぐ五歳になる。
生誕祭の前夜。
仕事を終えたお父様に呼び出された。
部屋に入ると、机を指し示された。

「エルディナ。選びなさい」

「一応、聞いておかないとな」

明るい声とは反対の面倒そうな心の言葉に嫌な気配がした。

「なにをですか」

見せられたのは年が近そうな男の子の絵。
まさか。

「辛いとは思うが、新しい婚約者を選びなさい」

「すでに候補は決めてあるが、家のために働け」

嫌だった。
全ての絵に見覚えはあるが、
どれも他者を平然と蹴落とす意地の悪い人ばかり。
私はフレンと共に時間を歩みたいのだ。

「嫌です。私は、フレンとしか結婚しません。
失礼します」

「待ちなさい。エルディナ!」

扉が閉まる直前に聞こえた舌打ち。
早く逃げないと追われる気がして、もつれそうになる足を動かし自室に走る。
扉を開けて鍵をしめ、廊下から足音が聞こえないことを確認する。
安全だと判断し、走る呼吸を整えながらベッドに潜る。

「フレン…会いたいよ」

返事はない。
フレンは体を癒すために魔力を使って、今は少しずつ蓄え直している。
倒れた後、医師が言っていた言葉を思い出す。
私に分けられるだけの魔力があればいいのに。
溢れだす寂しさを抱え、夢でもいいから会えることを願い、目を閉じた。

ふと、強い魔力を感じた。
目を開けると、白い空間に立っていた私。
目の前に赤い光が浮かんでいた。

「エルディナ・ローザ。
魔力がほしいなら、私があげます。
私も、あなたの持つ魔力がほしいです。
今日から、共に魔力を与えあえる友達になってください」

「お腹がすいた。早く、魔力ががほしい」

初めて会う二つの声が同じ存在に感動した。
光の浮遊物体は、目の前で人の形に変わった。
この存在が何か、知りたいと思った。

「ありがとう。よろしくね」

「はい。よろしく、です。
私のことはリィと呼んでください」

「そう。だったら、私のことはエルディナとお呼びください」

「ありがとう、エルディナ」

人型をした光の影は表情に濃淡を浮かべていた。
微笑んでいるように見えたリィは、翌日から絶えず夢に現れた。
リィは、大人が言う天使かもしれない。
声から想像すると男の子。
私の天使は何を教えてくれるのだろうか。

「「今日は寝てください。
明日は特別な日ですから。
そのまま目を閉じて」」

「ありがとう。おやすみなさい」

言われたとおりに目を閉じると、背中に馴染んだベッドの感覚が戻った。
突然に起きた出来事に驚くが、疲れた体はそのまま眠りに向かった。

五歳の生誕祭は、今までで最悪だった。
おそらくお父様が決めた婚約者候補がしつこく話しかけてくる。
すぐにでも部屋に帰りたいが、主役がいないパーティは許されない。
愛想だけで場を過ごし、終わればすぐに身を清めてベッドに入った。
いてほしかったフレンを思い描きながら、目を閉じた。

「こんばんは。エルディナ」

「こんばんは」

声に誘われ目を開けると、フレンではない赤い色がいた。
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